白銀の世界で
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村で聞こえていた銃声や怒声がやんだ。
尾形の合図によって家から出る。周りには血だまりの中で偽アイヌの男たちが転がっていた。凄惨な現場にさくらが呆然としていると、後ろから何者かの足音が聞こえた。勢いよく振り返ると、アシリパがこちらに近づいていた。さくらの様子に首をかしげるアシリパに尾形が話しかけた。
「杉元のやつ…ほとんどひとりで偽アイヌどもを皆殺しにしやがった。おっかねえ男だぜ。」
見渡してみれば、擦過傷、手首を切り落とされた者、銃殺での死者はわずかであった。アシリパもそれに気がついたのか、顔をゆがめた。尾形と、そして…さくら自身が手にかけた者よりもはるかに多くの者が杉元の手によって殺されていた。その事実は、アシリパにとっても大きなショックだろう。仰向けに転がっている死体は苦しそうな表情でいる。
…あのとき手にかけた男たちはどうだろうか。…苦しんで死んだのだろうか。ふと、あの男たちの死に顔を確認しようと思い立った。さくらがそちらの方へ進もうとすると、それを阻むように尾形がさくらの腕をつかんだ。
「……どこへ行くつもりだ?」
尾形の問いに口を開いたものの、何と言えば良いのか分からず、ただ意味も無く口を動かした。その様子に何か悟ったのか、尾形が言葉を継げる。
「正気を保てる自信があるか?」
いつものように感情のこもらない瞳は、まっすぐさくらをとらえる。その瞳に映っているのは、不安そうな顔をした情けない自分の姿だ。その瞳から目をそらした。……正気でいられる自信なんてない。今だって、重くのしかかったものをどうにかしたい一心でいるだけなのだ。あの男たちが安らかな表情でいるのだと確認して、自分は男たちを苦しませなかったのだと、少しの安心を得たいがために死に顔を拝みにいくのだ。
「確認したいんです。…自分の中で区切りをつけたい。」
頭の中を渦巻く重たい霧のようなものが、正常な判断を鈍らせているような感覚。それは殺人への罪悪感ゆえか、それともこの凄惨な現場への拒否反応か。しかし、目の前に漂う大きな霧を晴らして次に進まねば、これからの戦いに身を置く資格など無いだろう。今のさくらに、己以外に気を配る余裕などない。もう一度、尾形の顔をまっすぐに見据えた。それゆえ、こちらに視線を移す杉元に気付くこともなかった。
苦悶の表情をしているのだろうか…それとも恨めしさから怒りのまま死んでいったのだろうか。さくらは男たちを死体の中から探しながら、心の中でぐるぐると答えの無い問いをいていた。その後ろから尾形がついてくる。お守りなど性に合わない男が、何の目的か。ついてくるのをそのまま、さくらは件の男たちを見つけた。仰向けで倒れている二人と、うずくまるようにして倒れている一人。恐る恐る、男たちの顔を確認する。濁った瞳は空を仰ぎ、力なく口元は開いている。『何が起きたのか』分からない、と言ったような何の感情も無い表情で、男たちは地面に倒れていた。一見すればまだ生きているかのように思えてくる。しかし、その瞳は生きているときとは明らかに違っている。瞳は、死んだ魚のように周りの光を取り込むだけで、人形のように不自然な輝きを放っていた。
これが、たった今まで命を持って動いていたのだ。何となく現実味のない感覚に、男の体にそっと触れてみる。
「…あたたかい。」
人肌のあたたかさ。肌のやわらかさ。『人間』の体なのだと、そう認識した瞬間に涙がこぼれ落ちた。
「罪人のために泣いてやるのか。」
尾形の声が後ろから聞こえた。
「……分かったんです。」
私が奪ったのは、彼らがこの先見るもの、触れるもの、美しいと感じるもの、そういう人生で感じる全てのものを奪ったのだ。確かに罪人だった。女たちに酷いことをしたんだろう。だが、その先にある彼らが『受けるべき』受難も祝福も全てさくらが奪ったのだ。この人を殺した私が…。どれほど重大なことをしでかしたのか、男のあたたかさに触れて確認したのだ。
しかし、もしこの遺体が杉元だったなら…?想像するだけで、息が詰まった。
「もし、この遺体が杉元さんやアシリパさんだったら、私は殺した人間を殺します。もし、この男に家族がいるなら……私も同じように殺されるのでしょう。」
命を奪うとは、こういうことなのだ。自身の命を差し出したところで、同等とは言えない。代わりなどきかない。ただ、恨みだけが残っていく。
「それでも、守るものがある。だから、私は逃げません。杉元さんも、きっと同じように私たちを守ってくれているから。私も逃げません。」
杉元の拳は、刃は、いつも後ろにいるさくらやアシリパを守るために振るわれていた。自身が盾になって、いつも汚れ役を買って出ていたのが杉元なのだ。
「…お前はまだ綺麗なままなのか。」
尾形がぽつりとこぼした。その声はかすかで、さくらの元には届かなかった。
その後、村の女たちと共に死体の埋葬を行った。大勢を移動させたり、穴を掘ったりと力仕事であったが、牛山の無尽蔵な体力のおかげで順調に進んでいった。さくらは尾形と共に皆が集まる場所へ足を運んだ。すでに多くの者が埋葬へとかり出されていた。穴掘りをしている牛山と杉元のもとへと向かうと、丁度一人の男を埋めているところであった。先ほどの戦闘では見かけなかったように思う。
「この方は…?」
問いかけると杉元が鍬を動かしていた手を止めてこちらを見た。
「あの熊岸長庵だ。アイヌになりすましてコタンに潜伏していた。あいにく、見分け方は聞けずじまいさ。」
「そうだったのですね…。残念ですが他の方法を探さなければなりませんね。」
これで刺青人皮の見分けは容易ではなくなった。…振り出しに戻ったということか。さくらは近くにあった余っている鍬を手に、二人の近くで穴を掘り始めた。尾形は死体を引きずりながら移動させている。杉元も作業を再開した。しばらくそれぞれが作業に移り、口数も少なくなっていく。穴を掘っては死体を埋め、土をかぶせ…と、幾度となく繰り返すうちに汗がしたたり落ちてくる。もう十以上の埋葬をしている。さすがに体力もわずかになってくる。鍬を動かす手が鈍ってきたことに杉元も気がついたのか、こちらに心配そうな表情を向けた。
「…さくらさん、少し休憩してなよ。もう少しで終わるから。」
「いえ、皆さんも作業していますし、私もあと少しなら頑張れます。」
にこり、とさくらは愛想笑いを浮かべながら額の汗をぬぐった。杉元はなお言い募ろうとしたが、次から次へと死体が運ばれ、その機会を失ってしまった。
作業が終われば、村の女たちから食事をごちそうになった。疲れた体にクトゥマという団子とそれに甘塩っぱい筋子のたれが染み渡る。男たちも美味しそうにほうばり、女たちも穏やかな笑顔に包まれた。ひとしきり、ご馳走になった後、一行はすぐに旅支度を調えた。家の外には村長と名乗っていた詐欺師の鈴木聖弘が縄につながれていた。杉元、牛山、尾形に囲まれおびえたような顔を浮かべている。そこで初めに口を開いたのは尾形だった。
「面倒だ……殺して皮を剥いでいこうぜ。」
旅に人数が多いほど、人目につきやすく、跡をたどられやすい。それに、私たちを殺そうとした男だ。内心、さくらも尾形の言うことには一理あるとは思った。しかし、そんな容易に殺しても良いものか…。
「写しをするのはどうですか?村の人に軍につきだしてもらえば」
そう言うも、尾形はそれを否定した。
「軍へ行って、こいつが俺たちのことを喋ったらおわりだ。口封じが必要だ。」
無慈悲な尾形の返答にアシリパが、じとり、と尾形を見据えた。
「無抵抗の人間まで殺すのか?」
アシリパの言葉に一同沈黙が訪れた。その沈黙を破るかのように、足下の鈴木が口を開いた。
「網走から脱獄した他の囚人の情報がある!!」
我が身かわいさに命乞いをする姿は必死だ。それに杉元は感情のこもらない瞳で、鈴木を見下ろした。戦いの前の冷めた表情に、どちらに転ぶのかアシリパもさくらも固唾をのんで窺った。隣では尾形が、馬鹿にしたように小さく笑った。
「どうだかな。お前、詐欺師だろう?時間稼ぎの嘘かもよ。」
杉元は鈴木の前に、座りこんで、その頭に体重をのせるように手のひらをのせた。冷めた目は変わらずで、鈴木ににらみをきかせた。
「嘘なら舌を引っこ抜いてやるさ。閻魔様か俺がやるかの違いだろ?」
杉元は鈴木を立ち上がらせて、皆に顔を向けた。
「先を急いでいるから鈴木聖弘は連れて行く。土方歳三たちと合流してからこいつの処遇を相談しよう。」
みな異論は無い様子で、頷いた。
「チンポセンセイ」
アシリパからかと思いきや、村の女たちの視線が熱く注がれている。牛山もそれに気がついたのか、そちらを見やった。
「嬢ちゃん、こりゃどういう……」
牛山の怪訝そうな表情にアシリパが答えた。
「ここの村は男がいなくなったからずっとコタンにいろと言ってる。」
女たちは口々に牛山の名前を呼んでいる。
「チンポ先生大人気だ。熊に勝つし、強い子供が出来ると言っている。」
……熊に勝った?思いもよらぬ言葉にさくらは内心驚きをかくせずにいた。先の戦いでまさか…。熊のオリを見ると、大破しており、もしかして牛山はあの大きな熊を倒したということだろうか。牛山の方は、女たちの意図をくみ取り、村の方へと足を進めようとしている。それを杉元となぜか鈴木で制止して、旅の方向へと引きずった。
「子種だけ置いていけないだろうか。」
なおも諦められない様子の牛山に杉元が言った。
「弱みにつけ込むのはよくないぞ牛山。責任取れるのか?」
杉元の言い分はもっともだ。欲に任せて、望みを聞いたところで、この村の本当の意味での助けになるわけでは無い。さくらも深く頷いた。しかし、アシリパは杉元の言葉に反論した。
「弱くなんか無い。アイヌの女だってしたたかなんだ。」
アシリパはそう言って、女たちの方を振り返った。
「このコタンは必ず生き返る。」
その言葉にさくらと杉元も女たちを見やった。力強い瞳で、先を見据える女たちの表情には一切の曇りが無い。アシリパは誰よりも早く、女たちの生きる力を見抜いていたのだ。聡明な少女に、頭が下がる思いだ。
「さあ、先を急ごう。白石もきっと杉元に会いたくて寂しがっている。」
アシリパの声で、一行は旅路へと進んでいった。
尾形の合図によって家から出る。周りには血だまりの中で偽アイヌの男たちが転がっていた。凄惨な現場にさくらが呆然としていると、後ろから何者かの足音が聞こえた。勢いよく振り返ると、アシリパがこちらに近づいていた。さくらの様子に首をかしげるアシリパに尾形が話しかけた。
「杉元のやつ…ほとんどひとりで偽アイヌどもを皆殺しにしやがった。おっかねえ男だぜ。」
見渡してみれば、擦過傷、手首を切り落とされた者、銃殺での死者はわずかであった。アシリパもそれに気がついたのか、顔をゆがめた。尾形と、そして…さくら自身が手にかけた者よりもはるかに多くの者が杉元の手によって殺されていた。その事実は、アシリパにとっても大きなショックだろう。仰向けに転がっている死体は苦しそうな表情でいる。
…あのとき手にかけた男たちはどうだろうか。…苦しんで死んだのだろうか。ふと、あの男たちの死に顔を確認しようと思い立った。さくらがそちらの方へ進もうとすると、それを阻むように尾形がさくらの腕をつかんだ。
「……どこへ行くつもりだ?」
尾形の問いに口を開いたものの、何と言えば良いのか分からず、ただ意味も無く口を動かした。その様子に何か悟ったのか、尾形が言葉を継げる。
「正気を保てる自信があるか?」
いつものように感情のこもらない瞳は、まっすぐさくらをとらえる。その瞳に映っているのは、不安そうな顔をした情けない自分の姿だ。その瞳から目をそらした。……正気でいられる自信なんてない。今だって、重くのしかかったものをどうにかしたい一心でいるだけなのだ。あの男たちが安らかな表情でいるのだと確認して、自分は男たちを苦しませなかったのだと、少しの安心を得たいがために死に顔を拝みにいくのだ。
「確認したいんです。…自分の中で区切りをつけたい。」
頭の中を渦巻く重たい霧のようなものが、正常な判断を鈍らせているような感覚。それは殺人への罪悪感ゆえか、それともこの凄惨な現場への拒否反応か。しかし、目の前に漂う大きな霧を晴らして次に進まねば、これからの戦いに身を置く資格など無いだろう。今のさくらに、己以外に気を配る余裕などない。もう一度、尾形の顔をまっすぐに見据えた。それゆえ、こちらに視線を移す杉元に気付くこともなかった。
苦悶の表情をしているのだろうか…それとも恨めしさから怒りのまま死んでいったのだろうか。さくらは男たちを死体の中から探しながら、心の中でぐるぐると答えの無い問いをいていた。その後ろから尾形がついてくる。お守りなど性に合わない男が、何の目的か。ついてくるのをそのまま、さくらは件の男たちを見つけた。仰向けで倒れている二人と、うずくまるようにして倒れている一人。恐る恐る、男たちの顔を確認する。濁った瞳は空を仰ぎ、力なく口元は開いている。『何が起きたのか』分からない、と言ったような何の感情も無い表情で、男たちは地面に倒れていた。一見すればまだ生きているかのように思えてくる。しかし、その瞳は生きているときとは明らかに違っている。瞳は、死んだ魚のように周りの光を取り込むだけで、人形のように不自然な輝きを放っていた。
これが、たった今まで命を持って動いていたのだ。何となく現実味のない感覚に、男の体にそっと触れてみる。
「…あたたかい。」
人肌のあたたかさ。肌のやわらかさ。『人間』の体なのだと、そう認識した瞬間に涙がこぼれ落ちた。
「罪人のために泣いてやるのか。」
尾形の声が後ろから聞こえた。
「……分かったんです。」
私が奪ったのは、彼らがこの先見るもの、触れるもの、美しいと感じるもの、そういう人生で感じる全てのものを奪ったのだ。確かに罪人だった。女たちに酷いことをしたんだろう。だが、その先にある彼らが『受けるべき』受難も祝福も全てさくらが奪ったのだ。この人を殺した私が…。どれほど重大なことをしでかしたのか、男のあたたかさに触れて確認したのだ。
しかし、もしこの遺体が杉元だったなら…?想像するだけで、息が詰まった。
「もし、この遺体が杉元さんやアシリパさんだったら、私は殺した人間を殺します。もし、この男に家族がいるなら……私も同じように殺されるのでしょう。」
命を奪うとは、こういうことなのだ。自身の命を差し出したところで、同等とは言えない。代わりなどきかない。ただ、恨みだけが残っていく。
「それでも、守るものがある。だから、私は逃げません。杉元さんも、きっと同じように私たちを守ってくれているから。私も逃げません。」
杉元の拳は、刃は、いつも後ろにいるさくらやアシリパを守るために振るわれていた。自身が盾になって、いつも汚れ役を買って出ていたのが杉元なのだ。
「…お前はまだ綺麗なままなのか。」
尾形がぽつりとこぼした。その声はかすかで、さくらの元には届かなかった。
その後、村の女たちと共に死体の埋葬を行った。大勢を移動させたり、穴を掘ったりと力仕事であったが、牛山の無尽蔵な体力のおかげで順調に進んでいった。さくらは尾形と共に皆が集まる場所へ足を運んだ。すでに多くの者が埋葬へとかり出されていた。穴掘りをしている牛山と杉元のもとへと向かうと、丁度一人の男を埋めているところであった。先ほどの戦闘では見かけなかったように思う。
「この方は…?」
問いかけると杉元が鍬を動かしていた手を止めてこちらを見た。
「あの熊岸長庵だ。アイヌになりすましてコタンに潜伏していた。あいにく、見分け方は聞けずじまいさ。」
「そうだったのですね…。残念ですが他の方法を探さなければなりませんね。」
これで刺青人皮の見分けは容易ではなくなった。…振り出しに戻ったということか。さくらは近くにあった余っている鍬を手に、二人の近くで穴を掘り始めた。尾形は死体を引きずりながら移動させている。杉元も作業を再開した。しばらくそれぞれが作業に移り、口数も少なくなっていく。穴を掘っては死体を埋め、土をかぶせ…と、幾度となく繰り返すうちに汗がしたたり落ちてくる。もう十以上の埋葬をしている。さすがに体力もわずかになってくる。鍬を動かす手が鈍ってきたことに杉元も気がついたのか、こちらに心配そうな表情を向けた。
「…さくらさん、少し休憩してなよ。もう少しで終わるから。」
「いえ、皆さんも作業していますし、私もあと少しなら頑張れます。」
にこり、とさくらは愛想笑いを浮かべながら額の汗をぬぐった。杉元はなお言い募ろうとしたが、次から次へと死体が運ばれ、その機会を失ってしまった。
作業が終われば、村の女たちから食事をごちそうになった。疲れた体にクトゥマという団子とそれに甘塩っぱい筋子のたれが染み渡る。男たちも美味しそうにほうばり、女たちも穏やかな笑顔に包まれた。ひとしきり、ご馳走になった後、一行はすぐに旅支度を調えた。家の外には村長と名乗っていた詐欺師の鈴木聖弘が縄につながれていた。杉元、牛山、尾形に囲まれおびえたような顔を浮かべている。そこで初めに口を開いたのは尾形だった。
「面倒だ……殺して皮を剥いでいこうぜ。」
旅に人数が多いほど、人目につきやすく、跡をたどられやすい。それに、私たちを殺そうとした男だ。内心、さくらも尾形の言うことには一理あるとは思った。しかし、そんな容易に殺しても良いものか…。
「写しをするのはどうですか?村の人に軍につきだしてもらえば」
そう言うも、尾形はそれを否定した。
「軍へ行って、こいつが俺たちのことを喋ったらおわりだ。口封じが必要だ。」
無慈悲な尾形の返答にアシリパが、じとり、と尾形を見据えた。
「無抵抗の人間まで殺すのか?」
アシリパの言葉に一同沈黙が訪れた。その沈黙を破るかのように、足下の鈴木が口を開いた。
「網走から脱獄した他の囚人の情報がある!!」
我が身かわいさに命乞いをする姿は必死だ。それに杉元は感情のこもらない瞳で、鈴木を見下ろした。戦いの前の冷めた表情に、どちらに転ぶのかアシリパもさくらも固唾をのんで窺った。隣では尾形が、馬鹿にしたように小さく笑った。
「どうだかな。お前、詐欺師だろう?時間稼ぎの嘘かもよ。」
杉元は鈴木の前に、座りこんで、その頭に体重をのせるように手のひらをのせた。冷めた目は変わらずで、鈴木ににらみをきかせた。
「嘘なら舌を引っこ抜いてやるさ。閻魔様か俺がやるかの違いだろ?」
杉元は鈴木を立ち上がらせて、皆に顔を向けた。
「先を急いでいるから鈴木聖弘は連れて行く。土方歳三たちと合流してからこいつの処遇を相談しよう。」
みな異論は無い様子で、頷いた。
「チンポセンセイ」
アシリパからかと思いきや、村の女たちの視線が熱く注がれている。牛山もそれに気がついたのか、そちらを見やった。
「嬢ちゃん、こりゃどういう……」
牛山の怪訝そうな表情にアシリパが答えた。
「ここの村は男がいなくなったからずっとコタンにいろと言ってる。」
女たちは口々に牛山の名前を呼んでいる。
「チンポ先生大人気だ。熊に勝つし、強い子供が出来ると言っている。」
……熊に勝った?思いもよらぬ言葉にさくらは内心驚きをかくせずにいた。先の戦いでまさか…。熊のオリを見ると、大破しており、もしかして牛山はあの大きな熊を倒したということだろうか。牛山の方は、女たちの意図をくみ取り、村の方へと足を進めようとしている。それを杉元となぜか鈴木で制止して、旅の方向へと引きずった。
「子種だけ置いていけないだろうか。」
なおも諦められない様子の牛山に杉元が言った。
「弱みにつけ込むのはよくないぞ牛山。責任取れるのか?」
杉元の言い分はもっともだ。欲に任せて、望みを聞いたところで、この村の本当の意味での助けになるわけでは無い。さくらも深く頷いた。しかし、アシリパは杉元の言葉に反論した。
「弱くなんか無い。アイヌの女だってしたたかなんだ。」
アシリパはそう言って、女たちの方を振り返った。
「このコタンは必ず生き返る。」
その言葉にさくらと杉元も女たちを見やった。力強い瞳で、先を見据える女たちの表情には一切の曇りが無い。アシリパは誰よりも早く、女たちの生きる力を見抜いていたのだ。聡明な少女に、頭が下がる思いだ。
「さあ、先を急ごう。白石もきっと杉元に会いたくて寂しがっている。」
アシリパの声で、一行は旅路へと進んでいった。