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正義の定義 第1章

 全てが順調。何もかもがうまくいく。
 そんなことは現実にはありえない。
 もしもこの人生のタイトルをつけるならば何としようか。
『“幸せで不幸な家族”……か』
 アリスと血のつながらない妹、マリアは現在小学生。幼いながらに感情の機微に鋭く賢い。机に広げられる教科書での勉強を除いて。
「……」
 今日も新学年に向けて勉強中である。
『だからね、ここをこうして……』
 春休みで時間もあるアリスはマリアに可能な限り教えていた。
「仲が良くて何よりだ」
 寄りそうように勉強をする仲睦まじい姉妹の様子を見てほっとするクリス。生まれも育ちも違う二人が仲良く出来るのか彼も心配であったのだろう。
 しかし彼は気づいていないがアリスにはわかった。
(女優だな……いや、子役か?)
 優しい姉に喜んで指導を受ける優しい妹。そう“演じて”いるのだ。
 本当のワンダーランドの子どもであ自分を差し置いて長女となったアリス。妬まない筈がない。だが彼女はそんなことをおくびにも出さなかった。
「ああ、時にアリス。学校のことだが……」
『はい。学校への道のりも覚えましたし制服なども無事に届きました』
 心配はいりませんと答える義娘に微笑む男。よくできた子だと改めてあの院長の教育と、良縁に出会えたことに感謝する。
「だが、一度学校に行って先生と話してきなさい。連絡はしておこう」
『……はい』
 面倒なことを、と思いつつ自室で制服に腕を通す。まだ着慣れない新しい制服。前の中学校ではブレザースタイルだったが今度のものはセーラー服であった。青いスカーフを襟元に巻き付ける。
 この辺りでは有名な大学付属の、小学校から大学まである私立学校だ。大学には教育関係の学科が入っている。
(セーラーは着るのが大変だな。早く慣れないと)
 学校指定の鞄に、用意してもらった携帯電話や財布をつっこみ部屋を出る。
『では、行ってきます』
「おお、似合ってるじゃないか」
「……お気をつけて」
 見送りを受けて屋敷を出る。一度立ち止まり深呼吸をした。暖かい風が春を感じさせる。
『……行くか』
 駅に向かって歩き出す。小さいけれど大きな一歩。
 __運命の歯車がまたひとつ動き出す。


 あまり乗ることのなかった電車に乗って数十分。
(距離も場所も悪くない。急行電車にでも乗れれば急がなくても行けそうだ)
 改札を出てしばらくすると同じような制服を着た学生がちらほら現れた。今は春休みで授業はないから部活だろうか。
 大きくて立派な門の前に立つ。
 __海軍大学付属中学校。これから2年間の月日を過ごす学校。
 同じ敷地内の少し歩いた場所に高校もある。
 よしと、気合を入れて一歩足を踏み出した。


『……すみません。青キジ……先生はいらっしゃいますか』
 職員室を覗き込み、クリスから聞いた名前を呼ぶ。来客用の大きなスリッパに慣れなくて何度も脱げかけた。
「んー? 見ない顔だね」
 はいはいと返事をしながら出てきた背の高い男。この人が青キジなのだろう。
『ワンダーランド・アリスです』
 そう名乗れば彼はああ君かと納得する男。足元を見れば青いもこもこの生地のスリッパを履いている。
「まあ、入って」
 まるで自分の家に人を招くかのような態度に驚く。辺りを見ればスーツ姿の大人がデスクワークをしていたり、話をしていたりと、普通の職員室であることがわかる。
「うん? どうした?」
『……いいえ』
 こういう人なのだろう。あまり関わりたくないタイプの人間だ。
 仕事中にも関わらずスーツと同じ色の青いアイマスクをおでこにかけ、まるで今起きたかのようなこの男はとても教師には見えない。まさか偉い立場の人間なのだろうか。
 アリスを簡易的な椅子に座らせると彼は自分の席についた。改まったような彼にアリスも背筋を伸ばす。
「おれはクザン。青キジ・クザンだ。今度から2年1組の担任になる。ワンダーランドさんはおれのクラスだ」
 新学期早々に、疲れがドッと押し寄せてきた気がした。


 しばらく彼と話をして、その後少し学校を見ることになった。
「迷ったらとりあえずその辺に聞いて。あ、帰るときはまたおれに声かけてね~」
 どうやら案内はないらしい。職員室を出る際にちらりと彼のデスクを見る。彼は既にアイマスクを下げて椅子に寄りかかっていた。
(……寝るのか)
 一番残念な教師を引いてしまったらしい。もちろん他の教師は知らないが。来年に期待しようと歩き出す。まずは自分のクラスへ行ってみよう。どこにあるかも知っておきたい。
 外には大きな校庭。そして裏庭に挟まれた形の学校。職員室は2階にあり、他にも校長室や放送室などもこの階のある。上から順にみていこうと思い階段を上がる。
 一番上の4階に一年生の教室があり、両端に図書室と音楽室があった。順番に中を覗いてから階段を下る。2年生の階でクラスプレートを見ながら1組を探す。見つけたその教室の隣、パソコン室の扉が開き生徒が出てくる。アリスと一瞬目が合ったが先に反らされる。とくに気に掛けることもなくアリスは1組の扉に手をかけ開いた。中には誰もいなかった。
 自分の席はどこになるのだろうか。名前順だろうからきっと廊下側最後尾になりそうだったがあえてアリスは窓側の最後尾に座った。西日が差す教室。眩しさに目を細め、もうこんな時間かと驚く。視線をおろすと窓の下に広がる校庭が目に入る。野球部らしい生徒たちが練習をしていた。よほど大きな声なのだろう。窓を閉め切った状態でも少し騒がしかったが不思議と嫌ではなかった。
 ふと、廊下の方へと目をやる。そして、目が合った。

『!!』

 向こうはジッとこちらを見ていた。
「見ない顔だな。3年?」
 そう言って男子生徒は扉付近からアリスのもとへと近づいてくる。
『……いや……』
 青く長い髪をポニーテールで縛っている。綺麗な艶のある髪に一瞬女子かと思ったが制服はズボンを履いているし声も低い。
 立ち上がろうとするアリスを片手で制した男。
「うーん、待て待て。当ててやる」
 そう言って彼は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
(何こいつ……)
 とてつもなく帰ってしまいたいが、彼はアリスの座る椅子の正面に立っている。道を塞いでいるのは偶然か。数秒がとても長く感じた。
「わかった! この学校にいる幽霊だな!! ここには七不思議というものがあり、その一つ。休みの日の教室で佇む……」
『は?』 
 急にペラペラと喋り出した彼に思わず遮ってしまう。ドスの利いた低い声に驚いたのか慌てて謝る男子生徒。
「ごめんごめん。冗談だってば……。今度こそ当ててやるよ」
 今度こそ帰りたい。無理にでも通ろうとしたとき、雰囲気の変わった彼が言った。
「転校生だろう?」
『!』
 驚くアリス。それに満足したようにうなずき彼は得意げに自身の考えを披露しはじめた。
「まず、シワひとつない綺麗な制服! クリーニングに出したとしても色あせていないのは新しい証拠」
 だからまず3年生ではない、と笑って3本の指を立てて左右に振る。
「そしてセーラー服のリボンが青いことから中学生とわかる!」
 高校生のリボンは赤いんだと付け足す彼。
「最期に! アンタはこの教室にいた! ここは2年の階だ。部室でも準備室でもないここに1年生がいるわけがない! そして今年2年生であるおれが見たことのないきみは……」
 ズバッと天井を勢いよく指さす。キメポーズなのだろう。
「残る選択肢はひとつしかない! きみは2年生で転校生!」
 どうだ、といわんばかりに胸を張る彼。しばらく呆気に取られていたアリスだったがふっと我に返り苦笑いを浮かべる。
『凄いね……将来は探偵』
「なるほど! それもいいな!」
『は……?』
 随分とマイペースな人だ。青キジといい彼といい、この学校に真面目な人間はいないのか。
「まあ、ひとつ種明かしをすれば、おれが知らない生徒ならばそれはもう転校生しかありえない」
『? あなたはこの学校の生徒会長か何か?』
「ふっふ……そんな大層なものじゃない……」
 待ってました、という勢いで両手を左右に広げる。いちいち芝居がかった男だ。
「ひとはおれをこう呼ぶ!!」
 その芝居に呆気にとられる。
「キャプテーン、バギー!!」
 ……決まった……という呟きが聞こえた。真意は定かではないが成功したらしい。これが舞台ならライトが当たるだろうポージングだが、なんてことはない。ここはただの教室。アリスの冷たい視線だけが刺さる。
「……く……」
 拍手が来ないのを悔しがったのか、反応を諦めたのか、向き直って改めて咳ばらいをする。
「こほん、それじゃ……あなたのお名前をお聞かせください、お嬢様?」
 探偵さまでも名前まではわからないらしい。すこしだけほぐれた緊張感で、アリスは口を開いた。
『私は……』


 __これが、バギーとの出会いだった。これから彼とは果てしなく長い付き合いになる。


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