星降る夜に
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何となく微妙な空気が流れつつ、土井先生の背中に付いていく形で道を進んでいく。てっぺんにあった太陽は西に傾きつつある。地面に落ちる土井先生の長い影を眺めるように俯き、先ほどまでの浮ついた気持ちが一気に萎んでいく。
ただ、それをいつまでも引きづってもいられまい。そもそも、人の事情も知らずに過去に言及した自身が一番悪い。よく考えれば、この時代、家業を継ぐという道を取るのが当たり前なのだ。家を継ぐことのない長男以外の男児であったり、特別な事情がない限り、自ら忍びになるというのは、山田先生のように忍びの家ということでもなければ、進まない道だろう。先ほどの土井先生の態度からすれば、家業としての忍び働きという選択肢ではないようだった。しかも、あの様子からすれば、望んで進んだ道とも言えないのかもしれない・・・。それを手放しに「すごい」だの、「努力」だのと薄い言葉で褒めた自分が軽薄に思えた。
「土井先生・・・」
すみません、と言葉を継げようとしたところで、土井先生がこちらを振り向いた。少し困ったように眉を寄せてこちらを見つめている。
「さくらさん、すみません。学園に来る前のことは、あまりいい思い出がないんです。あなたに強く当たってしまった。」
申し訳ない、と頭を下げる。
なぜ、この人が謝るのだ。傷つけたのは、こちらの方なのに。
「私が不躾だったんです、すみません。・・・だから、土井先生が謝らないでください。」
いつもの笑顔を貼り付けて、「先生」として最適な態度をとって。それをさせている自分自身になおさら不甲斐なさを感じ、これ以上、土井先生に気を使わせまいと、畳み掛けるように言葉を続けた。
「『土井半助』として怒って当然なんです。今、私の『旦那様』の土井半助は妻と痴話喧嘩したり、拗ねても怒ってもいいんですよ。許さなくったっていいんですよ。」
「さくらさん、」
「いや・・・本当は、やっぱりこのまま空気悪いまま旅をしたくはないんですけど、でも私が招いたことなので、申し訳ないのですが、土井先生の溜飲が下がるまで大人しくしていますので今回はそれで手打ちにしていただけないでしょうか・・・。」
2歩ほど下がって距離をとる。
「静かに付いて行きますので・・・」
本音を言えば仲直りして楽しく旅をしたい、しかしこれは私のわがままだ。俯いて、おずおずとさらに距離を取ろうとすると、土井先生に腕を掴まれた。見上げると困ったような表情の土井先生がいた。ああ、まだ気を遣わせている、と思ったところで、土井先生が堪えきれないというように吹き出した。
「さくらさんは、たまに思いもよらない行動をするんですね。普段は小松田くんの隣で真面目にお仕事をされているから気がつきませんでしたが、普段のあなたは面白い人のようだ。」
「面白いって、・・・私は少しでも土井先生の不快感を和らげようとですね、」
そういうと、またしても土井先生が面白そうに破顔した。「先生」としての土井先生はこうも笑上戸だっただろうか。いや、普段は穏やかで、頼り甲斐があって、そうやって生徒を引っ張っていく先生だった。しかし、今は一人の青年の年相応な態度のように、リラックスした雰囲気が感じられる。仕事を抜きにした土井先生はこのような感じなのか。さくらも学園での姿しか知らなかった土井先生の一面に新鮮さを感じる。
「もう怒ってませんよ。さあ、宿場が見えてきましたよ。私の「奥さん」も歩き疲れたことでしょうし、宿で休みましょう。」
土井先生の背の遥か先には、すでに提灯の灯りが灯り始めた建物群が見えてきている。さくらは自身の腕を掴む土井先生の手に自身の手を添えるようにして隣に立った。
「『旦那様』のお気遣いに感謝して、あと少し頑張りましょうか。」
側から見れば仲睦まじい夫婦。そのように見せながら宿場までの歩を進めた。
2階建の宿屋の上の階に案内され、襖を開けば4畳半の狭い一室に布団と衣桁と申し訳程度の衝立があるだけだ。必要最低限のものであるが、こうして雨風を凌げてプライベートスペースがあるだけ有難いというものだ。少しくたびれた布団は2組用意されており、当然夫婦なので同じ部屋に通されている。一瞬、男性と同室だと気を揉んだが、土井先生の方が申し訳なさそうに「夜は通路に出ていますから。」と衝立をできうる限り通路側へ寄せてさくらのスペースを保とうとし始めたあたりで止めた。
「ここは穏便に半分づつとしましょう。」
そう言ったところで土井先生は引かなかったため、「これから何かあった時、私は戦えませんし、寝不足の土井先生では、私が不安なんです。」と言えば、渋々妥協案に乗ってくれ、現在は仲良く部屋を半分づつにしてくつろいでいる。現代のようにスマホもなければ、仕事をするわけでもない。手持ち無沙汰な時間が続き、なんとなしで、雪見障子を開けてみると、眼下には提灯の灯りで照らされた夜の宿場町の幻想的な風景が広がっていた。オレンジ色の温かみのある灯りが、ぼうっと店や宿の入り口を照らし、仕出しの湯気と共に食欲をそそる香りがあちこちから漂っている。そこでは旅人たちが、あちらこちらで物を買い、食べ、日が暮れても活気に溢れている。その様子をぼうっと眺めていると、ついつい頭が船を漕ぎ始めた。現代では体験しない距離を歩いたと思う。いや、もはや忍術学園で仕事をしている以上には歩いた。体は疲労に耐えかね、睡眠を求めているようだ。このまま、美しい景色を見ながら眠ってしまうのもいいかもしれない。なんだかそう思えてくると段々と視界がぼんやりとしてくる。
「さくらさん、・・・さくら・・・」
なんだか名前を呼ばれているような気がして閉じかかった目を開こうとして、睡魔と重力に逆らえずそのまま目を閉じた。
さくらが、こくり、と意識を失うように眠り始めると、半助は支えを失い倒れそうになる体を抱き込むようにして支えた。
よく眠っている。よく効く薬を使ったらしい。
さくらをゆっくりと布団に横たわらせると、開け放たれた雪見障子の方へ目を向けた。
「これは善法寺伊作のお手製かな。」
そう声をかけると、音もなく深緑の忍装束に身を包んだ少年が部屋へ入ってきた。鼻まで覆った頭巾を少しずらすと見知った顔が現れた。
「流石に土井先生には効きませんね。」
「私は先生だからね。」
いつもの穏やかな笑顔を少年へと向ける。
「それで、6年生が『こんなに沢山』なんの用だい?」
半助が天井、通路と目をやると、残りの5人が現れた。そして手狭になった室内で立花仙蔵が衝立を隅へとやり、6人が半助の前へ腰を下ろすと、代表するように潮江文次郎が声を上げた。
「土井先生には一応お知らせをしようと、我ら6年生、不躾ながら、お邪魔いたしました。」
狭い部屋が輪をかけて狭く感じる。男たちがすし詰め状態でもさくらは気がつくことなく眠りに落ちている。これならば少し話したところで記憶も何もないだろう。そう思い、半助はそのまま文次郎の言葉に耳を傾けた。
「先生方が出発されて間もなく、有志の生徒で「忍の技量を高める」という名目で日向 さくらの正体を暴くという課題に取り組むこととなりました。」
「それは・・・学園長先生の思いつきで?」
問いかけると立花仙蔵が続きを話し始めた。
「初めは少数の生徒からの声が上がっていましたが、最後は学園長先生のお許しを得ています。」
一瞬、鋭くなった半助の視線に言い訳を述べるように、仙蔵の隣にいた食満留三郎が口を開いた。
「あくまで、この女が対象というだけですので、土井先生には一報を入れるべきだと判断をして、こうしてやってきたんです。」
『この女』呼ばわりする留三郎に6年生の誰も異を唱えない。その様子が、生徒たちも、学園の者は誰も彼女を信用していないのだと如実に表していた。
「図書委員会は、この女が戦や大名に興味を持っていると知っています。」中在家長次がボソボソと呟いた言葉に七松小平太がうんうん、とうなづく。
「絶好の機会だと5年生の中にも志願している者がいるので、土井先生に間違って殺されては、たまりませんからお伝えしました!」とにかっと屈託なく笑った。
これが、今の彼女の評価だ。
一生懸命で、優しく、そういう「彼女」を見ているのはこの中に一人もいない。それが当たり前ではある。場所さえ秘密にしている忍術学園へと現れた不審な女。誰もが疑う。学園の者たちは、不信の目を隠して今まで過ごしていただけだ。わかっているのに、身を投げ打ってまで我が身を助けた「彼女」が害をなす存在なわけがないのだ、と心のうちは強く否定したくなる。しかし、過去を全て捨ててきた身としては、そのような行動が取れるはずもない。全てを説明しなければ、・・・たとえ説明したとして信じられるだろうか。
「怪しいと判断した場合は、どうしろと?」
仙蔵が落ち着いた口調で答えた。
「全て私達に任せる、とのことです。」
その言葉が何を意味するのか、その場にいる全員が承知していた。
・・・全て任せる、とはなんとも綺麗な言葉を使う。
「そうか、知らせてくれてありがとう。」
半助はそう言ってにこり、と6人に笑いかけた。
「道中まだ長い、こちらは朝まで起きないだろうから、お前たちも休みなさい。」
土井先生として優しく声掛けをすると6年生たちは礼儀正しく一礼すると、再び音もなく部屋から消えていった。しばらく屋敷の気配を探り、全員が遠のいたと確信したところで、半助は短く息を吐いた。
「下級生たちに知られるよりは、ということか。」
その生死さえ、各々の判断に任されている。
つまりは、そういうことだ。旅路で起こったことならば、いくらでも誤魔化しはきくと踏んだのだろう。そこまで考えての「突然の思いつき」だったのならば、さすがとしか言いようがない。
ちら、と布団に横たわるさくらに目を移した。ぐっすりと、なんの心配もなく穏やかに眠っている。きっと本人としては気を張っているつもりであるのだろうが、まさか旅の途中で命を狙われているなど、この人が思い至るはずもない。
「平和な世で生きたあなたは知らないでしょうね。」
寝返りを打ち、眠っている横顔に、はらり、と髪が落ちた。その柔らかな髪を掬い上げると、ゆっくり耳へかけてやった。
「あなたの言葉が私の生きるよすがとなったように」
『未来の日の本は平和よ。戦も飢饉もなく、子供たちは勉学に励んで好きな仕事を選べるのよ。』
星の瞬く夜にその瞳に星の輝きをめいっぱいに写し込んだ美しい瞳が、希望をくれた。
『助けた命、無駄にしちゃだめよ!』
光に包まれたあなたが言った言葉が、
「鉛のように重い呪詛にも思えていたのを、きっと思い至ることもないのでしょうね。」
仕方がない、彼女には私の未来を正確に知る術などなかったのだから。
そう何度も自分に言い聞かせても時折、頭をもたげてくる恨めしいという思いが、どうしようもなく胸を掻き回す時がある。この思いが彼女へ向けたものなのか、己の人生へ向けたものなのか。もう判別がつかないほど反芻する思いをこの人は知らないのだ。ただ、「正史丸」にしたときのように、乱太郎たちを身を挺して守ったあなたは、あの時と何も変わらず。自分だけが、このように変わってしまった。あなただけが何も変わらず、こうして生きている。
羨望と、恨みと、親愛と。
「抱えきれなくなった思いは、どこにやったらいいのでしょうね。」
答えるはずのない相手の髪を梳く。月明かりに照らされて艶やかな髪に触れる指は優しく、まるで恋人の睦事であるかのようだ。しかし、さくらを見つめる表情は、恋人を見るにはあまりに不釣り合いであった。
ただ、それをいつまでも引きづってもいられまい。そもそも、人の事情も知らずに過去に言及した自身が一番悪い。よく考えれば、この時代、家業を継ぐという道を取るのが当たり前なのだ。家を継ぐことのない長男以外の男児であったり、特別な事情がない限り、自ら忍びになるというのは、山田先生のように忍びの家ということでもなければ、進まない道だろう。先ほどの土井先生の態度からすれば、家業としての忍び働きという選択肢ではないようだった。しかも、あの様子からすれば、望んで進んだ道とも言えないのかもしれない・・・。それを手放しに「すごい」だの、「努力」だのと薄い言葉で褒めた自分が軽薄に思えた。
「土井先生・・・」
すみません、と言葉を継げようとしたところで、土井先生がこちらを振り向いた。少し困ったように眉を寄せてこちらを見つめている。
「さくらさん、すみません。学園に来る前のことは、あまりいい思い出がないんです。あなたに強く当たってしまった。」
申し訳ない、と頭を下げる。
なぜ、この人が謝るのだ。傷つけたのは、こちらの方なのに。
「私が不躾だったんです、すみません。・・・だから、土井先生が謝らないでください。」
いつもの笑顔を貼り付けて、「先生」として最適な態度をとって。それをさせている自分自身になおさら不甲斐なさを感じ、これ以上、土井先生に気を使わせまいと、畳み掛けるように言葉を続けた。
「『土井半助』として怒って当然なんです。今、私の『旦那様』の土井半助は妻と痴話喧嘩したり、拗ねても怒ってもいいんですよ。許さなくったっていいんですよ。」
「さくらさん、」
「いや・・・本当は、やっぱりこのまま空気悪いまま旅をしたくはないんですけど、でも私が招いたことなので、申し訳ないのですが、土井先生の溜飲が下がるまで大人しくしていますので今回はそれで手打ちにしていただけないでしょうか・・・。」
2歩ほど下がって距離をとる。
「静かに付いて行きますので・・・」
本音を言えば仲直りして楽しく旅をしたい、しかしこれは私のわがままだ。俯いて、おずおずとさらに距離を取ろうとすると、土井先生に腕を掴まれた。見上げると困ったような表情の土井先生がいた。ああ、まだ気を遣わせている、と思ったところで、土井先生が堪えきれないというように吹き出した。
「さくらさんは、たまに思いもよらない行動をするんですね。普段は小松田くんの隣で真面目にお仕事をされているから気がつきませんでしたが、普段のあなたは面白い人のようだ。」
「面白いって、・・・私は少しでも土井先生の不快感を和らげようとですね、」
そういうと、またしても土井先生が面白そうに破顔した。「先生」としての土井先生はこうも笑上戸だっただろうか。いや、普段は穏やかで、頼り甲斐があって、そうやって生徒を引っ張っていく先生だった。しかし、今は一人の青年の年相応な態度のように、リラックスした雰囲気が感じられる。仕事を抜きにした土井先生はこのような感じなのか。さくらも学園での姿しか知らなかった土井先生の一面に新鮮さを感じる。
「もう怒ってませんよ。さあ、宿場が見えてきましたよ。私の「奥さん」も歩き疲れたことでしょうし、宿で休みましょう。」
土井先生の背の遥か先には、すでに提灯の灯りが灯り始めた建物群が見えてきている。さくらは自身の腕を掴む土井先生の手に自身の手を添えるようにして隣に立った。
「『旦那様』のお気遣いに感謝して、あと少し頑張りましょうか。」
側から見れば仲睦まじい夫婦。そのように見せながら宿場までの歩を進めた。
2階建の宿屋の上の階に案内され、襖を開けば4畳半の狭い一室に布団と衣桁と申し訳程度の衝立があるだけだ。必要最低限のものであるが、こうして雨風を凌げてプライベートスペースがあるだけ有難いというものだ。少しくたびれた布団は2組用意されており、当然夫婦なので同じ部屋に通されている。一瞬、男性と同室だと気を揉んだが、土井先生の方が申し訳なさそうに「夜は通路に出ていますから。」と衝立をできうる限り通路側へ寄せてさくらのスペースを保とうとし始めたあたりで止めた。
「ここは穏便に半分づつとしましょう。」
そう言ったところで土井先生は引かなかったため、「これから何かあった時、私は戦えませんし、寝不足の土井先生では、私が不安なんです。」と言えば、渋々妥協案に乗ってくれ、現在は仲良く部屋を半分づつにしてくつろいでいる。現代のようにスマホもなければ、仕事をするわけでもない。手持ち無沙汰な時間が続き、なんとなしで、雪見障子を開けてみると、眼下には提灯の灯りで照らされた夜の宿場町の幻想的な風景が広がっていた。オレンジ色の温かみのある灯りが、ぼうっと店や宿の入り口を照らし、仕出しの湯気と共に食欲をそそる香りがあちこちから漂っている。そこでは旅人たちが、あちらこちらで物を買い、食べ、日が暮れても活気に溢れている。その様子をぼうっと眺めていると、ついつい頭が船を漕ぎ始めた。現代では体験しない距離を歩いたと思う。いや、もはや忍術学園で仕事をしている以上には歩いた。体は疲労に耐えかね、睡眠を求めているようだ。このまま、美しい景色を見ながら眠ってしまうのもいいかもしれない。なんだかそう思えてくると段々と視界がぼんやりとしてくる。
「さくらさん、・・・さくら・・・」
なんだか名前を呼ばれているような気がして閉じかかった目を開こうとして、睡魔と重力に逆らえずそのまま目を閉じた。
さくらが、こくり、と意識を失うように眠り始めると、半助は支えを失い倒れそうになる体を抱き込むようにして支えた。
よく眠っている。よく効く薬を使ったらしい。
さくらをゆっくりと布団に横たわらせると、開け放たれた雪見障子の方へ目を向けた。
「これは善法寺伊作のお手製かな。」
そう声をかけると、音もなく深緑の忍装束に身を包んだ少年が部屋へ入ってきた。鼻まで覆った頭巾を少しずらすと見知った顔が現れた。
「流石に土井先生には効きませんね。」
「私は先生だからね。」
いつもの穏やかな笑顔を少年へと向ける。
「それで、6年生が『こんなに沢山』なんの用だい?」
半助が天井、通路と目をやると、残りの5人が現れた。そして手狭になった室内で立花仙蔵が衝立を隅へとやり、6人が半助の前へ腰を下ろすと、代表するように潮江文次郎が声を上げた。
「土井先生には一応お知らせをしようと、我ら6年生、不躾ながら、お邪魔いたしました。」
狭い部屋が輪をかけて狭く感じる。男たちがすし詰め状態でもさくらは気がつくことなく眠りに落ちている。これならば少し話したところで記憶も何もないだろう。そう思い、半助はそのまま文次郎の言葉に耳を傾けた。
「先生方が出発されて間もなく、有志の生徒で「忍の技量を高める」という名目で日向 さくらの正体を暴くという課題に取り組むこととなりました。」
「それは・・・学園長先生の思いつきで?」
問いかけると立花仙蔵が続きを話し始めた。
「初めは少数の生徒からの声が上がっていましたが、最後は学園長先生のお許しを得ています。」
一瞬、鋭くなった半助の視線に言い訳を述べるように、仙蔵の隣にいた食満留三郎が口を開いた。
「あくまで、この女が対象というだけですので、土井先生には一報を入れるべきだと判断をして、こうしてやってきたんです。」
『この女』呼ばわりする留三郎に6年生の誰も異を唱えない。その様子が、生徒たちも、学園の者は誰も彼女を信用していないのだと如実に表していた。
「図書委員会は、この女が戦や大名に興味を持っていると知っています。」中在家長次がボソボソと呟いた言葉に七松小平太がうんうん、とうなづく。
「絶好の機会だと5年生の中にも志願している者がいるので、土井先生に間違って殺されては、たまりませんからお伝えしました!」とにかっと屈託なく笑った。
これが、今の彼女の評価だ。
一生懸命で、優しく、そういう「彼女」を見ているのはこの中に一人もいない。それが当たり前ではある。場所さえ秘密にしている忍術学園へと現れた不審な女。誰もが疑う。学園の者たちは、不信の目を隠して今まで過ごしていただけだ。わかっているのに、身を投げ打ってまで我が身を助けた「彼女」が害をなす存在なわけがないのだ、と心のうちは強く否定したくなる。しかし、過去を全て捨ててきた身としては、そのような行動が取れるはずもない。全てを説明しなければ、・・・たとえ説明したとして信じられるだろうか。
「怪しいと判断した場合は、どうしろと?」
仙蔵が落ち着いた口調で答えた。
「全て私達に任せる、とのことです。」
その言葉が何を意味するのか、その場にいる全員が承知していた。
・・・全て任せる、とはなんとも綺麗な言葉を使う。
「そうか、知らせてくれてありがとう。」
半助はそう言ってにこり、と6人に笑いかけた。
「道中まだ長い、こちらは朝まで起きないだろうから、お前たちも休みなさい。」
土井先生として優しく声掛けをすると6年生たちは礼儀正しく一礼すると、再び音もなく部屋から消えていった。しばらく屋敷の気配を探り、全員が遠のいたと確信したところで、半助は短く息を吐いた。
「下級生たちに知られるよりは、ということか。」
その生死さえ、各々の判断に任されている。
つまりは、そういうことだ。旅路で起こったことならば、いくらでも誤魔化しはきくと踏んだのだろう。そこまで考えての「突然の思いつき」だったのならば、さすがとしか言いようがない。
ちら、と布団に横たわるさくらに目を移した。ぐっすりと、なんの心配もなく穏やかに眠っている。きっと本人としては気を張っているつもりであるのだろうが、まさか旅の途中で命を狙われているなど、この人が思い至るはずもない。
「平和な世で生きたあなたは知らないでしょうね。」
寝返りを打ち、眠っている横顔に、はらり、と髪が落ちた。その柔らかな髪を掬い上げると、ゆっくり耳へかけてやった。
「あなたの言葉が私の生きるよすがとなったように」
『未来の日の本は平和よ。戦も飢饉もなく、子供たちは勉学に励んで好きな仕事を選べるのよ。』
星の瞬く夜にその瞳に星の輝きをめいっぱいに写し込んだ美しい瞳が、希望をくれた。
『助けた命、無駄にしちゃだめよ!』
光に包まれたあなたが言った言葉が、
「鉛のように重い呪詛にも思えていたのを、きっと思い至ることもないのでしょうね。」
仕方がない、彼女には私の未来を正確に知る術などなかったのだから。
そう何度も自分に言い聞かせても時折、頭をもたげてくる恨めしいという思いが、どうしようもなく胸を掻き回す時がある。この思いが彼女へ向けたものなのか、己の人生へ向けたものなのか。もう判別がつかないほど反芻する思いをこの人は知らないのだ。ただ、「正史丸」にしたときのように、乱太郎たちを身を挺して守ったあなたは、あの時と何も変わらず。自分だけが、このように変わってしまった。あなただけが何も変わらず、こうして生きている。
羨望と、恨みと、親愛と。
「抱えきれなくなった思いは、どこにやったらいいのでしょうね。」
答えるはずのない相手の髪を梳く。月明かりに照らされて艶やかな髪に触れる指は優しく、まるで恋人の睦事であるかのようだ。しかし、さくらを見つめる表情は、恋人を見るにはあまりに不釣り合いであった。