白銀の世界で
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
便器からのぞく顔は、先ほどここで話をした男のものだった。
一時間もたたないうちに、生きていた人間から、まるで物のようにうち捨てられていた。山での二瓶と杉元の命のやりとりはさくらにとって衝撃であったが、それと違う気持ちの悪さを感じる。まるで人の命を替えのきく玩具のように扱う、殺人犯の行為。己の心情のために戦いに命を差し出す二瓶たちとは根本から違うように思えた。
「これは…何だ?」
アシリパの困惑した声に現実に引き戻された。
「早く杉元さんに伝えましょう。ここは危ない。」
席を立った少女の声が聞こえた。杉元さんは「どうした?」と厠の方へ目を向けた。ここでばれてしまったら…この人に殺してもらえない!
「あ!お仕事を紹介するのに見せたい物があったんです!」
…邪魔の入らないところに連れ出さないとな。杉元さんは素直に外に着いてきてくれた。あの少女は死体を見てしまった。自分の素性がばれるのも時間の問題だ。その前に、早く…早く二人っきりになれる場所にいかないと。…そういえば、あの女の方が何か窺うようにしていたな。先に殺しておくか…?
「見せたい物ってなんだ?」
いいや!ここで待たせたらいつチャンスが巡ってくるか分からない。
「え?…ああ、こちらです。」
杉元さんに「粕たたき」と「こまざらい」を見せる。どちらが僕を殺すのにお気に入りかな。その瞳にうつされて、太い腕で包丁を僕の体に少しずつ差し入れていく…。ああ、想像しただけで…!
「いや、だからさ俺らはもう行くよ。ニシン漬けごちそうさま。」
そう言って背を向けようとする杉元さんに、どうしたら足を止めてもらえるのか。考えているうちに、進行方向を向いていってしまいそうになる。…なにか、なにか言わなくちゃ。
「…第七師団……!!」
「見つかるとまずいんですか…?」
僕のまいたえさに第七師団まで。でも、いい口実ができた。
「あそこにかくまってもらいましょう!親方が住む豪邸で隠れるところがいっぱいあります!」
元いた場所には食べかけの膳が残されていた。
「まだ遠くには行っていないはずだ。探そう。」
きりっとした表情でアシリパはすぐに行動に移した。さくらも同じく、アシリパの後に続いて番屋を後にした。
アシリパは番屋から続くいくつかの足跡のうち、杉元のものを見つけようとしたが、多くの人が出入りするため、分かる足跡は残っていなかった。うーん、と唸るアシリパをみてさくらは声をかけた。
「漁場の人たちに聞いてみましょうか。…それより、厠は行かなくても大丈夫…?」
…あ!と気づいた時には、今度は青い顔をしてアシリパが股を押さえはじめた。…余計なことを言わなければよかった。急いで当たりを見回すと、建物らしきものは丘の上の屋敷が一番近そうだ。
「アシリパさん…あのお屋敷まで我慢できる?」
こく!こく!と力強く頷くアシリパを連れて、まずは屋敷へと向かった。道中つらそうにしていたが、なんとか勝手口まで行くことができ、そこの女中さんに声をかけた。気のいい人で、アシリパの顔色をみて、心配そうにしながら、一番ここから近い来賓用の厠を案内してくれた。
先ほどの番屋とは造りがまるでちがう。洋風と和風の組み合わさった豪邸は、ガラス張りの窓や、廊下のあちこちに有田焼の花瓶に添えられた花や、タペストリーが飾ってあった。廊下といえども色鮮やかな装飾に驚く。アシリパを待っている間、廊下に飾られたものを眺めていると、かすかにピアノの音色が耳に入った。
「これは…」
「洋琴ですよ。屋上に旦那様があつらえているんですよ。」
女中さんは頭上を指さして言った。
「よろしければご案内しますよ。」
人の良さそうな笑顔で提案される。しかし、厠を借りたくらいで、部屋までじろじろと見回すのは気が引けた。
「そうそう洋琴はお目にかかれませんから!」
先ほどまで廊下の調度品を見ていたのが、勘違いされたのだろう。美術品に興味があると思われているのだろうと察せられた。しかし、ここで女中の仕事を中断させては申し訳ない。
「お手間をおかけしては申し訳ありませんし、」
「娘さんにも見せて差し上げたらきっと喜びますよ!旦那様は気にされませんから、その階段を上がって見ていってくださいな。」
そう快活な笑顔で告げると、女中さんは自身の持ち場へと戻ってしまった。
「娘……。」
この時代であれば、あれくらいの子供を持っていてもおかしくないのか。一瞬、驚いて声も出せなかったが、考えてみれば現代とは出産年齢がまるで違うのだ。そう思われても致し方ないだろう。そう頭で理解しても、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
再びピアノの音色に耳を傾けた。「月の光」繊細なタッチで旋律を奏でている。どんな人が演奏しているのだろうか。幼い頃、教養としてピアノを習っていたときの記憶がよみがえってくる。実家のピアノの隣にはいつも母が居た。ワルツを奏でて、ときには連弾をして。母の演奏を聴くこともあった。モノクロの鍵盤をなめらかに動く細い指と、繊細な音色。今まで忘れていたあたたかな記憶がよみがえってくる。この曲はその中でも、母が好んで演奏していたものだ。そして、さくら自身も母のように、よく弾いていたものの一つだ。
懐かしさに、自然と足は階段へと向かっていた。
この世界で初めて自身の世界とのつながりがあったのだ。記憶のなかの光景をたぐり寄せるように、音の方へと進んでいく。
一体どんな人が奏でているのだろう。
優しくて、包み込むような旋律が心地いい。
「おや、さくらくんじゃないか。」
たどった音の先には、繊細な音とは不釣り合いな、軍服姿の男が佇んでいた。そして黒く光るピアノの上には同じく、鈍く光る銃身が置かれていた。
一時間もたたないうちに、生きていた人間から、まるで物のようにうち捨てられていた。山での二瓶と杉元の命のやりとりはさくらにとって衝撃であったが、それと違う気持ちの悪さを感じる。まるで人の命を替えのきく玩具のように扱う、殺人犯の行為。己の心情のために戦いに命を差し出す二瓶たちとは根本から違うように思えた。
「これは…何だ?」
アシリパの困惑した声に現実に引き戻された。
「早く杉元さんに伝えましょう。ここは危ない。」
席を立った少女の声が聞こえた。杉元さんは「どうした?」と厠の方へ目を向けた。ここでばれてしまったら…この人に殺してもらえない!
「あ!お仕事を紹介するのに見せたい物があったんです!」
…邪魔の入らないところに連れ出さないとな。杉元さんは素直に外に着いてきてくれた。あの少女は死体を見てしまった。自分の素性がばれるのも時間の問題だ。その前に、早く…早く二人っきりになれる場所にいかないと。…そういえば、あの女の方が何か窺うようにしていたな。先に殺しておくか…?
「見せたい物ってなんだ?」
いいや!ここで待たせたらいつチャンスが巡ってくるか分からない。
「え?…ああ、こちらです。」
杉元さんに「粕たたき」と「こまざらい」を見せる。どちらが僕を殺すのにお気に入りかな。その瞳にうつされて、太い腕で包丁を僕の体に少しずつ差し入れていく…。ああ、想像しただけで…!
「いや、だからさ俺らはもう行くよ。ニシン漬けごちそうさま。」
そう言って背を向けようとする杉元さんに、どうしたら足を止めてもらえるのか。考えているうちに、進行方向を向いていってしまいそうになる。…なにか、なにか言わなくちゃ。
「…第七師団……!!」
「見つかるとまずいんですか…?」
僕のまいたえさに第七師団まで。でも、いい口実ができた。
「あそこにかくまってもらいましょう!親方が住む豪邸で隠れるところがいっぱいあります!」
元いた場所には食べかけの膳が残されていた。
「まだ遠くには行っていないはずだ。探そう。」
きりっとした表情でアシリパはすぐに行動に移した。さくらも同じく、アシリパの後に続いて番屋を後にした。
アシリパは番屋から続くいくつかの足跡のうち、杉元のものを見つけようとしたが、多くの人が出入りするため、分かる足跡は残っていなかった。うーん、と唸るアシリパをみてさくらは声をかけた。
「漁場の人たちに聞いてみましょうか。…それより、厠は行かなくても大丈夫…?」
…あ!と気づいた時には、今度は青い顔をしてアシリパが股を押さえはじめた。…余計なことを言わなければよかった。急いで当たりを見回すと、建物らしきものは丘の上の屋敷が一番近そうだ。
「アシリパさん…あのお屋敷まで我慢できる?」
こく!こく!と力強く頷くアシリパを連れて、まずは屋敷へと向かった。道中つらそうにしていたが、なんとか勝手口まで行くことができ、そこの女中さんに声をかけた。気のいい人で、アシリパの顔色をみて、心配そうにしながら、一番ここから近い来賓用の厠を案内してくれた。
先ほどの番屋とは造りがまるでちがう。洋風と和風の組み合わさった豪邸は、ガラス張りの窓や、廊下のあちこちに有田焼の花瓶に添えられた花や、タペストリーが飾ってあった。廊下といえども色鮮やかな装飾に驚く。アシリパを待っている間、廊下に飾られたものを眺めていると、かすかにピアノの音色が耳に入った。
「これは…」
「洋琴ですよ。屋上に旦那様があつらえているんですよ。」
女中さんは頭上を指さして言った。
「よろしければご案内しますよ。」
人の良さそうな笑顔で提案される。しかし、厠を借りたくらいで、部屋までじろじろと見回すのは気が引けた。
「そうそう洋琴はお目にかかれませんから!」
先ほどまで廊下の調度品を見ていたのが、勘違いされたのだろう。美術品に興味があると思われているのだろうと察せられた。しかし、ここで女中の仕事を中断させては申し訳ない。
「お手間をおかけしては申し訳ありませんし、」
「娘さんにも見せて差し上げたらきっと喜びますよ!旦那様は気にされませんから、その階段を上がって見ていってくださいな。」
そう快活な笑顔で告げると、女中さんは自身の持ち場へと戻ってしまった。
「娘……。」
この時代であれば、あれくらいの子供を持っていてもおかしくないのか。一瞬、驚いて声も出せなかったが、考えてみれば現代とは出産年齢がまるで違うのだ。そう思われても致し方ないだろう。そう頭で理解しても、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
再びピアノの音色に耳を傾けた。「月の光」繊細なタッチで旋律を奏でている。どんな人が演奏しているのだろうか。幼い頃、教養としてピアノを習っていたときの記憶がよみがえってくる。実家のピアノの隣にはいつも母が居た。ワルツを奏でて、ときには連弾をして。母の演奏を聴くこともあった。モノクロの鍵盤をなめらかに動く細い指と、繊細な音色。今まで忘れていたあたたかな記憶がよみがえってくる。この曲はその中でも、母が好んで演奏していたものだ。そして、さくら自身も母のように、よく弾いていたものの一つだ。
懐かしさに、自然と足は階段へと向かっていた。
この世界で初めて自身の世界とのつながりがあったのだ。記憶のなかの光景をたぐり寄せるように、音の方へと進んでいく。
一体どんな人が奏でているのだろう。
優しくて、包み込むような旋律が心地いい。
「おや、さくらくんじゃないか。」
たどった音の先には、繊細な音とは不釣り合いな、軍服姿の男が佇んでいた。そして黒く光るピアノの上には同じく、鈍く光る銃身が置かれていた。