星降る夜に
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目の前が白い靄に包まれる。
ふっと、気がついたときには人工的な灯りが目の前に映った。
「えっ……?うそ」
パシャ、と水音を勢いよくさせてさくらは湯船の中から飛び上がった。
「生きてる……?」
『あちら』にいく前は、確かに風呂に浸かっていた。しかし、こんな長い間、しかも全裸で、風呂にいるなんてあり得ないことだ。だから、初めに思ったのは自分は死んでしまったのでは?という疑問だった。自身の体に触れてみる。感触はしっかりある。それに…手のひらにはあの貝紅が握られている。夢、ではなさそうだ。ならばこれはどういう……。
混乱する頭で、まずは浴室から出て、簡単に身支度を整えた。いつも就寝で身につける夜着に着替えて自分の部屋へ戻った。一人暮らしの見慣れた自室。キッチンには夕食後の食器が洗って乾かしてる。まだ水の滴るそれに、風呂に入ってから何分も経っていないことがうかがえた。忍術学園で過ごした日々。短くない時間を過ごしていたが、『こちら』では数分の間のことだったのか……。
さくらは力が抜けたようにその場で座り込んだ。
「戻ってきた……」
安堵する気持ちと共に、何かがぽっかりと抜け落ちたような。つけっぱなしのテレビから変わり映えのしないニュースが流れている。キャスターの口から今日の日付が伝えられる。あの日、忍術学園の池に落ちた、まさにその日付。初夏の頃を告げていた。
「せんぱーい、大丈夫ですかー?」
ランチを共にしていた照代ちゃんが、こちらを心配そうに覗き込んでいる。
「あ、ごめん。食べる食べる。」
手元にあるパスタセット。後輩の照代ちゃんはケーキまでつけていたが、食べかけのタルトは半分がなくなっている。対してさくらの方はパスタが半分残った状態だ。
「なんか最近、先輩疲れてます?無理しないでくださいね。」
いつもなら、これくらいの量は難なく食べ切るのだが、ついぼうっとしてしまう。仕事中もふと考えてしまうのだ。今頃、みんなは何をしているだろうか、と。小松田くんは書類を撒き散らさずにやっているだろうか。は組の子供たちは元気だろうか。……土井先生は、
「ちょっと歳かしらね、胃もたれしちゃって。」
そう言いながらみぞおちをさすってみる。照代ちゃんは「もう!」と可愛く頬を膨らませた。
「本当に心配してるのに!」
照代ちゃんの天真爛漫な性格が今はありがたい。沈みそうになる気持ちが浮上してくる。考えても仕方がないことだ。今は『こちら』の世界へ戻ってきたのだ。自分の生活がある。いつものように仕事をして、こうして後輩とお昼を食べて、自分のマンションへ帰って眠りにつく。休みの日には、趣味を満喫して、充実した生活ではないか。
「冷める前に食べちゃうわね。」
そう言いながら、食べたくもないパスタに口をつけた。
現実にいるようで、そうではない。
こちらに戻ってきてから、そんな感覚に陥る。まるで自分の体から半分魂が抜け出たような、見えるものがスクリーン越しに投影されているような。……やはり疲れているのだろうか。こちらの世界での生活に、まだ体が慣れていないのかもしれない。
照代ちゃんに心配される表情ではあるものの、仕事の方は滞りなく進められていた。目立ったミスをすることもなく、いつものように担当の業務をしながら、後輩のサポートにも回る。いつもの日向 さくらの生活だ。家に帰って見慣れたニュースを見ながら、簡単な夕食を摂る。夕食が終わればシャワーを浴びて、寝る支度を整える。そういう日々を過ごして週末を迎えた。
明日は休日だ。いつものルーティーンから外れて、外で飲んで帰ろうか。これは、きっと人恋しさなのだろう。忍術学園では職場とは比べられないほど多くの人が生活し、子どもたちの成長が間近で見られる環境だった。やはり子どもがいることで賑やかだったのもあるのだろう。今の職場の落ち着いた雰囲気が、前までは好きだったのに何か物足りなく感じてしまう。道行く人は、あの時代の何倍もいるのに。繁華街を一人、歩いて行く。
「なんだ、一人で飲み歩くのは珍しいな。」
前を歩いてくる見知った人影がさくらに声を掛けた。
「高坂くんも珍しいね。今日は接待じゃないの?」
「その予定だったんだが、先方の都合でな。」
営業部で同期の高坂くん。部署は違えど、同期でたまに集まることもあり、親交はある。ただ、こうして二人で話すことは初めてだ。
「日向はもう店は決めてるか?行きつけのとこがあるんだが、一緒に行くか?」
何の気なしに高坂くんが誘いの言葉をかけてくれる。営業部の人がお気に入りのお店というのは気になる。……一人で飲むのは少し寂しいと思っていたところだ。
「ありがとう、お願いしようかな。」
さくらの返答に高坂は嬉しそうに微笑んだ。
ついて行った先はおしゃれなダイニングバーで、店内に入るとオレンジ色の間接照明が店内を照らしている。その明かりに照らされたグラスの輝き、バーカウンターに整然と並べられた酒瓶。ゆったりとしたソファ席は背もたれが高くなっており、半個室になるように円を描いている。カウンターには一人で飲んでいる客もいれば、ソファ席で食事を楽しむグループもいる。案内されたのはソファ席で、必然的に高坂くんの隣に座るように席についた。用意されたメニューを2人で覗くようにして見る。高坂くんの整った横顔が照明の柔らかな灯りでぼうっと照らされる。物憂げとも見える視線だが、それが追っているのはアルコールのメニューだ。
「高坂くんのおすすめある?」
メニューが多くて選べずにいるのも申し訳なく、聞いてみる。
「飲みやすいなら、このカクテルとかだな。あと、この白ワインも飲みやすい。」
「じゃあ、こっちにしようかな。」
オレンジベースのカクテルなら飲みやすそうだ。高坂くんはワイン、後は料理を適当に頼んでいく。テーブルには盛り付けにもこだわった様々な料理が並べられていく。自宅で食事を済ませてしまうさくらにとって、それだけで気分が上がってくる。
「おいしそう!」
思わず笑顔を見せると高坂くんもつられて笑顔になった。
「こんなに喜んでくれると連れて来た甲斐があるな」
いつもクールな高坂くんが今日は笑顔が多い。やはり、高坂くんも一人飲みより誰かと飲む方が楽しいのだろう。いいタイミングで一緒に食事ができてよかった。スモークサーモンとチーズのサラダを口に入れる。オリーブオイルの芳醇な香りとレモンの酸味がソースとなって絡んでいる。見た目だけでなく味もおしゃれだ。バケットに塗られたレバーのパテも臭みがなく食べやすい。沈んでいたのが嘘のようにさくらは慣れない料理に舌鼓を打つ。そうして二人で食事を楽しんでいると、注文していた飲み物がやって来た。高坂くんの前にワイングラスが置かれ、さくらの前にはオレンジから赤のグラデーションが美しいカクテルが運ばれた。
「きれい……」
まるで沈みゆく夕日を閉じ込めたようなカクテルだ。
「サンセットというだけあって、夕焼けみたいだな。ここのは度数も高くないから飲みやすいと思うぞ。」
グラスに口を付ける。オレンジの爽やかさとリキュールの甘みがマッチしている。さくらが終始機嫌良く満喫していると、高坂くんの方から、ため息が聞こえた。不思議に思って視線を向ける。心なしか優しげな視線を送る高坂くんと目が合う。
「どうしたの?ため息なんかして。悩み事なら聞くよ?」
素敵なお店を紹介してくれたのだ。それくらいお安い御用だ。しかし、高坂くんは首を横に振った。
「俺じゃなくてお前の方だろ。後輩の…あの元気そうな子が心配してたぞ」
「照代ちゃん?」
「同期のよしみで人肌脱いでやったが、…まあ、俺もお前が元気がなさそうなの気になってたしな」
「まさか、お店用意してくれてたり…?」
こんな素敵なお店、待ち時間もなく入れたのだ。もしかして退社してから、声かけるタイミングを窺ってたりするんじゃ…。高坂くんは片眉をあげて言葉なく答えた。そして、真剣な顔になるとさくらの方へ体ごと向けるようにして向かい合った。
「…それで、日向の悩みは何だ?俺でよければ話聞くぞ。」
本当に心配してくれているのが伝わってくる。ここで、簡単に打ち明けられたら、どれだけいいか…。手元にあるカクテルに目線を移す。飲みかけのサンセットはオレンジから赤を混ぜて、闇夜へと色を変え始めている。その色が『うるま』で見た、あの黄昏時を思い出させた。
沈みゆく夕日が地面に長い影を落とす。荒れ果てた廃神社で土井先生の表情が浮かぶ。
土井先生は黄昏時の暗闇に溶けるように、所在なさげにその場に立っていた。
「さくらさん、私は、……それでも生きなくてはいけませんか?」
あんな表情をさせ、苦痛を強いたくせに。
今も、忘れられないのだ。
ふっと、気がついたときには人工的な灯りが目の前に映った。
「えっ……?うそ」
パシャ、と水音を勢いよくさせてさくらは湯船の中から飛び上がった。
「生きてる……?」
『あちら』にいく前は、確かに風呂に浸かっていた。しかし、こんな長い間、しかも全裸で、風呂にいるなんてあり得ないことだ。だから、初めに思ったのは自分は死んでしまったのでは?という疑問だった。自身の体に触れてみる。感触はしっかりある。それに…手のひらにはあの貝紅が握られている。夢、ではなさそうだ。ならばこれはどういう……。
混乱する頭で、まずは浴室から出て、簡単に身支度を整えた。いつも就寝で身につける夜着に着替えて自分の部屋へ戻った。一人暮らしの見慣れた自室。キッチンには夕食後の食器が洗って乾かしてる。まだ水の滴るそれに、風呂に入ってから何分も経っていないことがうかがえた。忍術学園で過ごした日々。短くない時間を過ごしていたが、『こちら』では数分の間のことだったのか……。
さくらは力が抜けたようにその場で座り込んだ。
「戻ってきた……」
安堵する気持ちと共に、何かがぽっかりと抜け落ちたような。つけっぱなしのテレビから変わり映えのしないニュースが流れている。キャスターの口から今日の日付が伝えられる。あの日、忍術学園の池に落ちた、まさにその日付。初夏の頃を告げていた。
「せんぱーい、大丈夫ですかー?」
ランチを共にしていた照代ちゃんが、こちらを心配そうに覗き込んでいる。
「あ、ごめん。食べる食べる。」
手元にあるパスタセット。後輩の照代ちゃんはケーキまでつけていたが、食べかけのタルトは半分がなくなっている。対してさくらの方はパスタが半分残った状態だ。
「なんか最近、先輩疲れてます?無理しないでくださいね。」
いつもなら、これくらいの量は難なく食べ切るのだが、ついぼうっとしてしまう。仕事中もふと考えてしまうのだ。今頃、みんなは何をしているだろうか、と。小松田くんは書類を撒き散らさずにやっているだろうか。は組の子供たちは元気だろうか。……土井先生は、
「ちょっと歳かしらね、胃もたれしちゃって。」
そう言いながらみぞおちをさすってみる。照代ちゃんは「もう!」と可愛く頬を膨らませた。
「本当に心配してるのに!」
照代ちゃんの天真爛漫な性格が今はありがたい。沈みそうになる気持ちが浮上してくる。考えても仕方がないことだ。今は『こちら』の世界へ戻ってきたのだ。自分の生活がある。いつものように仕事をして、こうして後輩とお昼を食べて、自分のマンションへ帰って眠りにつく。休みの日には、趣味を満喫して、充実した生活ではないか。
「冷める前に食べちゃうわね。」
そう言いながら、食べたくもないパスタに口をつけた。
現実にいるようで、そうではない。
こちらに戻ってきてから、そんな感覚に陥る。まるで自分の体から半分魂が抜け出たような、見えるものがスクリーン越しに投影されているような。……やはり疲れているのだろうか。こちらの世界での生活に、まだ体が慣れていないのかもしれない。
照代ちゃんに心配される表情ではあるものの、仕事の方は滞りなく進められていた。目立ったミスをすることもなく、いつものように担当の業務をしながら、後輩のサポートにも回る。いつもの日向 さくらの生活だ。家に帰って見慣れたニュースを見ながら、簡単な夕食を摂る。夕食が終わればシャワーを浴びて、寝る支度を整える。そういう日々を過ごして週末を迎えた。
明日は休日だ。いつものルーティーンから外れて、外で飲んで帰ろうか。これは、きっと人恋しさなのだろう。忍術学園では職場とは比べられないほど多くの人が生活し、子どもたちの成長が間近で見られる環境だった。やはり子どもがいることで賑やかだったのもあるのだろう。今の職場の落ち着いた雰囲気が、前までは好きだったのに何か物足りなく感じてしまう。道行く人は、あの時代の何倍もいるのに。繁華街を一人、歩いて行く。
「なんだ、一人で飲み歩くのは珍しいな。」
前を歩いてくる見知った人影がさくらに声を掛けた。
「高坂くんも珍しいね。今日は接待じゃないの?」
「その予定だったんだが、先方の都合でな。」
営業部で同期の高坂くん。部署は違えど、同期でたまに集まることもあり、親交はある。ただ、こうして二人で話すことは初めてだ。
「日向はもう店は決めてるか?行きつけのとこがあるんだが、一緒に行くか?」
何の気なしに高坂くんが誘いの言葉をかけてくれる。営業部の人がお気に入りのお店というのは気になる。……一人で飲むのは少し寂しいと思っていたところだ。
「ありがとう、お願いしようかな。」
さくらの返答に高坂は嬉しそうに微笑んだ。
ついて行った先はおしゃれなダイニングバーで、店内に入るとオレンジ色の間接照明が店内を照らしている。その明かりに照らされたグラスの輝き、バーカウンターに整然と並べられた酒瓶。ゆったりとしたソファ席は背もたれが高くなっており、半個室になるように円を描いている。カウンターには一人で飲んでいる客もいれば、ソファ席で食事を楽しむグループもいる。案内されたのはソファ席で、必然的に高坂くんの隣に座るように席についた。用意されたメニューを2人で覗くようにして見る。高坂くんの整った横顔が照明の柔らかな灯りでぼうっと照らされる。物憂げとも見える視線だが、それが追っているのはアルコールのメニューだ。
「高坂くんのおすすめある?」
メニューが多くて選べずにいるのも申し訳なく、聞いてみる。
「飲みやすいなら、このカクテルとかだな。あと、この白ワインも飲みやすい。」
「じゃあ、こっちにしようかな。」
オレンジベースのカクテルなら飲みやすそうだ。高坂くんはワイン、後は料理を適当に頼んでいく。テーブルには盛り付けにもこだわった様々な料理が並べられていく。自宅で食事を済ませてしまうさくらにとって、それだけで気分が上がってくる。
「おいしそう!」
思わず笑顔を見せると高坂くんもつられて笑顔になった。
「こんなに喜んでくれると連れて来た甲斐があるな」
いつもクールな高坂くんが今日は笑顔が多い。やはり、高坂くんも一人飲みより誰かと飲む方が楽しいのだろう。いいタイミングで一緒に食事ができてよかった。スモークサーモンとチーズのサラダを口に入れる。オリーブオイルの芳醇な香りとレモンの酸味がソースとなって絡んでいる。見た目だけでなく味もおしゃれだ。バケットに塗られたレバーのパテも臭みがなく食べやすい。沈んでいたのが嘘のようにさくらは慣れない料理に舌鼓を打つ。そうして二人で食事を楽しんでいると、注文していた飲み物がやって来た。高坂くんの前にワイングラスが置かれ、さくらの前にはオレンジから赤のグラデーションが美しいカクテルが運ばれた。
「きれい……」
まるで沈みゆく夕日を閉じ込めたようなカクテルだ。
「サンセットというだけあって、夕焼けみたいだな。ここのは度数も高くないから飲みやすいと思うぞ。」
グラスに口を付ける。オレンジの爽やかさとリキュールの甘みがマッチしている。さくらが終始機嫌良く満喫していると、高坂くんの方から、ため息が聞こえた。不思議に思って視線を向ける。心なしか優しげな視線を送る高坂くんと目が合う。
「どうしたの?ため息なんかして。悩み事なら聞くよ?」
素敵なお店を紹介してくれたのだ。それくらいお安い御用だ。しかし、高坂くんは首を横に振った。
「俺じゃなくてお前の方だろ。後輩の…あの元気そうな子が心配してたぞ」
「照代ちゃん?」
「同期のよしみで人肌脱いでやったが、…まあ、俺もお前が元気がなさそうなの気になってたしな」
「まさか、お店用意してくれてたり…?」
こんな素敵なお店、待ち時間もなく入れたのだ。もしかして退社してから、声かけるタイミングを窺ってたりするんじゃ…。高坂くんは片眉をあげて言葉なく答えた。そして、真剣な顔になるとさくらの方へ体ごと向けるようにして向かい合った。
「…それで、日向の悩みは何だ?俺でよければ話聞くぞ。」
本当に心配してくれているのが伝わってくる。ここで、簡単に打ち明けられたら、どれだけいいか…。手元にあるカクテルに目線を移す。飲みかけのサンセットはオレンジから赤を混ぜて、闇夜へと色を変え始めている。その色が『うるま』で見た、あの黄昏時を思い出させた。
沈みゆく夕日が地面に長い影を落とす。荒れ果てた廃神社で土井先生の表情が浮かぶ。
土井先生は黄昏時の暗闇に溶けるように、所在なさげにその場に立っていた。
「さくらさん、私は、……それでも生きなくてはいけませんか?」
あんな表情をさせ、苦痛を強いたくせに。
今も、忘れられないのだ。