白銀の世界で
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
翌朝、目覚めてみると白石の姿がなかった。村人に聞いて回り、インカラマッを連れて苫小牧競馬場に向かったことが分かった。いやな予感がして、みなが急いで支度をしはじめた。
「白石の野郎…金を溶かしてなきゃいいが。」
「幸い持ち出したのが少ない。弾薬を買う金はいくらか残していくくらいの頭はあるらしいな。」
ため息交じりの杉元の言葉に財布の中身を確認しながらキロランケが言った。
「赤キツネにいいように騙されて、簡単な男だな。なあ杉元。」
含みのあるようなアシリパの言葉は、確実に昨日の杉元への嫌みが含まれているのだろう。お前もあんな女に隙をみせるなんて。と恨みがましい言葉が今にも口から出てきそうな顔だ。それを知ってか知らずか杉元は「ああ、全くだよ。」とやれやれ、といった反応をした。ここまでのやりとりにさくらは小さくため息をついた。すると、キロランケがさくらのそばにやってきた。面白そうだという顔でさくらに耳打ちする。
「あいつもまだまだ若造だねぇ。」
キロランケの低い声が鼓膜を甘く揺らした。ぴくり、体を震わせたさくらの反応にキロランケはそのまま声を出さずに笑った。その息が耳の裏を刺激する。そちらの耳だけが熱を持ったように熱く感じられる。
「…あんたもまだ若いねぇ。」
「か、からかわないでください…!」
この男、声はいいのだ。これだけ至近距離で話されれば、反応してしまっても致し方ないではないか。半ば八つ当たりのようにキロランケに抗議の声をあげた。さくらはすぐに用意をととのえると、キロランケから距離をとって、杉元とアシリパの方へと向かった。小走りで杉元たちの元へやってくると、杉元が怪訝そうな顔でこちらを見た。
「さくらさん、顔赤いよ。…熱かな?体調は大丈夫?」
「熱冷ましの薬を飲んだ方がいい。」
心配そうな顔の杉元とアシリパに、先ほどの事は言いづらい。
「いえ、少し走ったので、熱くなったのだと思います。それよりも白石さんですよ。早くお金を取り返さないと!」
苫小牧競馬場に到着すると、多くの人で賑わっていた。今も昔もこういう娯楽は人々に人気らしい。現代では競馬の他にも競艇などあるが、どこも多くの人が詰めかけている。賭場以外にも多くの娯楽がある現代でもそうなのだ。この時代の数少ない娯楽は、現代以上の熱気のようなものを感じる。さくらがその空気感に気圧されているときにも、アシリパは冷静だ。人混みの中から白石とインカラマッの姿をとらえた。
「いた!脱糞王と赤キツネ。」
もはや白石などと名前で呼ばないあたり、かなり馬鹿にしている。その気持ちは分からないでも無いので何も言うまい。
「オイ白石!」
杉元の呼びかけに、白石がけだるそうに振り返った。すると、馬鹿にしたように鼻で笑いながらこちらに近づいてくる。
「おう、貧乏くさいのがいると思ったらお前らか。」
頭に何か巻き付け、首元にもじゃらじゃらと呪術の類いを巻き付けている。おおかた、インカラマッに騙されて買わされているのだろう。巻き上げる金が幾らか貯まったら、インカラマッはこの男を見放す。よくある詐欺の手口だ。
「白石てめえ、アシリパさんに借金があるくせに競馬で博打とはいい度胸してんな。」
杉元の言葉はもっともだ。しかしそれでも悪びれる風もなく、白石はズボンから札束を取り出し、金を数えたかと思うと、地面に放り投げた。
「借金?ああ…幾らだっけ?2円?3円?…オラ、拾いな。」
白石の変わりようにみな唖然としている。
「目を覚ませシライシ!!」
そこで、アシリパが持ち出してきたストゥを取り出すと、思い切り白石のスネを殴りつけた。
「ぎゃっ!!」
呻く白石をよそにアシリパはインカラマッに詰め寄った。
「占いで博打を打つなんて必ず痛い目に遭うぞ!この女狐に騙されるな!!」
女狐という言葉に反応したのかすぐさま白石がアシリパにくってかかる。
「誰が女狐だ無礼者!!インカラマッ様と呼べ!!」
「息がくさいっ!!」
白石の口から発せられる悪臭はここにまで漂ってくる。鼻が曲がりそうな匂いを前面で受けてアシリパは顔をゆがめている。さすがにここまでくると情けない。
「白石さん!皆さん心配してきているんですよ。」
さくらは、そう言ってアシリパを自身の背に隠して、悪臭から遠ざけた。すると、白石は「ふうん…、」と、いやらしい目つきでこちらを見た。
「さくらちゃん、そんなに俺のこと思ってくれてるんなら…。」
そういって、おもむろに肩に手を回してきた。
「この金で屋敷でも買ってお妾さんでおいてやってもいいんだぜ。」
隣から漂う悪臭と、下衆な言葉に怒りがわき上がった。そばにいた杉元が「おいっ!」と白石のほうへ一歩踏み出したのと同時にさくらが思いっきり白石の頬に自身の手を叩きつけた。その反動で白石が地面に転がる。すごい音がして、一瞬周りの客もこちらを振り向いた。
「いい加減にしなさい!!誰があんたに買われてやりますか。安く見るんじゃないわよ!」
普段おとなしいさくらからは考えられないような啖呵に白石は一瞬我に返ったようで、「くうん、」とぶたれた頬をさすり涙目になった。それを見ていた面々は、あっけにとられたように呆然と状況を見ていた。しかし、杉元はさくらと雪山で出会ったあのときを思い返すと、元来さくらはよく言えば一本気な、平たく言えば強気な女であったのだと思う。雪山を転がる兵士を追って身なりもかまわずに走っていたことや、武器を持った杉元に詰め寄る姿が思い出される。それに人質にとられたアシリパを自身の身一つで取り返そうとする剛胆なところを思うと、それほど珍しい光景でもないのかもしれない、と思い至るのだった。
「次に勝ちそうなのは3番か4番だな。」
最初にその状況から持ち直したのは年長者のキロランケだった。馬の姿形や毛並みを見ながら、調子のいい馬を予想していく。
「俺は小さい頃から馬に乗って育った。馬に詳しいから日露戦争でも工兵部隊の馬の世話を一手に任されていたくらいさ。」
馬の話をするキロランケの瞳は楽しそうに輝いている。その表情からは純粋に馬が好きな事が伝わってくる。インカラマッはキツネの頭蓋を頭に乗せて占い始める。
「たしかにキツネの頭骨も3番が勝つと示しています。」
その言葉に白石が飛び出した。
「3番ですね!?買ってきます!」
「待て!この野郎!!」
制止する杉元にもかまわず白石は馬券売り場に走って行ってしまった。姿は人混みの中に消えてしまい、追いかけようにもどうすることも出来ず、残った面々は大きくため息をついた。
「ありゃ、目が覚めるまでどうにもできねえな。俺は馬を見てくる。」
キロランケは切り替え早く、この場を楽しむことにしたらしい。
しばらくして戻ってきたキロランケは騎手の格好でやってきた。
「お前ら、俺に賭けろ。」
自慢のあごひげをすっきりさせ、髪を一つにまとめたキロランケは爽やかな美太夫であった。思わぬ変貌にさくらは呆けたようにキロランケを見つめた。
「……そんなに見つめられると困るな。」
はにかむキロランケにさくらはすぐさま我に返った。
「あまりの変わりように驚きました…。」
嘘は言っていない。顔が熱いのは気のせいだ。そう自分に言い聞かせてそしらぬ顔でキロランケに答えた。しかし、杉元はさくらの変化を目敏く見つけた。少しむすっとしながら、話の間に割って入った。
「で、どうしてレースに出ることになったんだ?」
杉元の質問に、キロランケが今までの経緯を話し始めた。裏の筋から八百長を頼まれた騎士が逃げたこと。それの代わりとなったこと。騎士としてのプライドと愛馬との絆で真剣勝負を汚されたのだ。逃げた騎士の気持ちはここにいた誰もが理解できた。その負け戦にキロランケは出馬するのだ。
「おいおい、そんな危ない仕事請け負ってきたのかよ。」
「本当に勝ってしまったらキロランケさんや世話役の方々も危ないんじゃないですか?」
「キロちゃん、まずいって。ばれたら殺されるぞ。」
杉元、さくら、白石が一様に心配の声をかける。しかし、キロランケは不敵な笑みを浮かべた。
「あいつだって勝ちたいんだ。儲けたきゃ俺に賭けろ。俺が勝つぜ。」
例のごとく白石はインカラマッの占いに頼った。不幸にもその骨が白石のまぶたに突き刺さり、裏向きに落ちた。
「シラッキカムイが3番は勝たないと示しています。」
「白石…もうそこまでにしておけ。」
キツネの骨を見つめたままの白石にアシリパが諭すように言った。
「占いというのは判断に迷った時に必要なものだ。私たちのこの旅に迷いなんか無い。だから占いも必要ない。」
アシリパのまっすぐな言葉が白石に届いて欲しい。そう思って見つめると、インカラマッがその静寂を破った。
「シラッキカムイは6番が勝つと示しました。」
「6番ですね!?全額賭けてきます!!」
今度こそ走り出す白石を杉元が羽交い締めして止めた。
「白石この野郎!!爆薬の金くらい残しておけ!!」
「やだ!!俺は勝負するんだ!!」
だだっ子のようにいう白石は隙を見てインカラマッに札束を渡した。
「インカラマッ様!買ってきて!」
「わかりました。」
受け取った瞬間、人混みに走り出したインカラマッをアシリパとさくらが追いかける。手分けして探すが、人が多すぎて探し出すのは至難の業だ。大勢の背広や着物の中からアイヌの文様を見つけようと必死に目をこらす。見慣れた文様ともう一人、インカラマッの姿を見つけると、さくらはそちらへと向かった。
「――…お父様と同じ綺麗な色ですね。」
喧噪のなか聞こえた言葉に、たった今その場に駆けつけたさくらだけでなく、アシリパも驚愕していた。そこで話は終わったとばかりにインカラマッはアシリパに馬券を投げてよこすと、「また会いましょうね。」と言い残して人混みの中に消えていった。
「アシリパさん…今の。」
「分からない。だが、あの女はアチャを知っている。」
男たちを残してきた場所へ戻ると、すでにキロランケはレースの準備へ向かったところらしい。金は全て6番につぎ込まれてしまい、アシリパは意気消沈しながら束の馬券を杉元にみせた。それを確認しながら杉元は「あれ、この馬券だけ3番だ。」と声を上げた。白石は「けっ、お情けばかりに買ってくださったんだよ。勝つのは6番だろうがな。」といいながら、6番の馬券を残らずかっさらっていった。
レースが始まると、6番が他の騎手を妨害しながらどんどん順位を上げていった。明らかな不正だが、レースは中断されることもなく続けられた。きっとここの元締めの息のかかった馬なのだ。あれが一位を取るために茶番が行われているのかと思うと、ばからしく思えてくる。すると、まわりがざわめきだした。
「おい見ろよ!何だあの3番の乗り方!!」
見ると、キロランケが馬から立ち上がって、重心を前に乗せながらの騎乗スタイルに変えていた。現代でよく見られる騎士の乗り方だ。キロランケの乗る3番の馬がぐんぐん他の馬を追いあげていく。それに従い、周りも3番の馬を応援し始めた。そのまま首位につけた3番がゴールへと駆け抜ける。隣では白石が悲痛な声を上げた。
「杉元!さっさとずらがるぜ。今頃大損したやくざの親分が俺を探してる。」
いつもの格好に着替えたキロランケは、すでにうっすらあごひげが生えている。
「うわっ!もうひげ生えてる。」
ひげをさすりながらキロランケが姿の見えない白石を探した。しかし、アシリパは気にするなとでも言うように「置いていこう。」とさっさと、帰り道へと足を進めた。
「白石の野郎…金を溶かしてなきゃいいが。」
「幸い持ち出したのが少ない。弾薬を買う金はいくらか残していくくらいの頭はあるらしいな。」
ため息交じりの杉元の言葉に財布の中身を確認しながらキロランケが言った。
「赤キツネにいいように騙されて、簡単な男だな。なあ杉元。」
含みのあるようなアシリパの言葉は、確実に昨日の杉元への嫌みが含まれているのだろう。お前もあんな女に隙をみせるなんて。と恨みがましい言葉が今にも口から出てきそうな顔だ。それを知ってか知らずか杉元は「ああ、全くだよ。」とやれやれ、といった反応をした。ここまでのやりとりにさくらは小さくため息をついた。すると、キロランケがさくらのそばにやってきた。面白そうだという顔でさくらに耳打ちする。
「あいつもまだまだ若造だねぇ。」
キロランケの低い声が鼓膜を甘く揺らした。ぴくり、体を震わせたさくらの反応にキロランケはそのまま声を出さずに笑った。その息が耳の裏を刺激する。そちらの耳だけが熱を持ったように熱く感じられる。
「…あんたもまだ若いねぇ。」
「か、からかわないでください…!」
この男、声はいいのだ。これだけ至近距離で話されれば、反応してしまっても致し方ないではないか。半ば八つ当たりのようにキロランケに抗議の声をあげた。さくらはすぐに用意をととのえると、キロランケから距離をとって、杉元とアシリパの方へと向かった。小走りで杉元たちの元へやってくると、杉元が怪訝そうな顔でこちらを見た。
「さくらさん、顔赤いよ。…熱かな?体調は大丈夫?」
「熱冷ましの薬を飲んだ方がいい。」
心配そうな顔の杉元とアシリパに、先ほどの事は言いづらい。
「いえ、少し走ったので、熱くなったのだと思います。それよりも白石さんですよ。早くお金を取り返さないと!」
苫小牧競馬場に到着すると、多くの人で賑わっていた。今も昔もこういう娯楽は人々に人気らしい。現代では競馬の他にも競艇などあるが、どこも多くの人が詰めかけている。賭場以外にも多くの娯楽がある現代でもそうなのだ。この時代の数少ない娯楽は、現代以上の熱気のようなものを感じる。さくらがその空気感に気圧されているときにも、アシリパは冷静だ。人混みの中から白石とインカラマッの姿をとらえた。
「いた!脱糞王と赤キツネ。」
もはや白石などと名前で呼ばないあたり、かなり馬鹿にしている。その気持ちは分からないでも無いので何も言うまい。
「オイ白石!」
杉元の呼びかけに、白石がけだるそうに振り返った。すると、馬鹿にしたように鼻で笑いながらこちらに近づいてくる。
「おう、貧乏くさいのがいると思ったらお前らか。」
頭に何か巻き付け、首元にもじゃらじゃらと呪術の類いを巻き付けている。おおかた、インカラマッに騙されて買わされているのだろう。巻き上げる金が幾らか貯まったら、インカラマッはこの男を見放す。よくある詐欺の手口だ。
「白石てめえ、アシリパさんに借金があるくせに競馬で博打とはいい度胸してんな。」
杉元の言葉はもっともだ。しかしそれでも悪びれる風もなく、白石はズボンから札束を取り出し、金を数えたかと思うと、地面に放り投げた。
「借金?ああ…幾らだっけ?2円?3円?…オラ、拾いな。」
白石の変わりようにみな唖然としている。
「目を覚ませシライシ!!」
そこで、アシリパが持ち出してきたストゥを取り出すと、思い切り白石のスネを殴りつけた。
「ぎゃっ!!」
呻く白石をよそにアシリパはインカラマッに詰め寄った。
「占いで博打を打つなんて必ず痛い目に遭うぞ!この女狐に騙されるな!!」
女狐という言葉に反応したのかすぐさま白石がアシリパにくってかかる。
「誰が女狐だ無礼者!!インカラマッ様と呼べ!!」
「息がくさいっ!!」
白石の口から発せられる悪臭はここにまで漂ってくる。鼻が曲がりそうな匂いを前面で受けてアシリパは顔をゆがめている。さすがにここまでくると情けない。
「白石さん!皆さん心配してきているんですよ。」
さくらは、そう言ってアシリパを自身の背に隠して、悪臭から遠ざけた。すると、白石は「ふうん…、」と、いやらしい目つきでこちらを見た。
「さくらちゃん、そんなに俺のこと思ってくれてるんなら…。」
そういって、おもむろに肩に手を回してきた。
「この金で屋敷でも買ってお妾さんでおいてやってもいいんだぜ。」
隣から漂う悪臭と、下衆な言葉に怒りがわき上がった。そばにいた杉元が「おいっ!」と白石のほうへ一歩踏み出したのと同時にさくらが思いっきり白石の頬に自身の手を叩きつけた。その反動で白石が地面に転がる。すごい音がして、一瞬周りの客もこちらを振り向いた。
「いい加減にしなさい!!誰があんたに買われてやりますか。安く見るんじゃないわよ!」
普段おとなしいさくらからは考えられないような啖呵に白石は一瞬我に返ったようで、「くうん、」とぶたれた頬をさすり涙目になった。それを見ていた面々は、あっけにとられたように呆然と状況を見ていた。しかし、杉元はさくらと雪山で出会ったあのときを思い返すと、元来さくらはよく言えば一本気な、平たく言えば強気な女であったのだと思う。雪山を転がる兵士を追って身なりもかまわずに走っていたことや、武器を持った杉元に詰め寄る姿が思い出される。それに人質にとられたアシリパを自身の身一つで取り返そうとする剛胆なところを思うと、それほど珍しい光景でもないのかもしれない、と思い至るのだった。
「次に勝ちそうなのは3番か4番だな。」
最初にその状況から持ち直したのは年長者のキロランケだった。馬の姿形や毛並みを見ながら、調子のいい馬を予想していく。
「俺は小さい頃から馬に乗って育った。馬に詳しいから日露戦争でも工兵部隊の馬の世話を一手に任されていたくらいさ。」
馬の話をするキロランケの瞳は楽しそうに輝いている。その表情からは純粋に馬が好きな事が伝わってくる。インカラマッはキツネの頭蓋を頭に乗せて占い始める。
「たしかにキツネの頭骨も3番が勝つと示しています。」
その言葉に白石が飛び出した。
「3番ですね!?買ってきます!」
「待て!この野郎!!」
制止する杉元にもかまわず白石は馬券売り場に走って行ってしまった。姿は人混みの中に消えてしまい、追いかけようにもどうすることも出来ず、残った面々は大きくため息をついた。
「ありゃ、目が覚めるまでどうにもできねえな。俺は馬を見てくる。」
キロランケは切り替え早く、この場を楽しむことにしたらしい。
しばらくして戻ってきたキロランケは騎手の格好でやってきた。
「お前ら、俺に賭けろ。」
自慢のあごひげをすっきりさせ、髪を一つにまとめたキロランケは爽やかな美太夫であった。思わぬ変貌にさくらは呆けたようにキロランケを見つめた。
「……そんなに見つめられると困るな。」
はにかむキロランケにさくらはすぐさま我に返った。
「あまりの変わりように驚きました…。」
嘘は言っていない。顔が熱いのは気のせいだ。そう自分に言い聞かせてそしらぬ顔でキロランケに答えた。しかし、杉元はさくらの変化を目敏く見つけた。少しむすっとしながら、話の間に割って入った。
「で、どうしてレースに出ることになったんだ?」
杉元の質問に、キロランケが今までの経緯を話し始めた。裏の筋から八百長を頼まれた騎士が逃げたこと。それの代わりとなったこと。騎士としてのプライドと愛馬との絆で真剣勝負を汚されたのだ。逃げた騎士の気持ちはここにいた誰もが理解できた。その負け戦にキロランケは出馬するのだ。
「おいおい、そんな危ない仕事請け負ってきたのかよ。」
「本当に勝ってしまったらキロランケさんや世話役の方々も危ないんじゃないですか?」
「キロちゃん、まずいって。ばれたら殺されるぞ。」
杉元、さくら、白石が一様に心配の声をかける。しかし、キロランケは不敵な笑みを浮かべた。
「あいつだって勝ちたいんだ。儲けたきゃ俺に賭けろ。俺が勝つぜ。」
例のごとく白石はインカラマッの占いに頼った。不幸にもその骨が白石のまぶたに突き刺さり、裏向きに落ちた。
「シラッキカムイが3番は勝たないと示しています。」
「白石…もうそこまでにしておけ。」
キツネの骨を見つめたままの白石にアシリパが諭すように言った。
「占いというのは判断に迷った時に必要なものだ。私たちのこの旅に迷いなんか無い。だから占いも必要ない。」
アシリパのまっすぐな言葉が白石に届いて欲しい。そう思って見つめると、インカラマッがその静寂を破った。
「シラッキカムイは6番が勝つと示しました。」
「6番ですね!?全額賭けてきます!!」
今度こそ走り出す白石を杉元が羽交い締めして止めた。
「白石この野郎!!爆薬の金くらい残しておけ!!」
「やだ!!俺は勝負するんだ!!」
だだっ子のようにいう白石は隙を見てインカラマッに札束を渡した。
「インカラマッ様!買ってきて!」
「わかりました。」
受け取った瞬間、人混みに走り出したインカラマッをアシリパとさくらが追いかける。手分けして探すが、人が多すぎて探し出すのは至難の業だ。大勢の背広や着物の中からアイヌの文様を見つけようと必死に目をこらす。見慣れた文様ともう一人、インカラマッの姿を見つけると、さくらはそちらへと向かった。
「――…お父様と同じ綺麗な色ですね。」
喧噪のなか聞こえた言葉に、たった今その場に駆けつけたさくらだけでなく、アシリパも驚愕していた。そこで話は終わったとばかりにインカラマッはアシリパに馬券を投げてよこすと、「また会いましょうね。」と言い残して人混みの中に消えていった。
「アシリパさん…今の。」
「分からない。だが、あの女はアチャを知っている。」
男たちを残してきた場所へ戻ると、すでにキロランケはレースの準備へ向かったところらしい。金は全て6番につぎ込まれてしまい、アシリパは意気消沈しながら束の馬券を杉元にみせた。それを確認しながら杉元は「あれ、この馬券だけ3番だ。」と声を上げた。白石は「けっ、お情けばかりに買ってくださったんだよ。勝つのは6番だろうがな。」といいながら、6番の馬券を残らずかっさらっていった。
レースが始まると、6番が他の騎手を妨害しながらどんどん順位を上げていった。明らかな不正だが、レースは中断されることもなく続けられた。きっとここの元締めの息のかかった馬なのだ。あれが一位を取るために茶番が行われているのかと思うと、ばからしく思えてくる。すると、まわりがざわめきだした。
「おい見ろよ!何だあの3番の乗り方!!」
見ると、キロランケが馬から立ち上がって、重心を前に乗せながらの騎乗スタイルに変えていた。現代でよく見られる騎士の乗り方だ。キロランケの乗る3番の馬がぐんぐん他の馬を追いあげていく。それに従い、周りも3番の馬を応援し始めた。そのまま首位につけた3番がゴールへと駆け抜ける。隣では白石が悲痛な声を上げた。
「杉元!さっさとずらがるぜ。今頃大損したやくざの親分が俺を探してる。」
いつもの格好に着替えたキロランケは、すでにうっすらあごひげが生えている。
「うわっ!もうひげ生えてる。」
ひげをさすりながらキロランケが姿の見えない白石を探した。しかし、アシリパは気にするなとでも言うように「置いていこう。」とさっさと、帰り道へと足を進めた。