短編
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
暑さでしっとりとした鶴見さんの首元に目がいく。
夜になっても気温が高く、店に入ったばかりの職場の同僚たちも暑い暑いと言い、手で扇ぎながら、飲み会の席についた。鶴見さんも例に漏れず、首筋にしっとり汗をかいていた。
今回の飲み会は花火大会の日と重なっていて、それならば参加者も浴衣での参加にしてはどうかと話があった。用意がある者は各々で着流しや浴衣を着ていた。鶴見さん、鯉登さん、月島さん、尾形さんあたりの男性陣は着流しで、杉元くん、白石くんはラフな服での参加だった。尾形さんもこういう趣向には興味ないのかと思っていたが、意外な一面を見た気がする。
鶴見さんは素人が見ても生地の良さそうな染めの着流しで、同じ素材の羽織と、男性には珍しい花のモチーフの根付をつけていて、とても粋に着こなしていた。長テーブルのはす向かいに座る鶴見さんを、横目に見ながら、近くの席の同僚に料理を取り分けたり、談笑しながら飲み会は進んでいく。
鶴見さんとは同じ部門でも課は違うため、必要な時に話す程度の関わりしかない。同じフロアで見る、彼の仕事ぶりは的確で、部下への気遣いもある有能な上司だ。遠くから見つめるしかなかった人が、今日はこんなに近くにいる。しかし、その機会を生かせるかと言えば、意気地がなく、近くの席の同僚と話すばかりである。
「日向くんも浴衣で来ていたんだね。」
鶴見さんがこちらに声をかけてくださった。料理を取りつつ視線を向けていたのに気付かれてしまったのだろうか。内心どきどきしながらも、何事もない顔をしながら答える。
「ええ。花火もありますし、せっかくの機会ですから。」
「幹事もなかなか粋な提案をするものだ。そのおかげで、こうして素敵な女性の姿を見られるのだからね。」
鶴見さんはそう言ってこちらに笑いかけた。それに心臓が大きく跳ねる。
花火だから、というのは本当は口実なのだ。本当は鶴見さんに職場とは違う姿を見て欲しくて、飲み会が浴衣で参加と聞いてから、急いでお店に走って用意していた。彼の姿を思い浮かべて、彼の隣に立つならば、と叶うはずのない望みを胸に、いくつもの浴衣に袖を通した。
鶴見さんには、きっと爽やかで、楚々とした女性が隣に似合う。
そう思って、手に取ったのはクリーム地に白い芥子の花が浮かび上がる、淡い浴衣だった。あわよくば、彼に素敵だと思って貰いたいと着付けてきた。その望みが早くも叶い、心の内は叫び出したいくらい歓喜していた。しかし、現実では笑顔でお礼を言うのが精一杯で、その後はすぐに鶴見さんは部下たちのお酌に囲まれて話す機会も失ってしまった。
宴もたけなわ、会場では酒に飲まれ、それぞれが好きな場所で飲み比べをしていたり、2,3人で静かに固まって飲んでいたりと自由な時間を過ごしていた。私はこの席を離れるのは惜しく、同僚たちが席を立っていくのを見送り、そのままちびちびと一人で盃を上げていた。ちら、と鶴見さんの方を見ると、彼もどこかへ出かけるのか、徳利と盃を持っていた。
これで彼を間近で見ることもないのだな・・・。と残念な気持ちもあったが、仕事のつきあいの多い彼が、酌をしにいくのは当然のことだ。・・・私も杉元くんたちのところへ混ぜてもらおうか。と、腰を浮かしたときだった。
「どこかへお出かけかい?」
隣から聞こえたのは鶴見さんの声で、彼の目指していた酌をする相手は信じられないが私のようだった。驚きすぎて、すぐに声が出ない。それに悲しそうに眉を下げる鶴見さんをみて、慌てて、「い、いえ!ご一緒させてください。」と告げると、とたんに花がほころぶような笑顔で隣に腰を下ろした。
仕事の愚痴や他愛もない話をしながら、盃に注ぎ合う。日本酒の冷たくもまろやかな口触りと、鶴見さんからのお酌とあって、普段より進みが早くなってしまう。基本的に私の話すことに相づちを打ったり、返答してくれていた鶴見さんが、ふと真面目な表情でこちらをみつめた。
「日向くんは芥子の花が好きなのかい?」
どうやら私ではなく、私の浴衣に目が行っていたようだ。ほっとしつつも、ちりと胸がすこし痛んだ。
「この花が一番目を引いたんです。繊細で今にも溶けていきそうな透明感のある色合いが素敵だな、と思いまして。似合っているかどうかは怪しいんですけどね。」
そこまで色白でもないから、淡い色が似合うとは思えない。それでも、彼に少しでも近づきたかったから。鶴見さんは目を細め、まぶしそうな表情をした。
「細やかなことに気がつく君にはぴったりだよ。隣の課から書類を届けてくれるとき、いつも確認しやすいようにしてくれているだろう?きちんと理解していないとああやって分かりやすい順番で並べられない。」
鶴見さんの仕事がスムーズにいくように、いつも書類の並べ方や付箋で一言メッセージをつけていた。付箋は見ただけでも気づく人は多いが、そこまで分かってくださっているのか。
「・・・昔から、この手でいつも私を支えてくれる。」
鶴見さんの指先が盃を持つ私の手に触れる。そこから熱を帯びるような感覚が広がっていく。鶴見さんの言葉を深く考える余裕はなく、今度は私が聞くばかりだ。
「芥子の花言葉を知っているかい?」
鶴見さんの指が私の手首を通って、袖口にゆっくり移動していく。
「わ、分かりません。・・・どんな意味なんですか?」
浴衣の芥子をそっとなでながら、鶴見さんは目だけ上げて、私の方をみた。その仕草が色っぽくて、喉が鳴った。
「花言葉は『慰め』『いたわり』。君にぴったりだ。」
鶴見さんは口元を上げて私を見つめる。その目から逃れることが、できず私はただ鶴見さんの深い瞳の奥をのぞいていた。
「しかし、芥子は昔はアヘンの原料でね。『忘却』『疑惑』『わが毒』なんて花言葉もあるんだ。私はこちらの方が好みでね。」
そういって、私の袖をなでていた手が、自らの根付けの方を持ち上げた。最初の時は分からなかったが、こうして向き合ってみると分かる。
「同じ・・・芥子の花。」
「私は昔から芥子が好きでね。こうして集めているんだ。」
儚げにみえるが、その実、人々を惑わせる麻薬。
「鶴見さんは何でもご存じですね。尊敬します。」
再び、鶴見さんの盃を酒で満たしていく。それを一口あおると、口元に飲みきれなかった酒がてらてらと光っていた。その姿は全く『毒』のようで、私ももらった盃を一気にあおって気を紛らせた。
「全部じゃないさ。たとえば・・・」
鶴見さんの手が、こちらへ伸びる。その手のひらが私の頬を包みこんだ。
「このきれいな瞳が、いつも私を追っている理由とか・・・ね。」
「・・・――っ!」
心臓がおおきくはねる。今まで動いていたのか疑わしいくらい、今はどくどくと波打っている。
「ぜひ教えてくれないか。」
鶴見さんが怪しく笑った。上司としての優しい微笑みとは違った、今まで見たこともない陰のある笑みだ。それに甘く身が震えた。
「この可愛らしい口から聞きたい。」
鶴見さんの指が私の唇を優しくなぞる。
今まで秘めてきた思いを簡単にこじ開けるのだ。
「それは――」
愛したあなたに、こんな猛毒があったなんて。
気づいた頃にはもう遅い。
彼の麻薬に浮かされながら、私は望む答えを紡いだ。
夜になっても気温が高く、店に入ったばかりの職場の同僚たちも暑い暑いと言い、手で扇ぎながら、飲み会の席についた。鶴見さんも例に漏れず、首筋にしっとり汗をかいていた。
今回の飲み会は花火大会の日と重なっていて、それならば参加者も浴衣での参加にしてはどうかと話があった。用意がある者は各々で着流しや浴衣を着ていた。鶴見さん、鯉登さん、月島さん、尾形さんあたりの男性陣は着流しで、杉元くん、白石くんはラフな服での参加だった。尾形さんもこういう趣向には興味ないのかと思っていたが、意外な一面を見た気がする。
鶴見さんは素人が見ても生地の良さそうな染めの着流しで、同じ素材の羽織と、男性には珍しい花のモチーフの根付をつけていて、とても粋に着こなしていた。長テーブルのはす向かいに座る鶴見さんを、横目に見ながら、近くの席の同僚に料理を取り分けたり、談笑しながら飲み会は進んでいく。
鶴見さんとは同じ部門でも課は違うため、必要な時に話す程度の関わりしかない。同じフロアで見る、彼の仕事ぶりは的確で、部下への気遣いもある有能な上司だ。遠くから見つめるしかなかった人が、今日はこんなに近くにいる。しかし、その機会を生かせるかと言えば、意気地がなく、近くの席の同僚と話すばかりである。
「日向くんも浴衣で来ていたんだね。」
鶴見さんがこちらに声をかけてくださった。料理を取りつつ視線を向けていたのに気付かれてしまったのだろうか。内心どきどきしながらも、何事もない顔をしながら答える。
「ええ。花火もありますし、せっかくの機会ですから。」
「幹事もなかなか粋な提案をするものだ。そのおかげで、こうして素敵な女性の姿を見られるのだからね。」
鶴見さんはそう言ってこちらに笑いかけた。それに心臓が大きく跳ねる。
花火だから、というのは本当は口実なのだ。本当は鶴見さんに職場とは違う姿を見て欲しくて、飲み会が浴衣で参加と聞いてから、急いでお店に走って用意していた。彼の姿を思い浮かべて、彼の隣に立つならば、と叶うはずのない望みを胸に、いくつもの浴衣に袖を通した。
鶴見さんには、きっと爽やかで、楚々とした女性が隣に似合う。
そう思って、手に取ったのはクリーム地に白い芥子の花が浮かび上がる、淡い浴衣だった。あわよくば、彼に素敵だと思って貰いたいと着付けてきた。その望みが早くも叶い、心の内は叫び出したいくらい歓喜していた。しかし、現実では笑顔でお礼を言うのが精一杯で、その後はすぐに鶴見さんは部下たちのお酌に囲まれて話す機会も失ってしまった。
宴もたけなわ、会場では酒に飲まれ、それぞれが好きな場所で飲み比べをしていたり、2,3人で静かに固まって飲んでいたりと自由な時間を過ごしていた。私はこの席を離れるのは惜しく、同僚たちが席を立っていくのを見送り、そのままちびちびと一人で盃を上げていた。ちら、と鶴見さんの方を見ると、彼もどこかへ出かけるのか、徳利と盃を持っていた。
これで彼を間近で見ることもないのだな・・・。と残念な気持ちもあったが、仕事のつきあいの多い彼が、酌をしにいくのは当然のことだ。・・・私も杉元くんたちのところへ混ぜてもらおうか。と、腰を浮かしたときだった。
「どこかへお出かけかい?」
隣から聞こえたのは鶴見さんの声で、彼の目指していた酌をする相手は信じられないが私のようだった。驚きすぎて、すぐに声が出ない。それに悲しそうに眉を下げる鶴見さんをみて、慌てて、「い、いえ!ご一緒させてください。」と告げると、とたんに花がほころぶような笑顔で隣に腰を下ろした。
仕事の愚痴や他愛もない話をしながら、盃に注ぎ合う。日本酒の冷たくもまろやかな口触りと、鶴見さんからのお酌とあって、普段より進みが早くなってしまう。基本的に私の話すことに相づちを打ったり、返答してくれていた鶴見さんが、ふと真面目な表情でこちらをみつめた。
「日向くんは芥子の花が好きなのかい?」
どうやら私ではなく、私の浴衣に目が行っていたようだ。ほっとしつつも、ちりと胸がすこし痛んだ。
「この花が一番目を引いたんです。繊細で今にも溶けていきそうな透明感のある色合いが素敵だな、と思いまして。似合っているかどうかは怪しいんですけどね。」
そこまで色白でもないから、淡い色が似合うとは思えない。それでも、彼に少しでも近づきたかったから。鶴見さんは目を細め、まぶしそうな表情をした。
「細やかなことに気がつく君にはぴったりだよ。隣の課から書類を届けてくれるとき、いつも確認しやすいようにしてくれているだろう?きちんと理解していないとああやって分かりやすい順番で並べられない。」
鶴見さんの仕事がスムーズにいくように、いつも書類の並べ方や付箋で一言メッセージをつけていた。付箋は見ただけでも気づく人は多いが、そこまで分かってくださっているのか。
「・・・昔から、この手でいつも私を支えてくれる。」
鶴見さんの指先が盃を持つ私の手に触れる。そこから熱を帯びるような感覚が広がっていく。鶴見さんの言葉を深く考える余裕はなく、今度は私が聞くばかりだ。
「芥子の花言葉を知っているかい?」
鶴見さんの指が私の手首を通って、袖口にゆっくり移動していく。
「わ、分かりません。・・・どんな意味なんですか?」
浴衣の芥子をそっとなでながら、鶴見さんは目だけ上げて、私の方をみた。その仕草が色っぽくて、喉が鳴った。
「花言葉は『慰め』『いたわり』。君にぴったりだ。」
鶴見さんは口元を上げて私を見つめる。その目から逃れることが、できず私はただ鶴見さんの深い瞳の奥をのぞいていた。
「しかし、芥子は昔はアヘンの原料でね。『忘却』『疑惑』『わが毒』なんて花言葉もあるんだ。私はこちらの方が好みでね。」
そういって、私の袖をなでていた手が、自らの根付けの方を持ち上げた。最初の時は分からなかったが、こうして向き合ってみると分かる。
「同じ・・・芥子の花。」
「私は昔から芥子が好きでね。こうして集めているんだ。」
儚げにみえるが、その実、人々を惑わせる麻薬。
「鶴見さんは何でもご存じですね。尊敬します。」
再び、鶴見さんの盃を酒で満たしていく。それを一口あおると、口元に飲みきれなかった酒がてらてらと光っていた。その姿は全く『毒』のようで、私ももらった盃を一気にあおって気を紛らせた。
「全部じゃないさ。たとえば・・・」
鶴見さんの手が、こちらへ伸びる。その手のひらが私の頬を包みこんだ。
「このきれいな瞳が、いつも私を追っている理由とか・・・ね。」
「・・・――っ!」
心臓がおおきくはねる。今まで動いていたのか疑わしいくらい、今はどくどくと波打っている。
「ぜひ教えてくれないか。」
鶴見さんが怪しく笑った。上司としての優しい微笑みとは違った、今まで見たこともない陰のある笑みだ。それに甘く身が震えた。
「この可愛らしい口から聞きたい。」
鶴見さんの指が私の唇を優しくなぞる。
今まで秘めてきた思いを簡単にこじ開けるのだ。
「それは――」
愛したあなたに、こんな猛毒があったなんて。
気づいた頃にはもう遅い。
彼の麻薬に浮かされながら、私は望む答えを紡いだ。
1/6ページ