白銀の世界で
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第七師団を撒き、はじめにいたニシン場からかなり離れた番屋で夜を明かすことになった。いくつか座敷があるが、襖は開け放たれており、プライバシーという概念などなさそうであった。今まで、フチの家では見知った仲間うちで寝起きしていたが、不特定多数の男性たちが行き来するなかで横になるのは、抵抗があった。しかし、わがままを言うわけにもいかず、さくらは素知らぬ顔で、杉元たちと囲炉裏を囲んでいた。
みなで分けてもらった酒と食事で体をあたためる。アシリパはすでにねむそうに、こくりこくりと船を漕いでいた。ちびちびとのみ進めるさくらの傍らで杉元と白石は楽しそうに杯を上げている。その様子を見ながら、先ほどの杉元の表情と自然と比べてしまった。船の上で辺見の皮を剥ぐ姿。手伝いを買って出たが、やんわり拒否され、杉元は一人、光のこもらない瞳で黙々と作業をしていた。まるで、これは自分の仕事だとでもいうように。それは、普段の表情豊かな彼とは全く異質だった。彼は一体なにを思っているのだろうか。胸の奥がざわつくような感覚がしても、さくらは見ていることしかできなかった。
「…さくらさん?」
ふいに杉元の声で現実に引き戻された。徳利をかかげた状態でこちらをのぞき込んでいる。
「ぼーっとしてたけど大丈夫?」
「ええ、少し疲れただけです。…あ、いただきますね。」
心配そうな杉元に適当な理由を言って、杯を近づけた。杉元はそれ以上特に気にした様子も鳴く、徳利をさくらの杯に傾けた。
「さくらちゃんって意外と飲めるよねー!」
頬を赤らませてできあがってきた白石がそう言った。
「たしなむ程度ですよ。」
「二人で杉元たちを待ってるときなんか一升瓶半分は飲んでたぜ?」
「ええー?!さくらさんそうなの?!」
杉元が驚いたように声を上げた。自身ではそれほど意識をしていなかったが、白石はよく人を見ている。酔っていそうにみえてちゃっかり人の飲酒量を見ていたのか。飲めない部類では無いが、現代ではそこまで酒を飲む機会がなかった。つきあいで飲む時には相手に合わせてのんでいるため、限界を迎えることはほぼなかった。しかも、接待の席では気を張っているため酔わない性質でもあり、今の状況も同じく酔うことはまずない。杉元と白石は楽しそうにきゃっきゃ騒いでいる。それを適当にあしらいながらさくらは食事にありついていた。
すると、こちらへ腰の曲がった老人が近づいてきた。騒いでいる二人は気づいていないようだ。さくらは不思議に思いながらその老人を見つめた。今にも倒れそうな足取りのおぼつかなさに心配になったと言った方がいいかもしれない。老人は杉元のほうへ行くと、「あんたらヤン衆にみえないねえ。旅行かい?」と話しかけてきた。確かに子供と女連れでは旅行客かと思われるだろう。しかし、力仕事の必要なこの漁場で、この老人もなかなか不釣り合いであった。この人も旅行だろうか…?
「ええ…まあ、あなたも?」
杉元も同じくそう問いかけた。しかし、老人はその問いには答えず、アシリパの方に向かった。そして、おもむろにアシリパを抱き上げた。
「めんこい子じゃなあ。儂の孫と歳も同じくらいじゃ。だっこしてかまわんかのう?」
そういいながらすでに両手でアシリパを抱き上げているところだ。先ほどの様子に反して、軽々と持ち上げる様子に違和感を覚える。しかし、杉元は特に気にする様子もなく、「眠いと機嫌悪いですよ。」と老人のさせたいようにさせている。
「きれいな瞳の色だ。よく見ると青の中に緑が散っておる…ロシア人の血が混ざっておるのかな?」
「ひっ!!!」
「どうした?」
「え?!いやっ…」
白石の様子に杉元は一瞬不思議そうにしたが、老人がアシリパを膝で寝かしつけてしまったことと、次の老人の言葉に意識が向けられしまった。
「同じ目をした知り合いがいる。この子の名前は?」
「……アシリパ。」
「和名は?戸籍上の名前があるはずだ。」
先ほどのよぼよぼした老人の様子とは違い、杉元も身構えたようだ。さくらは3人の様子をじっとみつめた。
「さあ…聞いたこともないなあ。」
なんてことない顔をしながら、杉元の目は人なつこいあの目から一瞬で変わっていた。白石のほうは青い顔で自身の膝を見つめている。
…なにか知っている。
街でのいやに「偶然な」有力情報や、この態度が、白石が何かをこちら側に隠しているのだと決定づけた。その隠し事にきっとこの老人は関わっている。…感覚的なものであるが、さくらはそう直感した。杉元のほうは老人と対峙していることで、白石の様子には気づいていないようだ。二人でじいっと互いを探るように見つめている。しばらくすると老人が口を開いた。
「今にも血が噴き出しそうな生々しい顔の傷。梅戸にも似たような傷があった。」
「ウメド?あんたの友達かい?」
「だが、その内に秘めた凶暴さは…鍬次郎かな。」
梅戸、そして鍬次郎という名前に、さくらはぴくり、反応した。杉元の問いにこたえず、言葉を継げる老人に、杉元はじと、と視線を流した。もはや、警戒してというより、老人の言葉にあきれているような雰囲気だ。老人は白石にアシリパを預けると、すっと立ち上がり、一瞬さくらの方に視線をよこした。
「…こころねは『つね』さんか。」
そう言うと、老人は来たときとおなじく、足取りおぼつかないように去って行った。杉元は「変なじいさんだったな。」と首をかしげ、なにかを飲み込むように白石は徳利ごと酒をあおった。さくらも杯をぐいっと上げながら、老人の意味深な言葉に考えを巡らせた。
どれも共通点がある。
しかし、明治の時代に『新撰組』の隊士や、その妻にまで知識を持った人物がいるのだろうか…。さくらは一時期、幕末の志士にはまっていたことがある。以前、テレビで新撰組や倒幕派の隊士たちの人間模様や志に触れて、自身でも書籍などで情報収集していたときがあった。一度凝りはじめると深く突き詰めていくタイプだからということもあり、新撰組局長の妻や、有名どころでは無いが功績を残した隊士まで、片っ端から調べていた。そのときに出てきた中の人物の名が上がってきたのだ。「つね」とは近藤勇の正妻の名だ。近藤のために献身的で、夫が家を空けている間は一家を支え、夫の死後も彼に尽くした女性だ。京都で好き放題の近藤の有様に女としていい気はしない。しかし、「つね」の強く芯のある様はさくらには印象的であった。自分がそんな女性のようだと…?老人の言葉に疑問を抱く。生きるために杉元たちを頼っているだけの自身が「つね」と同じ強い女性とはとても思えなかった。
「さくらさん、難しい顔してるよ。」
またしても杉元の顔がこちらをのぞきこんでいた。
「…さっきの人が気になりまして。」
「なんか変なじいさんだったよね。ぼけてるかと思ったら鋭い目もするし。」
杉元の声にかぶせるように白石が声を上げた。
「もう遅いし、アシリパちゃんも爆睡してることだし、俺たちも寝ようぜ。」
確かに夜も更け、周りでは横になっている男たちがちらほらいた。白石はすぐ横になっていびきをかいて寝始めた。さくらも少しあたりを見回してから、横になった。正直、男だらけの環境で横になるのは抵抗があるが仕方ない。囲炉裏を前に、小さくなった。すると、背中側で杉元が横になった。振り返ると、杉元がこちら向きで寝そべっている。
「男ばかりで気が休まらないかもしれないけど、俺が見てるから休みなよ。」
さくらの気持ちを察して、まるで守るような体勢だ。
「それでは杉元さんが寝られません。どうぞ気にせず休んでください。」
そう言っても杉元は動こうとはしなかった。
「俺は少し眠れば大丈夫な体だから。…さくらさん、ずっと気を張ってるだろ?そっちの方が体力使うより疲れるからさ。」
ぽん、と杉元はさくらの肩をたたいた。まるで子供を寝かしつけるように規則正しい振動が体を揺らした。杉元の体温の上がった手のひらからじんわりと熱が伝わる。不思議と安心感がある。
「…気づいてたんですね。」
杉元と再会してから、さくらが気を休ませずにいたこと。白石だけでは無い、杉元にさえ気づかれていたのか。
「出会いがあんなだったから仕方ないと思う。でも、俺はもうさくらさんの敵でもないし、さくらさんは足手まといでもないんだよ。」
心地のよい穏やかな声に自然と身を任せてしまう。
「谷垣からアシリパさんを救おうとした。丸腰であんなことできるのさくらさんくらいだよ。」
杉元はおかしそうに小さく笑った。今まで自ら重しにしていたものが、杉元の言葉でひとつひとつ取り除かれていくように思えた。
「だから、あんたはそのまま…」
杉元の言葉の続きを聞く前にさくらのまぶたは閉じた。
「…そのまま、きれいなままでいてくれ。」
杉元は小さくつぶやき、その目は囲炉裏の火が映っているからなのか熱のこもった色をしてさくらを見つめていた。
みなで分けてもらった酒と食事で体をあたためる。アシリパはすでにねむそうに、こくりこくりと船を漕いでいた。ちびちびとのみ進めるさくらの傍らで杉元と白石は楽しそうに杯を上げている。その様子を見ながら、先ほどの杉元の表情と自然と比べてしまった。船の上で辺見の皮を剥ぐ姿。手伝いを買って出たが、やんわり拒否され、杉元は一人、光のこもらない瞳で黙々と作業をしていた。まるで、これは自分の仕事だとでもいうように。それは、普段の表情豊かな彼とは全く異質だった。彼は一体なにを思っているのだろうか。胸の奥がざわつくような感覚がしても、さくらは見ていることしかできなかった。
「…さくらさん?」
ふいに杉元の声で現実に引き戻された。徳利をかかげた状態でこちらをのぞき込んでいる。
「ぼーっとしてたけど大丈夫?」
「ええ、少し疲れただけです。…あ、いただきますね。」
心配そうな杉元に適当な理由を言って、杯を近づけた。杉元はそれ以上特に気にした様子も鳴く、徳利をさくらの杯に傾けた。
「さくらちゃんって意外と飲めるよねー!」
頬を赤らませてできあがってきた白石がそう言った。
「たしなむ程度ですよ。」
「二人で杉元たちを待ってるときなんか一升瓶半分は飲んでたぜ?」
「ええー?!さくらさんそうなの?!」
杉元が驚いたように声を上げた。自身ではそれほど意識をしていなかったが、白石はよく人を見ている。酔っていそうにみえてちゃっかり人の飲酒量を見ていたのか。飲めない部類では無いが、現代ではそこまで酒を飲む機会がなかった。つきあいで飲む時には相手に合わせてのんでいるため、限界を迎えることはほぼなかった。しかも、接待の席では気を張っているため酔わない性質でもあり、今の状況も同じく酔うことはまずない。杉元と白石は楽しそうにきゃっきゃ騒いでいる。それを適当にあしらいながらさくらは食事にありついていた。
すると、こちらへ腰の曲がった老人が近づいてきた。騒いでいる二人は気づいていないようだ。さくらは不思議に思いながらその老人を見つめた。今にも倒れそうな足取りのおぼつかなさに心配になったと言った方がいいかもしれない。老人は杉元のほうへ行くと、「あんたらヤン衆にみえないねえ。旅行かい?」と話しかけてきた。確かに子供と女連れでは旅行客かと思われるだろう。しかし、力仕事の必要なこの漁場で、この老人もなかなか不釣り合いであった。この人も旅行だろうか…?
「ええ…まあ、あなたも?」
杉元も同じくそう問いかけた。しかし、老人はその問いには答えず、アシリパの方に向かった。そして、おもむろにアシリパを抱き上げた。
「めんこい子じゃなあ。儂の孫と歳も同じくらいじゃ。だっこしてかまわんかのう?」
そういいながらすでに両手でアシリパを抱き上げているところだ。先ほどの様子に反して、軽々と持ち上げる様子に違和感を覚える。しかし、杉元は特に気にする様子もなく、「眠いと機嫌悪いですよ。」と老人のさせたいようにさせている。
「きれいな瞳の色だ。よく見ると青の中に緑が散っておる…ロシア人の血が混ざっておるのかな?」
「ひっ!!!」
「どうした?」
「え?!いやっ…」
白石の様子に杉元は一瞬不思議そうにしたが、老人がアシリパを膝で寝かしつけてしまったことと、次の老人の言葉に意識が向けられしまった。
「同じ目をした知り合いがいる。この子の名前は?」
「……アシリパ。」
「和名は?戸籍上の名前があるはずだ。」
先ほどのよぼよぼした老人の様子とは違い、杉元も身構えたようだ。さくらは3人の様子をじっとみつめた。
「さあ…聞いたこともないなあ。」
なんてことない顔をしながら、杉元の目は人なつこいあの目から一瞬で変わっていた。白石のほうは青い顔で自身の膝を見つめている。
…なにか知っている。
街でのいやに「偶然な」有力情報や、この態度が、白石が何かをこちら側に隠しているのだと決定づけた。その隠し事にきっとこの老人は関わっている。…感覚的なものであるが、さくらはそう直感した。杉元のほうは老人と対峙していることで、白石の様子には気づいていないようだ。二人でじいっと互いを探るように見つめている。しばらくすると老人が口を開いた。
「今にも血が噴き出しそうな生々しい顔の傷。梅戸にも似たような傷があった。」
「ウメド?あんたの友達かい?」
「だが、その内に秘めた凶暴さは…鍬次郎かな。」
梅戸、そして鍬次郎という名前に、さくらはぴくり、反応した。杉元の問いにこたえず、言葉を継げる老人に、杉元はじと、と視線を流した。もはや、警戒してというより、老人の言葉にあきれているような雰囲気だ。老人は白石にアシリパを預けると、すっと立ち上がり、一瞬さくらの方に視線をよこした。
「…こころねは『つね』さんか。」
そう言うと、老人は来たときとおなじく、足取りおぼつかないように去って行った。杉元は「変なじいさんだったな。」と首をかしげ、なにかを飲み込むように白石は徳利ごと酒をあおった。さくらも杯をぐいっと上げながら、老人の意味深な言葉に考えを巡らせた。
どれも共通点がある。
しかし、明治の時代に『新撰組』の隊士や、その妻にまで知識を持った人物がいるのだろうか…。さくらは一時期、幕末の志士にはまっていたことがある。以前、テレビで新撰組や倒幕派の隊士たちの人間模様や志に触れて、自身でも書籍などで情報収集していたときがあった。一度凝りはじめると深く突き詰めていくタイプだからということもあり、新撰組局長の妻や、有名どころでは無いが功績を残した隊士まで、片っ端から調べていた。そのときに出てきた中の人物の名が上がってきたのだ。「つね」とは近藤勇の正妻の名だ。近藤のために献身的で、夫が家を空けている間は一家を支え、夫の死後も彼に尽くした女性だ。京都で好き放題の近藤の有様に女としていい気はしない。しかし、「つね」の強く芯のある様はさくらには印象的であった。自分がそんな女性のようだと…?老人の言葉に疑問を抱く。生きるために杉元たちを頼っているだけの自身が「つね」と同じ強い女性とはとても思えなかった。
「さくらさん、難しい顔してるよ。」
またしても杉元の顔がこちらをのぞきこんでいた。
「…さっきの人が気になりまして。」
「なんか変なじいさんだったよね。ぼけてるかと思ったら鋭い目もするし。」
杉元の声にかぶせるように白石が声を上げた。
「もう遅いし、アシリパちゃんも爆睡してることだし、俺たちも寝ようぜ。」
確かに夜も更け、周りでは横になっている男たちがちらほらいた。白石はすぐ横になっていびきをかいて寝始めた。さくらも少しあたりを見回してから、横になった。正直、男だらけの環境で横になるのは抵抗があるが仕方ない。囲炉裏を前に、小さくなった。すると、背中側で杉元が横になった。振り返ると、杉元がこちら向きで寝そべっている。
「男ばかりで気が休まらないかもしれないけど、俺が見てるから休みなよ。」
さくらの気持ちを察して、まるで守るような体勢だ。
「それでは杉元さんが寝られません。どうぞ気にせず休んでください。」
そう言っても杉元は動こうとはしなかった。
「俺は少し眠れば大丈夫な体だから。…さくらさん、ずっと気を張ってるだろ?そっちの方が体力使うより疲れるからさ。」
ぽん、と杉元はさくらの肩をたたいた。まるで子供を寝かしつけるように規則正しい振動が体を揺らした。杉元の体温の上がった手のひらからじんわりと熱が伝わる。不思議と安心感がある。
「…気づいてたんですね。」
杉元と再会してから、さくらが気を休ませずにいたこと。白石だけでは無い、杉元にさえ気づかれていたのか。
「出会いがあんなだったから仕方ないと思う。でも、俺はもうさくらさんの敵でもないし、さくらさんは足手まといでもないんだよ。」
心地のよい穏やかな声に自然と身を任せてしまう。
「谷垣からアシリパさんを救おうとした。丸腰であんなことできるのさくらさんくらいだよ。」
杉元はおかしそうに小さく笑った。今まで自ら重しにしていたものが、杉元の言葉でひとつひとつ取り除かれていくように思えた。
「だから、あんたはそのまま…」
杉元の言葉の続きを聞く前にさくらのまぶたは閉じた。
「…そのまま、きれいなままでいてくれ。」
杉元は小さくつぶやき、その目は囲炉裏の火が映っているからなのか熱のこもった色をしてさくらを見つめていた。