白銀の世界で
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「盲目の盗賊たち…親玉は網走脱獄囚二十四人の一人か。」
杉元はフチの甥の言葉を聞き、そうつぶやいた。さくらは盲目の脱獄囚というのに首をひねった。話を聞いていたアシリパも不思議だったようで白石の方へ問うた。
「白石、何か心当たりはあるか?」
「ああ、噂には聞いているぜ。おそらく手下の盗賊も全員網走監獄の囚人たちだ。「暗号の刺青持ち」は親玉一人だけだけどな。」
白石には目星がついてるようだ。キロランケも不思議そうに白石に問いかけた。
「そんなに盲目の囚人がいたのか?」
皆の反応をみて、白石が『硫黄山』で苦役させられた囚人の話を始めた。「現在の摩周湖から北へ六十キロ。摩周湖と屈斜路湖の間に硫黄山がある。」
「アトゥサヌプリ、裸の山という意味ですね。」
インカラマッもその場所について知っているらしい。占い師として各地を行脚している彼女は、その地に住む人々から土地のこと、人、物の流れ、そういう話は仕事の上でよく聞いているのだろう。その硫黄山についても何か知っていても不思議ではない。先ほどの白石の盲目の囚人という言葉に驚いた様子も見えなかった。もしかしたら、そのあたりで既に情報を掴んでいるのかも知れない。尾形もその話については既知のようであったが、静かに白石の話に耳を傾けている。白石は言葉を続けた。
「そこに派遣された囚人は無事戻って来れないと噂されていた。…あたりから絶えず吹き出す亜硫酸ガスってのは採掘者の目を侵すんだ。硫黄採掘にかり出された囚人たちは失明する者が続出。明治二十九年に囚人の採掘が中止されるまでたった半年間で四十二人もガスで死んだそうだ。盗賊の親玉はそのときの生き残りさ。失明してからのっぺら坊に入れ墨を彫られた。……硫黄山は閉山されたはずだったが最近また密かに操業再開されていて、鉱山の経営者に犬童典獄が囚人を貸し出して働かせている。…俺が網走監獄にいた頃は失明した者だって戻ってこなかった。おそらく都丹庵士の手下どもは最近殺される前に硫黄山から逃げてきた囚人だろう」
その話を聞きながらさくらは複雑な気持ちになった。犯罪を犯す者たちであると同時に、硫黄山での壮絶な体験を聞くと、辺見や姉畑のように割り切ることが出来ないのだ。生きるために苦界から逃げ延びたものの、盲目の男たちに出来る仕事は限られている。
今回も今までの男たちのようにはぎ取ってしまうのだろうか…。自分でも随分甘い考えであることは分かっている。その男たちに命を奪われた者、財産を奪われた者、そういう者たちにとってはただの犯罪者でしかない。それに、『奪う』ことでしか生きられないのは、元来の男たちの性質が変わっていないということでもある。
しかし、その男たちと自身の境遇が重なって見えてしまうのだ。頼る者のいない世界で、素性も明かせない者が、どのような場所に堕ちていくのか。自身は小樽で杉元の口利きで仕事をもらうことが出来た。今になって思えば軍人が連れて来た女だ。それだけで保証になってくれたようなものだと思う。でなければ呉服店で働くことなど叶いはしなかっただろう。体を売るか、そういう話になっていてもおかしくなかったのだ。
囲炉裏で小さく揺れる火をさくらは見やった。揺れる火を瞳に映すさくらの様子を尾形は目の端に捕らえていた。
一行は塘路湖から北に進み、屈斜路湖へ向かった。
コタンでの話からすると、刺青の男は囚人の一人。しかも仲間を引き連れて夜盗のようなことを繰り返している。目撃者たちによれば、男たちは錫杖のようなものを使っているらしいが、生き残りが少ないこともあり、情報はそこまでとなっている。何人構成の集団なのか。それによっては潜伏しているアジトを見つけて突入するにも、真正面から突破するわけにもいくまい。
屈斜路湖に到着すると、フチの親戚に一晩お世話になり、杉元がアシリパと共に獲ってきた巨大なフクロウを夕食にコタンでの近況を聞いた。
やはり、ここでも新月に夜盗に襲われているらしい。先月は隣の村が襲われ、今月の新月の夜はこのコタンが狙われるかもしれない。男たちは命がけでコタンを守る覚悟でいる、と真剣な表情で語っていた。
突然、外でフクロウが激しく鳴いた。
インカラマッはチカパシを守るように抱き寄せ、白石は頭を守るようにうずくまった。そして、他の者たちが武器を持って外へと飛び出した。
灯りのあった部屋から出てきたため、外は墨を塗ったように真っ黒に見える。かすかに虫の音がするばかりで、他には何も聞こえない。夜の闇にじっと目をこらしてみたが、木々の輪郭をぼんやり捉えるのがやっとで他に何かを見つけ出すことは叶わなかった。
しばらくしても何も動きが無い事が分かると、さくらは張り詰めていた空気を和らげた。フチの親戚の男が一同に声をかけた。
「イタチか何かが近づいたのだろう。奴らは用心深い。昼間は姿を現さない。集団で村ごと襲うときは必ず月の出ない新月に襲ってくる。」
空を見上げると、今日は細くはあるが月が出ている。
「あと、数日で新月といったところでしょうか。」
さくらが空を見上げながらつぶやくと尾形がそれに応えた。
「新月までこの村で待ち伏せる必要は無いだろう。」
まだ周囲に警戒の目を向けたままの尾形の隣で杉元も鋭い視線はそのまま頷いた。
「確かに。奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い。昼間に奇襲をかければすぐにカタがつく。」
杉元たちの言葉にフチの親戚の男が、そういえば、と話をはじめた。
「この近くに和人が経営する温泉旅館がある。なにか聞けるかもしれない。」
翌日、その温泉旅館の場所を教えてもらい、一行はそこで情報収集をすることにした。
到着すると二階建ての日本家屋の温泉旅館であった。入り口は中が分かりやすいようになのかガラス張りになっており、広い土間を上がるとすぐそこに番頭台がある。番頭台に座っていた男が杉元たちの軍服を目にすれば、自ら玄関先に出迎えにやってきた。
「これはこれは、ご苦労様でございます。」
そういう番頭に杉元が人の良さそうな笑顔で返した。
「ちょっと多いんだけど、大丈夫?」
「ええ大部屋もございますし、お部屋を分けてご案内もできますよ。」
やはりこの時代の軍人というのは、想像以上に地位が高いらしい。
ここまでの大人数で飛び込み客となれば、現代では考えられないが、嫌な顔ひとつせず、……むしろ嬉々として案内してもらえるとは。
案内された部屋は二部屋続きの大部屋で男性陣と女子供で別れて休むことになった。各々、大きな荷物を部屋に置くと、夕食までは別行動で情報収拾ということになった。これだけの大所帯で固まっていては目立ってしまうため、谷垣とインカラマッ、チカパシで温泉街の聞き込み。白石とキロランケも同じく二人で近くの飲食店に向かった。尾形はというと、装備はそのまま、ふらっと旅館を後にした。何とも自由な男である。元々、猫のように懐かず感情を読ませない男だ。大人しく団体行動をしていた方が不思議だったのかも知れない。杉元、アシリパ、さくらは按摩を頼んで、その筋から話を当たってみることにした。
旅館から頼んでもらい、しばらくすると、初老の剃髪した男性がやってきた。現代の白杖のように竹の杖をついて位置を確認しながら入室した。初めさくらは介助のために腰を上げたが、按摩士のスムーズ名動きを見て、座り直した。
「本日はよろしくお願いします。では、旦那さんの方からやっていきましょうか。」
そう言われて杉元は言われるがまま畳みにうつぶせになった。その様子をアシリパと共に見ていると杉元が少し頬を赤らめた。
「みんなに見られてると恥ずかしいね。」
乙女な杉元の様子にアシリパと顔を見合わせ、くすりと笑う。
「杉元、気にしすぎだ。」
「そうですよ。アシリパさん、お茶請けのおまんじゅう食べて待っていましょう。」
さくらは机の茶器に茶葉を入れてお茶の準備を始めた。しばらくは、二人何もすることがないのだ。ゆったりお茶でも飲みながら按摩士にそれとなく聞き込みをするのが良いだろう。アシリパも甘いお菓子には目がないのか、さくらが準備する机の方へやってきて目を輝かせた。
しばらく施術が進むと、按摩士は杉元の体に感嘆の声を上げた。
杉元の筋肉の柔らかさ、深い傷跡に触れて、よく生きていたと漏らした。驚いている按摩士に杉元がぼうっとした表情のまま答えた。気持ちが良いのか緩んだ表情であるが、瞳だけはどこか遠くを見つめている。
「あんまさん知ってる?アイヌってのは葬式の時に故人の道具に傷を付けて持ち主があの世で使えるように魂を抜いてやるんだって。そうだよね、アシリパさん?」
呼ばれたアシリパは頬張っていたまんじゅうをごくり、と飲み込んだ。
「俺の魂を抜きたきゃもっとでかい傷が必要なのさ。」
「へえ、…そうなんですか。」
肉を抉るような傷跡を体中に残し、それでも足りないというのに按摩士はどう感じたのか。困惑したような表情であったが、そこは商売ということもあり、そつなくこなしていく。
アシリパは杉元の言葉に静かに言葉を継いだ。
「魂が抜けるのはこの世での役目を終えたから……杉元が傷を負っても死なないのはこの世での役目がまだ残っているということだ。」
その言葉にさくらは自身の肩に手を置いた。
ヒグマに付けられた爪痕はふさがっても、茶色く跡を残している。…私にも役目があるのだろうか。魂が抜けるそのときに、私は私の役目を全うしたのだとそう思って逝けるだろうか。
杉元の施術が終わる頃に、皆戻ってきた。
男性陣は早めに風呂へ入ると移動し、さくらとインカラマッは按摩士に施術をしてもらってから風呂へ向かうことにした。久々の施術だ。現代では激務をこなすために定期的にマッサージを受けていた。こちらでそのような体験が出来るとはありがたい。按摩士も先ほどの空気よりはやりやすいのか、女たちの世間話に時折笑顔で答えながら施術を進めていった。按摩士の話では、昔は硫黄山で働く鉱夫でにぎわっていたが、客が激減して廃業になる旅館も多く、森にあるような立地の悪い宿から廃れて言っているらしい。利便性の良さは、やはり営業する上でも重要だ。今日泊まる宿も、温泉街からほど近い場所にある。しかし、森の中というのは隠れるにはもってこいだ。盗賊にとっては雨風がしのげ、人の出入りが少ない好物件だろう。
施術が終わると窓の外は暗く、街灯の代わりの提灯が夜の街を照らしていた。見送りで「お帰りの道は大丈夫ですか?」と声をかけると按摩士は心配ないと返した。
「ありがとう。夜道はお嬢ちゃんたちより得意だよ。」
アシリパはそれに不思議そうに「ほんとに?」と問うた。
「ああ、真っ暗でも転がっていった小銭だってすぐ拾えるんだから。目が見える人はそっちに大きく頼りがちだからね、目が見えない分、あたしらにしか見えないものがある。」
そこまでいうと、按摩士が、あ、っと思い出したように言った。
「夜の下駄の音には気をつけなさい。」
「ゲタ?」
「盗賊は下駄を履いているのですか?」
アシリパとさくらが問うと、首を横に振った。
「ある晩にあたしも聞いたことがある。あれは、舌の音だ。舌を鳴らした反響でものを見てる。」
按摩士がその音を鳴らしてみせると、アシリパの顔に緊張が走った。
杉元はフチの甥の言葉を聞き、そうつぶやいた。さくらは盲目の脱獄囚というのに首をひねった。話を聞いていたアシリパも不思議だったようで白石の方へ問うた。
「白石、何か心当たりはあるか?」
「ああ、噂には聞いているぜ。おそらく手下の盗賊も全員網走監獄の囚人たちだ。「暗号の刺青持ち」は親玉一人だけだけどな。」
白石には目星がついてるようだ。キロランケも不思議そうに白石に問いかけた。
「そんなに盲目の囚人がいたのか?」
皆の反応をみて、白石が『硫黄山』で苦役させられた囚人の話を始めた。「現在の摩周湖から北へ六十キロ。摩周湖と屈斜路湖の間に硫黄山がある。」
「アトゥサヌプリ、裸の山という意味ですね。」
インカラマッもその場所について知っているらしい。占い師として各地を行脚している彼女は、その地に住む人々から土地のこと、人、物の流れ、そういう話は仕事の上でよく聞いているのだろう。その硫黄山についても何か知っていても不思議ではない。先ほどの白石の盲目の囚人という言葉に驚いた様子も見えなかった。もしかしたら、そのあたりで既に情報を掴んでいるのかも知れない。尾形もその話については既知のようであったが、静かに白石の話に耳を傾けている。白石は言葉を続けた。
「そこに派遣された囚人は無事戻って来れないと噂されていた。…あたりから絶えず吹き出す亜硫酸ガスってのは採掘者の目を侵すんだ。硫黄採掘にかり出された囚人たちは失明する者が続出。明治二十九年に囚人の採掘が中止されるまでたった半年間で四十二人もガスで死んだそうだ。盗賊の親玉はそのときの生き残りさ。失明してからのっぺら坊に入れ墨を彫られた。……硫黄山は閉山されたはずだったが最近また密かに操業再開されていて、鉱山の経営者に犬童典獄が囚人を貸し出して働かせている。…俺が網走監獄にいた頃は失明した者だって戻ってこなかった。おそらく都丹庵士の手下どもは最近殺される前に硫黄山から逃げてきた囚人だろう」
その話を聞きながらさくらは複雑な気持ちになった。犯罪を犯す者たちであると同時に、硫黄山での壮絶な体験を聞くと、辺見や姉畑のように割り切ることが出来ないのだ。生きるために苦界から逃げ延びたものの、盲目の男たちに出来る仕事は限られている。
今回も今までの男たちのようにはぎ取ってしまうのだろうか…。自分でも随分甘い考えであることは分かっている。その男たちに命を奪われた者、財産を奪われた者、そういう者たちにとってはただの犯罪者でしかない。それに、『奪う』ことでしか生きられないのは、元来の男たちの性質が変わっていないということでもある。
しかし、その男たちと自身の境遇が重なって見えてしまうのだ。頼る者のいない世界で、素性も明かせない者が、どのような場所に堕ちていくのか。自身は小樽で杉元の口利きで仕事をもらうことが出来た。今になって思えば軍人が連れて来た女だ。それだけで保証になってくれたようなものだと思う。でなければ呉服店で働くことなど叶いはしなかっただろう。体を売るか、そういう話になっていてもおかしくなかったのだ。
囲炉裏で小さく揺れる火をさくらは見やった。揺れる火を瞳に映すさくらの様子を尾形は目の端に捕らえていた。
一行は塘路湖から北に進み、屈斜路湖へ向かった。
コタンでの話からすると、刺青の男は囚人の一人。しかも仲間を引き連れて夜盗のようなことを繰り返している。目撃者たちによれば、男たちは錫杖のようなものを使っているらしいが、生き残りが少ないこともあり、情報はそこまでとなっている。何人構成の集団なのか。それによっては潜伏しているアジトを見つけて突入するにも、真正面から突破するわけにもいくまい。
屈斜路湖に到着すると、フチの親戚に一晩お世話になり、杉元がアシリパと共に獲ってきた巨大なフクロウを夕食にコタンでの近況を聞いた。
やはり、ここでも新月に夜盗に襲われているらしい。先月は隣の村が襲われ、今月の新月の夜はこのコタンが狙われるかもしれない。男たちは命がけでコタンを守る覚悟でいる、と真剣な表情で語っていた。
突然、外でフクロウが激しく鳴いた。
インカラマッはチカパシを守るように抱き寄せ、白石は頭を守るようにうずくまった。そして、他の者たちが武器を持って外へと飛び出した。
灯りのあった部屋から出てきたため、外は墨を塗ったように真っ黒に見える。かすかに虫の音がするばかりで、他には何も聞こえない。夜の闇にじっと目をこらしてみたが、木々の輪郭をぼんやり捉えるのがやっとで他に何かを見つけ出すことは叶わなかった。
しばらくしても何も動きが無い事が分かると、さくらは張り詰めていた空気を和らげた。フチの親戚の男が一同に声をかけた。
「イタチか何かが近づいたのだろう。奴らは用心深い。昼間は姿を現さない。集団で村ごと襲うときは必ず月の出ない新月に襲ってくる。」
空を見上げると、今日は細くはあるが月が出ている。
「あと、数日で新月といったところでしょうか。」
さくらが空を見上げながらつぶやくと尾形がそれに応えた。
「新月までこの村で待ち伏せる必要は無いだろう。」
まだ周囲に警戒の目を向けたままの尾形の隣で杉元も鋭い視線はそのまま頷いた。
「確かに。奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い。昼間に奇襲をかければすぐにカタがつく。」
杉元たちの言葉にフチの親戚の男が、そういえば、と話をはじめた。
「この近くに和人が経営する温泉旅館がある。なにか聞けるかもしれない。」
翌日、その温泉旅館の場所を教えてもらい、一行はそこで情報収集をすることにした。
到着すると二階建ての日本家屋の温泉旅館であった。入り口は中が分かりやすいようになのかガラス張りになっており、広い土間を上がるとすぐそこに番頭台がある。番頭台に座っていた男が杉元たちの軍服を目にすれば、自ら玄関先に出迎えにやってきた。
「これはこれは、ご苦労様でございます。」
そういう番頭に杉元が人の良さそうな笑顔で返した。
「ちょっと多いんだけど、大丈夫?」
「ええ大部屋もございますし、お部屋を分けてご案内もできますよ。」
やはりこの時代の軍人というのは、想像以上に地位が高いらしい。
ここまでの大人数で飛び込み客となれば、現代では考えられないが、嫌な顔ひとつせず、……むしろ嬉々として案内してもらえるとは。
案内された部屋は二部屋続きの大部屋で男性陣と女子供で別れて休むことになった。各々、大きな荷物を部屋に置くと、夕食までは別行動で情報収拾ということになった。これだけの大所帯で固まっていては目立ってしまうため、谷垣とインカラマッ、チカパシで温泉街の聞き込み。白石とキロランケも同じく二人で近くの飲食店に向かった。尾形はというと、装備はそのまま、ふらっと旅館を後にした。何とも自由な男である。元々、猫のように懐かず感情を読ませない男だ。大人しく団体行動をしていた方が不思議だったのかも知れない。杉元、アシリパ、さくらは按摩を頼んで、その筋から話を当たってみることにした。
旅館から頼んでもらい、しばらくすると、初老の剃髪した男性がやってきた。現代の白杖のように竹の杖をついて位置を確認しながら入室した。初めさくらは介助のために腰を上げたが、按摩士のスムーズ名動きを見て、座り直した。
「本日はよろしくお願いします。では、旦那さんの方からやっていきましょうか。」
そう言われて杉元は言われるがまま畳みにうつぶせになった。その様子をアシリパと共に見ていると杉元が少し頬を赤らめた。
「みんなに見られてると恥ずかしいね。」
乙女な杉元の様子にアシリパと顔を見合わせ、くすりと笑う。
「杉元、気にしすぎだ。」
「そうですよ。アシリパさん、お茶請けのおまんじゅう食べて待っていましょう。」
さくらは机の茶器に茶葉を入れてお茶の準備を始めた。しばらくは、二人何もすることがないのだ。ゆったりお茶でも飲みながら按摩士にそれとなく聞き込みをするのが良いだろう。アシリパも甘いお菓子には目がないのか、さくらが準備する机の方へやってきて目を輝かせた。
しばらく施術が進むと、按摩士は杉元の体に感嘆の声を上げた。
杉元の筋肉の柔らかさ、深い傷跡に触れて、よく生きていたと漏らした。驚いている按摩士に杉元がぼうっとした表情のまま答えた。気持ちが良いのか緩んだ表情であるが、瞳だけはどこか遠くを見つめている。
「あんまさん知ってる?アイヌってのは葬式の時に故人の道具に傷を付けて持ち主があの世で使えるように魂を抜いてやるんだって。そうだよね、アシリパさん?」
呼ばれたアシリパは頬張っていたまんじゅうをごくり、と飲み込んだ。
「俺の魂を抜きたきゃもっとでかい傷が必要なのさ。」
「へえ、…そうなんですか。」
肉を抉るような傷跡を体中に残し、それでも足りないというのに按摩士はどう感じたのか。困惑したような表情であったが、そこは商売ということもあり、そつなくこなしていく。
アシリパは杉元の言葉に静かに言葉を継いだ。
「魂が抜けるのはこの世での役目を終えたから……杉元が傷を負っても死なないのはこの世での役目がまだ残っているということだ。」
その言葉にさくらは自身の肩に手を置いた。
ヒグマに付けられた爪痕はふさがっても、茶色く跡を残している。…私にも役目があるのだろうか。魂が抜けるそのときに、私は私の役目を全うしたのだとそう思って逝けるだろうか。
杉元の施術が終わる頃に、皆戻ってきた。
男性陣は早めに風呂へ入ると移動し、さくらとインカラマッは按摩士に施術をしてもらってから風呂へ向かうことにした。久々の施術だ。現代では激務をこなすために定期的にマッサージを受けていた。こちらでそのような体験が出来るとはありがたい。按摩士も先ほどの空気よりはやりやすいのか、女たちの世間話に時折笑顔で答えながら施術を進めていった。按摩士の話では、昔は硫黄山で働く鉱夫でにぎわっていたが、客が激減して廃業になる旅館も多く、森にあるような立地の悪い宿から廃れて言っているらしい。利便性の良さは、やはり営業する上でも重要だ。今日泊まる宿も、温泉街からほど近い場所にある。しかし、森の中というのは隠れるにはもってこいだ。盗賊にとっては雨風がしのげ、人の出入りが少ない好物件だろう。
施術が終わると窓の外は暗く、街灯の代わりの提灯が夜の街を照らしていた。見送りで「お帰りの道は大丈夫ですか?」と声をかけると按摩士は心配ないと返した。
「ありがとう。夜道はお嬢ちゃんたちより得意だよ。」
アシリパはそれに不思議そうに「ほんとに?」と問うた。
「ああ、真っ暗でも転がっていった小銭だってすぐ拾えるんだから。目が見える人はそっちに大きく頼りがちだからね、目が見えない分、あたしらにしか見えないものがある。」
そこまでいうと、按摩士が、あ、っと思い出したように言った。
「夜の下駄の音には気をつけなさい。」
「ゲタ?」
「盗賊は下駄を履いているのですか?」
アシリパとさくらが問うと、首を横に振った。
「ある晩にあたしも聞いたことがある。あれは、舌の音だ。舌を鳴らした反響でものを見てる。」
按摩士がその音を鳴らしてみせると、アシリパの顔に緊張が走った。