白銀の世界で
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扉から現れた初老の男に、杉元も見覚えがあったらしい。
「じいさん…あんた、見覚えがあるような…どこかで会ったかな?」
さくらがこの男と会ったのは蕎麦屋での一件以来だったように思う。しかし、杉元も顔見知りかもしれないということは、別の機会にも顔を合わせたことがあっただろうか。同じく首をかしげていると、白石が焦ったように言葉を継いだ。
「いや……!!会ったことがあるわけがねえ。こいつは…土方歳三だぞ。」
その言葉に、杉元が自身の鉄砲を肩から外した。それと同時に周囲に緊張が走る。少しでも動けば、弾が飛んできそうな状況で、その男は余裕そうに白石へと話しかけた。
「久しぶりだな。白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」
軽口をたたく土方に対し、白石は額から汗を流していた。土方に視線を向けている杉元はその様子に気づく気配は無い。
ふと、さくらはこの状況に既視感を感じた。一度、同じような事があったような気がするのだ。白石の様子と、新撰組副長との関わり…。『新撰組』…その話をした老人は……。さっとさくらは今一度、土方の顔を見つめた。あのニシン場で、かなり雰囲気は違うが、声をかけてきた老人。
「まさか、あなた…」
さくらが何か言う前に、白石がまたしても口を挟んだ。
「さくらちゃんには話してなかったかもね。あの大戦の後、土方歳三はのっぺらぼうや俺たちと同じく、網走監獄に収監されていたんだ。」
いつものおどけた様子で話す白石だが、明らかに目は泳いでいた。ここで白石を問い詰めることは出来ないではないだろう。しかし、今の状況で、それは得策とは思えなかった。内通していたにしてもこれからの計画に白石は必要不可欠なのだ…。いらぬ不信を皆に持たせても不利益しか生じないだろう。さくらは、「…あの有名な土方さんにお会いできるとは思いませんでした。」と適当に話をつなげてやった。
「あんたに会ったら聞きたい事があった。」
杉元は土方が攻撃しないと分かると、話をする姿勢へと変わった。
「のっぺらぼうは土方歳三だけに伝えた情報があるはずだ。あんたをある程度信用しているのか、大きな目的が一致しているのか。アイヌに武器を持たせて独立戦争を持ちかけられたか?のっぺらぼうは本当にアイヌかな?」
「ほう…そこまでたどり着いていたか。」
「のっぺらぼうを出し抜こうって魂胆かい?アイヌの埋蔵金でもう一度、蝦夷王国でも作るのか?土方歳三さん。」
杉元の挑発に土方は一切顔色を変えなかった。さすが歴戦の将だ。冷静に状況を把握し、無駄の無い一手を打つ。鬼の副長としておそれられた男にとって不死身の杉元など取るに足らぬ存在なのだ、と暗に示しているようだった。
「私の父は……!!」
沈黙に耐えかねてアシリパが土方に詰め寄った。
その続きはきっと、土方ならば答えられたはずだ。アシリパが問うたのはおそらく『私の父は、のっぺらぼうなのか?』同じ獄中にいた土方であれば手がかりを、いや、答えを知ってる。そう考えての問いであったにもかかわらず、土方はまるでアシリパの言葉を遮るように自身の得物に手をかけた。
「手を組むか、この場で殺し合うか、選べ。」
一気に場の空気が再び緊張で包まれる。意図的に、そのような空気を作った土方にさくらは違和感を感じた。
アシリパとのっぺらぼうのつながりを知らせたくない人物がいる。
ふと、視線を感じると炭鉱で再会したあの兵士がこちらをじっと見つめていた。…ああ、そうか。土方歳三は、この男を信用していない。鶴見との関わりをまだ、疑っている。男のほの暗い瞳に、鶴見と同じく沼の底のような闇を感じる。引き込まれそうな感覚から逃れるように、その視線から顔を背けた。
一触即発の場面で、新たな人物が加わった。あの永倉新八だ。永倉が杉元一行に手を引くよう諭した。しかし、杉元は、その提案をはねつけた。
「のっぺらぼうに会いに行って確かめたいことがある。それまでは金塊が見つかってもらっちゃ困る。」
アシリパのための旅だ。そう言ったも同然だった。アシリパにとっては、これほど心強い言葉はないだろう。金で釣られた男たちと、志でつながる仲間とでは、背中を預けることができるのは後者だ。杉元は、ここではっきりと自身と立場を明確にしたのだ。それと同時に、苫小牧競馬場での白石に、金だけでは動かない、と明らかにしたということでもあった。
どこかから現れた家永が、食事の準備をするといって、家の奥へと消えていった。いつもならば食事の支度を一緒にするさくらも、自身も材料にされるのでは、と怖くて同じ厨房には入ることが出来なかった。ぐつぐつと大鍋で作られた鍋は、味噌のいい香りをさせている。一見するともつ鍋だが、白石は用心深く肉を眺めている。
「おい、家永。この肉…大丈夫なやつだろうな?」
「ご安心ください。なんこ鍋は馬の腸を使ったもつ煮です。馬のものを使っています。」
いい笑顔で答える家永に、一同は安心して鍋に手をつけ始めた。赤味噌がモツに絡んで、酒が進みそうな一品だ。ホテルを経営していただけのことはある。こちらの腕前をいいようだ。
「…あんたら、その顔ぶれでよく手が組めているな。」
杉元の言葉で、さくらも改めて席に着いている者たちを見回した。新撰組の生き残りに刺青の死刑囚、鶴見の元部下の男に、アイヌの少女。そして、現代から来た女…。何もかも、ちぐはぐだ。
「特にそこの鶴見中尉の手下だった男…一度寝返ったやつはまた寝返るぜ。」
杉元の鋭い視線は兵士…尾形の方へ注がれていた。尾形はそれに、心外だ、とでもいうようにあからさまに傷ついたようなポーズを取った。
「杉元…お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ。」
表情からは全く傷ついたような雰囲気は微塵も感じない。さらには、視線を杉元から外して、こちらのほうへ向けた。
「それに…そちらも得体の知れない女を連れてるじゃねえか。鶴見中尉の話では、そこの日向 さくらもどこに通じているか分かったもんじゃない。…日本では見かけないような『珍しい代物』をお持ちだったようで。」
尾形の言葉に土方や永倉がわずかに反応を見せた。どう出るか試されている。だからといって尾形の口車に乗って下手に疑いをかけられたくはなかった。あの言い方ではまるでさくらがどこかの国とでも通じているようではないか。尾形がにやり、と口端を上げた。
「食事中にケンカするのはよしましょう。せっかくの食事がまずくなります。」
素知らぬ顔で食事を続けるさくらに、これ以上反応は窺えないと悟ったのか、尾形はそこで話を切り上げた。
食事が済むと、屋敷で見つけた一枚の刺青人皮の判別について話がのぼった。贋作を見抜ける人物として一人の人物が上げられた。贋札犯として月形の樺戸監獄に収監されている、熊岸長庵という男だ。現在の夕張から北上した場所に位置する。網走へと続く道へ戻るような経路になりそうだ。その人物に会うためにも、いくらか手がかりは持っておいた方がいい。炭鉱で月島の安否を確認する者と、屋敷で手がかりを探す者とで分かれることにした。さくらは杉元、アシリパ、尾形、土方、家永、牛山と共に屋敷の捜索に当たった。
作業場や、めぼしいところを探して回る。さくらは二階へあがり、職人の自室であろう場所へと入った。部屋の中は、生活に必要なベッドなどのものは最低限で、一階と同じく動物の剥製が飾られていた。
「本当にこの仕事が好きだったのね…。」
腕の立つ職人が、なぜ人の道からそれてしまったのか。純粋な探究心が動物から人へと移っていったのか。窓辺にある作業台には、まだ作りかけの製品が残っていた。見慣れた額あてに、革製のベルトを取り付けるところで作業が終わっていた。
…ここにも来ていたのか。この金塊争奪戦に関わる限り、あの男との因縁が断ち切れることは無いのだ。額あてを握る手に自然と力が入る。
一階から窓の割れる音がした。そして慌ただしい足音が聞こえると、尾形が叫ぶ声がした。攻撃されている。鶴見の手が迫ってきている。そう思うと、指先から体温が奪われていくように冷たくなっていった。間近に迫った危険に、気が遠くなる。階段を駆け上がる物音を遠くて聞いているような感覚に陥るが、体に大きな衝撃が来たことで、我に返った。
突っ込むようにしてさくらを地面に押しつけたのは尾形だった。
「ぼーっとしてると撃たれるぜ。」
さくらの反応などお構いなしで、尾形は先ほどまでさくらが立っていた場所に陣取った。格子の隙間から窓を破ると、外に控えている兵士に狙いを定めて銃弾を撃ち込んでいく。外から敵のうめき声が聞こえ、優勢かと思われたが、一階から扉が破られるような音がした。尾形は小さく舌打ちをすると、部屋の入り口近くで銃を構えた。さくらが伏せたままでいると、突然扉が開き、敵の兵士が銃を構えてこちらに銃口を向けた。
殺される。
そう頭で理解しても、体は動かなかった。むしろ、この至近距離で、どうやって銃に対抗すればいいのか。なすすべもなく、さくらは男をみやった。
「女ぁ…?」
男は一瞬呆けたように動きを止めた。その瞬間、尾形が敵兵の腹めがけて銃剣を差し込んだ。はらわたから血を流しながら、男は尾形に殴りかかった。男は銃のグリップの部分で、尾形の顔面めがけて何度も打ち付けた。
「死ね!!コウモリ野郎が!!」
以前は味方であっただろう兵士が鬼のような形相で尾形を罵る。それに対して、尾形は防戦一方だ。手持ちの武器もなく、反撃できるような状態ではない。このままでは、次は自分だ。そう思うと、男が尾形に気を取られている今がチャンスだ。気絶させるだけでもいい。いや、一瞬隙ができるだけでもいい。なんとかこの状態から切り抜けなければ。
さくらは相手に気づかれないよう、床に転がっていた、ちいさな刃物に手を伸ばした。今から、男にこれを突き刺す…。意を決して刃物の柄を握りこんだ。嫌な汗が手のひらをじっとりと湿らせた。息が短くなる。心臓が今にも破裂しそうに、どくどくと波打つ。頭の隅で人を刺す感触を想像すると、手が震えた。どこでもいい、やるのだ。はあはあ、と息を乱すさくらに気づき、男が顔を上げた。
男と目が合った瞬間、体中の血が一気に沸き立つような感覚に陥った。恐怖なのか高揚感なのか自身でも判断をつけられない大きな波がさくらの体を飲み込んだ。
男は小さくうめき声を上げると、床に倒れた。男の背後からは杉元が銃を構え、その銃口からは煙が上がっていた。体を起こした尾形は、さくらを一瞥すると、杉元の方へ視線を戻した。
「……なんだよ、お礼を言って欲しいのか?」
「お前を好きで助けたわけじゃねえよ、コウモリ野郎。俺はさくらさんを助けに来たんだ。」
そう言って、杉元はさくらの方へやってくると、優しく体を持ち上げて、さくらを立ち上がらせた。
「行こう。」
杉元はさくらの肩を抱き、火の手のあまり上がっていないところから脱出をするべく、階段を駆け下りた。尾形に追っ手を引き留める役を任せ、先に杉元、土方と屋敷から飛び出した。幸い、煙が立ちこめ、こちらの存在は気付かれてはいないようだ。土方は二手に分かれ、樺戸監獄で落ち合うことを提案した。
「贋物の判別方法が見つからなければ直接のっぺらぼうに会いに行くしか無いな。」
刺青人皮が使えなくなれば、金塊のありかを知るには当人ののっぺらぼうに聞くしか無い。杉元の言葉に、土方が短く答えた。
「娘になら全てを話すだろう。」
「やはり知っていたのか。あの子が娘だって。俺としちゃわずかばかりの分け前があれば金塊で誰が何しようと知ったこっちゃねえが、アシリパさんは立派にアイヌを生きている。そのアイヌの金塊を奪った者が本当に自分を育てた父親なのか…俺はあの子が真実にたどり着くのを見届けてあげたい。」
少し先で、アシリパ、牛山、家永の姿がみえた。何頭かの馬を引いて待っている。土方は家永が乗っている一頭を引くと、牛山初め、一行に指示を出した。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは先に月形へ向かえ。」
牛山は意外そうな反応を見せたが、土方の指示に従い、アシリパを肩に軽々と乗せた。尾形も遅れて合流する。牛山の肩に乗って満足そうなアシリパは、杉元とさくらの方に目を向けた。いつもより近くで見える分、杉元に肩を支えられているさくらの顔色が悪いようにみえる。
「さくら、お腹痛いのか?」
アシリパの声で、さくらが顔を上げた。ふっと、現実にもどったような反応に、さらに不思議そうな顔をする。
「その包丁、江渡貝のだろう。」
アシリパが指さす先はさくらの手に握られたなめし用の小さな包丁であった。さくらはアシリパに言われて初めて、自身がまだ刃物を持っていることに気がついた。
「…捨ててきますね。」
心配そうなアシリパの顔をみて、すぐに愛想笑いを浮かべた。こんなところで足を引っ張るわけにはいかない。アシリパに笑いかけると、一団から離れた場所へと歩を進めた。
適当な草むらに着くと、投げ捨てようと、手を振った。普通ならば、地面に落ちるはずのものがさくらの指はかたく閉じられ、小刻みに震えていた。
「なんで…。」
アシリパを助けたときもこんな風にはならなかった。あのときは足を撃たれたのにもかかわらず、冷静に行動できていた。しかし、今はどうだ。自身の指一つ満足に動かせないほど体が震えている。こんなことでは、これから先の戦いに皆の負担になるだけだ。さくらは自身の情けなさに、じわりと目に涙を浮かべた。
「さくらさん、」
背中から包み込むようなあたたかさと共に、杉元がさくらの手を握った。
「力入りすぎて取れなくなっちゃったんだね。」
あやすような優しい声と比例して、杉元の大きな手が、さくらの手を包んだ。じんわりと杉元の体温が移っていく。指先にあたたかさが戻り、自然と、手のひらがひらいた。ぽとり、と地面に落ちた刃物に目を移す。すると、杉元が後ろから刃物を蹴り、見えないところへと隠した。
「すみません、お手数をかけました。…前に皮を剥ぐの手伝うなんて大きなこと言って、これじゃあ情けないですね。」
自嘲気味に笑うさくらの表情は、背中を覆うように立っている杉元には見えない。しかし、その華奢な肩が震えているのに気がつくと、後ろから腕を回した。
「さくらさん、人を助けるときは大胆なくせに、自分のことになると弱気なんだから。」
何も言わないさくらに杉元は言葉を続けた。
「俺があんたを助ける。だからさくらさんは俺のこと助けてよ。」
「…私が杉元さんを助けるなんて、そんなこと」
「第七師団から逃げたとき、馬橇から降りようとするのを引き留めてまで、見捨てなかった。他人のことには、いくらでも無茶する人だろ。」
この手が、この胸が、いつもさくらをつなぎ止めてくれる。杉元の大きな手を握り返す。
「さあ、戻ろう。みんな待ってる。」
振り向いて見上げると、こちらを見つめる強い瞳と交わる。いつのまにか手の震えは収まっていた。
「じいさん…あんた、見覚えがあるような…どこかで会ったかな?」
さくらがこの男と会ったのは蕎麦屋での一件以来だったように思う。しかし、杉元も顔見知りかもしれないということは、別の機会にも顔を合わせたことがあっただろうか。同じく首をかしげていると、白石が焦ったように言葉を継いだ。
「いや……!!会ったことがあるわけがねえ。こいつは…土方歳三だぞ。」
その言葉に、杉元が自身の鉄砲を肩から外した。それと同時に周囲に緊張が走る。少しでも動けば、弾が飛んできそうな状況で、その男は余裕そうに白石へと話しかけた。
「久しぶりだな。白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」
軽口をたたく土方に対し、白石は額から汗を流していた。土方に視線を向けている杉元はその様子に気づく気配は無い。
ふと、さくらはこの状況に既視感を感じた。一度、同じような事があったような気がするのだ。白石の様子と、新撰組副長との関わり…。『新撰組』…その話をした老人は……。さっとさくらは今一度、土方の顔を見つめた。あのニシン場で、かなり雰囲気は違うが、声をかけてきた老人。
「まさか、あなた…」
さくらが何か言う前に、白石がまたしても口を挟んだ。
「さくらちゃんには話してなかったかもね。あの大戦の後、土方歳三はのっぺらぼうや俺たちと同じく、網走監獄に収監されていたんだ。」
いつものおどけた様子で話す白石だが、明らかに目は泳いでいた。ここで白石を問い詰めることは出来ないではないだろう。しかし、今の状況で、それは得策とは思えなかった。内通していたにしてもこれからの計画に白石は必要不可欠なのだ…。いらぬ不信を皆に持たせても不利益しか生じないだろう。さくらは、「…あの有名な土方さんにお会いできるとは思いませんでした。」と適当に話をつなげてやった。
「あんたに会ったら聞きたい事があった。」
杉元は土方が攻撃しないと分かると、話をする姿勢へと変わった。
「のっぺらぼうは土方歳三だけに伝えた情報があるはずだ。あんたをある程度信用しているのか、大きな目的が一致しているのか。アイヌに武器を持たせて独立戦争を持ちかけられたか?のっぺらぼうは本当にアイヌかな?」
「ほう…そこまでたどり着いていたか。」
「のっぺらぼうを出し抜こうって魂胆かい?アイヌの埋蔵金でもう一度、蝦夷王国でも作るのか?土方歳三さん。」
杉元の挑発に土方は一切顔色を変えなかった。さすが歴戦の将だ。冷静に状況を把握し、無駄の無い一手を打つ。鬼の副長としておそれられた男にとって不死身の杉元など取るに足らぬ存在なのだ、と暗に示しているようだった。
「私の父は……!!」
沈黙に耐えかねてアシリパが土方に詰め寄った。
その続きはきっと、土方ならば答えられたはずだ。アシリパが問うたのはおそらく『私の父は、のっぺらぼうなのか?』同じ獄中にいた土方であれば手がかりを、いや、答えを知ってる。そう考えての問いであったにもかかわらず、土方はまるでアシリパの言葉を遮るように自身の得物に手をかけた。
「手を組むか、この場で殺し合うか、選べ。」
一気に場の空気が再び緊張で包まれる。意図的に、そのような空気を作った土方にさくらは違和感を感じた。
アシリパとのっぺらぼうのつながりを知らせたくない人物がいる。
ふと、視線を感じると炭鉱で再会したあの兵士がこちらをじっと見つめていた。…ああ、そうか。土方歳三は、この男を信用していない。鶴見との関わりをまだ、疑っている。男のほの暗い瞳に、鶴見と同じく沼の底のような闇を感じる。引き込まれそうな感覚から逃れるように、その視線から顔を背けた。
一触即発の場面で、新たな人物が加わった。あの永倉新八だ。永倉が杉元一行に手を引くよう諭した。しかし、杉元は、その提案をはねつけた。
「のっぺらぼうに会いに行って確かめたいことがある。それまでは金塊が見つかってもらっちゃ困る。」
アシリパのための旅だ。そう言ったも同然だった。アシリパにとっては、これほど心強い言葉はないだろう。金で釣られた男たちと、志でつながる仲間とでは、背中を預けることができるのは後者だ。杉元は、ここではっきりと自身と立場を明確にしたのだ。それと同時に、苫小牧競馬場での白石に、金だけでは動かない、と明らかにしたということでもあった。
どこかから現れた家永が、食事の準備をするといって、家の奥へと消えていった。いつもならば食事の支度を一緒にするさくらも、自身も材料にされるのでは、と怖くて同じ厨房には入ることが出来なかった。ぐつぐつと大鍋で作られた鍋は、味噌のいい香りをさせている。一見するともつ鍋だが、白石は用心深く肉を眺めている。
「おい、家永。この肉…大丈夫なやつだろうな?」
「ご安心ください。なんこ鍋は馬の腸を使ったもつ煮です。馬のものを使っています。」
いい笑顔で答える家永に、一同は安心して鍋に手をつけ始めた。赤味噌がモツに絡んで、酒が進みそうな一品だ。ホテルを経営していただけのことはある。こちらの腕前をいいようだ。
「…あんたら、その顔ぶれでよく手が組めているな。」
杉元の言葉で、さくらも改めて席に着いている者たちを見回した。新撰組の生き残りに刺青の死刑囚、鶴見の元部下の男に、アイヌの少女。そして、現代から来た女…。何もかも、ちぐはぐだ。
「特にそこの鶴見中尉の手下だった男…一度寝返ったやつはまた寝返るぜ。」
杉元の鋭い視線は兵士…尾形の方へ注がれていた。尾形はそれに、心外だ、とでもいうようにあからさまに傷ついたようなポーズを取った。
「杉元…お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ。」
表情からは全く傷ついたような雰囲気は微塵も感じない。さらには、視線を杉元から外して、こちらのほうへ向けた。
「それに…そちらも得体の知れない女を連れてるじゃねえか。鶴見中尉の話では、そこの日向 さくらもどこに通じているか分かったもんじゃない。…日本では見かけないような『珍しい代物』をお持ちだったようで。」
尾形の言葉に土方や永倉がわずかに反応を見せた。どう出るか試されている。だからといって尾形の口車に乗って下手に疑いをかけられたくはなかった。あの言い方ではまるでさくらがどこかの国とでも通じているようではないか。尾形がにやり、と口端を上げた。
「食事中にケンカするのはよしましょう。せっかくの食事がまずくなります。」
素知らぬ顔で食事を続けるさくらに、これ以上反応は窺えないと悟ったのか、尾形はそこで話を切り上げた。
食事が済むと、屋敷で見つけた一枚の刺青人皮の判別について話がのぼった。贋作を見抜ける人物として一人の人物が上げられた。贋札犯として月形の樺戸監獄に収監されている、熊岸長庵という男だ。現在の夕張から北上した場所に位置する。網走へと続く道へ戻るような経路になりそうだ。その人物に会うためにも、いくらか手がかりは持っておいた方がいい。炭鉱で月島の安否を確認する者と、屋敷で手がかりを探す者とで分かれることにした。さくらは杉元、アシリパ、尾形、土方、家永、牛山と共に屋敷の捜索に当たった。
作業場や、めぼしいところを探して回る。さくらは二階へあがり、職人の自室であろう場所へと入った。部屋の中は、生活に必要なベッドなどのものは最低限で、一階と同じく動物の剥製が飾られていた。
「本当にこの仕事が好きだったのね…。」
腕の立つ職人が、なぜ人の道からそれてしまったのか。純粋な探究心が動物から人へと移っていったのか。窓辺にある作業台には、まだ作りかけの製品が残っていた。見慣れた額あてに、革製のベルトを取り付けるところで作業が終わっていた。
…ここにも来ていたのか。この金塊争奪戦に関わる限り、あの男との因縁が断ち切れることは無いのだ。額あてを握る手に自然と力が入る。
一階から窓の割れる音がした。そして慌ただしい足音が聞こえると、尾形が叫ぶ声がした。攻撃されている。鶴見の手が迫ってきている。そう思うと、指先から体温が奪われていくように冷たくなっていった。間近に迫った危険に、気が遠くなる。階段を駆け上がる物音を遠くて聞いているような感覚に陥るが、体に大きな衝撃が来たことで、我に返った。
突っ込むようにしてさくらを地面に押しつけたのは尾形だった。
「ぼーっとしてると撃たれるぜ。」
さくらの反応などお構いなしで、尾形は先ほどまでさくらが立っていた場所に陣取った。格子の隙間から窓を破ると、外に控えている兵士に狙いを定めて銃弾を撃ち込んでいく。外から敵のうめき声が聞こえ、優勢かと思われたが、一階から扉が破られるような音がした。尾形は小さく舌打ちをすると、部屋の入り口近くで銃を構えた。さくらが伏せたままでいると、突然扉が開き、敵の兵士が銃を構えてこちらに銃口を向けた。
殺される。
そう頭で理解しても、体は動かなかった。むしろ、この至近距離で、どうやって銃に対抗すればいいのか。なすすべもなく、さくらは男をみやった。
「女ぁ…?」
男は一瞬呆けたように動きを止めた。その瞬間、尾形が敵兵の腹めがけて銃剣を差し込んだ。はらわたから血を流しながら、男は尾形に殴りかかった。男は銃のグリップの部分で、尾形の顔面めがけて何度も打ち付けた。
「死ね!!コウモリ野郎が!!」
以前は味方であっただろう兵士が鬼のような形相で尾形を罵る。それに対して、尾形は防戦一方だ。手持ちの武器もなく、反撃できるような状態ではない。このままでは、次は自分だ。そう思うと、男が尾形に気を取られている今がチャンスだ。気絶させるだけでもいい。いや、一瞬隙ができるだけでもいい。なんとかこの状態から切り抜けなければ。
さくらは相手に気づかれないよう、床に転がっていた、ちいさな刃物に手を伸ばした。今から、男にこれを突き刺す…。意を決して刃物の柄を握りこんだ。嫌な汗が手のひらをじっとりと湿らせた。息が短くなる。心臓が今にも破裂しそうに、どくどくと波打つ。頭の隅で人を刺す感触を想像すると、手が震えた。どこでもいい、やるのだ。はあはあ、と息を乱すさくらに気づき、男が顔を上げた。
男と目が合った瞬間、体中の血が一気に沸き立つような感覚に陥った。恐怖なのか高揚感なのか自身でも判断をつけられない大きな波がさくらの体を飲み込んだ。
男は小さくうめき声を上げると、床に倒れた。男の背後からは杉元が銃を構え、その銃口からは煙が上がっていた。体を起こした尾形は、さくらを一瞥すると、杉元の方へ視線を戻した。
「……なんだよ、お礼を言って欲しいのか?」
「お前を好きで助けたわけじゃねえよ、コウモリ野郎。俺はさくらさんを助けに来たんだ。」
そう言って、杉元はさくらの方へやってくると、優しく体を持ち上げて、さくらを立ち上がらせた。
「行こう。」
杉元はさくらの肩を抱き、火の手のあまり上がっていないところから脱出をするべく、階段を駆け下りた。尾形に追っ手を引き留める役を任せ、先に杉元、土方と屋敷から飛び出した。幸い、煙が立ちこめ、こちらの存在は気付かれてはいないようだ。土方は二手に分かれ、樺戸監獄で落ち合うことを提案した。
「贋物の判別方法が見つからなければ直接のっぺらぼうに会いに行くしか無いな。」
刺青人皮が使えなくなれば、金塊のありかを知るには当人ののっぺらぼうに聞くしか無い。杉元の言葉に、土方が短く答えた。
「娘になら全てを話すだろう。」
「やはり知っていたのか。あの子が娘だって。俺としちゃわずかばかりの分け前があれば金塊で誰が何しようと知ったこっちゃねえが、アシリパさんは立派にアイヌを生きている。そのアイヌの金塊を奪った者が本当に自分を育てた父親なのか…俺はあの子が真実にたどり着くのを見届けてあげたい。」
少し先で、アシリパ、牛山、家永の姿がみえた。何頭かの馬を引いて待っている。土方は家永が乗っている一頭を引くと、牛山初め、一行に指示を出した。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは先に月形へ向かえ。」
牛山は意外そうな反応を見せたが、土方の指示に従い、アシリパを肩に軽々と乗せた。尾形も遅れて合流する。牛山の肩に乗って満足そうなアシリパは、杉元とさくらの方に目を向けた。いつもより近くで見える分、杉元に肩を支えられているさくらの顔色が悪いようにみえる。
「さくら、お腹痛いのか?」
アシリパの声で、さくらが顔を上げた。ふっと、現実にもどったような反応に、さらに不思議そうな顔をする。
「その包丁、江渡貝のだろう。」
アシリパが指さす先はさくらの手に握られたなめし用の小さな包丁であった。さくらはアシリパに言われて初めて、自身がまだ刃物を持っていることに気がついた。
「…捨ててきますね。」
心配そうなアシリパの顔をみて、すぐに愛想笑いを浮かべた。こんなところで足を引っ張るわけにはいかない。アシリパに笑いかけると、一団から離れた場所へと歩を進めた。
適当な草むらに着くと、投げ捨てようと、手を振った。普通ならば、地面に落ちるはずのものがさくらの指はかたく閉じられ、小刻みに震えていた。
「なんで…。」
アシリパを助けたときもこんな風にはならなかった。あのときは足を撃たれたのにもかかわらず、冷静に行動できていた。しかし、今はどうだ。自身の指一つ満足に動かせないほど体が震えている。こんなことでは、これから先の戦いに皆の負担になるだけだ。さくらは自身の情けなさに、じわりと目に涙を浮かべた。
「さくらさん、」
背中から包み込むようなあたたかさと共に、杉元がさくらの手を握った。
「力入りすぎて取れなくなっちゃったんだね。」
あやすような優しい声と比例して、杉元の大きな手が、さくらの手を包んだ。じんわりと杉元の体温が移っていく。指先にあたたかさが戻り、自然と、手のひらがひらいた。ぽとり、と地面に落ちた刃物に目を移す。すると、杉元が後ろから刃物を蹴り、見えないところへと隠した。
「すみません、お手数をかけました。…前に皮を剥ぐの手伝うなんて大きなこと言って、これじゃあ情けないですね。」
自嘲気味に笑うさくらの表情は、背中を覆うように立っている杉元には見えない。しかし、その華奢な肩が震えているのに気がつくと、後ろから腕を回した。
「さくらさん、人を助けるときは大胆なくせに、自分のことになると弱気なんだから。」
何も言わないさくらに杉元は言葉を続けた。
「俺があんたを助ける。だからさくらさんは俺のこと助けてよ。」
「…私が杉元さんを助けるなんて、そんなこと」
「第七師団から逃げたとき、馬橇から降りようとするのを引き留めてまで、見捨てなかった。他人のことには、いくらでも無茶する人だろ。」
この手が、この胸が、いつもさくらをつなぎ止めてくれる。杉元の大きな手を握り返す。
「さあ、戻ろう。みんな待ってる。」
振り向いて見上げると、こちらを見つめる強い瞳と交わる。いつのまにか手の震えは収まっていた。