白銀の世界で
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近くで何かが動く物音がして、目を覚ました。
小屋の中は薄く光が差し、朝の訪れを告げる。元来、眠りが浅いことと、短時間睡眠が体に染みついているさくらは少しの物音でも目を覚ましてしまう。しかも、今回は見知らぬ土地でいつ獣に襲われるともしれない山中である。小さな布擦れの音でさえ、目を覚ますには十分だった。
音のする方へ顔を向けると、杉元が起き上がり、荷物の中から手ぬぐいをとりだしているところだった。さくらが身を起こすと、杉元もその音に気づいて振り返った。
「ごめん、起こしちゃったね。」
申し訳なさそうに謝る姿は、昨日さくらにナイフを突きつけて脅した人物とはとうてい思えない穏やかな表情だ。顔の傷や元々の目の鋭さがあり、初めはとても警戒していた。しかし、この毒気を抜かれる話し方で、さくらは杉元という人物に、昨日から比べると如何ばかりか警戒を解いていた。
アシリパへの気遣いや、優しさを見ていると、杉元は何をするにもアシリパの安全を最優先にしていることは察せられる。昨日のことも、見知らぬ人物が敵対する男を助けようとした、この女も敵なのでは?という脳内変換が施され暴挙にでたのだろうと思う。
しかし、ここで目覚めたのが小屋のなかということは、夢ではないのだな、起きたらホテルのソファでした、という一縷の希望は閉ざされた。
「いいえ、元々、睡眠は短い方なので。杉元さんは洗顔に?」
「うん、近くに小川があるんだ。日向さんも行く?傷も一度洗って薬塗った方がいいからさ。」
アシリパの薬草で手当てをしてもらい、綺麗な布で頬を覆ってもらっていた。一晩寝て、塗ってもらった薬はもう乾燥し、肌も同じく乾燥している。できることなら、こちらとしても一度洗って、肌の不快感を取り除きたかった。杉元の誘いで、寝ているアシリパを起こさないように、二人で小川へと向かった。
その道すがら、さくらは朝の森の匂いを胸一杯に吸い込む。毎日、会社と自宅の往復でまともに自然と触れ合ってこなかった数年間。こうして朝の森を歩くなど中学生のキャンプ以来かもしれない。
「こんなこと俺が言うのもおかしいんだけどさ・・・日向さん、俺と二人で出てよかったの?」
・・・昨日ひどいことしちゃったのに。
と、言いにくそうに後半は尻すぼみになって、杉元が言った。
「まさか、いまから茂みに連れ込んで・・・とか考えてます?」
「いやいや!!そんなわけないよ!!」
必死で首を横にふって否定する杉元に、さくらが続けた。
「もし、何かするつもりなら昨夜の時点で私は死んでるか、小屋から連れ出されて何某かの制裁を受けてると思うんです。それがなかったということは、危険度は低いと思ってくださっているのだと。だから、ついて行っても大丈夫かな、と考えてみました。」
一晩たって、目覚めたにもかかわらず変わらない景色に大きな違和感はある。しかし、ある程度、あきらめの良さも肝心であると社会人になって身をもって知っていた。これが夢として処理することは起床した時から諦めていた。よくわからない場所で見知らぬ人、しかし一晩の宿を与えてくれる人と出会い、この状況下で、どうしたら安全か考えれば、杉元とアシリパのそばにいるより他にないのである。なぜ自分がここにいるのか、どうやって運ばれたのか分からないため、町に出て、状況が確認できるまでは、二人の厚意を受けるのが得策である。一晩、無傷でいられたのは彼らの厚意が本物であることに他ならないだろう。
「信用されるのはいいんだけどさ・・・」
と、頬をかきながら杉元がつぶやいた。しかし、その続きは発せられることなく、そのまま歩を進めた。
木々の間から小川が見えてくる。杉元は小川で手ぬぐいを濡らし、堅くしぼっている。さくらはそのまま川の水で洗顔してから拭くのに使うのだろうと思っていたため、予想外の使い方に首をひなった。
「先に日向さんの傷から綺麗にするから、ここ座って。」
そういって、近くの石の上に座らされた。
「でも、手ぬぐいが汚れますよ。私はいいのでどうぞ顔を洗ってください。」
見ると、比較的綺麗な手ぬぐいだ。血がつくとシミになってしまうし、さくらとしては薬を水で流す程度を考えているので、そこまでされるのは気が引けた。そんなさくらの心の葛藤も知らず、杉元は座っているさくらの前に膝立ちになって目線を合わせた。
「女の人の顔に傷つけてしまったから、そのお詫びといっては何だけど、俺でよければ手当てさせて。」
そういって寂しそうな顔をして見つめてくる。
まるで自分がひどいことを言っているように錯覚する。こうされると、断り続けることも難しい。
「・・・では、お言葉に甘えて、お願いします。」
さくらは杉元の言葉に従い、手当をお願いすることにした。
布越しに杉元の無骨な手が、優しく、さくらの頬をすべり、薬を取り除いていく。手ぬぐいでやさしく拭き清めてくれるため、まだ傷は痛むが我慢できないほどでもない。「よかった・・・傷、ふさがってきてるよ。」と声をかけながら、杉元の手が動く。鏡がないので自分では確認できないが、深い傷もあったにもかかわらず、頬から血が滴らないので、固まってきていることは分かった。
「アシリパさんの薬、すごい効き目ですね。」
「アイヌに伝わる作り方みたいでさ。俺も、この間ヒグマに襲われたときについた傷に塗ったらすぐ直っちゃったよ。」
そういって得意げに笑う杉元にさくらがどこからつっこんでいいのか分からなかった。
「えっと・・・杉元さんは猟師されてるんですか?アシリパさんともそれでお知り合いに?」
「うーん、食べるために獲ってるけど、猟師じゃないよ。まあ行き先が同じだから一緒に行動してる感じかな。」
それじゃ、薬ぬるね。と杉元さんは懐から塗り薬を取り出し、さくらの頬をかさついた手が薬を塗り始めた。
「それで、日向さんは何で小樽に?」
一瞬、杉元の眼光が鋭くなる。しかし、それも一瞬のことで、気恥ずかしくて顔を杉元の胸あたりに目線をよこしているさくらは気づくことができなかった。
「友人が慰安旅行に連れて来てくれたんです。最近、仕事で忙しかったところで息抜きさせようと企画してくれて。本当は、今頃、北海道のおいしいもの食べて今日は観光する予定だったんですが・・・計画狂っちゃいました。」
「へえ、職業婦人さんかあ。どこで働いてるの?」
「東京です。しがない企業の会社員ですよ。」
『職業婦人』なんて言葉、歴史の教科書で見たくらいで、実際に日常会話につかう若者がいることに少し驚く。
「そうか、東京からだとかなり時間かかったんじゃない?」
「飛行機で4時間くらいでしたから、思っていたより早く到着したな、という印象でしたよ。」
何気なく返した言葉に杉元の手が止まった。
「ひこうき?」
さくらは異変を感じて杉元の方を伺った。そこには怪訝な顔をする杉元がいた。
「それって乗り物?」
「ええ・・・空を飛んでるじゃないですか。船より移動が早いし、北海道旅行で使われる方多いと思いますよ。」
「飛行船といえば、旅順でも使ってたのは気球のはずなんだけど。「ひこうき」なんて、そんな聞いたこともない代物どこで乗ってきたの?」
再び昨日のような鋭い視線が向けられる。いつの間にか頬にあった杉元の手はさくらの肩を逃がさないよう、がっしりと捕まれていた。
「痛いです・・・!」
「本当に君、第7師団とつながってないの?軍でも使われないようなものに乗って北海道に来たって、一体何者なんだ?」
杉元はさらに強くさくらの肩をつかんだ。さくらが痛みに顔をゆがめてもその力は緩まない。
杉元にとって朝のさくらとの行動は、アシリパからの制限を受けずに、素性を知るいい機会であった。話しているうちに、再び疑わしく思える言葉がさくらの口から出てきたため、ここで何もかも吐かせてやろう、という腹づもりで追及の手を強めた。
「正直に言えば、命は助けてやる。お前、何のために俺たちに近づいた?」
命を助けてやるつもりなんて毛頭ない。この女で油断させ、入れ墨人皮をかすめとろうというのが奴ら第7師団の思惑だろう。内部情報を探ったら、殺してしまおう。戻ったらアシリパさんに、友人が探しに来て落ち合ったとでも言っておけばいい。生きるためには、死なないこと。殺されないために打てる策は全て打ってやる。
「言わないなら、指を一本ずつ折っていく。」
そういって日向の人差し指に手をかけ、力を入れていく。
「痛い痛い・・・!!」
苦痛で逃げようとするが、男の力に敵うはずもない。女の細い骨がミシミシと音を立てた。
「軍ってなに!?知らない!!・・・っう”あ”ぁ!!」
「しらばっくれるならもう一本いっとくか?」
「いやっ!!・・・っ本当に知らないの!昨日来たばっかりで知り合いもいない!!」
「強情な奴だな。じゃあ、お前が軍と関わりがない証拠出せんのかよ?」
ねえだろ?と、どう猛な笑みを浮かべる杉元にさくらは再び自分が殺されかかっているのだと肌で感じた。
小屋の中は薄く光が差し、朝の訪れを告げる。元来、眠りが浅いことと、短時間睡眠が体に染みついているさくらは少しの物音でも目を覚ましてしまう。しかも、今回は見知らぬ土地でいつ獣に襲われるともしれない山中である。小さな布擦れの音でさえ、目を覚ますには十分だった。
音のする方へ顔を向けると、杉元が起き上がり、荷物の中から手ぬぐいをとりだしているところだった。さくらが身を起こすと、杉元もその音に気づいて振り返った。
「ごめん、起こしちゃったね。」
申し訳なさそうに謝る姿は、昨日さくらにナイフを突きつけて脅した人物とはとうてい思えない穏やかな表情だ。顔の傷や元々の目の鋭さがあり、初めはとても警戒していた。しかし、この毒気を抜かれる話し方で、さくらは杉元という人物に、昨日から比べると如何ばかりか警戒を解いていた。
アシリパへの気遣いや、優しさを見ていると、杉元は何をするにもアシリパの安全を最優先にしていることは察せられる。昨日のことも、見知らぬ人物が敵対する男を助けようとした、この女も敵なのでは?という脳内変換が施され暴挙にでたのだろうと思う。
しかし、ここで目覚めたのが小屋のなかということは、夢ではないのだな、起きたらホテルのソファでした、という一縷の希望は閉ざされた。
「いいえ、元々、睡眠は短い方なので。杉元さんは洗顔に?」
「うん、近くに小川があるんだ。日向さんも行く?傷も一度洗って薬塗った方がいいからさ。」
アシリパの薬草で手当てをしてもらい、綺麗な布で頬を覆ってもらっていた。一晩寝て、塗ってもらった薬はもう乾燥し、肌も同じく乾燥している。できることなら、こちらとしても一度洗って、肌の不快感を取り除きたかった。杉元の誘いで、寝ているアシリパを起こさないように、二人で小川へと向かった。
その道すがら、さくらは朝の森の匂いを胸一杯に吸い込む。毎日、会社と自宅の往復でまともに自然と触れ合ってこなかった数年間。こうして朝の森を歩くなど中学生のキャンプ以来かもしれない。
「こんなこと俺が言うのもおかしいんだけどさ・・・日向さん、俺と二人で出てよかったの?」
・・・昨日ひどいことしちゃったのに。
と、言いにくそうに後半は尻すぼみになって、杉元が言った。
「まさか、いまから茂みに連れ込んで・・・とか考えてます?」
「いやいや!!そんなわけないよ!!」
必死で首を横にふって否定する杉元に、さくらが続けた。
「もし、何かするつもりなら昨夜の時点で私は死んでるか、小屋から連れ出されて何某かの制裁を受けてると思うんです。それがなかったということは、危険度は低いと思ってくださっているのだと。だから、ついて行っても大丈夫かな、と考えてみました。」
一晩たって、目覚めたにもかかわらず変わらない景色に大きな違和感はある。しかし、ある程度、あきらめの良さも肝心であると社会人になって身をもって知っていた。これが夢として処理することは起床した時から諦めていた。よくわからない場所で見知らぬ人、しかし一晩の宿を与えてくれる人と出会い、この状況下で、どうしたら安全か考えれば、杉元とアシリパのそばにいるより他にないのである。なぜ自分がここにいるのか、どうやって運ばれたのか分からないため、町に出て、状況が確認できるまでは、二人の厚意を受けるのが得策である。一晩、無傷でいられたのは彼らの厚意が本物であることに他ならないだろう。
「信用されるのはいいんだけどさ・・・」
と、頬をかきながら杉元がつぶやいた。しかし、その続きは発せられることなく、そのまま歩を進めた。
木々の間から小川が見えてくる。杉元は小川で手ぬぐいを濡らし、堅くしぼっている。さくらはそのまま川の水で洗顔してから拭くのに使うのだろうと思っていたため、予想外の使い方に首をひなった。
「先に日向さんの傷から綺麗にするから、ここ座って。」
そういって、近くの石の上に座らされた。
「でも、手ぬぐいが汚れますよ。私はいいのでどうぞ顔を洗ってください。」
見ると、比較的綺麗な手ぬぐいだ。血がつくとシミになってしまうし、さくらとしては薬を水で流す程度を考えているので、そこまでされるのは気が引けた。そんなさくらの心の葛藤も知らず、杉元は座っているさくらの前に膝立ちになって目線を合わせた。
「女の人の顔に傷つけてしまったから、そのお詫びといっては何だけど、俺でよければ手当てさせて。」
そういって寂しそうな顔をして見つめてくる。
まるで自分がひどいことを言っているように錯覚する。こうされると、断り続けることも難しい。
「・・・では、お言葉に甘えて、お願いします。」
さくらは杉元の言葉に従い、手当をお願いすることにした。
布越しに杉元の無骨な手が、優しく、さくらの頬をすべり、薬を取り除いていく。手ぬぐいでやさしく拭き清めてくれるため、まだ傷は痛むが我慢できないほどでもない。「よかった・・・傷、ふさがってきてるよ。」と声をかけながら、杉元の手が動く。鏡がないので自分では確認できないが、深い傷もあったにもかかわらず、頬から血が滴らないので、固まってきていることは分かった。
「アシリパさんの薬、すごい効き目ですね。」
「アイヌに伝わる作り方みたいでさ。俺も、この間ヒグマに襲われたときについた傷に塗ったらすぐ直っちゃったよ。」
そういって得意げに笑う杉元にさくらがどこからつっこんでいいのか分からなかった。
「えっと・・・杉元さんは猟師されてるんですか?アシリパさんともそれでお知り合いに?」
「うーん、食べるために獲ってるけど、猟師じゃないよ。まあ行き先が同じだから一緒に行動してる感じかな。」
それじゃ、薬ぬるね。と杉元さんは懐から塗り薬を取り出し、さくらの頬をかさついた手が薬を塗り始めた。
「それで、日向さんは何で小樽に?」
一瞬、杉元の眼光が鋭くなる。しかし、それも一瞬のことで、気恥ずかしくて顔を杉元の胸あたりに目線をよこしているさくらは気づくことができなかった。
「友人が慰安旅行に連れて来てくれたんです。最近、仕事で忙しかったところで息抜きさせようと企画してくれて。本当は、今頃、北海道のおいしいもの食べて今日は観光する予定だったんですが・・・計画狂っちゃいました。」
「へえ、職業婦人さんかあ。どこで働いてるの?」
「東京です。しがない企業の会社員ですよ。」
『職業婦人』なんて言葉、歴史の教科書で見たくらいで、実際に日常会話につかう若者がいることに少し驚く。
「そうか、東京からだとかなり時間かかったんじゃない?」
「飛行機で4時間くらいでしたから、思っていたより早く到着したな、という印象でしたよ。」
何気なく返した言葉に杉元の手が止まった。
「ひこうき?」
さくらは異変を感じて杉元の方を伺った。そこには怪訝な顔をする杉元がいた。
「それって乗り物?」
「ええ・・・空を飛んでるじゃないですか。船より移動が早いし、北海道旅行で使われる方多いと思いますよ。」
「飛行船といえば、旅順でも使ってたのは気球のはずなんだけど。「ひこうき」なんて、そんな聞いたこともない代物どこで乗ってきたの?」
再び昨日のような鋭い視線が向けられる。いつの間にか頬にあった杉元の手はさくらの肩を逃がさないよう、がっしりと捕まれていた。
「痛いです・・・!」
「本当に君、第7師団とつながってないの?軍でも使われないようなものに乗って北海道に来たって、一体何者なんだ?」
杉元はさらに強くさくらの肩をつかんだ。さくらが痛みに顔をゆがめてもその力は緩まない。
杉元にとって朝のさくらとの行動は、アシリパからの制限を受けずに、素性を知るいい機会であった。話しているうちに、再び疑わしく思える言葉がさくらの口から出てきたため、ここで何もかも吐かせてやろう、という腹づもりで追及の手を強めた。
「正直に言えば、命は助けてやる。お前、何のために俺たちに近づいた?」
命を助けてやるつもりなんて毛頭ない。この女で油断させ、入れ墨人皮をかすめとろうというのが奴ら第7師団の思惑だろう。内部情報を探ったら、殺してしまおう。戻ったらアシリパさんに、友人が探しに来て落ち合ったとでも言っておけばいい。生きるためには、死なないこと。殺されないために打てる策は全て打ってやる。
「言わないなら、指を一本ずつ折っていく。」
そういって日向の人差し指に手をかけ、力を入れていく。
「痛い痛い・・・!!」
苦痛で逃げようとするが、男の力に敵うはずもない。女の細い骨がミシミシと音を立てた。
「軍ってなに!?知らない!!・・・っう”あ”ぁ!!」
「しらばっくれるならもう一本いっとくか?」
「いやっ!!・・・っ本当に知らないの!昨日来たばっかりで知り合いもいない!!」
「強情な奴だな。じゃあ、お前が軍と関わりがない証拠出せんのかよ?」
ねえだろ?と、どう猛な笑みを浮かべる杉元にさくらは再び自分が殺されかかっているのだと肌で感じた。