白銀の世界で
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旭川聯隊司令部には犬童に化けた鈴川と覆面で正体を隠した杉元で潜入する運びとなった。顔を知られている者たちは、離れた場所で落ち合うために待機している。しかし、二人だけというのは心許ない。そのため、尾形が司令部近くに忍び込み、援護するという流れになった。司令部に入っていく二人を見届け、尾形がさくらに声をかけた。
「俺たちもいくぞ。」
「……え?」
訳が分からない、といった表情をしたのはさくらだけではない。しかし、尾形は我関せずというようにさくらの腕を掴んだ。
「意外とこいつの射撃の腕が良いんだ。連れて行く。」
有無を言わせず、尾形はさくらを引き連れて兵舎へと忍び込んだ。
尾形が塀に小さく切れ込みをいれると、戸板を外して入り込む。跡に続いてさくらも忍び込んだ。戸板を元に戻せばしばらくはばれないだろう。静かに司令部のある建物へと進んでいく。入り口は兵士で固められていたが、内部は意外と警備が手薄なようだ。ほとんど人影が無い。難なく杉元たちのいる建物の近くまでくることができた。しばらくは、ここで様子見だろう。そう思って、木陰に隠れようとすると、建物から兵士が出てきた。そして珍しそうにこちらを見遣った。さくらは、さあっと血の気が引いた。兵舎に女が居ることが珍しいのだ。しかし、そのまま尾形の顔を見られれば終わりだ。そう思ったと同時に尾形の顔を抱え込んで自身の胸元に押しつけた。
「……っあぁ、…はっ」
艶めいた声を出しながら、おもむろに兵士の方へと目線を流した。兵士の方は赤面して、固まっている。それに、自身の唇に人差し指を立てて合図を送った。他人の密会に遭遇して声をかけるほど野暮なことは普通しないだろう。おそらく兵舎内でこのような行為は御法度であるとは思うが、わざわざ割って入ってやめさせるような馬鹿もしないはずだ。さくらの予測が当たったのか、兵士はふいっと視線を外して赤い顔のまま立ち去っていった。兵士の姿が見えなくなり、尾形の頭から手を離した。
「色仕掛けか。いいもん持ってんじゃねえか。」
尾形がさくらの胸元にうずまった顔をちらり、と上げて言った。そしてそのままさくらの胸を持ち上げるようにして感触を確かめた。面白そうな表情をする尾形に、さくらはむっとして、その手を払い落とした。
「あなたの顔が割れてるから仕方ないでしょ。で、このままだとまた見つかりますよ。」
「んじゃ、こっちだ。」
すぐに切り替えた尾形が木の幹を登り始めた。上からなら周囲の状況も見やすく、杉元たちの動向も逐一知ることが出来るということだろう。太い枝に腰を据えた尾形の手を借りて隣まで登る。
「狙撃手は見晴らしが良く、狙われない場所を陣取る必要がある。相手よりも有利になるためには場所選びが重要だ。」
尾形の言うように場所選びは重要だ。今だって、司令部の杉元たちの姿が間近で見ることが出来るのだ。しかも、木の葉でこちらは隠れることが出来る。これほど最適な場所はない。尾形と共に銃身の安全装置を外していつでも援護できるように準備しておく。
部屋の様子を窺うと、杉元と鈴川が窓辺に向かって立っている。その脇には見慣れた坊主頭が見えた。
「白石さんと会えたようですね。」
ここまではうまくいっているようだ。あとは淀川中佐が鈴川の口先に惑わされてくれるよう祈るのみだ。隣にいる尾形は双眼鏡で各方面へ目を光らせている。
「鯉登少尉が慌てて入っていった。」
双眼鏡を見つめる先には尾形とは違う黄味がかった軍服の男だ。
「お知り合いですか?」
そう聞くと、尾形はふっとおかしそうに笑った。
「一度会えば忘れん男だ。それより、やつは鶴見中尉お気に入りの薩摩隼人だ。」
「まさか……ばれたんでしょうか。」
鶴見のお膝元であれば、秘蔵っ子を置いていても不思議ではない。犬童も薩摩の出だった、と昨日鈴川が方言を練習していた。しかし、本物の薩摩人が出てくれば、ぼろが出てしまうかも知れない。
「まずいぞ、これは。」
いつも冷静な尾形から初めて聞く焦りの言葉だ。鶴見のお気に入りと言うことは、よほど腕のたつ者なのだろう。そんな男相手に、しかも敵の本拠地で白石を守りながら脱出することができるのか。さくらの拳銃を持つ手に汗がにじんだ。
部屋に現れた鯉登少尉は鈴川と二,三言を話したかと思うと拳銃を発砲した。鈴川と杉元が被弾し、鈴川は倒れ、部屋から見えなくなった。次の発砲がくるというところで窓を突き破って、杉元が白石を抱えて飛び降りた。
「さくら、飛び降りろ!!」
鋭い尾形の声の言うようにすぐさま木から飛び降りた。上からは尾形の銃の発砲音が聞こえたかと思うと、尾形もすぐに木から飛び降りた。尾形を先頭に全速力で走る。建物から追っ手が来るまでどこまで逃げ切れるかが勝負だ。途中で杉元たちと合流する。飛び降りてきた杉元は胸元に何発は食らっており、血がにじんでいる。
「杉元こっちはだめだ!南へ逃げろ!」
元々キロランケたちに馬を待機させていた場所へ向かうには、すでに兵舎から多くの兵士が出てきている。そちらに向かうことは出来ない。
「さっきの銃声で蜂どもがあちこち巣からでてきた!!」
杉元の言うように放射状に伸びた兵舎からは四方から兵士が出てきている。たどれる道は少ない。白石は杉元に肩を貸しながら走っている。冷や汗を浮かべた表情に、さくらも心配になって声をかけた。
「杉元さん…!!」
「不死身なんだろ?!死ぬ気で走れ!!」
尾形が鋭い声をかける。置いていくわけにも行かないが、立ち止まっていても死ぬだけだ。しかし、白石は心配そうな表情でかえした。
「無理だっ!!こんな傷の杉元が走り続けられるわけがねえ!!」
そういう白石に杉元はぜえぜえと吐く息に紛れながら声を出した。
「俺の…足が止まったら……白石、お前がアシリパさんを網走監獄まで……」
そういう杉元に、さくらは背に手を回した。
「また、あなたは一人で諦めようとする…!!」
誰かを助けようと、自分の命を投げ打ってしまうのだ。だから、この人は無理矢理でも手を取らないと、きっと自分から離してしまう。さくらは杉元の背を押しながら走った。
「全員で脱出するんです!!今死んだら無駄死にですからね…!!」
走り続けると広い場所へ出た。そこには膨らみ始めた気球が見える。初めて見たのか、「何だありゃあ!!?」と、杉元と白石が驚きの表情を見せている。尾形はそれをみると叫んだ。
「気球隊の試作機だ!!あれを奪うぞ!!」
そう言うと、男たちで兵隊を蹴散らし、気球を強奪した。尾形は気球の前に陣取ると銃を構えて威嚇している。
「全員下がれ、もっと離れろ!!」
対する兵士たちは手持ちの拳銃を構えることもなく、距離を保っている。その光景に、違和感を感じる。たった四人に十数人がなすすべもない。…銃で制圧すれば一瞬であるはずなのにそれができないのはなぜか。思い至るのはガス気球は何で浮いているのか。…引火しやすい気体で浮かせているからでは。ガス気球の原理は学生時代の記憶で定かではないが、兵士たちの様子から、そういうことなのだろうと思い至る。気球が浮き始めたところで四人、気球へ飛び乗った。すると、今度は兵士たちが飛ばせまいと気球に手を伸ばし始めた。
「どうせ撃ってこねえ!撃てば飛行船に当たらんでも水素に引火しかねんっ!!」
「逃がすな!!捕まえろ!!」そう言って何人もの兵士が気球の骨組みに手をかけてくる。それを尾形や杉元が銃でつついて下ろしていく。さくらも自身の下で手を伸ばしている兵士の手を踏みつけては外していく。こちらとしても良心が痛むが、生きるためだ。申し訳ないと思いながらも一切の手加減なく足蹴にしていく。
「なんか…ある意味ご褒美だね。」
と、隣で鼻の下を伸ばした下品な顔をした白石と目が合う。
「ご所望でしたらこちらへどうぞ。」
そう言ってさくらは自身の足下を指さすと、新たに登ってくる兵士の指先をこれでもか、というほど思い切り踏みつけた。足下では兵士の情けない悲鳴が聞こえる。
「降りてからなら、鉛玉もねじ込んであげましょうか?」
愛想よく返答するも、内容は過激だ。さくらの目が笑っていないことに気がついた白石は、話を変えて気球の機会の様子を窺い始めた。
いくらか気球が浮かび、兵士たちの手も届かなくなってきた。これで安心かと思った矢先、あの黄味がかった制服が見えた。
「……鯉登少尉」
さくらの言葉で杉元が後ろを振り返った。船尾には、気球によじ登った鯉登少尉がいた。鯉登少尉は鍔に美しい装飾をちりばめた軍刀を手にこちらを睨み付けている。対するこちらで刀を持っているのは尾形だ。杉元が尾形から銃剣を借りた。
「俺がやる。」
短く言い切った杉元はすでに戦う目をしている。尾形も銃剣を大人しく貸した。
「自顕流を使うぞ。二発撃たれた状態で勝てる相手じゃない。」
その言葉を聞いても杉元は鯉登少尉から目を離さなかった。すると、尾形の姿を確認した鯉登少尉の目がさらにきつくなった。
「尾形百之助、貴様……!!」
そこからまくし立てるように鯉登少尉が叫んだ。しかし、薩摩方言なのかほとんど聞き取ることができない。脱走兵がこうしてやってきたのだ。怒りは最もだろう。尾形は先ほどさくらに話したときのように、ふっとおかしそうに笑った。
「相変わらず何を言っているかさっぱり分からんですな、鯉登少尉。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから。」
完全に煽っている。こんな時に挑発してどうするのだ、さくらは尾形を睨み付けた。案の定、鯉登少尉は勢いよく杉元に軍刀を振り上げた。
「受けるなっ」
尾形の言葉と杉元が軍刀を銃剣で受け止めたのは同時だった。勢いは衰えることなく、防いでいた銃剣もろとも杉元の頭に直撃した。鈍い音が何度もする。杉元は攻撃を防ぐだけで手一杯だ。船尾は足場の悪い骨組みだけだ。いつ落ちてもおかしくない。
なんとかしなければ。しかし、銃は使えない。焦る頭では妙案も浮かばず更に焦ってしまう。すると、白石が突然、鯉登少尉の頭上に飛び上がった。それに鯉登少尉が意識を向けると、そのまま跳び蹴りを食らわせて、二人で下へ落ちていく。
「白石!!」驚く杉元や一行を尻目に、白石の腰に下げられた縄がぴん、と伸びた。どうやら命綱はしっかりつけていたらしい。自身の優勢が確定したためか、白石は「あははは!!アバヨ鯉登ちゃんっ!」と煽っていく。
鯉登少尉は何か叫びながら必死に腕を動かしながら、森の中へと姿を消していく。その間、杉元や尾形そして、さくらに目線を動かした。一瞬、さくらを見るや、鯉登の動きが止まった。そして恥じらうように目元を隠し、そのまま森の中へと吸い込まれていった。一連の不思議な行動にさくらは首をかしげる。そして一瞬森の中に突っ込んだ、縄にぶら下がった白石がアシリパを連れて再び現れると、こちらに目線を向けて下品な笑みを浮かべた。
骨組みだけの気球……スカートをはいている自身の身なりを確認すれば、それは確実だった。慌てて裾をしぼって白石の視線から逃れる。
一方、丁度よく木の枝をクッションにして着陸に成功した鯉登少尉は胸元から一枚の写真を取り出した。鶴見の写真を見ながら、はあっと大きなため息をついた。
「鶴見中尉どんにがられる…(叱られる)」
そして、おもむろに遠ざかっていく気球を見つめた。
「俺たちもいくぞ。」
「……え?」
訳が分からない、といった表情をしたのはさくらだけではない。しかし、尾形は我関せずというようにさくらの腕を掴んだ。
「意外とこいつの射撃の腕が良いんだ。連れて行く。」
有無を言わせず、尾形はさくらを引き連れて兵舎へと忍び込んだ。
尾形が塀に小さく切れ込みをいれると、戸板を外して入り込む。跡に続いてさくらも忍び込んだ。戸板を元に戻せばしばらくはばれないだろう。静かに司令部のある建物へと進んでいく。入り口は兵士で固められていたが、内部は意外と警備が手薄なようだ。ほとんど人影が無い。難なく杉元たちのいる建物の近くまでくることができた。しばらくは、ここで様子見だろう。そう思って、木陰に隠れようとすると、建物から兵士が出てきた。そして珍しそうにこちらを見遣った。さくらは、さあっと血の気が引いた。兵舎に女が居ることが珍しいのだ。しかし、そのまま尾形の顔を見られれば終わりだ。そう思ったと同時に尾形の顔を抱え込んで自身の胸元に押しつけた。
「……っあぁ、…はっ」
艶めいた声を出しながら、おもむろに兵士の方へと目線を流した。兵士の方は赤面して、固まっている。それに、自身の唇に人差し指を立てて合図を送った。他人の密会に遭遇して声をかけるほど野暮なことは普通しないだろう。おそらく兵舎内でこのような行為は御法度であるとは思うが、わざわざ割って入ってやめさせるような馬鹿もしないはずだ。さくらの予測が当たったのか、兵士はふいっと視線を外して赤い顔のまま立ち去っていった。兵士の姿が見えなくなり、尾形の頭から手を離した。
「色仕掛けか。いいもん持ってんじゃねえか。」
尾形がさくらの胸元にうずまった顔をちらり、と上げて言った。そしてそのままさくらの胸を持ち上げるようにして感触を確かめた。面白そうな表情をする尾形に、さくらはむっとして、その手を払い落とした。
「あなたの顔が割れてるから仕方ないでしょ。で、このままだとまた見つかりますよ。」
「んじゃ、こっちだ。」
すぐに切り替えた尾形が木の幹を登り始めた。上からなら周囲の状況も見やすく、杉元たちの動向も逐一知ることが出来るということだろう。太い枝に腰を据えた尾形の手を借りて隣まで登る。
「狙撃手は見晴らしが良く、狙われない場所を陣取る必要がある。相手よりも有利になるためには場所選びが重要だ。」
尾形の言うように場所選びは重要だ。今だって、司令部の杉元たちの姿が間近で見ることが出来るのだ。しかも、木の葉でこちらは隠れることが出来る。これほど最適な場所はない。尾形と共に銃身の安全装置を外していつでも援護できるように準備しておく。
部屋の様子を窺うと、杉元と鈴川が窓辺に向かって立っている。その脇には見慣れた坊主頭が見えた。
「白石さんと会えたようですね。」
ここまではうまくいっているようだ。あとは淀川中佐が鈴川の口先に惑わされてくれるよう祈るのみだ。隣にいる尾形は双眼鏡で各方面へ目を光らせている。
「鯉登少尉が慌てて入っていった。」
双眼鏡を見つめる先には尾形とは違う黄味がかった軍服の男だ。
「お知り合いですか?」
そう聞くと、尾形はふっとおかしそうに笑った。
「一度会えば忘れん男だ。それより、やつは鶴見中尉お気に入りの薩摩隼人だ。」
「まさか……ばれたんでしょうか。」
鶴見のお膝元であれば、秘蔵っ子を置いていても不思議ではない。犬童も薩摩の出だった、と昨日鈴川が方言を練習していた。しかし、本物の薩摩人が出てくれば、ぼろが出てしまうかも知れない。
「まずいぞ、これは。」
いつも冷静な尾形から初めて聞く焦りの言葉だ。鶴見のお気に入りと言うことは、よほど腕のたつ者なのだろう。そんな男相手に、しかも敵の本拠地で白石を守りながら脱出することができるのか。さくらの拳銃を持つ手に汗がにじんだ。
部屋に現れた鯉登少尉は鈴川と二,三言を話したかと思うと拳銃を発砲した。鈴川と杉元が被弾し、鈴川は倒れ、部屋から見えなくなった。次の発砲がくるというところで窓を突き破って、杉元が白石を抱えて飛び降りた。
「さくら、飛び降りろ!!」
鋭い尾形の声の言うようにすぐさま木から飛び降りた。上からは尾形の銃の発砲音が聞こえたかと思うと、尾形もすぐに木から飛び降りた。尾形を先頭に全速力で走る。建物から追っ手が来るまでどこまで逃げ切れるかが勝負だ。途中で杉元たちと合流する。飛び降りてきた杉元は胸元に何発は食らっており、血がにじんでいる。
「杉元こっちはだめだ!南へ逃げろ!」
元々キロランケたちに馬を待機させていた場所へ向かうには、すでに兵舎から多くの兵士が出てきている。そちらに向かうことは出来ない。
「さっきの銃声で蜂どもがあちこち巣からでてきた!!」
杉元の言うように放射状に伸びた兵舎からは四方から兵士が出てきている。たどれる道は少ない。白石は杉元に肩を貸しながら走っている。冷や汗を浮かべた表情に、さくらも心配になって声をかけた。
「杉元さん…!!」
「不死身なんだろ?!死ぬ気で走れ!!」
尾形が鋭い声をかける。置いていくわけにも行かないが、立ち止まっていても死ぬだけだ。しかし、白石は心配そうな表情でかえした。
「無理だっ!!こんな傷の杉元が走り続けられるわけがねえ!!」
そういう白石に杉元はぜえぜえと吐く息に紛れながら声を出した。
「俺の…足が止まったら……白石、お前がアシリパさんを網走監獄まで……」
そういう杉元に、さくらは背に手を回した。
「また、あなたは一人で諦めようとする…!!」
誰かを助けようと、自分の命を投げ打ってしまうのだ。だから、この人は無理矢理でも手を取らないと、きっと自分から離してしまう。さくらは杉元の背を押しながら走った。
「全員で脱出するんです!!今死んだら無駄死にですからね…!!」
走り続けると広い場所へ出た。そこには膨らみ始めた気球が見える。初めて見たのか、「何だありゃあ!!?」と、杉元と白石が驚きの表情を見せている。尾形はそれをみると叫んだ。
「気球隊の試作機だ!!あれを奪うぞ!!」
そう言うと、男たちで兵隊を蹴散らし、気球を強奪した。尾形は気球の前に陣取ると銃を構えて威嚇している。
「全員下がれ、もっと離れろ!!」
対する兵士たちは手持ちの拳銃を構えることもなく、距離を保っている。その光景に、違和感を感じる。たった四人に十数人がなすすべもない。…銃で制圧すれば一瞬であるはずなのにそれができないのはなぜか。思い至るのはガス気球は何で浮いているのか。…引火しやすい気体で浮かせているからでは。ガス気球の原理は学生時代の記憶で定かではないが、兵士たちの様子から、そういうことなのだろうと思い至る。気球が浮き始めたところで四人、気球へ飛び乗った。すると、今度は兵士たちが飛ばせまいと気球に手を伸ばし始めた。
「どうせ撃ってこねえ!撃てば飛行船に当たらんでも水素に引火しかねんっ!!」
「逃がすな!!捕まえろ!!」そう言って何人もの兵士が気球の骨組みに手をかけてくる。それを尾形や杉元が銃でつついて下ろしていく。さくらも自身の下で手を伸ばしている兵士の手を踏みつけては外していく。こちらとしても良心が痛むが、生きるためだ。申し訳ないと思いながらも一切の手加減なく足蹴にしていく。
「なんか…ある意味ご褒美だね。」
と、隣で鼻の下を伸ばした下品な顔をした白石と目が合う。
「ご所望でしたらこちらへどうぞ。」
そう言ってさくらは自身の足下を指さすと、新たに登ってくる兵士の指先をこれでもか、というほど思い切り踏みつけた。足下では兵士の情けない悲鳴が聞こえる。
「降りてからなら、鉛玉もねじ込んであげましょうか?」
愛想よく返答するも、内容は過激だ。さくらの目が笑っていないことに気がついた白石は、話を変えて気球の機会の様子を窺い始めた。
いくらか気球が浮かび、兵士たちの手も届かなくなってきた。これで安心かと思った矢先、あの黄味がかった制服が見えた。
「……鯉登少尉」
さくらの言葉で杉元が後ろを振り返った。船尾には、気球によじ登った鯉登少尉がいた。鯉登少尉は鍔に美しい装飾をちりばめた軍刀を手にこちらを睨み付けている。対するこちらで刀を持っているのは尾形だ。杉元が尾形から銃剣を借りた。
「俺がやる。」
短く言い切った杉元はすでに戦う目をしている。尾形も銃剣を大人しく貸した。
「自顕流を使うぞ。二発撃たれた状態で勝てる相手じゃない。」
その言葉を聞いても杉元は鯉登少尉から目を離さなかった。すると、尾形の姿を確認した鯉登少尉の目がさらにきつくなった。
「尾形百之助、貴様……!!」
そこからまくし立てるように鯉登少尉が叫んだ。しかし、薩摩方言なのかほとんど聞き取ることができない。脱走兵がこうしてやってきたのだ。怒りは最もだろう。尾形は先ほどさくらに話したときのように、ふっとおかしそうに笑った。
「相変わらず何を言っているかさっぱり分からんですな、鯉登少尉。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから。」
完全に煽っている。こんな時に挑発してどうするのだ、さくらは尾形を睨み付けた。案の定、鯉登少尉は勢いよく杉元に軍刀を振り上げた。
「受けるなっ」
尾形の言葉と杉元が軍刀を銃剣で受け止めたのは同時だった。勢いは衰えることなく、防いでいた銃剣もろとも杉元の頭に直撃した。鈍い音が何度もする。杉元は攻撃を防ぐだけで手一杯だ。船尾は足場の悪い骨組みだけだ。いつ落ちてもおかしくない。
なんとかしなければ。しかし、銃は使えない。焦る頭では妙案も浮かばず更に焦ってしまう。すると、白石が突然、鯉登少尉の頭上に飛び上がった。それに鯉登少尉が意識を向けると、そのまま跳び蹴りを食らわせて、二人で下へ落ちていく。
「白石!!」驚く杉元や一行を尻目に、白石の腰に下げられた縄がぴん、と伸びた。どうやら命綱はしっかりつけていたらしい。自身の優勢が確定したためか、白石は「あははは!!アバヨ鯉登ちゃんっ!」と煽っていく。
鯉登少尉は何か叫びながら必死に腕を動かしながら、森の中へと姿を消していく。その間、杉元や尾形そして、さくらに目線を動かした。一瞬、さくらを見るや、鯉登の動きが止まった。そして恥じらうように目元を隠し、そのまま森の中へと吸い込まれていった。一連の不思議な行動にさくらは首をかしげる。そして一瞬森の中に突っ込んだ、縄にぶら下がった白石がアシリパを連れて再び現れると、こちらに目線を向けて下品な笑みを浮かべた。
骨組みだけの気球……スカートをはいている自身の身なりを確認すれば、それは確実だった。慌てて裾をしぼって白石の視線から逃れる。
一方、丁度よく木の枝をクッションにして着陸に成功した鯉登少尉は胸元から一枚の写真を取り出した。鶴見の写真を見ながら、はあっと大きなため息をついた。
「鶴見中尉どんにがられる…(叱られる)」
そして、おもむろに遠ざかっていく気球を見つめた。