短編
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ふわりふわり。穏やかな風が白のカーテンを揺らす。
見上げると青空で、心地のよい風とともにカーテン越しに柔らかな光が部屋を包み込んでいる。
隣にはさくらが心地よさそうに瞼を閉じ、寝入っていた。
いつ隣に来たのだろう。俺の体にはタオルケットがかけられ、きっと俺が昼寝をしているところで、こいつも眠たくなってそのまま、という流れだろう。さくらの小さな手が俺の背に回っている。
いつも、そうだ。二人で眠りにつくとき、俺がさくらを抱きしめて寝ているはずが、目が覚めるとさくらの手が背に回っていたり、俺の頭を優しく撫でるような体勢でいる。一度、さくらに問うたことがあった。さくらは、「落ち着くから。」とやわらかく微笑み、それ以上は語らなかった。
俺に両親がいないことが憐れだと、そういう気持ちなのだろうか。
父親は分からない、母親は幼いときに事故で失った。俺に残ったのは祖父母で、そういう家庭事情を知れば、たいていの奴は「かわいそうに」「なにかできることはないか」と優しい声をかける。しかし、俺はこの境遇に同情してほしい訳でも助けがほしい訳でもない。世間では、母親というもののぬくもり、父親の背の大きさ。家族団らんのあたたかさ。そういうものに触れてこなかった俺は「かわいそう」な男なのか。同情の言葉をかけられるほど惨めな気持ちになった。同情することで自分は幸せなのだと確認できる。だから、弱い者を助けてやるのだ。そういう言葉が聞こえてくるようだった。
さくらに「同情しているのか」と聞けば、きっと「なぜ?」と、まるで考えもしなかったというような顔をするのだろう。こいつは、そういう奴だ。俺の「家族」ではなく、俺「自身」を見てくれた。だから、付き合っていられるのだと思う。
さくらの瞼が震えた。視点の合わない瞳が俺を捉えるとうれしそうに細められた。この表情を見るときがいっとう幸せだ。愛しさがあふれ出るような、俺だけを、この世で一番愛しているのだと言っているようで。
「おはよう。」
少し掠れた声で挨拶しながら、さくらは自然に俺の髪をなでた。ゆっくり、ゆっくり、存在を確かめるように手をすべらせる。
誰かに頭を撫でられることなどなかったが、こうしていると、なぜか懐かしく思うことがある。まるで、前からこの手の重みもやわらかさも知っているような。妙に胸の奥がちりちりと焼けるようで、ひだまりに包まれるようで、幸せと泣きそうな気持ちがない交ぜになるような心地になるのだ。
無意識に母の面影を追っているのだろうか。俺の記憶の奥底に眠る母の記憶をたぐりよせているのかもしれない。
「百ちゃん。」
こういうときだけ、さくらは俺を「百ちゃん」と呼ぶ。睦み合うときでさえ「百之助」と呼ぶにもかかわらず、こいつにとっては、男女の関係よりも、こちらの方が特別なものだろうか。
しかし、気に入らないことがひとつある。俺の存在を確かめるように動く手で、俺に向ける目はどこか遠くを思っているのだ。そのアンバランスさが、俺の心を嫉妬で焼いた。ちりちりと少しずつ浸食していくどす黒い気持ちが、気づけば取り返しのつかないところまで来ていた。
「誰を思っている?」
鋭い目線をさくらに向ける。
俺を慈しむ手で、違う男を想っているのか。
返答次第では、このまま組み敷いてやろうと、体を浮かせた。
「ごめんなさい、昔、お世話してた子のことを思い出しちゃって。」
予想外の答えに一瞬表情が固まった。
それに、さくらは、小さく笑った。
「そんな話、初めて聞いたぞ。いつのことだ?」
「言ってなかったもの。」
いたずらな笑みを向けるので、頬の肉をつまんでやる。するとさくらはごめんなさい、と言いながら俺の手を頬から離した。本当に反省をしているか疑わしいが、話の続きを聞くため頬の代わりに俺もさくらの腰に手を回した。
「百之助と出会う二年前くらいかな。五歳くらいの子でね――」
話を聞いていると、迷子の子どもで、数日預かっていたこと。家のことを聞いても口を開かないその子が、唯一紙に書いたのが「百」だったこと。生活用品の使い方を何一つ知らない子で、ひとつひとつ使い方を教えてあげたこと。
「なぜ警察に行かなかった?」
迷子ならば、警察に預けた方がいい。こいつは、そこまで頭の回らない奴ではない。さくらは思い出すようにうーん、と唸った。
「その子、表情が変わらないの。きっと愛情のない場所に帰るだけだと思ったから。」
自己満足かもしれない。それでも、あの子を放っておけなかった。
苦しそうに眉を寄せ、さくらは言葉を継いだ。
こいつのそんな表情を今まで見たことがなかった。女というものは、子を産まずとも母性から行動するものなのか。さくらを見ているとそう思えた。
「それで、そいつはどうなったんだ?」
「・・・・消えちゃった。」
その時のことを思い出したのか、さくらの瞳は揺れていた。
恩知らずな奴め。と、内心悪態をつきながら、さくらの腰を引き寄せ、抱きしめた。
「そいつも何か事情があったのかもしれないな。」
安心させるように背中をとんとん、とたたいてやる。つらいことを思い出させてしまったようだ。さくらは俺の胸の服をぎゅうっと掴んだ。
「百之助・・・」
「どうした?」
「気を悪くしたら申し訳ないからはぐらかしてたんだけど・・・」
きっと、そのガキに関わることなのだろう。そう察しはついた。俺はなるべく優しく聞こえるように「話してみろ。」と促した。
「その子と百之助、頭をなでるとき同じような表情をするの。気持ちよさそうに目を細めて眉を下げて。あの子も大きくなったらこんな風になるのかな。大切な人と過ごせているかな、って。」
「俺にそいつの面影を重ねてたってわけか。」
「そういうの好きじゃないの分かってたから言いづらくて。」
「ああ、気にくわねえな。」
申し訳なさそうにうつむくさくらの顎を持ち上げて目線を合わせた。
「さくら。おまえ、俺のこと本当に好きなのか?」
そいつの代わりにしているんじゃねえよな。
という言葉は飲み込んだ。もし、肯定の言葉を聞いたら冷静でいられないだろう。しかし、さくらには言外の気持ちは伝わったらしい。
「あなただけよ。」
さくらは俺に唇を寄せた。それに噛み付くように唇を合わせた。俺だけを感じればいい。息をするのさえ、俺がいなければできないほどに、ただ俺だけを見ていればいいのだ。
上気する頬と先ほどは別の色を含んだ瞳に、俺は言いしれぬ高揚感を得た。俺だけを感じる艶やかな表情が色に溺れているのだと分かった。甘く柔らかな四肢に華を散らしていく。背を反らせて快感を逃がそうとするのを引き留め、さらに深みへと導いていく。子供になどできないことだ。俺だけがお前の何もかもを知っているのだ。
切なげな声も、しっとりとした肌も、俺にねだるその瞳も。
情事後の姿のまま、二人で眠りについた。あの後、気絶するまで責め立てたため、さくらは乱れた髪をそのまま俺の胸の中で眠っていた。その姿に満足し、俺も同じく夢の世界へと墜ちていった。
パジャマ姿でベッドに眠るさくらがいる。すこし、あどけなさが残る表情にあいつの過去をみているのだと分かった。俺の体全体を包み込む手は、いつもの見知った体温だ。
ああ、夢か。
ふたまわり以上小さくなった自身の体をみて気づいた。こいつが「百」か。夢の中のさくらが目を開ける。いつものように、「おはよう」と優しく頭を撫でる。
「百ちゃん。」
愛おしそうに撫でるさくらはまるで母親のように慈愛に満ちた表情を浮かべていた。しかし、それが、涙に濡れていく。
「・・・行ってしまうの?」
そういうさくらの涙を拭いてやろうと手を伸ばすが、指先から光の粒のように手の形が崩れていった。
消えてしまう。
「さくら――」
伝えたい言葉を形にするより早く、俺の体はこの世界から消えていった。
そうか。こいつは「俺」だったのだ。
理屈ではなく、それが一番しっくりきた。いつの「俺」なのか、定かではないが。あのときの「俺」はさくらのぬくもりに愛情を感じていた。母というもののぬくもりを、こいつにもらった。
俺は確かに救われたのだ。
目が覚めると相変わらず夢の中にいるさくらが腕の中にいた。そのぬくもりを確かめるように、抱きしめる。
「さくら・・・――」
あのとき伝えられなかった言葉を愛する人の耳元で囁いた。
見上げると青空で、心地のよい風とともにカーテン越しに柔らかな光が部屋を包み込んでいる。
隣にはさくらが心地よさそうに瞼を閉じ、寝入っていた。
いつ隣に来たのだろう。俺の体にはタオルケットがかけられ、きっと俺が昼寝をしているところで、こいつも眠たくなってそのまま、という流れだろう。さくらの小さな手が俺の背に回っている。
いつも、そうだ。二人で眠りにつくとき、俺がさくらを抱きしめて寝ているはずが、目が覚めるとさくらの手が背に回っていたり、俺の頭を優しく撫でるような体勢でいる。一度、さくらに問うたことがあった。さくらは、「落ち着くから。」とやわらかく微笑み、それ以上は語らなかった。
俺に両親がいないことが憐れだと、そういう気持ちなのだろうか。
父親は分からない、母親は幼いときに事故で失った。俺に残ったのは祖父母で、そういう家庭事情を知れば、たいていの奴は「かわいそうに」「なにかできることはないか」と優しい声をかける。しかし、俺はこの境遇に同情してほしい訳でも助けがほしい訳でもない。世間では、母親というもののぬくもり、父親の背の大きさ。家族団らんのあたたかさ。そういうものに触れてこなかった俺は「かわいそう」な男なのか。同情の言葉をかけられるほど惨めな気持ちになった。同情することで自分は幸せなのだと確認できる。だから、弱い者を助けてやるのだ。そういう言葉が聞こえてくるようだった。
さくらに「同情しているのか」と聞けば、きっと「なぜ?」と、まるで考えもしなかったというような顔をするのだろう。こいつは、そういう奴だ。俺の「家族」ではなく、俺「自身」を見てくれた。だから、付き合っていられるのだと思う。
さくらの瞼が震えた。視点の合わない瞳が俺を捉えるとうれしそうに細められた。この表情を見るときがいっとう幸せだ。愛しさがあふれ出るような、俺だけを、この世で一番愛しているのだと言っているようで。
「おはよう。」
少し掠れた声で挨拶しながら、さくらは自然に俺の髪をなでた。ゆっくり、ゆっくり、存在を確かめるように手をすべらせる。
誰かに頭を撫でられることなどなかったが、こうしていると、なぜか懐かしく思うことがある。まるで、前からこの手の重みもやわらかさも知っているような。妙に胸の奥がちりちりと焼けるようで、ひだまりに包まれるようで、幸せと泣きそうな気持ちがない交ぜになるような心地になるのだ。
無意識に母の面影を追っているのだろうか。俺の記憶の奥底に眠る母の記憶をたぐりよせているのかもしれない。
「百ちゃん。」
こういうときだけ、さくらは俺を「百ちゃん」と呼ぶ。睦み合うときでさえ「百之助」と呼ぶにもかかわらず、こいつにとっては、男女の関係よりも、こちらの方が特別なものだろうか。
しかし、気に入らないことがひとつある。俺の存在を確かめるように動く手で、俺に向ける目はどこか遠くを思っているのだ。そのアンバランスさが、俺の心を嫉妬で焼いた。ちりちりと少しずつ浸食していくどす黒い気持ちが、気づけば取り返しのつかないところまで来ていた。
「誰を思っている?」
鋭い目線をさくらに向ける。
俺を慈しむ手で、違う男を想っているのか。
返答次第では、このまま組み敷いてやろうと、体を浮かせた。
「ごめんなさい、昔、お世話してた子のことを思い出しちゃって。」
予想外の答えに一瞬表情が固まった。
それに、さくらは、小さく笑った。
「そんな話、初めて聞いたぞ。いつのことだ?」
「言ってなかったもの。」
いたずらな笑みを向けるので、頬の肉をつまんでやる。するとさくらはごめんなさい、と言いながら俺の手を頬から離した。本当に反省をしているか疑わしいが、話の続きを聞くため頬の代わりに俺もさくらの腰に手を回した。
「百之助と出会う二年前くらいかな。五歳くらいの子でね――」
話を聞いていると、迷子の子どもで、数日預かっていたこと。家のことを聞いても口を開かないその子が、唯一紙に書いたのが「百」だったこと。生活用品の使い方を何一つ知らない子で、ひとつひとつ使い方を教えてあげたこと。
「なぜ警察に行かなかった?」
迷子ならば、警察に預けた方がいい。こいつは、そこまで頭の回らない奴ではない。さくらは思い出すようにうーん、と唸った。
「その子、表情が変わらないの。きっと愛情のない場所に帰るだけだと思ったから。」
自己満足かもしれない。それでも、あの子を放っておけなかった。
苦しそうに眉を寄せ、さくらは言葉を継いだ。
こいつのそんな表情を今まで見たことがなかった。女というものは、子を産まずとも母性から行動するものなのか。さくらを見ているとそう思えた。
「それで、そいつはどうなったんだ?」
「・・・・消えちゃった。」
その時のことを思い出したのか、さくらの瞳は揺れていた。
恩知らずな奴め。と、内心悪態をつきながら、さくらの腰を引き寄せ、抱きしめた。
「そいつも何か事情があったのかもしれないな。」
安心させるように背中をとんとん、とたたいてやる。つらいことを思い出させてしまったようだ。さくらは俺の胸の服をぎゅうっと掴んだ。
「百之助・・・」
「どうした?」
「気を悪くしたら申し訳ないからはぐらかしてたんだけど・・・」
きっと、そのガキに関わることなのだろう。そう察しはついた。俺はなるべく優しく聞こえるように「話してみろ。」と促した。
「その子と百之助、頭をなでるとき同じような表情をするの。気持ちよさそうに目を細めて眉を下げて。あの子も大きくなったらこんな風になるのかな。大切な人と過ごせているかな、って。」
「俺にそいつの面影を重ねてたってわけか。」
「そういうの好きじゃないの分かってたから言いづらくて。」
「ああ、気にくわねえな。」
申し訳なさそうにうつむくさくらの顎を持ち上げて目線を合わせた。
「さくら。おまえ、俺のこと本当に好きなのか?」
そいつの代わりにしているんじゃねえよな。
という言葉は飲み込んだ。もし、肯定の言葉を聞いたら冷静でいられないだろう。しかし、さくらには言外の気持ちは伝わったらしい。
「あなただけよ。」
さくらは俺に唇を寄せた。それに噛み付くように唇を合わせた。俺だけを感じればいい。息をするのさえ、俺がいなければできないほどに、ただ俺だけを見ていればいいのだ。
上気する頬と先ほどは別の色を含んだ瞳に、俺は言いしれぬ高揚感を得た。俺だけを感じる艶やかな表情が色に溺れているのだと分かった。甘く柔らかな四肢に華を散らしていく。背を反らせて快感を逃がそうとするのを引き留め、さらに深みへと導いていく。子供になどできないことだ。俺だけがお前の何もかもを知っているのだ。
切なげな声も、しっとりとした肌も、俺にねだるその瞳も。
情事後の姿のまま、二人で眠りについた。あの後、気絶するまで責め立てたため、さくらは乱れた髪をそのまま俺の胸の中で眠っていた。その姿に満足し、俺も同じく夢の世界へと墜ちていった。
パジャマ姿でベッドに眠るさくらがいる。すこし、あどけなさが残る表情にあいつの過去をみているのだと分かった。俺の体全体を包み込む手は、いつもの見知った体温だ。
ああ、夢か。
ふたまわり以上小さくなった自身の体をみて気づいた。こいつが「百」か。夢の中のさくらが目を開ける。いつものように、「おはよう」と優しく頭を撫でる。
「百ちゃん。」
愛おしそうに撫でるさくらはまるで母親のように慈愛に満ちた表情を浮かべていた。しかし、それが、涙に濡れていく。
「・・・行ってしまうの?」
そういうさくらの涙を拭いてやろうと手を伸ばすが、指先から光の粒のように手の形が崩れていった。
消えてしまう。
「さくら――」
伝えたい言葉を形にするより早く、俺の体はこの世界から消えていった。
そうか。こいつは「俺」だったのだ。
理屈ではなく、それが一番しっくりきた。いつの「俺」なのか、定かではないが。あのときの「俺」はさくらのぬくもりに愛情を感じていた。母というもののぬくもりを、こいつにもらった。
俺は確かに救われたのだ。
目が覚めると相変わらず夢の中にいるさくらが腕の中にいた。そのぬくもりを確かめるように、抱きしめる。
「さくら・・・――」
あのとき伝えられなかった言葉を愛する人の耳元で囁いた。