第二章 脱出、船


 翌日は清々しいまでの青空が広がり、デッキに出たフェンリルの面々も皆、穏やかな表情を見せている。
「今日はずっと快晴っぽいなぁ」
 ルークが雲行きを見ながら嬉しそうに言う。
「この調子なら、今夜には到着だな」
 ロックの言葉に、レイルは大きく伸びをする。船上で明かしたにしては体調もすこぶる良い。昨日の毒もなんとか解毒出来たようだ。
「そういえば、目的地についての説明がまだだったな」
 思い出したようにクリスが、周りの面々を見渡した。三人は黙って続きを待つ。
「今回の目的地はデザートローズ内の特務部隊の南部支部だ。そこにヤートさんを連れて行き、それで任務完了になる」
「デザートローズ内ならレイルはパスだな」
 クリスの説明にロックが口を挟んだ。ルークもうんうんと頷くが、レイルはどうしても彼らと共に任務を遂行したいと思っていた。
「刻印なら大丈夫だから、私も一緒に行く」
「馬鹿! せっかく今まで避けて来たのに、今更戻って長引かせるのかよ!?」
 ロックが噛み付くような勢いでレイルを説得に掛かる。彼だけでなくフェンリル全員が、レイルの身体に刻まれた刻印の辛さを知っているからだ。
「俺もロックに賛成だ。毒の件もあるし、近くのアジトでゆっくりしとけよ」
 ルークも宥めるように言ってくる。
「……レイル」
 クリスに静かに名前を呼ばれ、レイルはリーダーを見返した。昼に近い太陽の下、それでも彼の瞳は冷たい。
「刻印はお前の問題だ。お前が決めろ」
 レイルは小さく笑って頭を下げた。
 昔の暗殺任務の際に刻まれた刻印を自分のせいにされたのは釈然としないが、それでも彼が認めてくれたのは嬉しかった。お荷物にならないようにしなければならない。レイルが顔を上げると、リーダーはまだこちらを見ていた。
「レイル……最後まで見届けるのは、辛いだけだぞ?」
 視線を逸らしながらそう言うクリスに、レイルは笑って答えた。
「命令違反には慣れてるんでね」
 その言葉に、クリスも微かな笑みを返した。ルークは安心したように船室へと繋がる階段に向かい、こちらは既に向かっていたらしく、操舵室の開いた窓からはロックの美しい歌声が聞こえてくる。
 デッキの柵に体重を預けながら、レイルはロックの歌に耳を傾ける。繊細だがどこか悲しいそのメロディーは、死地へ向かう人間への想いを歌っていた。






「ルーク、てめー! もう食料食い尽くしたのかよ!?」
 船室へ入ってくるや否や、レイルは呆れたようにテーブルの上の空の袋の山に手を突っ込んだ。スカスカと質量の感じられない袋達に、彼女は大きく溜め息をついた。
「もうすぐ着くんだから良いだろ?」
 昼前からずっと銃の手入れをしながらダラダラと食料タワーを倒壊させながら食べていたルークは、到着を数時間後に控えた現在、遂に完食してしまっていた。おかげで満腹。気分も良い。そんな気持ちでベッドに横になっていたら、レイルに怒られたのだ。
「私、ほとんど絶食状態じゃねーかよ」
「ビタミン剤とか飲んでるから大丈夫だって」
「固形物くらい食わせろ」
「もう食べたから仕方ないだろー。何故か、陸に着いたらまた働かなきゃいけねーことになってるし。ちょっとは大目に見ろよなぁ」
――これは少し意地悪だったか?
 そう思いレイルを見やると、案の定落ち込んだような表情を見せていた。感情がよく表れる彼女のことは、嫌いではない。自分もすぐに顔に出る単純な性格をしているので、彼女のことは女性とは思えない程気に入っている。
「あんたは抜けても良いんだぜ?」
 ぽつりと呟く彼女に、ルークはベッドから起き上がりながら答えた。
「まさか! 俺らはチームだろ? リーダーが決めたことに、逆らうつもりはないさ。その為の銃の手入れだぞ?」
 最後ににっと笑ってやると、レイルはまた呆れたような表情をした。
「馬鹿ばっかだよな。リーダーの考えでは、デザートローズ周辺のアジトで朝まで待機、商人達に紛れて潜入。それから軍部に接触」
「どうせどこもアドリブで対応なんだろ?」
「当然」
 ルークが笑って返すと、レイルも悪い笑みを浮かべる。その顔にルークは安心する。本当に体調はもう大丈夫なようだ。
「刻印の方は大丈夫なのか?」
 デザートローズが近づくにつれて、力の強くなる呪いのような刻印。胡散臭い呪術を操る王族を暗殺する際、レイルはターゲットからその呪いを身体に刻まれた。
 彼女を独占したかった彼は、レイルを地を這う存在に変えた。四六時中続く痛みと、満たされることのない欲望に振り回される。それを彼女は強制された。見えない首輪により、彼女は身体を支配された。
 その呪いは術者を殺してからも消えることはなく、自然消滅を待つしか術は無かった。今では呪いも弱くなり、日常生活になんら問題はないが、発祥地に近づくことは呪いの活性化に繋がるはずだ。
 女の暗殺者の末路とは悲惨なものだ。だからこそルークは、彼女にそんな結末を迎えて欲しくないと強く願っている。
「大丈夫。今も静かなもんだ。国に入っても問題無いだろ」
 レイルはそう言いながらシャツを脱いだ。前のボタンを手際よく外し、するりと美しい上半身を露わにする。脱いだシャツは片手に持ったまま、ルークに背を向ける。
「……確かに出てねーな」
 ルークも納得するしかない。刻印が反応した時は、彼女の背中全体に幾何学模様が現れる。今、彼女の背中は包帯や傷はあるが、綺麗な女性の背中以外の何物でもない。
 その言葉に彼女は嬉しそうにこちらを振り返った。挑発的なデザインの下着のせいで目のやり場に困る。慌てて視線をずらすルークに、レイルは大笑い。引き締まった腹筋が固くなる。
 ひとしきり笑った後、彼女の瞳がギラリと光った。
「私、運動不足なんだよ」
「女とはヤらねー」
「ケチー」





 ガタガタと暴れるような音がする船室の扉を無視して、クリスは廊下の一番奥を目指した。ノックをして返事を聞いて中に入って――もういい加減に慣れた手順を繰り返し、目の前のベッドに座るヤートに今後の予定を説明した。
 ヤートは昨晩よりはいくらか落ち着いた表情をしている。
「あんたにとっては最後の祖国になる。何か最後に望みがあるなら言ってくれ。内容にもよるが、出来るだけ……最善を尽くそう」
 クリスは今更取り繕うのもおかしいので直接的な言葉で話した。
「……実家の様子を見たい」
 ヤートは小さく笑ってから答えた。穏やかな表情でこちらを見ている。その顔は、全てを覚悟した軍人の顔だった。テーブルの横に立っていたクリスの身体に力が入る。
「俺が死んでも補助金は出るだろう。死ぬ前に、両親の顔を見たいんだ」
「……」
「無茶な願いなのはわかっている。家出のように飛び出して、あげく親の顔が見たいなんて馬鹿げているよな」
 涙を堪えるようにして言葉を吐き出したヤートは、そこでようやくクリスを見た。
「了解しました」
 クリスは踵を揃え直立不動の姿勢を取ると、「必ず」と付け加え船室を出る。後には「ありがとう」と涙を流すヤートが残された。
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