本編


 誰も返答をしない中、クロードはエイトを見上げた。
 身長がクロードより更に高く、おまけに体格も良いエイト。短い時間でボロボロにくたびれてしまったスーツを着たクロードは、身長よりも小さく見える。
「少し時間が前後するが、私は君を轢いたその日に、君の家に向かった。そのまま君の奥さんを撃ち殺し、双子を連れ去った。そしてこの遺跡の中に放り込んだ。その双子は、死体に残った僅かな“食料”で生き延びていた」
 目の前の二人を、まるで動物でも見るような眼で見るクロード。
 彼が何故そんな眼をしているのか、ロックは唐突に理解した。あの広間の死体達は“僅かな食料”の食べ残しなのだ。肉片も残さずにしゃぶり尽くされた骨達を思い出す。
 ふと、ぎらついた視線と目が合った。双子の、女の子の方がロックを見ていた。人肉を食べると、人の眼は変わるらしい。
 美しいエメラルドグリーンの瞳に映る、確かな獰猛なる光。愛らしい表情を浮かべる彼女らは、“それ”がいけないことだということすら教えられていない。
「計画に戻ろうと、ロックをリビングに呼んだ瞬間、君達に邪魔されたんだがね……最後の最後にどんでん返しだよ、まったく」
 心底つまらなそうに頭を抱えるクロードには、諦めの表情が浮かんでいる。
「……父さんを、殺すのか?」
 ロックはエイトに向かって言った。思っていたよりも、いつもの声が出た。
「ロックくんが悪いとは言わんわ。でも、やっぱりケジメ付けてもらわんとなぁ。パパさん終わったら、ロックくんやで」
 エイトはそう言いながら、クロードに銃口を押し当てる。
「ロック……どうすんだ? この状況、かなーりピンチだぜ?」
 レイルがそう言いながらニヤリと笑った。ルークはその言葉に違和感を覚えたのか、すぐに彼女に視線を送っている。
 ロックはもちろん、彼女の言いたいことに気付きつつ、それでも迷いがないと言えば嘘になる。
「なるようになる、だろ? なるようになったことは、なるべくしてなったことだぜ」
 気付いたルークもロックの背中を押すためか、“覚えた台詞”を暗唱した。
 この危機を脱するには、こうするしかない。そしてそれは、三人だけにしかわからない。何度も何度もプレイした、三人にしか伝わらない暗号だ。“やるしか”ないよな。
「これしか、ないか……僕は、誰も傷付けたくはない」
 急に諦めたような台詞を吐く三人を、エイトは訝し気な表情で見ている。しかしその目は、疑っているのではなく、何の話をしているのかを問う目だった。
 わからなくて当然だ。ロック達は、“この状況”の話をしていない。
 ロックは両手を、膝の上に置いているスポーツバックに持っていく。諦めたようなロックの言動に、左右に控える男達は完全に油断した。
――その瞬間。
 レイルの右足が跳ね上がり、丁度隣にいた男の顔面を打ち抜いた。体格差をものともしない跳び蹴りが見事に決まり、一発で男を失神させる。
 その威力を経験しているルークが苦い顔をしながら、もう一方の男に向かう。さっきの打撃音に焦った相手に、彼は一気にタックルをかける。勢いよく壁に何度か叩き付けると、その男は静かになった。
「何度も言うが、傷付けたくない。殺すなよ」
 ロックは短くそう言いながら、スポーツバックから取り出したライフルをエイトに照準した。その言葉にはレイルやルーク、そしてエイトへの制止の意味を込めている。
「さっきの……何の合図や?」
 歯軋りするように言うエイトに、ロックはいつもの調子で答える。
「僕らの大好きなゲームのセリフ。遺跡探検のゲームなんだが、物語終盤に敵に囲まれた時の主人公達のセリフ、だ」
 その子供じみた答えに、エイトは舌打ちをしながら拳銃を投げ捨てた。その姿にクロードは息を吐き、ジョインはぺたんと床に座りこんでしまった。
 一瞬にして形勢を逆転した三人。
 レイルは満足そうに、ロックが座る車椅子をコヅチがある台座の前へと運ぶ。ロックはライフルを膝の上に置いた。ルークが、エイトの投げ捨てた拳銃を拾ったので問題は無かった。
「これが、僕の願いを叶えるコヅチ……」
 輝くそれに手を伸ばしながら、思わずそう呟くロックに、エイトが鋭く言った。
「握ったら、叶えられる願いは一つやで?」
 コヅチに触れかけていたロックの手を止めるには、その言葉は充分だった。
「てめー、いい加減なこと言うなよ!?」
 レイルが、ホルスターから拳銃を抜き威嚇する。彼女の脅しが嘘でないことは、いくら初対面のエイトでもわかるだろう。煮えたぎった彼女の瞳に、嘘はない。
「ほんまや。俺が信じられへんなら、パパさんに聞いたらええ」
「父さん……本当、か?」
「どうやら、そうらしい。願いを一つ叶える度に、生贄を消費するからだろう」
「消費……ね」
 ロックは動きを止め考え込む。ロックとしては自分の望みのために幼い双子を手にかけるのは躊躇われる。だからこそ、どうすれば良いのか……
「何迷ってんだよ!?」
 ロックが考え込んでいると、レイルが焦れたように声を上げた。
 彼女は双子に歩み寄ると、乱暴に女の子の腕を引っ張る。痛みに言葉にならない悲鳴を上げる女の子。レイルは引き摺るようにして台座まで連れて行き、そこに女の子を拘束し始めた。
「私達は、ロックの身体を治すためにここに来た!!」
 レイルが説得するように言う。それに対してロックは、勤めて感情的になり過ぎないように反論した。
「わかってる!! だが、その子達の命を奪う権利は僕にはない……っ!」
「どうせコイツらは、生き延びてもロクな人生じゃない」
「ちゃんとした教育があれば大丈夫だ」
「教育って……良いかっ!? 人を喰ったような奴が、マトモに更正出来ると思ってんのか!?」
 台座に座らせた女の子を拘束し終えたレイルが叫んだ。レイルにとって一番優先すべきは親友であるロックであり、それ以外の対象はどれだけ傷付いても構わないのだ。
 レイルの悲痛な叫びに、ロックは覚悟が決まった。
――目の前の双子よりも、もっと、苦しむ姿を見たくない人がいる。
「どちらか選べ、なんて無茶よ……」
 ジョインが、目に涙を溜めながら言う。
「レイル」
 今にも少女を撃ち殺しそうな勢いのレイルに、ロックは諭すように声を掛けた。
「お前を、人殺しには出来ない」
 静かな、しかし力強い視線にレイルが一瞬怯む。彼女の瞳が、時間を掛けて空間中を見渡すのがわかった。しばらくして、彼女はそのままゆっくりと銃を降ろし、つまらなそうにそっぽを向いた。
「……人がせっかく、汚れ役引き受けてやろうって言うのに」
 拗ねたような口調だが、その顔には笑みすら浮かんでいた。
「ほんと、抜け駆けは許してくれねーんだから」
「俺も、お前だけに人殺しにはなって欲しくない……」
 微笑むロックの隣で、ルークも優しく答える。ジョインは安心したように笑顔になり、クロードとエイトは成り行きを見守っている。
「だから……」
 ルークが引き離され不安そうな顔をしている男の子に歩み寄り、彼を優しく抱き締める。そのまま台座まで抱えるようにして運び、手早く拘束していく。
 エイトもクロードもジョインも――ロックですら何も言えない中、レイルだけは満足そうに笑みを浮かべた。
 エイトはようやく事態を飲み込み、クロードに取り付こうとする。拘束を終えたルークが拳銃を構えた。エイトに狙いを付けながら、威圧感を隠さずに言い放つ。
「俺達はこれからロックの身体を治す。邪魔するって言うなら、今ここで殺す」
「ルーク、私と一緒に頭沸いちまってるから。本気だから邪魔すんなよ」
 レイルがおもしろそうに普段と変わらない口調で言う。これでエイトは動けなくなり、再び空間には静寂が訪れた。





「……どうして?」
 ロックが、まだ信じられないというように呟いた。この数分間でかなりやつれたようにも感じる。
「命の価値ってのは……それを握る人間によって決まる。私らにとって、この双子の命より、ロックの方が重かった」
 レイルが当然、とでも言いたげに、ニヤリと笑いながら言った。
「ふざけるな!! 子供にまで手をかけるなんてなぁ!!」
 エイトが怒声を上げ、その言葉にレイルの表情が変わる。笑みが消え、その目に怒りを滾らせている。
「そのガキ共を虐待しまくってたのは誰だよ? 自分が加害者じゃなくなった途端に親面するなよ!! だいたい、“子供”に手を上げようとしたのは、お前だろうがっ!!」
 レイルの指摘に、エイトは眼を泳がせる。彼に責める資格がないのは明らかだ。
「なるほど……」
 クロードが静かに笑いながら言った。彼の表情は、今までのどんな笑顔とも違う――取り繕うことをしなくなった権力者の顔だった。
「ロック……お前は、私よりも良い仲間を捕まえたらしいな。自分の為にここまでしてくれる他人は、なかなかいない」
 愉快そうにそう続けながら、その眼はルークとレイル、そして台座の前で呆然としているロックを順番に映していく。
 嫌な眼だ、とルークは思った。下の人間を見る時の眼は、何度経験しても虫唾が走る。
「ロック。どうせならエイトくんやジョインさんも殺してもらいなさい。お前の人生を邪魔する者は、皆二人に殺してもらえば良い」
 クロードはまるで、とても良い案を思い付いたかのように明るく提案する。
「……どうして、二人にそんなことをさせなきゃならない?」
 ロックが、生気の無い表情でクロードを見ずに言った。
「下の人間とは、常に権力者の手足となって動くものだ。我々が手を下すまでもない」
「……こいつらは僕の親友だ。対等の親友だ!!」
 ロックが強く言い切った。その瞬間、ルークは言いようのない満足感に満たされた。暖かい気持ちに、手が震えてくる。
「対等? 人を殺したような罪人と、か?」
「殺す前から、対等だ!!」
 思わず親子の間に割り込み、ルークは自分に言い聞かせるようにそう言い切った。
「ふざけるなよ平民が! お前のような薄汚れた人間と、私の息子が対等なはずないだろうが!!」
「対等かどうかなんて、人間、考え方なんだよ!! 自分達が対等だと思うなら、それはもう対等な関係なんだ!! 関係ない周りが、口出しすることじゃねぇ!!」
 レイルがイラついたように噛みつく。
「少しは美人のようだが、思い上がりも大概にしろ!!」
 クロードが明らかに気分を害したように怒鳴る。
「……もうこんな言い合いは止めよう。父さん」
 ロックは呟き、そっと手をコヅチに伸ばした。
「な……まだ殺してないぞ? どうするつもりだ?」
 狼狽するクロードを無視して、ロックはそれを掴んだ。
 金色に輝く表面の、金属のような木材のような、この世の物とは思えない不思議な感触を少しだけ楽しむようにして持ち、ロックは持ち手らしき部分をしっかりと握る。
「こいつを振れば、願いは叶う……」
「ロック!! 早く部外者を殺させろ!!」
「うるさい」
 クロードが狂ったように叫ぶのを、ロックは静かに遮った。彼の表情は、ルークですら見たことのない――人を見下す目をしていた。
「僕の身体の為に、二人は他人を殺してくれた。そんな二人に、これ以上罪は重ねさせない……」
 ロックは、レイルとルークを見ながら笑った。
「もう“これ以上”、犠牲者を作らない為に……」
 ロックが目を閉じ、コヅチを振り下ろそうとする。言葉を掛けられた二人はすぐさま彼がやろうとしていることに気付き、慌てて止めに入る。
 二人掛かりで、なんとか振り下ろす寸前に阻止することが出来た。
「放せっ!! 僕の存在を消せば、全てが上手くいく!!」
「先走るなよ!! お前が死んだら、私達の行動が無駄になる!!」
「お前のいない未来なんて、必要ないんだよ!!」
「僕はお前らを犯罪者にしちまう!! こんなのは親友じゃない!!」
「悪友っ!! ……だろ!?」
 ロックの悲痛な叫びに対抗するように、レイルも大きな声で答える。その鋭さと彼女の瞳の強さに、ロックは目を見開き言葉に詰まる。冷たい風が、空間を撫でた。
「……戦友、でも良いぞ」
 ルークは、補足のように付け加えた。その遠慮がちな言い方に、ロックは思わず笑ってしまったようだ。そのロックの姿に、ルークの頭が冷えていく。
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