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第1章 人間の街、エルフの母子


 洗濯後の香りが心地良い服を身に付けて、ゼトアは教会の裏手に出た。
 昨夜グロッザに稽古をつけてやったその場所で、ルツィアが物干し竿を片付けていた。普段は教会の壁に立て掛けておき、広いスペースを息子の戦闘訓練もどきのために空けているようだ。思わず小さく笑ってしまった。
「あらゼトア。服、ピッタリみたいね。よかった」
 こちらに気付いたルツィアがふわりと微笑む。長い物干し竿の最後の一本を持ちながら、出入り口で立ち止まったままのゼトアの元に近寄る。
「訓練や実戦は変わらず行っているからな。特に体型が変わるようなことはしていない」
「ふふ、相変わらずね。そういう言い方」
 壁に物干し竿――どうやら洗濯関係の物置と化しているらしい――を片付けているルツィアには、褐色の肌も相まって太陽の光がよく似合う。
「綺麗な色だな」
「うん? あぁ、このワンピース? お気に入りなの。貴方にそう言われると嬉しいわ」
 深い緑の色合いがわずかにグラデーションを帯びており、胸元こそ隠れているがしっかりと身体のラインを主張する色気のあるデザインだ。太陽の日差しを気にしてか袖も丈も長めだが、暑苦しさ等微塵も感じさせないのは、彼女の涼しげな銀髪のせいだろうか。
「好きな色なのか?」
「……そうね。昔はこんな色着なかったんだけど」
 一瞬、違和感を感じた。
「お互い、年をとったからな」
 違和感の正体を掴めないまま、少し意地悪を言ってやった。
「もう、それはお互い様でしょ!」
 少しむくれてそう言う表情には、とても加齢の気配はない。恐らくそれもお互い様であることを祈りながら笑い、ゼトアは本題に入る。
「例の魔族の少年とは、戦闘になる可能性はあるのか?」
「グリアスくんね。感じている魔力的には敵意はないわ。それにあの子、戦闘訓練も受けていないようだった。両親共に軍人だったけれど、二人とも小さい頃には死別しているのよ。だから危険なのは魔力の暴発ぐらいね」
「なるほどな。暴発はこちらから接触する以上、仕方のないリスクだな。これ以上放置するわけにもいかん」
「ええ。私はとにかく、あの子の栄養状態が心配よ」
 母親らしい表情をするルツィアに、自分はちゃんと父親らしい表情をしているだろうかと自問する。
「ルツィア……」
「なに?」
「グロッザには俺から話す。だから……」
「……ごめんなさい。あの子ったら、自分がエルフだって強く思い込んでいて。あの子に何かあったらいけないと思って、私も真実を伝えていなかったの」
「いいんだ。父親が魔族だなんて、本当なら誰も知らない方が良い」
「それでも……」
 いつの間にか、ルツィアの目には小さく涙が溜まっていた。慌てて抱き締めてやる。近くに人の気配はない。
「……貴方はこんなに優しい人なのに。貴方が父親で、あの子は幸せ者よ」
「……すまないな」
 何に対する謝罪かも伝えぬまま、ゼトアはただ彼女を抱き締めていた。











「グロッザ。ちょっとこっちに来なさい」
 廊下でルツィアにそう声を掛けられて、グロッザは素直に母親の部屋に入った。開けっぱなしの扉から中に入ると、母親は珍しく衣装棚の奥から何やら引っ張り出している最中だった。
「母さん、どうしたの?」
 問いかけるとルツィアは無言でこちらをチラリと見、また衣装棚の中に手を突っ込む。衣装の入ったいつも開けているものとは違うその棚からは、何やら微かな違和感を感じる。
「これなら似合うかしら?」
 そう言いながらルツィアが、衣装棚から一枚のローブを取り出した。薄いグレーのそのローブからは、聖なる気配が感じ取れる。
「これって聖職者のローブ?」
「魔力を遮断する戦闘用のローブよ。万が一という可能性もあるから。お母さんのお古だけど」
 なるほど。確かに締まったウエスト部分の造りがいかにも女性ものらしい。色合いは今日の格好――深い緑の袖のないシャツに、黒のボトムだ――に合っているから、ワガママは言えないか。
 母は自分用に、真っ黒のローブを既に出して壁に掛けていた。
「もしかしてグリアスと戦ったり、する?」
 昨日は雰囲気に浮かれて考えもしなかったが、今朝になって少し怖くなってはいた疑問を口にする。
 大丈夫だ。声は震えていない。
「戦うためじゃなくて止めるためだって、ゼトアも言ってたから安心しなさい」
 母は、いつもと同じようにグロッザの不安を治めてくれた。しかしいつもとは違って、男の名前を出して安心させられてしまった。
 母親にとっても彼がどれだけ大事な存在なのか、見せ付けられた気分になった。
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