第一章


 服……服……服……
 先程ガリアノからとんでもない命を受けたサクは、とにかくまずは研止の儀式が先決だと考えた。いや、そうやって考えを先延ばしにした。
 街はずれにあるこの店は、大々的に儀式を請け負っていると町中に宣伝していたため、自分達のような短い滞在者の耳にも入っていた。どんな情報が自身の助けになるかわからないなと思いながら、すぐに場所まで思い出したガリアノの頭の回転の良さには尊敬の念しか湧かない。
 先程の店と同じく小さな造りのこの店も、職人は一人しか在籍していないらしい。それもそうだ。この時期は儀式をする季節でもない閑散期だ。
 今は儀式のために薄い植物の繊維で出来たカーテンの向こうにいるレイルのことを考える。
 とにかく目立つ女がいる――いやこれはガリアノ様の感想だ。初めは自分――アクト以上に奇っ怪な格好をした者がいる、というのが一番の感想だった。
 動物の毛皮が主流のこの地で、それらを一切使わず、鮮やかな色合いの繊維を加工したようなものを着ていたのだから。こんな技術はゼートにもアクトにもない。だからこそ自分もガリアノも、彼らが別の世界から来たという言葉をすぐに信じることが出来たのだ。
 ガリアノ以上に高身長ながら、威圧感などは発しない穏やかそうなリチャードに比べ、このレイルという女は何か、こちらに見せていない面があるような気がした。宝石を思わせる瞳に、抜けるように透き通った肌。毛並みによく映える。
 だが、その立ち振舞いは真逆。予測不能。まるで野生動物に抱くようなその感覚に、サクは少々警戒心を覚えていた。悪い人間ではないのだろうが、なにか――
「お待たせしました」
 思考の海に入っていたサクに、一仕事終えた年配の職人が、カーテンを押し退けながら声を掛けた。その後ろからレイルも出てくる。
「こちらでよろしいですかな?」
 職人のその言葉に、レイルがこちらによく見えるように手を見せてきた。短く切り揃えられた爪の上には、鮮やかな深紅の蝶が彩られている。
「あまりにお美しいお嬢さんでしたんで、そちらはサービスです。毛並みと合わせておりますので」
「……ありがとうございます」
 とっさのことで感想が出てこなかったので、サクはそれだけ答えて勘定を払おうとした。レイルも特になにか言うわけでもなく、横に並んでくる。
「四千オウになります」
 職人の言葉に、サクは一瞬耳を疑った。入り口の看板には、確かその半額の記載があったはずだった。職人は愛想笑いを徹底している。
 商売関係では差別をしない人間も多いが、ここはどうやら違ったらしい。サクの反応に、レイルもわからないなりに悟ったのだろう。
「サク? 外に書いてある値段は違ったよね?」
 この世界の言語は、話せても読み書きが出来ない。レイルはここに向かう道すがら、そう言っていた。彼女には入り口の値段は読めない。だがそれでも機転を利かせてくれている。
「ええ。半額でした」
「あー、それはですねー」
 サクの返答に、職人の愛想笑いに嫌悪感が混じった。またか。どこの街に行っても自分達アクトは、それだけで邪魔物扱いされる。
「おい、それはなんなんだ? 私にもわかるように言ってくれよ」
 突然隣から、目の前の男以上に嫌悪感の強い声がした。
 先程までお人形のように大人しかったレイルの目は、ギラリと鋭い。サクより一回り小さい少女から、なかなか街中では感じないプレッシャーが放たれている。
 別の世界というのは、物騒なところなのかもしれない。サクがそう思い直していると、職人の泳ぎまくった目と目が合った。
「……こちらの思い違いでした」
 職人がそう白旗をあげたので、レイルは優しい笑顔を落とした。







 あやうく、ガリアノから渡された軍資金の半分を持っていかれるところだった。店を出てからレイルに礼を言うと、彼女は笑った。
「私はさ、この世界の差別なんてわからない。私にとっての善と悪って、自分に対しての善悪と同じだからさ。だから私にとってはガリアノもサクも善で、さっきの職人みたいなのは悪ってだけ。そんで向こうが正論言ってなかったから文句を伝えた。あれで引かなかったら、蹴ってたよ絶対」
 そう言って片足を振る動作をするレイルに、今度はサクも笑ってしまった。多分彼女は、本当にそうするだろう。
 足の爪もしっかりと揃えられており、いっそう歩きやすくなったらしく、彼女の足取りは軽い。足を覆う黒い衣服が、健康的な太ももを強調している。
「元の世界では――」
――さぞ羨ましがられるご夫妻になられただろう。
 思わず言い掛けた言葉だった。
 レイルはそのエメラルドグリーンの瞳をこちらに向けている。二人の歩調が合わなくなって、ぎこちなく立ち止まる。歩き出さない、沈黙。
「……元の世界、か」
 レイルが、続きを発しないサクに代わり呟く。
「サク達が叶えたいことって、何?」
 彼女の問いに、何か違う感情が沸き上がりそうで怖くなった。
――怖い? なにが?
「ガリアノ様の願うことは――」
 わからないから蓋をした。自分の――自分の願いはガリアノの願いだった。
「この世界を救うことです」








 この世界を救うこと。それは冗談ではなかった。
 この世界の発展の歴史は、すなわち魔法の歴史である。
 特にモノ造りにおいてゼートの光の魔法は、武器、建築、生活用品と多彩なものを産み出す核になる。だからこそ、殺傷する毒しか産み出せぬ自分達のようなアクトは悪とされるのだが、便利なものにはデメリットも存在する。
 魔法の使用には重大な欠点があり、使用するたびに大気が汚染されてしまうのである。光と共に放たれる汚染物資が大気に混ざり、汚染が進むとそこには毒性の強い雨が降るようになる。雨は草木を殺し、土壌を殺し、死の大地は拡大する。だが発展のためにも、魔法を使用しないわけにはいかない。
 そこで大陸中央の街では、汚染された大気をろ過するシステムを開発した。これにより汚染された大気を結晶のように凝縮することに成功したのだ。
 街中での魔法の使用の際には、袋状に形成されたこのシステムを必ず携行し、そこに汚染された空気を詰め込むことで、街の安全は保たれた。
 だが、次はこの結晶の廃棄に困ることになる。街中に廃棄するわけにはいかない。そのため、四方を海に囲まれたこの大陸の海岸線は、投棄された結晶で溢れかえってしまったのである。永い年月の間積み重なり、ついに辺境の村などには、海岸から流れてくる毒の雨の被害が出ている状況なのだ。
「自分達の村もそれが原因で滅びました。もうそんな者を出したくないので、自分達は旅に出たのです」
「差別も汚染ってのも、どこの世界も一緒だな」
 サクの話を黙って聞いていたレイルの答えは、シンプルなものだった。
 おそらく、そうなのだろう。人がいる限り差別はある。それは人がみんなそれぞれ違うからだ。羨望、劣等感、同族意識――全て、積み重なっている。
「私の世界でも差別はある。人種もみんな違うし、神様だって違う。共通の力は金だけ。汚染を弱い立場に押し付けるのも一緒で、中心にいる者が一番良い暮らしをしてるのも一緒。私は正直、中流くらいの暮らしだったから、環境汚染には他人事だったけど」そう言って、彼女は続ける。
「多分差別って物事を、私は理解してるつもりだぜ?」
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