星降る夜に
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ある夜、堅牢な城は、炎に焼かれた。
城を焼き尽くす赤い炎と、人々の身から流れる血があたりを赤に染めている。その日が、「正史丸」の全てが奪われた日であった。
その夜も、穏やかに過ぎ去るはずだった。
さくらと名乗る未来から来た女子に、戦のない世が来るのだと教えられ、それならば来るべき日に備えて内政を、領民の暮らしを豊かにする政を、と日々研鑽を積んでいた。父が守っている豊かな領地と領民を、次の世では、己が守っていくのだと考えていた。あと数年もすれば元服の儀だ。その日が来るのが待ち遠しく思っていた。今日、学んだ書物を眠る前に少し読み返し、それが終わると部屋を照らしていた灯台の火を消し、床についた。正史丸が横になってしばらくすると、外が何やら騒がしくなってきた。
「何事だ?」
男たちの声が遠くから聞こえる。上座にある自身の刀を手に取って、部屋を出た。入り組んだ作りになっている屋敷は、瓦屋根が幾重にも重なって見える。その屋敷の屋根を追い越すような火柱が立っているのが見える。あの方向からして門のほうだろうか。目の覚めるような赤い炎が火の粉をあげて燃え盛っている。ここからでも見える大きさだ。火元ではどれほどの勢いで燃えているのか。夜で人の少ない場所といっても、宿直の家臣もいれば、近くには女房や下人たちの住まいがある。鎮火に加勢しなければ・・・!と思い至り、母屋から政所へと続く廊下の太鼓橋まで駆けていく。
その太鼓橋に差し掛かったところで、政所から駆けてくる人影が現れた。
「若様!ご無事で!」
焦ったようにこちらへ向かってきたのは、長年仕えている古株の家臣だ。腕に覚えのある者で、母上の参詣や正史丸自身の外出では必ず護衛として抜擢される男である。家臣たちからの信頼も厚く、それゆえに護衛も任されるような男だ。その男が、血相を変えている。
ただの火事ではない。
正史丸は、その様子で敵襲であることを悟った。
「父上と母上は?」
そう聞くと、短く男が答えた。
「お館様は共を連れて城門へ。お方様は侍女どもとお逃げいただいております。若様も参りましょう。」
「いや、ここで私も戦おう。」
正史丸が太鼓橋に一歩足を踏み出したところで、男に押し戻される。
「漆間の血を途絶えさせてはなりませぬ!・・・有事は「あの寺」で身を隠していただく手筈となっております。お方様もそちらへ向かっております。どうか、ここは耐えてくだされ・・・!」
男の言葉で正史丸は鍔にかけていた指を外した。
「お父上の強さは若様も知っての通りでございますれば。某が抜け道をご案内いたします。」
「・・・分かった。行こう。」
男の言う通り、今はこの場を離れるより他にない。漆間家当主である父は、その名に恥じぬ武芸に秀でた武将だ。正史丸も周りの重臣たちも、手合わせをすれば勝てる者が一人もいないほどだ。対して、正史丸自身は、まだ元服もせぬ童子である。父が夜襲を退けたとしても、もし自身が敵方に捕まって仕舞えば、最上の人質として足を引っ張るだけなのは目に見えている。ここは、大人しく家臣の男についていくしかないのだ。今一度、火柱の方へ顔を向けると、正史丸はぐっと堪え、男の後に続いた。
入り組んだ廊下を抜け、外へと続く塹壕の隠し通路抜ける。その先は山へと続いており、道なき道ではあるが、この方角なら、正史丸が溺れかけたあの寺がある。母が好んでよく詣でていた寺だ。あそこならば、僧たちも気心が知れている。男の後に続いて急な斜面を登っていく。道々では、敵も待ち伏せているに違いない。木々の間を縫うように登っていくと、背中の方で熱を感じて振り返った。
「なんと・・・・・・。」
眼前に広がる城もその城下も炎に飲み込まれている。襲ったのは城だけではなかったのだ。民たちでさえ、道連れに、あの炎の中に・・・。
城下に出れば、人々の笑顔があった。商売をする人々の活気のある町であった。そして、秋になれば豊かな稲穂が田を黄金に染めていた。正史丸はこの地が好きだ。民の笑顔が。幸せが。それは父も同じだろう。だからこそ父は領地を守り、ひいては自身も守るのだと思っていたのだ。この者たちの生活を、未来を、希望に満ちたあの女子の言葉を胸に、そう・・・思っていたのだ。
全ては一夜にして奪われた。
足元から力が抜けるように、地面に座り込んだ。
「若様・・・!」
正史丸の傍らに片膝をつくと、男はその小さな背中を支えた。
「・・・一体、誰が、」
「おそらく・・・明石定明でしょう。様々、因縁をつけて領地を奪わんとしておりましたが、とうとうここまで仕掛けてくるとは。」
明石という名は、時々、家臣らの口から漏れてくる名であった。田の引き水の小競り合いが明石と漆間の者とあった、だとか、商人の行き来を我ら漆間が断っただとか、根も歯もない噂や理不尽な要求が時々聞かれていたのだ。しかし、そのような話が家臣や城下の者の耳に入ろうと、漆間時国の人柄を知る者たちからすれば、信じるに値しない噂話でしかなかった。
万策尽きたからと、罪のない領民たちにまで手にかけるのか。
「武士の風上にもおけぬ、」
握っていた刀の鞘を強く握り込んだ。悔しい。この手で切り捨ててしまいたい。そう思っても己の力量では到底敵わぬことが、この身を一層、震わせた。
「たとえ、明石が領地を広げたとて、おそらく独断。漆間の当主が生きていさえいれば、その正当性から必ずや取り返すことができましょう。」
「そうだな。今は生きねば。」
男の言葉に押されて、正史丸は再び立ち上がった。そして、再び道なき道を進み始めた。
この山の上に、目指す寺がある。先ほどまで彼方で聞こえていた怒号が少しずつ近づいてきている。味方が押されているのだということ、そして我が身に危険が迫っている。肌がひりつく緊張感、冷や汗が背筋を伝う。母上は無事だろうか。先にお逃げになったのならば、すでに寺に着いている頃だろうか。鬱蒼とした森で小枝が頬を掠め、傷を作っていく。それでも歩みを止めず、上へ上へと向かう。木々の間から寺の屋根が小さく見えてきた。もう、すぐそこだ。木々の間隔が広く、人の手が加えられた場所へと進んでいくと、その先に大きな「何か」がいるのが見てとれた。暗闇の中でも今日は満月だ。朧げながら、おそらく生き物であろうと思われた。野生の猪か、あるいは、熊か。しかし、家臣の男も正史丸も手にあるのは刀のみ。これらで野生動物を切り捨てられるのかは甚だ疑問だ。家臣の男も気がつき、お互い、歩みを止めて、木の影に隠れた。こちらに気を向けていなければ、そのまま気が付かれぬよう道を変えるためだ。しばらく様子を窺っていると、その「何か」は動くそぶりも見せない。二人で目配せをすると、ゆっくり、そのものに近づいていく。月の光を頼りにその輪郭を捉えると、自然にはない、美しい絹の打ち掛けが波打っているのが見えた。
「・・・母、うえ」
猪だと思ったのは、息絶えた母と、それを守るように折り重なった侍女たちの姿だった。
血溜まりの中、女たちは母を守るよう、折り重なり、背中にいくつもの深い刀傷を作っていた。きっと、母だけでも寺へ向かわせようと、その身を挺して守ってくれたのだ。しかし、それは叶わなかった。母の手には懐剣が握られ、その切先は己の首に深々と飲み込まれていた。最期まで武士の妻としての矜持を持ったまま、旅立てるようにと、侍女たちは最期まで守り抜いたのだ。その命が叶わぬのならば、お心だけでもーー。
骸の前で立ち尽くす正史丸が次に気がついた時には、背後で人の倒れる音がして振り向いた。先ほどまで供に連れていた男が地に伏していた。
「おい、」
呼びかけるも返答がなく、その背には手に収まるほどの小さな忍具らしきものが深々と刺さっていた。敵襲だ、と気がついた時には、男の背に刺さっているものと同じものが、正史丸の方へ向かっているところであった。とっさに刀に手をかけたが、もはや間に合う距離ではない。もはや、これまで、と思ったところでその忍具が何かに弾き飛ばされた。
「動くな」
低い男の声が聞こえたと同時に衣を頭から被せられた。甘い香りが一瞬、正史丸を包んだ。抵抗すべく身をよじろうとしたが、立っていられないほどの眩暈に襲われる。暗闇の中で足元から崩れるように倒れ込んだ。そのまま、正史丸は意識を失った。