白銀の世界で
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檻の中には隙間も無いくらい大きくなった熊が閉じ込められていた。一行がその様子に驚いていると、男は「小熊が育つのが早くて、大きいオリを作っているところだ」と説明してくれた。その男は、「エクロク」と名乗った。村長の息子だそうで、家まで案内してくれた。入室の仕方に、アイヌの手順があり、杉元が代表して行ってくれる。家の者が顔を出して、家の中を掃除し始める間は、外で待機することになった。各々、時間をつぶしており、尾形に至っては飛んでいる蝶を追いかけはじめた。……今までとのギャップに目を見張るも、さくらは特に何もいうでもなく、村の様子を窺った。やはり人手がすくない。これほど活気の無い村も珍しい。
中の準備が出来、家の中へと案内された。中には村長らしき男と、そしてエクロクとその妻、出迎えてくれたエクロクの弟が一人いた。先頭の杉元、アシリパ、牛山、さくら、尾形の順で奥に入っていった。そして、みなで囲炉裏に輪になって座る。
村長が口の前で手のひらを動かし、「イランカラプテ」と挨拶をした。杉元に「真似して」と促され、それにならって、牛山やさくらも返そうとした。
「ムシオンカミ」
そのとき、アシリパが突然村長を指さし、こう言った。聞いたことの無い言葉に、場の空気が一瞬凍った。そして、エクロクの妻だけがこらえきれず噴き出した。一体なんと言ったのか。アシリパに聞こうにも表情が硬い。次に杉元に顔を向けるも、杉元も困惑したような表情だ。エクロクが話をし始めるも、アシリパは突然、用を足しに退室してしまうし、さくらにも他のものにも理解できない行動であった。いつものアシリパならば、どのコタンでも礼儀正しく、時には猟を手伝ったり優しい子なのだ。しかし、今回に限ってはまるで違う。彼女にだけわかる異変があるということなのだろうか…?
杉元も困惑したような表情で、エクロクたちに謝罪する。
「すみませんね、普段は礼儀ただしいんだけど……他の家ではこういった場で挨拶の邪魔なんてしなかったし頭の鉢巻きとかも取ってちゃんとしてたのに…どうしたんだろうな。」
「気にしてない、子供のやることだから。」
とエクロクはフォローをいれてくれる。そして、弟の肩をたたきながら、言葉を続けた。
「うちの便所はわかりにくい場所にある。迷ってないかちょっとみてこい。」
そう言われ、男が腰を上げた。さくらは反射的に男に声をかけた。
「…私もご一緒します。」
このおかしな村でアシリパに何かあっては、と思ってのことだった。しかし、エクロクに「俺の弟だ、心配ない。」と短く制された。そう言われれば、ついていくことも憚られ、腰を下ろした。何となく落ち着かない心地がして、家の外に意識を向けてしまう。出て行った男の気配を追いながらも、足音が聞こえなくなってしまえば、どこに行ってしまったのか分からず、結局はエクロクの言葉を信じるより他に無かった。
「ムシオンカミってどういう意味だ?」
男が出て行ってしまうと、今度は尾形が質問をした。しかし、男たちは口を閉ざしたままだ。
「…おや?もしかして分からんのか?」
そう言う尾形の目は食い入るように男たちを見つめている。まるで何もかも暴き出してやろう、というように。…尾形も何かおかしいと感じているらしい。何と答えるのだろう、と男たちに目を向けると、エクロクが答えた。
「ムシオンカミはちょっと聞いたことが無い。さっきの娘はこの辺のコタンの子か?アイヌにも方言はある。」
それに杉元が同調するように言った。
「うんうん、確かに!ギョウジャニンニクだけでも「プクサ」とか「フラルイキナ」とか違う呼び方があるからね。一体何を疑っているんだ尾形!この人たちに失礼なまねは許さんぞ。」
「……こいつら本当にアイヌか?」
アイヌに助けられてきた杉元にとって、彼らを疑うことなど微塵も考えられないと言った様子だ。こういうまっすぐなところは良い面でもあるが、今回に至っては本当に信じて良いものだろうか。さくらは内心疑問を感じていた。それよりも、用心深い尾形のほうが、よほど現状を冷静に見ようとしているのではないか。二人の掛け合いを聞きながら、さくらはそっと、懐の拳銃を確かめた。そのとき、尾形の視線がふいにこちらに向けられた。その表情を窺うも、なんの感情もよみとれない瞳とかち合っただけであった。
「ウンカオピウキヤン!!」
家の外から突然女が現れ、叫んだ。それを後から追ってきた男が口を隠して家の中へと戻していった。鬼気迫るような口調にただごとでない、と感じられる。
「いまのご婦人はなんと?」
牛山も疑問に思ったようで、男たちに尋ねる。しかし、エクロクは困ったように説明を始めた。
「知らない方がいい。和人をよく思わない者もいる。でも我々は歓迎するよ…今夜は酒でも飲んで」
場を納めようとするエクロクの隣で妻が同じ言葉を発した。エクロクは厳しい顔をして妻を家から追い出す。あいにくアイヌ語が分かるアシリパは戻ってこない。なんと言ったか誰にも分からないのだ。
「なにか奥さんの気に障ったかな?失礼があったらすまない。」
申し訳なさそうに謝る杉元を尻目に「やはり様子がおかしいぞ。」と空気も読まずに尾形が言い募る。ある意味、こういう場でそこまで言い切れる尾形がすごいとは思う。ただ、この人物たちがこちらに危害を加えようとしているならば、火に油を注いでいるのでは無いか、と気が気でない。
杉元は尾形があまりにも用心深いため、家にあった「キサラリ」と呼ばれる棒を使って、彼らがアイヌかを試そうと言い始めた。さくらもコタンで見たことがある気はするものの、使い方まではよく知らない。なぜか杉元は牛山にキサラリを手渡し、牛山から使い方を考えることになった。牛山は孫の手のように背中を掻いて見せるも杉元が厳しく「全然違う!」と審判を下した。次にさくらにも手渡され、苦肉の策で、肉をたたいて軟らかくするのでは、と実演してみるも、杉元には渋い顔をされた。自分でもなにをさせられているのか、と思ったが口にはださない。そして、ようやく村長に回ると、椅子代わりに使い始めた。それに、杉元は「なるほど」とつぶやく。初めてみる使い方だったらしい。一連の流れに尾形は大きくため息をついた。
「もういい、よこせ。俺が正しい使い方を当ててやる。」
にこり、と笑いながら杉元からキサラリを受け取った尾形は、そのままの勢いで村長の足に振りかぶった。
「痛あ!!」
痛みに叫んだ村長をみて、尾形が冷静に「この使い方だ正しかったようだな。」と髪を掻き上げながら得意げに言った。
「本当にアイヌなら痛いときとっさに日本語が出るもんかね。」
尾形は痛みにうずくまる村長を見下ろして言った。尾形の言うことには一理ある。いくら日本語ができるといっても、とっさの時は自身の国の言葉が出るものだ。それに、村長は息子に話をさせずに自ら会話をすればいいのだ。しかし、隠すかのように村長は沈黙を貫いていた。時がたつごとに疑念が大きくなっていく。しかし、杉元は村長をかばいながら、語気が荒げた。
「日本語を話せるアイヌなんて珍しくもなんともない!なんてことするんだ尾形!そもそもこの人たちがアイヌのふりをしてなんの得があるっていうんだ!?いい加減にしろ、尾形!!」
「そうだな、俺もぜひともそこが知りたいね。丁度戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった。」
帰ってきた弟のほかに、家に戻ってきた者はいない。さくらが、「あの、アシリパさんは…?」と問うと、エクロクが答えた。
「弟が言うにはあの娘は近所の女性に刺繍を教わって夢中になっているそうだ。」
「刺繍……ですか。」
あのアシリパが刺繍を好むだろうか?家に居るよりも山で猟をしているのが性に合っているあの子が。
さくらが疑問に思っていると、その横から杉元が勢いよく飛び出していった。そして、キサラリで思い切り弟の顔面を殴りつけた。
「アシリパさんが刺繍に夢中だあ?てめえ、あの子をどこへやった?」
「あ?なんだその足?」
牛山は倒れ込んだ弟を指さした。見ると、足首から刺青が見えている。見るからに和彫りの刺青だ。尾形もそれに同調した。
「そうそう、さっきも出て行く時に、ちらっと足首に見えた気がしたんだよな。その「くりからもんもん」が。やくざがアイヌのふりか。」
怒り心頭の杉元に、殴られた男はマキリを取り出した。それを見るや、尾形は自身の武器を手にし、牛山も懐の拳銃に手を忍ばせた。さくらもおなじく、小型拳銃を手にした。
「俺の一声で外にいる仲間があのガキの喉を掻ききるぜ、お前ら武器を捨てろ!」
「一声だせるもんなら出してみろっ!」
男が刃物を取り出したのと、杉元が男の口にキサラリを突き刺して首をねじ切るのは、ほぼ同時だった。鈍い音をさせて首があらぬ方へ曲がったまま。床に倒れた。その背後でエクロクが杉元の銃へ手を伸ばした。
「杉元さん!!」
さくらがとっさに呼びかけると、尾形が間髪入れずエクロクの背中に銃弾を撃ち込んだ。
「エクロク助さん。アイヌ語で命乞いはどう言うんだ?」
言いよどむエクロクは、牛山に足首を掴まれ、外から矢を射る者の盾とされ、家の外に放り出された。尾形から銃を受け取った杉元がこちらを見た。
「さくらさん、ここで尾形と一緒にいて。こいつのそばなら敵は寄ってこないから。」
さくらは杉元の言葉に頷いた。狙撃手の尾形のそばにいれば、多くの敵はこの家に近づけないだろう。……怒りに震えながらも、さくらの身を案じてくれる。
「分かりました…。」
しかし、今やそれを純粋に嬉しいとは思えない。こんなときでも守らねばならない存在であるのだと痛感させられただけだ。杉元と同じく牛山も家から出て、加勢しに行く。残ったのは尾形とさくらだけだ。
尾形はすでに窓辺に陣取って狙いを定めている。さくらは、その隣に近づき、外の様子を窺った。
「丁度いい練習になるぜ。」
尾形がこちらに視線をよこして言った。外には杉元たちを狙う者やこちらの様子を窺う者も居る。
「援護してやるから、近いやつから狙ってみろ。」
そう言われ、さくらは握っていた拳銃を構えた。窓枠に手を置けば、安定する。そして、銃口を外の男たちに向けた。引き金を引けば、人を殺してしまう。引き金に手をかけたまま、動けないさくらを尻目に尾形は男たちが頭を出した瞬間をねらって引き金を引いていく。命中したところから男たちの悲鳴と血だまりが増えていく。
「覚悟をきめろ。」
尾形の声が低く響いた。
……私もやるのだ。
杉元を背後から狙う男がゆっくりと杉元に近づいていく。
「撃たねえと杉元が死ぬぞ。」
息が上がってくる、本当に撃つのか?まだ心でそう叫ぶ声がする。しかし、撃たねば杉元が傷つく。
「…私が……助けなくちゃ」
意を決したさくらの表情を見て、尾形がにやり、と笑った。
「そうだ、お前が杉元を救うんだ。」
さくらは自身の拳銃の引き金をひいた。その弾丸は男の背中へと命中した。男はそのまま地面へと体を沈めた。
殺してしまった
とたんに、胃の中がせり上がってくる感覚に口元を押さえた。吐瀉物が手の隙間から流れ出る。不快感に何度かえずくと、目線は外に向けたまま、尾形の手がさくらの頭を優しく撫でた。
「よくやった。お前がやらねば、杉元は死んでいた。お前は杉元を救ったんだ。」
「……私が…」
「そうだ。お前が仲間を救ったんだ。」
「私が…救った…」
尾形の言葉にすがるように、何度も反芻した。それは罪悪感を少しでも薄めるために必要な行為だった。これが正義で無ければ、さくらの中に出来てしまった重荷を背負い切れないからだ。人は簡単に死ぬ。今までの旅の中で嫌と言うほど見てきたではないか。それを、自身の手で行っただけ。必要な死であったのだ。そう思わねば、その重荷に押しつぶされそうになる。……たった一人、命を奪ったさくらでさえこうなのだ。戦いに身を投じる杉元たちにとって、如何ばかりのものか。今まで安易に「杉元の重荷を取り除いてやりたい。」と思っていた。それが、どれだけ浅はかであったかを、思い知ったのだ。…こんなもの、代わりになってやることなどできるはずない。人を手にかけた者だけが知る苦しさを知った今になって、改めて自身の恥を知った。
「まだ来るぞ。」
尾形の声に、口元をぬぐって、位置についた。尾形は銃を下ろしていた。それを見て弾切れだと思ったのか、二人の男がこちらに近づいてくる。尾形は銃を構えない。二人ともやれ、ということを暗に訴えていた。さくらは男たちの胴体めがけて銃を撃ち込んだ。先ほどとは違い、正面から男たちの苦しげな表情が見えた。
「なかなか腕がいいぜ。」
小さく笑った尾形が瞬時に銃を取り出して、その男たちの脳天に弾丸を撃ち込み、即死させた。
中の準備が出来、家の中へと案内された。中には村長らしき男と、そしてエクロクとその妻、出迎えてくれたエクロクの弟が一人いた。先頭の杉元、アシリパ、牛山、さくら、尾形の順で奥に入っていった。そして、みなで囲炉裏に輪になって座る。
村長が口の前で手のひらを動かし、「イランカラプテ」と挨拶をした。杉元に「真似して」と促され、それにならって、牛山やさくらも返そうとした。
「ムシオンカミ」
そのとき、アシリパが突然村長を指さし、こう言った。聞いたことの無い言葉に、場の空気が一瞬凍った。そして、エクロクの妻だけがこらえきれず噴き出した。一体なんと言ったのか。アシリパに聞こうにも表情が硬い。次に杉元に顔を向けるも、杉元も困惑したような表情だ。エクロクが話をし始めるも、アシリパは突然、用を足しに退室してしまうし、さくらにも他のものにも理解できない行動であった。いつものアシリパならば、どのコタンでも礼儀正しく、時には猟を手伝ったり優しい子なのだ。しかし、今回に限ってはまるで違う。彼女にだけわかる異変があるということなのだろうか…?
杉元も困惑したような表情で、エクロクたちに謝罪する。
「すみませんね、普段は礼儀ただしいんだけど……他の家ではこういった場で挨拶の邪魔なんてしなかったし頭の鉢巻きとかも取ってちゃんとしてたのに…どうしたんだろうな。」
「気にしてない、子供のやることだから。」
とエクロクはフォローをいれてくれる。そして、弟の肩をたたきながら、言葉を続けた。
「うちの便所はわかりにくい場所にある。迷ってないかちょっとみてこい。」
そう言われ、男が腰を上げた。さくらは反射的に男に声をかけた。
「…私もご一緒します。」
このおかしな村でアシリパに何かあっては、と思ってのことだった。しかし、エクロクに「俺の弟だ、心配ない。」と短く制された。そう言われれば、ついていくことも憚られ、腰を下ろした。何となく落ち着かない心地がして、家の外に意識を向けてしまう。出て行った男の気配を追いながらも、足音が聞こえなくなってしまえば、どこに行ってしまったのか分からず、結局はエクロクの言葉を信じるより他に無かった。
「ムシオンカミってどういう意味だ?」
男が出て行ってしまうと、今度は尾形が質問をした。しかし、男たちは口を閉ざしたままだ。
「…おや?もしかして分からんのか?」
そう言う尾形の目は食い入るように男たちを見つめている。まるで何もかも暴き出してやろう、というように。…尾形も何かおかしいと感じているらしい。何と答えるのだろう、と男たちに目を向けると、エクロクが答えた。
「ムシオンカミはちょっと聞いたことが無い。さっきの娘はこの辺のコタンの子か?アイヌにも方言はある。」
それに杉元が同調するように言った。
「うんうん、確かに!ギョウジャニンニクだけでも「プクサ」とか「フラルイキナ」とか違う呼び方があるからね。一体何を疑っているんだ尾形!この人たちに失礼なまねは許さんぞ。」
「……こいつら本当にアイヌか?」
アイヌに助けられてきた杉元にとって、彼らを疑うことなど微塵も考えられないと言った様子だ。こういうまっすぐなところは良い面でもあるが、今回に至っては本当に信じて良いものだろうか。さくらは内心疑問を感じていた。それよりも、用心深い尾形のほうが、よほど現状を冷静に見ようとしているのではないか。二人の掛け合いを聞きながら、さくらはそっと、懐の拳銃を確かめた。そのとき、尾形の視線がふいにこちらに向けられた。その表情を窺うも、なんの感情もよみとれない瞳とかち合っただけであった。
「ウンカオピウキヤン!!」
家の外から突然女が現れ、叫んだ。それを後から追ってきた男が口を隠して家の中へと戻していった。鬼気迫るような口調にただごとでない、と感じられる。
「いまのご婦人はなんと?」
牛山も疑問に思ったようで、男たちに尋ねる。しかし、エクロクは困ったように説明を始めた。
「知らない方がいい。和人をよく思わない者もいる。でも我々は歓迎するよ…今夜は酒でも飲んで」
場を納めようとするエクロクの隣で妻が同じ言葉を発した。エクロクは厳しい顔をして妻を家から追い出す。あいにくアイヌ語が分かるアシリパは戻ってこない。なんと言ったか誰にも分からないのだ。
「なにか奥さんの気に障ったかな?失礼があったらすまない。」
申し訳なさそうに謝る杉元を尻目に「やはり様子がおかしいぞ。」と空気も読まずに尾形が言い募る。ある意味、こういう場でそこまで言い切れる尾形がすごいとは思う。ただ、この人物たちがこちらに危害を加えようとしているならば、火に油を注いでいるのでは無いか、と気が気でない。
杉元は尾形があまりにも用心深いため、家にあった「キサラリ」と呼ばれる棒を使って、彼らがアイヌかを試そうと言い始めた。さくらもコタンで見たことがある気はするものの、使い方まではよく知らない。なぜか杉元は牛山にキサラリを手渡し、牛山から使い方を考えることになった。牛山は孫の手のように背中を掻いて見せるも杉元が厳しく「全然違う!」と審判を下した。次にさくらにも手渡され、苦肉の策で、肉をたたいて軟らかくするのでは、と実演してみるも、杉元には渋い顔をされた。自分でもなにをさせられているのか、と思ったが口にはださない。そして、ようやく村長に回ると、椅子代わりに使い始めた。それに、杉元は「なるほど」とつぶやく。初めてみる使い方だったらしい。一連の流れに尾形は大きくため息をついた。
「もういい、よこせ。俺が正しい使い方を当ててやる。」
にこり、と笑いながら杉元からキサラリを受け取った尾形は、そのままの勢いで村長の足に振りかぶった。
「痛あ!!」
痛みに叫んだ村長をみて、尾形が冷静に「この使い方だ正しかったようだな。」と髪を掻き上げながら得意げに言った。
「本当にアイヌなら痛いときとっさに日本語が出るもんかね。」
尾形は痛みにうずくまる村長を見下ろして言った。尾形の言うことには一理ある。いくら日本語ができるといっても、とっさの時は自身の国の言葉が出るものだ。それに、村長は息子に話をさせずに自ら会話をすればいいのだ。しかし、隠すかのように村長は沈黙を貫いていた。時がたつごとに疑念が大きくなっていく。しかし、杉元は村長をかばいながら、語気が荒げた。
「日本語を話せるアイヌなんて珍しくもなんともない!なんてことするんだ尾形!そもそもこの人たちがアイヌのふりをしてなんの得があるっていうんだ!?いい加減にしろ、尾形!!」
「そうだな、俺もぜひともそこが知りたいね。丁度戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった。」
帰ってきた弟のほかに、家に戻ってきた者はいない。さくらが、「あの、アシリパさんは…?」と問うと、エクロクが答えた。
「弟が言うにはあの娘は近所の女性に刺繍を教わって夢中になっているそうだ。」
「刺繍……ですか。」
あのアシリパが刺繍を好むだろうか?家に居るよりも山で猟をしているのが性に合っているあの子が。
さくらが疑問に思っていると、その横から杉元が勢いよく飛び出していった。そして、キサラリで思い切り弟の顔面を殴りつけた。
「アシリパさんが刺繍に夢中だあ?てめえ、あの子をどこへやった?」
「あ?なんだその足?」
牛山は倒れ込んだ弟を指さした。見ると、足首から刺青が見えている。見るからに和彫りの刺青だ。尾形もそれに同調した。
「そうそう、さっきも出て行く時に、ちらっと足首に見えた気がしたんだよな。その「くりからもんもん」が。やくざがアイヌのふりか。」
怒り心頭の杉元に、殴られた男はマキリを取り出した。それを見るや、尾形は自身の武器を手にし、牛山も懐の拳銃に手を忍ばせた。さくらもおなじく、小型拳銃を手にした。
「俺の一声で外にいる仲間があのガキの喉を掻ききるぜ、お前ら武器を捨てろ!」
「一声だせるもんなら出してみろっ!」
男が刃物を取り出したのと、杉元が男の口にキサラリを突き刺して首をねじ切るのは、ほぼ同時だった。鈍い音をさせて首があらぬ方へ曲がったまま。床に倒れた。その背後でエクロクが杉元の銃へ手を伸ばした。
「杉元さん!!」
さくらがとっさに呼びかけると、尾形が間髪入れずエクロクの背中に銃弾を撃ち込んだ。
「エクロク助さん。アイヌ語で命乞いはどう言うんだ?」
言いよどむエクロクは、牛山に足首を掴まれ、外から矢を射る者の盾とされ、家の外に放り出された。尾形から銃を受け取った杉元がこちらを見た。
「さくらさん、ここで尾形と一緒にいて。こいつのそばなら敵は寄ってこないから。」
さくらは杉元の言葉に頷いた。狙撃手の尾形のそばにいれば、多くの敵はこの家に近づけないだろう。……怒りに震えながらも、さくらの身を案じてくれる。
「分かりました…。」
しかし、今やそれを純粋に嬉しいとは思えない。こんなときでも守らねばならない存在であるのだと痛感させられただけだ。杉元と同じく牛山も家から出て、加勢しに行く。残ったのは尾形とさくらだけだ。
尾形はすでに窓辺に陣取って狙いを定めている。さくらは、その隣に近づき、外の様子を窺った。
「丁度いい練習になるぜ。」
尾形がこちらに視線をよこして言った。外には杉元たちを狙う者やこちらの様子を窺う者も居る。
「援護してやるから、近いやつから狙ってみろ。」
そう言われ、さくらは握っていた拳銃を構えた。窓枠に手を置けば、安定する。そして、銃口を外の男たちに向けた。引き金を引けば、人を殺してしまう。引き金に手をかけたまま、動けないさくらを尻目に尾形は男たちが頭を出した瞬間をねらって引き金を引いていく。命中したところから男たちの悲鳴と血だまりが増えていく。
「覚悟をきめろ。」
尾形の声が低く響いた。
……私もやるのだ。
杉元を背後から狙う男がゆっくりと杉元に近づいていく。
「撃たねえと杉元が死ぬぞ。」
息が上がってくる、本当に撃つのか?まだ心でそう叫ぶ声がする。しかし、撃たねば杉元が傷つく。
「…私が……助けなくちゃ」
意を決したさくらの表情を見て、尾形がにやり、と笑った。
「そうだ、お前が杉元を救うんだ。」
さくらは自身の拳銃の引き金をひいた。その弾丸は男の背中へと命中した。男はそのまま地面へと体を沈めた。
殺してしまった
とたんに、胃の中がせり上がってくる感覚に口元を押さえた。吐瀉物が手の隙間から流れ出る。不快感に何度かえずくと、目線は外に向けたまま、尾形の手がさくらの頭を優しく撫でた。
「よくやった。お前がやらねば、杉元は死んでいた。お前は杉元を救ったんだ。」
「……私が…」
「そうだ。お前が仲間を救ったんだ。」
「私が…救った…」
尾形の言葉にすがるように、何度も反芻した。それは罪悪感を少しでも薄めるために必要な行為だった。これが正義で無ければ、さくらの中に出来てしまった重荷を背負い切れないからだ。人は簡単に死ぬ。今までの旅の中で嫌と言うほど見てきたではないか。それを、自身の手で行っただけ。必要な死であったのだ。そう思わねば、その重荷に押しつぶされそうになる。……たった一人、命を奪ったさくらでさえこうなのだ。戦いに身を投じる杉元たちにとって、如何ばかりのものか。今まで安易に「杉元の重荷を取り除いてやりたい。」と思っていた。それが、どれだけ浅はかであったかを、思い知ったのだ。…こんなもの、代わりになってやることなどできるはずない。人を手にかけた者だけが知る苦しさを知った今になって、改めて自身の恥を知った。
「まだ来るぞ。」
尾形の声に、口元をぬぐって、位置についた。尾形は銃を下ろしていた。それを見て弾切れだと思ったのか、二人の男がこちらに近づいてくる。尾形は銃を構えない。二人ともやれ、ということを暗に訴えていた。さくらは男たちの胴体めがけて銃を撃ち込んだ。先ほどとは違い、正面から男たちの苦しげな表情が見えた。
「なかなか腕がいいぜ。」
小さく笑った尾形が瞬時に銃を取り出して、その男たちの脳天に弾丸を撃ち込み、即死させた。