白銀の世界で
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しばらく杉元の腕に抱かれたまま移動することになった。冬の冷たい風が顔を刺すようだ。しかし、そんなことをかまっている余裕はない。アシリパの身を案じて、杉元も白石も必死で足を進めた。
視界が開けたところで、木に縄で縛り上げられているアシリパと、倒れ込む二瓶の姿があった。かたわらでは、白い狼ともう一頭が寄り添っていた。
終わったのだ。
「やっぱり女は恐ろしい。……だが満足だ。」
血だらけの二瓶はそう言い、満足そうに瞳を閉じた。男を皆で見つめた。二瓶と狼との戦いはこれで幕を閉じた。肩から胸にかけて大きな傷と血が溢れている。…もう永くない。それは二瓶も取り囲む者達も分かっていた。
この男にとって、山で生き、山で死ぬことが、望んだ最期だったのだ。そう思わせる死顔だった。二瓶は人の世界で生きることより、山で死ぬことを選んだのだ。その最期を飾る白い狼を冥土の土産として。
後ろから谷垣が荒い息をさせながら、近づいてきた。杉元も白石もそれに警戒したような視線を向けたが、谷垣は負傷した足を引きずり、二瓶の前に膝をついた。
「コレヨリノチノ ヨニウマレテ…」
彼の故郷なのか、猟師の追悼の言葉なのだろうか。冬の冷たい空気を震わせて、雪山にその声が静かに響いた。この男のことなど何も知らない。元囚人の、アシリパの大切な狼を狙った男だ。なのに、泣きたくなるくらい胸が締めつけられる。
現代ではただ、仕事をして日々を生きてきた。しかし、ここでは濃密な生と死が眼前にあるのだ。眩しいくらい力強い生とそれと同じく一瞬の煌めきを残して消えてしまう死が。二瓶の生き様は、さくらにとって衝撃的であった。
「さくら…泣くくらいなら、お前も祈ってやれ。」
「え…?」
アシリパの言葉で初めて自分の頬に涙が伝っているのだと気付いた。
「何で…」
「祈りは相手を天に送るためだけではない。遺された者の癒やしでもあるんだ。自分の気持ちに区切りを付けるために。」
何が悲しいわけでもない。この男に同情しているわけでもない。なのに涙伝う。自分でも制御しきれない感情の波をどうすることもできず、ただ、アシリパに言われた通り、目を閉じて手を合わせた。何を祈るわけでもなく、そうしてみると不思議と気持ちが収まってきた。
生と死が間近にあるこの世界で、私は生きるのだ。生きてやるのだ。そう、心に刻んだ。
しばらく祈りを捧げた後、アシリパと白石は谷垣を担架に乗せて出発することになった。さくらはと言うと、杉元が刺青人皮を剥がすまで待ち、背負われていくことになった。初めは男性陣が先にさくらを運ぶと言ったが、谷垣の怪我の具合は一刻を争っていた。獲物を獲るための強力な毒矢が刺さったのだ。先に手当てしたほうがいい。そう説得して先に行ってもらうことになった。
「さくらさん、本当に大丈夫?見てて気持ちの良いもんじゃないよ?」
「杉元さんだけ嫌な気持ちで作業するのも如何なものかと思いますよ。」
それに、この旅に同行するというのならば、汚れ仕事を杉元だけに任せるのは都合が良いのではないかとも思ったのだ。はじめは男の服を脱がせ、刺青人皮を剥がすところも手伝おうとしたが、杉元に止められた。ならば、見るだけでも、と近くに腰を下ろして杉元の作業を見つめた。
先ほどまであたたかかった男の肌に刃物がすっと、差し込まれた。どろりとした血が流れ、杉元のナイフが滑るように背中をパックリと開けていく。まるで解体作業だ。学生の時、家畜の屠殺を映像で見たことがあった。授業の一環といっても、気持ち悪くなったことを覚えている。目の前には生身の人間の死体だ。人が皮を剥かれ、赤い肉の塊になっていく様子は、見ていて、喉からせり上がってくるものがある。
「…うぅ」
反射的に口元を押さえて嘔吐感を抑えた。
「だから言っただろうが。女が見慣れて良いもんじゃねえよ、こんなの。」
杉元が呆れたような声をかけた。
自分でも分かっているのだ。こんな強がりをしたところで、私は現代のひ弱な女なんだということくらい。しかし、ここで逃げてはいけないのだ。二瓶の死闘は目の当たりにすることなく、彼の綺麗な死顔だけをみて、終わりにするというのは、さくらにとって都合のいい終わり方である。彼の刺青を欲している自分が、狼と極限の戦いをしたといってもいい者の亡骸を触れもせず、目的を達成するというのは何とも都合がいい。杉元にだけ、二瓶の亡骸と対峙させ、彼らとの旅に死を知らぬまま、綺麗なところだけを見ているなんて。
「いいえ、少しでも慣れておかなくては、足手まといになります。お気になさらずどうぞ続けてください。」
杉元は小さくため息をついて、「しゃあねえな」と、少し、背中で二瓶の姿を隠しながら作業を再開した。
「隠さないで。」
それが杉元の気遣いなのだと分かっていても、これは自分にとっては区切りなのだ。『こちら側』で生きるという決意表明なのだ。現代を生きていた、いや、生きていたとも言えない生活をしていた自分自身と決別するために、必要なことなのだ。
今まで聞いたことのないさくらの強い口調に、杉元は何かを察したのか、背中をどかせて、作業に移った。
「あんたの心意気には感心するんだけどさ…」
杉元はそう言って口を噤んだ。
「はい…?」
含みのある言い方に聞き返すも、杉元は口には出さず、全ての皮を剥がし終えた。
「さあ、アシリパさんたちのところへ戻ろう。」
さくらさん、何でそんなに焦ってるの?
でかかった言葉を飲み込んで、さくらを背におぶった。
視界が開けたところで、木に縄で縛り上げられているアシリパと、倒れ込む二瓶の姿があった。かたわらでは、白い狼ともう一頭が寄り添っていた。
終わったのだ。
「やっぱり女は恐ろしい。……だが満足だ。」
血だらけの二瓶はそう言い、満足そうに瞳を閉じた。男を皆で見つめた。二瓶と狼との戦いはこれで幕を閉じた。肩から胸にかけて大きな傷と血が溢れている。…もう永くない。それは二瓶も取り囲む者達も分かっていた。
この男にとって、山で生き、山で死ぬことが、望んだ最期だったのだ。そう思わせる死顔だった。二瓶は人の世界で生きることより、山で死ぬことを選んだのだ。その最期を飾る白い狼を冥土の土産として。
後ろから谷垣が荒い息をさせながら、近づいてきた。杉元も白石もそれに警戒したような視線を向けたが、谷垣は負傷した足を引きずり、二瓶の前に膝をついた。
「コレヨリノチノ ヨニウマレテ…」
彼の故郷なのか、猟師の追悼の言葉なのだろうか。冬の冷たい空気を震わせて、雪山にその声が静かに響いた。この男のことなど何も知らない。元囚人の、アシリパの大切な狼を狙った男だ。なのに、泣きたくなるくらい胸が締めつけられる。
現代ではただ、仕事をして日々を生きてきた。しかし、ここでは濃密な生と死が眼前にあるのだ。眩しいくらい力強い生とそれと同じく一瞬の煌めきを残して消えてしまう死が。二瓶の生き様は、さくらにとって衝撃的であった。
「さくら…泣くくらいなら、お前も祈ってやれ。」
「え…?」
アシリパの言葉で初めて自分の頬に涙が伝っているのだと気付いた。
「何で…」
「祈りは相手を天に送るためだけではない。遺された者の癒やしでもあるんだ。自分の気持ちに区切りを付けるために。」
何が悲しいわけでもない。この男に同情しているわけでもない。なのに涙伝う。自分でも制御しきれない感情の波をどうすることもできず、ただ、アシリパに言われた通り、目を閉じて手を合わせた。何を祈るわけでもなく、そうしてみると不思議と気持ちが収まってきた。
生と死が間近にあるこの世界で、私は生きるのだ。生きてやるのだ。そう、心に刻んだ。
しばらく祈りを捧げた後、アシリパと白石は谷垣を担架に乗せて出発することになった。さくらはと言うと、杉元が刺青人皮を剥がすまで待ち、背負われていくことになった。初めは男性陣が先にさくらを運ぶと言ったが、谷垣の怪我の具合は一刻を争っていた。獲物を獲るための強力な毒矢が刺さったのだ。先に手当てしたほうがいい。そう説得して先に行ってもらうことになった。
「さくらさん、本当に大丈夫?見てて気持ちの良いもんじゃないよ?」
「杉元さんだけ嫌な気持ちで作業するのも如何なものかと思いますよ。」
それに、この旅に同行するというのならば、汚れ仕事を杉元だけに任せるのは都合が良いのではないかとも思ったのだ。はじめは男の服を脱がせ、刺青人皮を剥がすところも手伝おうとしたが、杉元に止められた。ならば、見るだけでも、と近くに腰を下ろして杉元の作業を見つめた。
先ほどまであたたかかった男の肌に刃物がすっと、差し込まれた。どろりとした血が流れ、杉元のナイフが滑るように背中をパックリと開けていく。まるで解体作業だ。学生の時、家畜の屠殺を映像で見たことがあった。授業の一環といっても、気持ち悪くなったことを覚えている。目の前には生身の人間の死体だ。人が皮を剥かれ、赤い肉の塊になっていく様子は、見ていて、喉からせり上がってくるものがある。
「…うぅ」
反射的に口元を押さえて嘔吐感を抑えた。
「だから言っただろうが。女が見慣れて良いもんじゃねえよ、こんなの。」
杉元が呆れたような声をかけた。
自分でも分かっているのだ。こんな強がりをしたところで、私は現代のひ弱な女なんだということくらい。しかし、ここで逃げてはいけないのだ。二瓶の死闘は目の当たりにすることなく、彼の綺麗な死顔だけをみて、終わりにするというのは、さくらにとって都合のいい終わり方である。彼の刺青を欲している自分が、狼と極限の戦いをしたといってもいい者の亡骸を触れもせず、目的を達成するというのは何とも都合がいい。杉元にだけ、二瓶の亡骸と対峙させ、彼らとの旅に死を知らぬまま、綺麗なところだけを見ているなんて。
「いいえ、少しでも慣れておかなくては、足手まといになります。お気になさらずどうぞ続けてください。」
杉元は小さくため息をついて、「しゃあねえな」と、少し、背中で二瓶の姿を隠しながら作業を再開した。
「隠さないで。」
それが杉元の気遣いなのだと分かっていても、これは自分にとっては区切りなのだ。『こちら側』で生きるという決意表明なのだ。現代を生きていた、いや、生きていたとも言えない生活をしていた自分自身と決別するために、必要なことなのだ。
今まで聞いたことのないさくらの強い口調に、杉元は何かを察したのか、背中をどかせて、作業に移った。
「あんたの心意気には感心するんだけどさ…」
杉元はそう言って口を噤んだ。
「はい…?」
含みのある言い方に聞き返すも、杉元は口には出さず、全ての皮を剥がし終えた。
「さあ、アシリパさんたちのところへ戻ろう。」
さくらさん、何でそんなに焦ってるの?
でかかった言葉を飲み込んで、さくらを背におぶった。