星降る夜に
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土井先生が隣を歩いている。
夜風の冷たさのせいか、時折触れる肩に温かさを感じる。肩にかけられた羽織に腕を通すと、土井先生の私物だったようで、指先まで覆ってしまう程の袖の長さだ。
「大きすぎましたね……。」
土井先生は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「いいえ、あたたかいです。ありがとうございます。」
一枚羽織るだけでも、夜風の寒さを凌げる。
土井先生が来てくださった手前、すぐに戻るのも変な気がして、夜の散歩を続けるべく、歩いていく。静かな夜、虫の音と2人分の草履の音がする。ゆっくりと歩くさくらの歩調に合わせて、土井先生もゆったりとした足取りで歩を進める。ここが学舎で、昼間は子供たちの賑やかな声が溢れている場所だとは思えない程、穏やかな空気が流れている。
「たまには、こうして夜の学園を歩くのも良いものですね。」
さくらの言葉に、土井先生が頷いた。土井先生も同じことを考えていたらしい。
「久しぶりに一息つく時間を持てました。」
学園に戻ってから、土井先生も通常業務へと戻っていた。いつものように、は組の生徒たちと、楽しくも賑やかな日々を送っているのだろう。たまに食堂で見かける時に、胃をおさえているのも見慣れた光景だ。……土井先生の中では、あの旅を消化し切ることができているのかもしれない。
……それもそうだ。土井先生は今までずっと、そうして生きて来たのだから。辛さも悲しみも、飲み込んで。気持ちの整理をつけるつけないなど、甘いことを言える環境ではなかったはずだ。
土井先生の歩く側に、撫子が咲いているのが見えた。土井先生はさくらの視線で気がついたようで、そちらに目線を向けた。
「今日は、花をありがとうございました。さくらさんのおかげで、部屋が明るくなりましたよ。」
「……元々は小松田くんの提案ですから。今度会ったら、小松田くんにもお礼を言ってあげてください。」
にこり、と土井先生に笑いかけた。
それを思えば、たった一度、人の死に様をみたくらいで動揺している自分が情けなく思えてくる。眠れない、などと甘いことを。ましてや土井先生の前で、そんな情けない姿を見せることなど出来ない。
「先生、少し冷えてきましたね。そろそろ戻りましょう。」
笑顔を貼り付け、土井先生の方へ声を掛けた。土井先生と目が合う。穏やかや表情が、少しだけ固くなった気がする。そう思った時には、「失礼ますね」と土井先生がさくらの体を、ひょいと横抱きにした。突然の浮遊感に目を見開く。さくらの驚いた表情に気をよくしたのか、口端をあげた。そして、勢いをつけるように体を屈ませると、常人には考えられないような高さまで飛び上がった。
「きゃあっ!!」
思わず悲鳴を上げる。一気に飛び上がった土井先生の胸に、ひしと抱きついた。視界が一気に開け、夜空に飛び出すような勢いに身を固くした。それも束の間、土井先生は忍術学園の校舎上に駆け上がると、さくらを屋根瓦の上へゆっくりと下ろした。常人には考えられない脚力に驚きながら、素直に土井先生の腕から屋根の上に足を下ろした。見渡すと深い森が広がり、夜空がいっそう開けて地の果てまで見渡せるかのようだ。
「すごい……!」
現代とは比べ物にならない程の多くの星が瞬いている。
「気に入ったようで良かった。」
隣の土井先生が柔らかく微笑んだ。月光と星の輝く光が土井先生の顔を照らしている。正史丸くんと未来のことを話したのも、こんな夜空の綺麗な時だった。
「さくらさんは覚えていますか。私が幼いとき、宴から抜け出してあなたを追いかけて行った時のこと。あの時もこんな夜でしたね。」
「ええ、覚えていますよ。得体の知れない女に、お一人で話をしに来た一生懸命な姿。……今でも昨日のことのように覚えています。」
あのひたむきな姿、星の光で輝く瞳を、今でも覚えている。
この時代に生きる少年が、今を懸命に生きようとしている。
ならば、自分も一生懸命に生きねば、と現代に戻ってからも思っていた。
「小さな領主様の懸命さに、私も頑張らなくては、と『あちら』に帰ってからも、そう思って過ごしていましたよ。」
「…今も、そう思っていらっしゃいますか。」
正史丸くんの行く末を…土井先生の姿だと知った今も、同じ気持ちだ。守るものは変わっても、土井先生は自らを慕う子らを大切にしている。……これまでの生き様が、彼らを思う心へと繋がっている。だからこそ、さくらは殊更に自分を叱咤して「普通」の生活を送っている。あの戦の当事者でもない者が、いつまで引きずっているのだ、と。
「今ある場所で一生懸命に生きるのが、私に唯一できることですから。」
場所は違えど、家族は健在で、仕事があり、食べ物にも困らない。日向 さくらを偽らずに過ごせる場所がある。幸せなことではないか。
「だからと言って、無理をしなければいけない訳ではないですよ。」
土井先生の指がさくらの目の下をなぞる様に触れた。
「帰って来てから、眠れていますか?」
こちらをまっすぐ見つめる瞳に、ごまかしは通じないようだ。返答しようと口を開いたが、どう返していいか分からず、目を逸らした。
土井先生の温かい手のひらが、自身を見る様にと、さくらの顔を上げさせた。
「この時代は、戦で多くの人が命を落とします。あなたの時代では、考えられない光景がたくさんあったでしょう。」
生きていた人間が死にゆく様。夜の闇に浮かび上がる血の跡。女たちの悲鳴ーー。敵方の侍の甲冑が近づく音。ーー…殺される恐怖。
心の中に蓋をしてきた感覚が蘇ってくる。さくらの瞳が揺れた。それに、土井先生は寂しそうな表情をした。その表情の意図するものは何なのか。さくらには思い至ることができない。土井先生はさくらと目を合わせながら、言葉を続けた。
「あなたは、元の場所へ帰った方がいい。それが難しいなら、穏やかな町で暮らす方が…ずっといい。」
さくらの頬に添えられた手が離れていく。
「ここは、あなたがいるべき場所ではない。」
土井先生の言葉がさくらの胸に鋭く刺さる。
自分でも分かっている。
これが、ただ意地を張っているだけということも。
勝手に罪悪感を感じて無理をしているだけなのも。
「それじゃあ、私はどうしたらいいんです?」
正史丸くんを、土井先生を見守っていくと、ある意味生きる支えだったものがなくなったら。望郷の念を抱きながら、この地で朽ちていくより他にないではないか。考えない様にしてきた思いに胸を乱され、1人、孤独に生きて……。
それは、自身が正史丸に課した苦しみと同じように。
そう思い至ったところで、さくらは乾いた声で笑った。
「さくらさん…?」
「いえ、そうですね。それがいい。」
「あなたばかり苦しめるだけでは、いけませんものね。」
諦めたような表情に、土井先生は、そうではないと首を振った。
そんな顔をして欲しくて、言ったわけではないのだ。
さくらの体が白く霞がかかったように薄くなっていく。
正史丸が初めて見送った「あの夜」のようだ。
このまま別れてしまうのか?
それに気がついたのは土井先生の方だった。
「さくらさん……!違います、私はっ……!」
もう、さくらの表情を読み取れない。薄くなっていくさくらの体を引き止めようと、手を伸ばした。
「さくらさん……!」
その手は空を切り、跡形もなくさくらの姿は消えてしまった。
「行ってしまったか。」
先ほどまでさくらのいた場所に山田先生が降り立った。
「正直に思いを打ち開ければいいものを…難儀な男だなぁ。」
山田先生がため息をついた。
「私は正直に話しましたよ。」
「大切なおなごだと?」
「何でそっちに話がいくんですか。私はただ、さくらさんに自身の幸せを考えて欲しいだけです。わざわざつらい場所に身を置かなくても、…優しいあの人に合う場所はたくさんありますから。」
「それを世間では好いておる、と言うんだがな…。」
若くして過酷な任務をこなしてきた男。恋愛にうつつを抜かす暇がなかったのだろうとは思っていたが、ここまでとは。
山田先生は、先ほどより大きなため息をついた。
夜風の冷たさのせいか、時折触れる肩に温かさを感じる。肩にかけられた羽織に腕を通すと、土井先生の私物だったようで、指先まで覆ってしまう程の袖の長さだ。
「大きすぎましたね……。」
土井先生は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「いいえ、あたたかいです。ありがとうございます。」
一枚羽織るだけでも、夜風の寒さを凌げる。
土井先生が来てくださった手前、すぐに戻るのも変な気がして、夜の散歩を続けるべく、歩いていく。静かな夜、虫の音と2人分の草履の音がする。ゆっくりと歩くさくらの歩調に合わせて、土井先生もゆったりとした足取りで歩を進める。ここが学舎で、昼間は子供たちの賑やかな声が溢れている場所だとは思えない程、穏やかな空気が流れている。
「たまには、こうして夜の学園を歩くのも良いものですね。」
さくらの言葉に、土井先生が頷いた。土井先生も同じことを考えていたらしい。
「久しぶりに一息つく時間を持てました。」
学園に戻ってから、土井先生も通常業務へと戻っていた。いつものように、は組の生徒たちと、楽しくも賑やかな日々を送っているのだろう。たまに食堂で見かける時に、胃をおさえているのも見慣れた光景だ。……土井先生の中では、あの旅を消化し切ることができているのかもしれない。
……それもそうだ。土井先生は今までずっと、そうして生きて来たのだから。辛さも悲しみも、飲み込んで。気持ちの整理をつけるつけないなど、甘いことを言える環境ではなかったはずだ。
土井先生の歩く側に、撫子が咲いているのが見えた。土井先生はさくらの視線で気がついたようで、そちらに目線を向けた。
「今日は、花をありがとうございました。さくらさんのおかげで、部屋が明るくなりましたよ。」
「……元々は小松田くんの提案ですから。今度会ったら、小松田くんにもお礼を言ってあげてください。」
にこり、と土井先生に笑いかけた。
それを思えば、たった一度、人の死に様をみたくらいで動揺している自分が情けなく思えてくる。眠れない、などと甘いことを。ましてや土井先生の前で、そんな情けない姿を見せることなど出来ない。
「先生、少し冷えてきましたね。そろそろ戻りましょう。」
笑顔を貼り付け、土井先生の方へ声を掛けた。土井先生と目が合う。穏やかや表情が、少しだけ固くなった気がする。そう思った時には、「失礼ますね」と土井先生がさくらの体を、ひょいと横抱きにした。突然の浮遊感に目を見開く。さくらの驚いた表情に気をよくしたのか、口端をあげた。そして、勢いをつけるように体を屈ませると、常人には考えられないような高さまで飛び上がった。
「きゃあっ!!」
思わず悲鳴を上げる。一気に飛び上がった土井先生の胸に、ひしと抱きついた。視界が一気に開け、夜空に飛び出すような勢いに身を固くした。それも束の間、土井先生は忍術学園の校舎上に駆け上がると、さくらを屋根瓦の上へゆっくりと下ろした。常人には考えられない脚力に驚きながら、素直に土井先生の腕から屋根の上に足を下ろした。見渡すと深い森が広がり、夜空がいっそう開けて地の果てまで見渡せるかのようだ。
「すごい……!」
現代とは比べ物にならない程の多くの星が瞬いている。
「気に入ったようで良かった。」
隣の土井先生が柔らかく微笑んだ。月光と星の輝く光が土井先生の顔を照らしている。正史丸くんと未来のことを話したのも、こんな夜空の綺麗な時だった。
「さくらさんは覚えていますか。私が幼いとき、宴から抜け出してあなたを追いかけて行った時のこと。あの時もこんな夜でしたね。」
「ええ、覚えていますよ。得体の知れない女に、お一人で話をしに来た一生懸命な姿。……今でも昨日のことのように覚えています。」
あのひたむきな姿、星の光で輝く瞳を、今でも覚えている。
この時代に生きる少年が、今を懸命に生きようとしている。
ならば、自分も一生懸命に生きねば、と現代に戻ってからも思っていた。
「小さな領主様の懸命さに、私も頑張らなくては、と『あちら』に帰ってからも、そう思って過ごしていましたよ。」
「…今も、そう思っていらっしゃいますか。」
正史丸くんの行く末を…土井先生の姿だと知った今も、同じ気持ちだ。守るものは変わっても、土井先生は自らを慕う子らを大切にしている。……これまでの生き様が、彼らを思う心へと繋がっている。だからこそ、さくらは殊更に自分を叱咤して「普通」の生活を送っている。あの戦の当事者でもない者が、いつまで引きずっているのだ、と。
「今ある場所で一生懸命に生きるのが、私に唯一できることですから。」
場所は違えど、家族は健在で、仕事があり、食べ物にも困らない。日向 さくらを偽らずに過ごせる場所がある。幸せなことではないか。
「だからと言って、無理をしなければいけない訳ではないですよ。」
土井先生の指がさくらの目の下をなぞる様に触れた。
「帰って来てから、眠れていますか?」
こちらをまっすぐ見つめる瞳に、ごまかしは通じないようだ。返答しようと口を開いたが、どう返していいか分からず、目を逸らした。
土井先生の温かい手のひらが、自身を見る様にと、さくらの顔を上げさせた。
「この時代は、戦で多くの人が命を落とします。あなたの時代では、考えられない光景がたくさんあったでしょう。」
生きていた人間が死にゆく様。夜の闇に浮かび上がる血の跡。女たちの悲鳴ーー。敵方の侍の甲冑が近づく音。ーー…殺される恐怖。
心の中に蓋をしてきた感覚が蘇ってくる。さくらの瞳が揺れた。それに、土井先生は寂しそうな表情をした。その表情の意図するものは何なのか。さくらには思い至ることができない。土井先生はさくらと目を合わせながら、言葉を続けた。
「あなたは、元の場所へ帰った方がいい。それが難しいなら、穏やかな町で暮らす方が…ずっといい。」
さくらの頬に添えられた手が離れていく。
「ここは、あなたがいるべき場所ではない。」
土井先生の言葉がさくらの胸に鋭く刺さる。
自分でも分かっている。
これが、ただ意地を張っているだけということも。
勝手に罪悪感を感じて無理をしているだけなのも。
「それじゃあ、私はどうしたらいいんです?」
正史丸くんを、土井先生を見守っていくと、ある意味生きる支えだったものがなくなったら。望郷の念を抱きながら、この地で朽ちていくより他にないではないか。考えない様にしてきた思いに胸を乱され、1人、孤独に生きて……。
それは、自身が正史丸に課した苦しみと同じように。
そう思い至ったところで、さくらは乾いた声で笑った。
「さくらさん…?」
「いえ、そうですね。それがいい。」
「あなたばかり苦しめるだけでは、いけませんものね。」
諦めたような表情に、土井先生は、そうではないと首を振った。
そんな顔をして欲しくて、言ったわけではないのだ。
さくらの体が白く霞がかかったように薄くなっていく。
正史丸が初めて見送った「あの夜」のようだ。
このまま別れてしまうのか?
それに気がついたのは土井先生の方だった。
「さくらさん……!違います、私はっ……!」
もう、さくらの表情を読み取れない。薄くなっていくさくらの体を引き止めようと、手を伸ばした。
「さくらさん……!」
その手は空を切り、跡形もなくさくらの姿は消えてしまった。
「行ってしまったか。」
先ほどまでさくらのいた場所に山田先生が降り立った。
「正直に思いを打ち開ければいいものを…難儀な男だなぁ。」
山田先生がため息をついた。
「私は正直に話しましたよ。」
「大切なおなごだと?」
「何でそっちに話がいくんですか。私はただ、さくらさんに自身の幸せを考えて欲しいだけです。わざわざつらい場所に身を置かなくても、…優しいあの人に合う場所はたくさんありますから。」
「それを世間では好いておる、と言うんだがな…。」
若くして過酷な任務をこなしてきた男。恋愛にうつつを抜かす暇がなかったのだろうとは思っていたが、ここまでとは。
山田先生は、先ほどより大きなため息をついた。