第一章 城塞都市


「レイル!!」
 目の前の状況により、ヤートの意識は完全に戻った。
 漆黒の羽が彼女の体に突き刺さっている。受け身も取れずに階段に落ちた彼女に、機械達がターゲットを変える。
 すぐに彼女の元に降りたヤートは、まだ痛む頭を無理矢理動かし呪文を唱えた。
 ラボに続く、元来た道が岩石の塊となって翼と周囲の機械達に襲い掛かる。エンジンを潰された機械達が次々に墜落していく。だが、翼は依然として怯む様子がない。
「くっ……」
 ヤートは剣を抜く。勝てるとは思えないが、自分には守るべき者がいる。
「……えらく苦戦してるじゃねーの」
 後ろで倒れていると思っていたレイルが横に並んでいた。
 ヤートと同じく剣を構え、油断の無い目で翼を見ている。
「怪我人は後ろで寝ていろ」
「あんたもだろうが」
「なら、女は寝ていろ」
「残念、男女差別は反対だ」
「……どうして庇った?」
 隣でヘラヘラと笑う彼女を見る。頭から流血しているが、彼女の様子を見る限りまだ大丈夫そうだ。
「あんたは城壁で守ってくれたから」
「君の実力なら、助けはいらなかっただろうがな」
「それでも、一回守ってくれたなら返さねーと。さっきので二回だけど」
 わざわざヤートに視線を合わせてからもう一度笑うレイル。
「……捕虜を傷付けたくはなかったからな」
「……私も、そんなとこ」
 漆黒の翼が大きく広がる。この悪魔の抱擁に捕まれば、二人の命はない。
 もう逃げ場のない状況で、二人は見つめ合った。お互いの瞳の奥にある感情に、お互い気付きながら微笑み合う。
 二人の間に美しく煌めくダイアモンドダストが広がり――
「――レイル!! こっちだ!!」
 踊り場をぐるりと一周するように氷の道が出現した。その道を疾走する車の荷台から、茶髪の男が叫んだ。かなりのスピードで走っているが、整髪剤で整えられた彼の髪の毛は崩れることがない。
「ナイスタイミング!!」
 レイルがおどけた様子で応じる。
「……あれは?」
 ヤートは聞いてから気付いた。こちらに向かって走る車の運転席にいる男に見覚えがあった。
「私の仲間」
「フェンリルか……っ」
 ヤートが一瞬悩んだ時には、レイルに手を引っ張られていた。女性とは思えない力強さで引っ張られ、結局彼女と一緒に走り寄った車に飛び乗ることになる。車はそのまま元来た道を、全速力で降りていく。
「レイル! そのオッサン誰だよ!?」
 先程の茶髪の男が、レイルに抱き着きながらこちらを見る。その目が何故か冷たく感じ、ヤートは顔をしかめた。
「捕虜。てめー、初対面の防衛隊隊長様に向かってオッサンはねえだろ!」
「お前も大概だ。どうでも良いが、レイル……じっとしててくれ」
 黙々と座らせた彼女の頭に包帯を巻く金髪の男は、ヤートには目もくれない。
「っ! いてー! リーダーっ……そ、そこはっ」
「頭蓋骨貫通しなくて良かったな。あの羽、かなり強い神経毒だぞ」
「身体中、今もバカみてえに熱いっての」
「イッちゃった?」
「ロック、今すぐあの翼に抱かれて死んでこい。そしたら身体中からイロイロ出して死ねるぜ」
「こんな鳥ガラみたいな奴から出るモノなんて限られてる」
「……」
 ヤートが突然始まった会話に戸惑っていると、包帯を巻き終わったレイルが笑い掛けてきた。
「悪い。私らいつもこんな感じなんだ。この金髪がリーダーのクリスで……」
「レイル、捕虜とはいえ敵だ。わざわざ情報を教える必要はない」
 冷たい空気を纏ったクリスが、ピシャリと言い放つ。一言で場の空気を張り詰めさせる存在感は、確かにリーダーとしての素質を表している。
「良いじゃねーの。今回、一番の収穫だぜ? 私に仕切らせろよ」
「確かに僕らは捕虜はとってない。でもあれはルークが!」
 心底つまらなそうに茶髪の男が言い訳している。
「この茶髪はロック。いつも発情期だから気をつけて」
「あーあーウゼエ」
「この隊長殿の名前は?」
 クリスが鋭い視線を向けてきた。
「……ヤート、だ」
 名乗るべきか悩んだが、とりあえず名前だけ名乗ることにする。この状況を抜け出すためには、まずは生き残らなければならない。
「……そうか、わかった。レイル、大人しくしとかないと毒が回るぞ」
 ヤートが答えるとクリスはすぐに興味を無くしたように立ち上がった。どこに行くのかと思ったら、そのままヤートの目の前に座る。
「細かいが、いくつかの傷がある。死なれたら困るからな……楽にしててくれ。処置を行う」
 そう言ってクリスは薄く笑った。
 軍隊用のベストを慣れた手つきで脱がし、血まみれの傷口の治療をしていく。やり方を見ている限り、しっかりとした治療をしているようだ。白い肌とゴツゴツした指先には、アンバランスな美しさがあった。傷口の化膿を防ぐ薬を塗り込み、薬品の染み込んだ包帯で強く縛る。
「君は、衛生兵の出身か?」
「いや、前線での戦闘しか経験していない」
「そうか……チームのリーダーに医療の知識があるのは素晴らしいことだ。どこで身につけた?」
「……聞かない方が良い」
 先程まで笑っていたクリスの表情は、また氷のような無表情に戻っている。
「……俺だけじゃない。ここの奴らには過去のことは聞くな。“普通”の人間じゃないからな」
 そう言い終えて、クリスは脱がしたベストをヤートに返す。
「これで大丈夫だ」
「ああ、すまない」
「……」
 礼を言ったヤートに、クリスは何かを言い淀んだ。一瞬その目に迷いが浮かんだように見えた。
「あんたは……」
 クリスはうんざりしたような顔をしながら問い掛けてきた。
「ここが気に入った?」
 ヤートは虚をつかれた気がした。目を見開き、動悸が激しくなるのを感じる。
「俺達は、あんたの部下を殺しまくった」
 クリスの声は低く冷たい。今は声量を抑えているのか、エンジン音に混じってヤート以外には聞こえていないようだ。
 ヤートの視線が自然とレイルを捕らえた。
 彼女はロックと共に、運転席の男にちょっかいを掛けている。ワイワイと騒ぐ彼女らは、そんな犯罪者とは掛け離れた存在に感じた。
 だが――
「――だから!! 隊長さんを守るには仕方なかったんだって」
「普段のお前だったら敵の死体盾にしたりする余裕あるだろ」
「あの時は何もなかったんだって」
 話題は、犯罪者のそれだ。ヤートの視線の先を追ったクリスが、溜め息をついた。
「レイルは、確かにあんたのことを大切にしてる」
「君も仲間のことを大切にしている」
「当たり前だ。だからこそ、リーダーをやってる」
「ああ、だろうな。だが、俺は国に裏切られた気分だ。軍人として死ぬことすら許してくれなかった」
「……寝返るのか?」
 クリスが薄く笑いながら問い掛ける。そんな彼――その後ろにいるレイルやロックを見て首を振る。
「俺も仲間が大切だ」
 車が地上に滑るように着地した。
 中央塔の真正面。入口の向こうには沢山の“仲間達”の死体が転がっている。氷の道が砕け散り、大量の結晶が降り注ぐ。運転席から黒髪の男がフラフラと出てくる。ロックが代わりに運転席に入る。
 ヤートは静かに荷台を飛び降りた。音も無く降り立ったはずなのに、すぐに四人の視線が突き刺さってくる。
 殺気こそ感じないが、皆、表情は友好的ではない。
「勘違いするな。俺は、仲間の為に意思を貫き通すだけだ。君達に危害を加えるつもりはない」
「……死ぬのか?」
 クリスの問い掛けには答えずに、ヤートは腰の剣に手を伸ばす。
 雷光が一閃。
 鞘を持つヤートの手を、レイルの白い手が握っていた。繊細な指先が小さく震えている。
「……死なないで」
「レイル……」
「あなたは、私の大切な人……」
 譫言のように話すレイルの身体がぐらついた。ヤートは慌ててその小さな身体を抱き止める。
「毒が回ってる」
 ヤートと同じく慌てた様子で駆け寄ろうとしたクリスの真上を、漆黒の翼が横切った。
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