白銀の世界で
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翌朝、仕事に戻った杉元と別れ、友人と北海道観光に向かった。
せっかく誘ってもらった上に、直前で部屋を移動させてしまい申し訳ない。と、頭を下げると、あっけらかんとして「上手くいったようで何より!」と笑ってくれた。友人の勧めで回ったのは、食べ物にかかわる店が多く、それに付随して近くの歴史的建造物を見て回った。伝統的な日本家屋や、明治大正あたりの洋風建築が残っている。当時は北海道随一の経済都市と言われていたらしく、レンガ造りの立派な銀行や、当時の蒸気機関車が見られたりと、かなり満足した観光だった。
中でも花園公園の串団子は絶品だった。甘いタレともちもちの団子が合わさって、いくつでも食べられそうだった。しかし、絶品にもかかわらずなぜか喉の奥は細くなったように、これ以上口に含んでも嚥下することはかないそうになかった。さくらの様子を心配して友人が覗き込んだ。
「大丈夫?さくら気分悪い?」
「すごいおいしいんだけど、何だか喉を通ってくれなくて……。」
そういって胸をさすると、友人のほうはなぜか腹をさすり始めた。
「…コッチじゃない?」
「それは無いわね。」
お互い、そういうところはきっちりしている。きっぱり言い切るさくらの様子に、これか!と言葉を続けた。
「明日からまた上司と顔合わせるの気が滅入るわよね。何だっけ、鬼軍曹の……」
「月島係長ね。軍曹って、うちは軍隊じゃないわよ。」
「でも、話聞いてると24時間戦士くらいな勢いで仕事バンバン回ってきてるじゃない。軍曹で仕事量セーブしてほしいわよね。」
「……それは本当に思う。…まあ、かなり上司と戦ってこれだからね…。あとは谷垣くんかなあ。たまにとんでもないミスやらかしちゃうのよね。」
「なに、ドジっ子な後輩かわいい~!」
「ドジっ子だけど、たぶん想像してる後輩像とは真逆のルックスよ。筋肉比は佐一くんの1.5倍よ。」
「ええ~……それはかわいくない~。」
しょんぼりした友人をみて笑いながら、団子を皿に戻した。言いようのないもやもやした気持ちは、友人との他愛無い会話で紛らわせた。
旅行から帰り、しばらくした日のこと。
杉元が北海道出張から帰ってきた。道内のいくつかの企業回りと支社へ顔を出していたため、各地のホテルを転々としながら動いていたらしい。久しぶりに会った杉元は、珍しくお疲れ気味だ。杉元のマンションの一室で二人は並んでソファに腰かけ、温かいコーヒーを飲みながらテレビを流し見ている。いつも会うときはどこかへ出かけることが多いため、こういう過ごし方も新鮮でいい。二人で生活し始めれば、これも日常になるのか、とさくらは自然と口端が上がった。
「さくらさんニヤニヤしてる~」
「ふふっ」
「なに考えてたの~?」
杉元が隣からじゃれるようにさくらを抱きしめた。
「こんな感じの日常があるのかな、って。佐一くんとの結婚生活。」
「もう~!さくらさん、か~わいい~!」
さくらを抱きしめながら、感情が溢れ出てきた杉元は体を揺らした。ひとしきり、「かわいい~!」を連発して気が済んだのか、杉元は、あ!と何か思い出したように声を上げた。
「出張の時に休み時間使ってパンフレットを色々もらってきたんだ!」
杉元はソファから立ち上がると、紙袋の中をガサガサと探り始めた。そして、めぼしいものを見つけると、ローテーブルに広げた。
「結婚式場?」
「俺たち関東に友達がいるから、披露宴は東京にするとして。結婚式は思い出の北海道で挙げたいんだ……さくらさんはどう思う?」
杉元がこちらを窺うように、子犬のようにうるんだ瞳で下から覗き込んでくる。さくらはこの顔に弱い。本人も分かってやっているのがズルい。しかし、杉元の希望を尊重したいという気持ちもある。結婚式はどうしても花嫁が主役になりがちだ。式場準備も含め……。それが、こうして杉元なりに一緒に考えてくれている。二人で考えようとしてくれる、その気持ちが嬉しかった。
「プロポーズが北海道だったものね。…どれも素敵な場所ね~。」
さくらは杉元が持ってきたパンフレットを一冊づつパラパラ眺めていく。北海道らしく自然や雪を目玉にしたプランが多く、その中でもひときは目を引いたものがあった。
「…氷の教会」
「これすごいよね!一年で2か月だけできる氷の教会なんだって。」
雪の中、男女がドレスとタキシードに身を包み、その背景には氷と雪で造形された美しい建物があった。
寒さが体の芯を冷やすような冬の季節がまた巡ってきた。
さくらと杉元は北海道の地で、純白の衣装を身にまとい、真っ白な雪原に立っていた。杉元はかっちりとオールバックにきめ、精悍な顔立ちがさらに強調されている。そして、鍛えられた体躯にあわせて誂えたように、上質な銀の刺繍が施されたコート、その下には白のタキシードがみえる。体格の良さから、衣装が何割増しにも豪華に見えてくる。
さくらも純白のドレスの上からファーの付いたあたたかなロングコートを着込み、防寒対策は万全だ。
「さあ、行こうか。」
杉元が腕を差し出した。それにうなづいてさくらは腕を回した。
天気は快晴。青空と白い雪、舗装された道は、今は見えない教会へと続いている。その道の両脇には白樺の生い茂る森が深く続いている。まるで物語の一場面のようだ。静かな雪原では、二人の地面を踏み固める音だけが響いている。雪道を行くためにさくらはヒールのあるブーツで進む。1人では歩けないため、杉元の逞しい腕に捕まりながら歩く。杉元もそれを難なくこなすほどに鍛えられた体はぶれずにさくらを支えた。
さらさらとした雪を固く踏み締める感覚。
白樺の木々を縫うように獣道を歩いていく。
そういう情景がふと、頭に浮かんだ。そして、足元を見ると白樺の皮が落ちているのに気がついた。
「あっ……」
さくらが声を漏らすと、その視線で気がついた杉元が足を止めた。
「ああ、これ…」
さくらが一人でも立てるのを確認すると腕を離して、白樺の皮を拾い上げた。杉元は手の中のものを懐かしそうに見つめている。
「白樺の皮は長く燃えるから松明に使えるんだ。って教えてもらったことがある」
アウトドアの好きな杉元のことだ。経験者の誰かに教えてもらったのだろう。そう考えたが、話をする杉元の表情は遠い昔を懐かしむように、優しい目で微笑んでいる。
「……アシリパさんが、よく使ってましたね」
「さくらさん、まさか…」
突然口から知らない名前が滑り出た。それに驚いていると、杉元も同じく驚いた顔をしてこちらを見やった。しかし、困惑というよりも期待しているような、そんな顔だ。だが、さくらには自分の言葉も、杉元の表情も何一つ飲み込めない。一体、自分に何が起こっているのか分からず、杉元の腕にしがみついた。
「え…私、なにを…?」
「さくらさん、大丈夫。俺もアシリパさんを知ってる。何もおかしなことは言ってないよ。」
杉元は不安そうに腕にしがみつくさくらの手を上からそっと重ねた。体温の高い手のひらがさくらの冷えた手をあたためていく。それが少し心を落ち着けた。
「さくらさんは、この景色を見てどう思った?懐かしいとか、そういう感覚はなかった?」
もう一度周囲を見渡した。先ほどから変わらない白一色の世界。
「…変なことだと思うんだけど」
「大丈夫、話してみて」
さくらの手を握る杉元は優しく微笑んだ。それにつられて先を話し始める。
「さっき、一瞬こういう森の中を縫って歩く場面が頭に浮かんだの。…私、冬の森に来たことないのに」
杉元のキャンプについて行ったり、自然に触れる機会は何度かあったが、いずれも過ごしやすい春か秋あたりだ。それが先ほどの情景では、自分が雪の積もった山の獣道を誰かと進んでいくのが見えたのだ。
すると、杉元がスーツの胸ポケットからパスケースのようなものを取り出した。革製のそれは折りたたみ式になっており、中に何か挟めるようになっている。さくらは杉元からそれを受け取ると、中を開いた。
「わ、たし…」
そこにはさくらと同じ顔をした女性が佇んでいた。カメラに向かって少し微笑んでいるモノクロ写真だった。そして、隣には少女と軍帽の青年が写った写真が並べられている。…今の杉元によく似た顔をした兵士。さくらは、おもむろにその青年を指でなぞった。とても懐かしく、…愛おしい気持ちが募った。
そして、ぽつり、とつぶやいた。
「あなたと生きたかった…。」
戦い、懸命に生きたこと、暖かい胸に抱かれたこと、…硝煙の中で弾丸を放ったこと―――
杉元と共にした旅の思い出が、走馬灯のように駆け巡った。その時の感情が全て混ざり合って、言いようのない気持ちがさくらの心をかき乱した。
「杉元、さん……」
目の前の人物に視線を移した。古傷が薄く残った顔と明治の姿が重なって見えた。その傷跡にそっと触れる。
「生きて、たんですか……?」
最後に見たのは横たわった姿だった。…きっと生きていると、一縷の望みをかけていたが……。さくらの問いに杉元が頷いた。自身の傷跡を撫でるさくらの手を取り、頬を寄せた。
「谷垣から渡されて、それからずっと持ってた。金塊を見つけた時もずっと一緒にいたよ。俺はあんたに生かされた。だからアシリパさんも俺も役目を果たすことが出来た。寅次の嫁さんに金塊を渡して、アシリパさんと最期までアイヌの文化を守るため奔走した。」
あのときの選択が、彼らの未来へと繋がっていた。
「私、守れたんですね。」
自分の死は無駄では無かったのだ。
「うん……でもさ、俺、さくらさんと生きたかったよ。」
杉元の頬に触れる手が濡れる。
「骨もなくて、この写真だけが俺の生きる支えだった。最初は写真を見る度に、さくらさんとの会話とか、あったかさを思い出すんだけどさ。時間がたつと、だんだん、記憶の中のさくらさんの声がおぼろげになって…。そこから、さくらさんを抱きしめた感覚とか、そういうのが曖昧になってきて……。でもこの顔だけは忘れないようにって、ずっと…ずっと。」
握られた手が震えている。後から後からこぼれる涙に、二人の手が濡れていく。
どれだけ苦しい思いをさせてしまったか
泣いた姿を見せたことのない男の涙が、これまでの苦悩を物語っていた。
「……ごめんなさい、ずっと苦しめてしまって。」
金塊にたどり着き、結果としては成功だっただろう。しかし、肝心の杉元の心はぼろぼろにしたまま逝ってしまったのだ。謝罪を口にしたさくらに対して、杉元は首を横に振った。
「さくらさんだって、つらかっただろ?死ぬ覚悟で俺の前に飛び込んだって、聞いたよ。」
どんだけ怖いか、よく分かる。
戦場で敵陣に向かって駆けていく。その恐怖がどれだけのものか。初めての者は足がすくみ、前へ進めなくなるものを、さくらは単身、狙撃手の前へ進み出たのだ。
「……でも、やらなきゃ、それだけ考えてた。怖いと思ったら進めなくなるから。」
あのときの記憶が鮮明によみがえる。硝煙の匂い、木が焦げる匂い、照明弾の白い灯り。土をえぐった弾痕。死の匂いしかない場所で立ち続けるには、感情を麻痺させなければいけなかった。
「……死にたくなかった、本当は怖くて逃げ出したくて、でも助けるためには踏ん張らなきゃ」
あのとき見ない振りをしていた気持ちがあふれ出る。それと一緒にさくらの瞳から涙がこぼれ落ちた。あのとき泣けなかった涙を流し、杉元の胸に顔を埋めた。杉元はそれを受け止め、背中に手を回した。
「好きな人には生きて欲しかった…」
「それは、俺も同じ気持ち。だから、この時代で会えたんだね。」
平和な時代に生まれ出会ったのにはきっと意味がある
抱き合う二人に一陣の風が届いた。
その風に二人は顔を上げた。舞い上がる雪が日の光を反射してきらきら輝いている。杉元がその様子をみて、つぶやいた。
「カムイが祝ってくれてるのかな。」
「そうだと、うれしいですね。」
まるで銀箔が舞っているような幻想的な光景だ。
「……ここで誓うよ。」
そう言って、杉元はさくらの両手を自身の両手の上にのせた。向かい合うような形をとって、杉元がこちらを見つめた。
「俺の役目が終わるそのときまで、さくらさんと共に生きていくことを誓います。」
さくらもそれに応える。
「私の役目が終わるそのときまで杉元さん……佐一君と共に生きていくことを誓います。」
アイヌは『天から役目なしに降ろされた物はひとつもない』という諺がある。前世の私たちの役目は終わった。そして、未来へ続く道で私たちの役目を果たしていくのだ。きっと永い道のりになるだろう。だが、それも幸せに感じるのは、百年以上の時をかけて繋がった思いがここにあるから。過去を乗り越えて、未来へ。愛する人と共に歩んでいく。
どちらともなく、顔を寄せた。
舞い上がる雪が二人を祝福するようにきらきらと輝く。
白銀の世界で二人は誓いの口づけをかわした。
【了】
せっかく誘ってもらった上に、直前で部屋を移動させてしまい申し訳ない。と、頭を下げると、あっけらかんとして「上手くいったようで何より!」と笑ってくれた。友人の勧めで回ったのは、食べ物にかかわる店が多く、それに付随して近くの歴史的建造物を見て回った。伝統的な日本家屋や、明治大正あたりの洋風建築が残っている。当時は北海道随一の経済都市と言われていたらしく、レンガ造りの立派な銀行や、当時の蒸気機関車が見られたりと、かなり満足した観光だった。
中でも花園公園の串団子は絶品だった。甘いタレともちもちの団子が合わさって、いくつでも食べられそうだった。しかし、絶品にもかかわらずなぜか喉の奥は細くなったように、これ以上口に含んでも嚥下することはかないそうになかった。さくらの様子を心配して友人が覗き込んだ。
「大丈夫?さくら気分悪い?」
「すごいおいしいんだけど、何だか喉を通ってくれなくて……。」
そういって胸をさすると、友人のほうはなぜか腹をさすり始めた。
「…コッチじゃない?」
「それは無いわね。」
お互い、そういうところはきっちりしている。きっぱり言い切るさくらの様子に、これか!と言葉を続けた。
「明日からまた上司と顔合わせるの気が滅入るわよね。何だっけ、鬼軍曹の……」
「月島係長ね。軍曹って、うちは軍隊じゃないわよ。」
「でも、話聞いてると24時間戦士くらいな勢いで仕事バンバン回ってきてるじゃない。軍曹で仕事量セーブしてほしいわよね。」
「……それは本当に思う。…まあ、かなり上司と戦ってこれだからね…。あとは谷垣くんかなあ。たまにとんでもないミスやらかしちゃうのよね。」
「なに、ドジっ子な後輩かわいい~!」
「ドジっ子だけど、たぶん想像してる後輩像とは真逆のルックスよ。筋肉比は佐一くんの1.5倍よ。」
「ええ~……それはかわいくない~。」
しょんぼりした友人をみて笑いながら、団子を皿に戻した。言いようのないもやもやした気持ちは、友人との他愛無い会話で紛らわせた。
旅行から帰り、しばらくした日のこと。
杉元が北海道出張から帰ってきた。道内のいくつかの企業回りと支社へ顔を出していたため、各地のホテルを転々としながら動いていたらしい。久しぶりに会った杉元は、珍しくお疲れ気味だ。杉元のマンションの一室で二人は並んでソファに腰かけ、温かいコーヒーを飲みながらテレビを流し見ている。いつも会うときはどこかへ出かけることが多いため、こういう過ごし方も新鮮でいい。二人で生活し始めれば、これも日常になるのか、とさくらは自然と口端が上がった。
「さくらさんニヤニヤしてる~」
「ふふっ」
「なに考えてたの~?」
杉元が隣からじゃれるようにさくらを抱きしめた。
「こんな感じの日常があるのかな、って。佐一くんとの結婚生活。」
「もう~!さくらさん、か~わいい~!」
さくらを抱きしめながら、感情が溢れ出てきた杉元は体を揺らした。ひとしきり、「かわいい~!」を連発して気が済んだのか、杉元は、あ!と何か思い出したように声を上げた。
「出張の時に休み時間使ってパンフレットを色々もらってきたんだ!」
杉元はソファから立ち上がると、紙袋の中をガサガサと探り始めた。そして、めぼしいものを見つけると、ローテーブルに広げた。
「結婚式場?」
「俺たち関東に友達がいるから、披露宴は東京にするとして。結婚式は思い出の北海道で挙げたいんだ……さくらさんはどう思う?」
杉元がこちらを窺うように、子犬のようにうるんだ瞳で下から覗き込んでくる。さくらはこの顔に弱い。本人も分かってやっているのがズルい。しかし、杉元の希望を尊重したいという気持ちもある。結婚式はどうしても花嫁が主役になりがちだ。式場準備も含め……。それが、こうして杉元なりに一緒に考えてくれている。二人で考えようとしてくれる、その気持ちが嬉しかった。
「プロポーズが北海道だったものね。…どれも素敵な場所ね~。」
さくらは杉元が持ってきたパンフレットを一冊づつパラパラ眺めていく。北海道らしく自然や雪を目玉にしたプランが多く、その中でもひときは目を引いたものがあった。
「…氷の教会」
「これすごいよね!一年で2か月だけできる氷の教会なんだって。」
雪の中、男女がドレスとタキシードに身を包み、その背景には氷と雪で造形された美しい建物があった。
寒さが体の芯を冷やすような冬の季節がまた巡ってきた。
さくらと杉元は北海道の地で、純白の衣装を身にまとい、真っ白な雪原に立っていた。杉元はかっちりとオールバックにきめ、精悍な顔立ちがさらに強調されている。そして、鍛えられた体躯にあわせて誂えたように、上質な銀の刺繍が施されたコート、その下には白のタキシードがみえる。体格の良さから、衣装が何割増しにも豪華に見えてくる。
さくらも純白のドレスの上からファーの付いたあたたかなロングコートを着込み、防寒対策は万全だ。
「さあ、行こうか。」
杉元が腕を差し出した。それにうなづいてさくらは腕を回した。
天気は快晴。青空と白い雪、舗装された道は、今は見えない教会へと続いている。その道の両脇には白樺の生い茂る森が深く続いている。まるで物語の一場面のようだ。静かな雪原では、二人の地面を踏み固める音だけが響いている。雪道を行くためにさくらはヒールのあるブーツで進む。1人では歩けないため、杉元の逞しい腕に捕まりながら歩く。杉元もそれを難なくこなすほどに鍛えられた体はぶれずにさくらを支えた。
さらさらとした雪を固く踏み締める感覚。
白樺の木々を縫うように獣道を歩いていく。
そういう情景がふと、頭に浮かんだ。そして、足元を見ると白樺の皮が落ちているのに気がついた。
「あっ……」
さくらが声を漏らすと、その視線で気がついた杉元が足を止めた。
「ああ、これ…」
さくらが一人でも立てるのを確認すると腕を離して、白樺の皮を拾い上げた。杉元は手の中のものを懐かしそうに見つめている。
「白樺の皮は長く燃えるから松明に使えるんだ。って教えてもらったことがある」
アウトドアの好きな杉元のことだ。経験者の誰かに教えてもらったのだろう。そう考えたが、話をする杉元の表情は遠い昔を懐かしむように、優しい目で微笑んでいる。
「……アシリパさんが、よく使ってましたね」
「さくらさん、まさか…」
突然口から知らない名前が滑り出た。それに驚いていると、杉元も同じく驚いた顔をしてこちらを見やった。しかし、困惑というよりも期待しているような、そんな顔だ。だが、さくらには自分の言葉も、杉元の表情も何一つ飲み込めない。一体、自分に何が起こっているのか分からず、杉元の腕にしがみついた。
「え…私、なにを…?」
「さくらさん、大丈夫。俺もアシリパさんを知ってる。何もおかしなことは言ってないよ。」
杉元は不安そうに腕にしがみつくさくらの手を上からそっと重ねた。体温の高い手のひらがさくらの冷えた手をあたためていく。それが少し心を落ち着けた。
「さくらさんは、この景色を見てどう思った?懐かしいとか、そういう感覚はなかった?」
もう一度周囲を見渡した。先ほどから変わらない白一色の世界。
「…変なことだと思うんだけど」
「大丈夫、話してみて」
さくらの手を握る杉元は優しく微笑んだ。それにつられて先を話し始める。
「さっき、一瞬こういう森の中を縫って歩く場面が頭に浮かんだの。…私、冬の森に来たことないのに」
杉元のキャンプについて行ったり、自然に触れる機会は何度かあったが、いずれも過ごしやすい春か秋あたりだ。それが先ほどの情景では、自分が雪の積もった山の獣道を誰かと進んでいくのが見えたのだ。
すると、杉元がスーツの胸ポケットからパスケースのようなものを取り出した。革製のそれは折りたたみ式になっており、中に何か挟めるようになっている。さくらは杉元からそれを受け取ると、中を開いた。
「わ、たし…」
そこにはさくらと同じ顔をした女性が佇んでいた。カメラに向かって少し微笑んでいるモノクロ写真だった。そして、隣には少女と軍帽の青年が写った写真が並べられている。…今の杉元によく似た顔をした兵士。さくらは、おもむろにその青年を指でなぞった。とても懐かしく、…愛おしい気持ちが募った。
そして、ぽつり、とつぶやいた。
「あなたと生きたかった…。」
戦い、懸命に生きたこと、暖かい胸に抱かれたこと、…硝煙の中で弾丸を放ったこと―――
杉元と共にした旅の思い出が、走馬灯のように駆け巡った。その時の感情が全て混ざり合って、言いようのない気持ちがさくらの心をかき乱した。
「杉元、さん……」
目の前の人物に視線を移した。古傷が薄く残った顔と明治の姿が重なって見えた。その傷跡にそっと触れる。
「生きて、たんですか……?」
最後に見たのは横たわった姿だった。…きっと生きていると、一縷の望みをかけていたが……。さくらの問いに杉元が頷いた。自身の傷跡を撫でるさくらの手を取り、頬を寄せた。
「谷垣から渡されて、それからずっと持ってた。金塊を見つけた時もずっと一緒にいたよ。俺はあんたに生かされた。だからアシリパさんも俺も役目を果たすことが出来た。寅次の嫁さんに金塊を渡して、アシリパさんと最期までアイヌの文化を守るため奔走した。」
あのときの選択が、彼らの未来へと繋がっていた。
「私、守れたんですね。」
自分の死は無駄では無かったのだ。
「うん……でもさ、俺、さくらさんと生きたかったよ。」
杉元の頬に触れる手が濡れる。
「骨もなくて、この写真だけが俺の生きる支えだった。最初は写真を見る度に、さくらさんとの会話とか、あったかさを思い出すんだけどさ。時間がたつと、だんだん、記憶の中のさくらさんの声がおぼろげになって…。そこから、さくらさんを抱きしめた感覚とか、そういうのが曖昧になってきて……。でもこの顔だけは忘れないようにって、ずっと…ずっと。」
握られた手が震えている。後から後からこぼれる涙に、二人の手が濡れていく。
どれだけ苦しい思いをさせてしまったか
泣いた姿を見せたことのない男の涙が、これまでの苦悩を物語っていた。
「……ごめんなさい、ずっと苦しめてしまって。」
金塊にたどり着き、結果としては成功だっただろう。しかし、肝心の杉元の心はぼろぼろにしたまま逝ってしまったのだ。謝罪を口にしたさくらに対して、杉元は首を横に振った。
「さくらさんだって、つらかっただろ?死ぬ覚悟で俺の前に飛び込んだって、聞いたよ。」
どんだけ怖いか、よく分かる。
戦場で敵陣に向かって駆けていく。その恐怖がどれだけのものか。初めての者は足がすくみ、前へ進めなくなるものを、さくらは単身、狙撃手の前へ進み出たのだ。
「……でも、やらなきゃ、それだけ考えてた。怖いと思ったら進めなくなるから。」
あのときの記憶が鮮明によみがえる。硝煙の匂い、木が焦げる匂い、照明弾の白い灯り。土をえぐった弾痕。死の匂いしかない場所で立ち続けるには、感情を麻痺させなければいけなかった。
「……死にたくなかった、本当は怖くて逃げ出したくて、でも助けるためには踏ん張らなきゃ」
あのとき見ない振りをしていた気持ちがあふれ出る。それと一緒にさくらの瞳から涙がこぼれ落ちた。あのとき泣けなかった涙を流し、杉元の胸に顔を埋めた。杉元はそれを受け止め、背中に手を回した。
「好きな人には生きて欲しかった…」
「それは、俺も同じ気持ち。だから、この時代で会えたんだね。」
平和な時代に生まれ出会ったのにはきっと意味がある
抱き合う二人に一陣の風が届いた。
その風に二人は顔を上げた。舞い上がる雪が日の光を反射してきらきら輝いている。杉元がその様子をみて、つぶやいた。
「カムイが祝ってくれてるのかな。」
「そうだと、うれしいですね。」
まるで銀箔が舞っているような幻想的な光景だ。
「……ここで誓うよ。」
そう言って、杉元はさくらの両手を自身の両手の上にのせた。向かい合うような形をとって、杉元がこちらを見つめた。
「俺の役目が終わるそのときまで、さくらさんと共に生きていくことを誓います。」
さくらもそれに応える。
「私の役目が終わるそのときまで杉元さん……佐一君と共に生きていくことを誓います。」
アイヌは『天から役目なしに降ろされた物はひとつもない』という諺がある。前世の私たちの役目は終わった。そして、未来へ続く道で私たちの役目を果たしていくのだ。きっと永い道のりになるだろう。だが、それも幸せに感じるのは、百年以上の時をかけて繋がった思いがここにあるから。過去を乗り越えて、未来へ。愛する人と共に歩んでいく。
どちらともなく、顔を寄せた。
舞い上がる雪が二人を祝福するようにきらきらと輝く。
白銀の世界で二人は誓いの口づけをかわした。
【了】