第三章


 リチャードの演技は、通じた。男にえらく嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「それはつまり、『異世界転生』の知識もなく放り出された一般人ということかな? それはそれは……可哀想に。それなら俺が教えてあげよう。あーちなみに、転生前は俺の方が年上だ。年上には敬意を払うように。そこの大男と褐色の兄ちゃんよりもだからな」
 早口でそう捲し立て、そのまま鼻を膨らませてにやついた男からは、酷く幼稚な気配がした。
「わかったよ。さっさと教えてくださいよ。“先輩”?」
 もう反応することすら面倒なのだろう。レイルが気だるげに、しかし妖艶に微笑みながら吐き捨てた。彼女の嘘は、リチャードとは違う。相手を油断させ操る為の色気が、彼女の武器であり、嘘である。
「うおっ、美少女っ!」
 そんなレイルの笑みに中てられたのか、男が一段と大きな声を上げた。その目にいい加減に見知った欲望の光を確かに感じ、リチャード――と、目の前のサクの手に力が入った。殴りつけてしまいそうなこの激情は、我慢だ。どうか耐えてくれ。これは彼女の思惑通りで、こんな男<相手>はいくらでも見てきたじゃないか。
「ふぅ……失敬。俺はニッポンのサラリーマンだったんだが、恋人に振られたその日にトラックに撥ねられてね。気が付いたらこの世界の鍛冶屋の夫婦の子供として、二度目の生を得ていたんだ」
「死んだ衝撃でこの世界に来たってことか……」
 自分達ももしや、という考えがぐるぐると回り始めたリチャードだったが、男の話はまだまだこれからだったようで、続く言葉に意識を戻す。
「前世の記憶がある俺は、それはもう天才児だったさ! 何も教わらなくてもなんでも出来た! さすがに向こうの世界にはない魔法の知識はなかったが、それ以外はもう、完璧!!」
「……そりゃそうだろ。知識があるんだからよ。天才でもなんでもねえ。カラクリを言ったら誰も褒めねえよ」
 男には聞こえないように、小声でレイルがそう零した。男から情報を得るには相手を上機嫌にさせなければならない。それは彼女もわかっているので相手には聞こえないように、それでも我慢出来ずに口に出したのだろう。その気持ちはリチャードにもよくわかる。普段の彼女なら、話の途中でも蹴り飛ばしていただろう。それにしても……
「ニッポン、か……」
「知っているクニなのか?」
 どうにもまだ言い慣れないのだろう。不慣れなイントネーションで、ガリアノがそう言ってリチャードを見る。
「名前だけで詳しいことは知らない。島国で景色が綺麗で、ゲームやコミックが凄い……くらいだな」
「言語も人種も私らとは違う。目の前の奴は茶色の毛にそれなりの顔をしちゃいるが、その『前世』ってのがチビでヒョロヒョロのオッサンじゃねえことを祈るぜ」
「人種によって身体的特徴も異なるのですね……小柄な人種、ですか……」
 異なる人種という部分に反応したサクに、リチャードは補足して説明しようとして止めた。今は差別の話をする時ではなく、目の前の男から穏便に霊石を手に入れることが先決だ。男への笑みはそのままに、その心を更に開いてもらえるように気を付けて話す。
「えっと……貴方の名前はなんというんですか? こちらの世界の名前でも、元の世界の名前でも構いません」
 酷く“上下関係”を気にしているようなので、リチャードは丁寧な言葉遣いを心掛ける。自分から言って強いる上下関係に、いったいどれだけの価値があるというのだろう。“こういう大人”の考えはわからない。
「俺はロロジだ。前世の名前は、もう関係ないだろ! あんな世界、俺はもう戻りたくもない!」
「ロロジ……それは、愛する者と離れたから、か?」
 いきなり自身を呼び捨てにしたガリアノに抗議の目を向けたロロジだが、その口が文句を零すことはなかった。ガリアノの強い視線に捕まれば、彼の脆弱な闘志が燃え上がるはずがない。
 しかし、彼が口を閉じたのは、恐れからではないようだった。予想に反してその目は泳がずにこちらを見ている。それは、ガリアノの言葉の中に、深い同情の意を感じ取ったからに他ならない。彼は知っているのだから。愛しい存在が居なくなるその感覚を。
「俺にとって初めての恋人だったんだ。社会人になってようやく出来た彼女で、大切にしてたのに。それなのにあいつは、俺が選んだプレゼントを受け取りもせずに、別れるなんて……」
「それは災難、だったな……」
「どうせいらねーもんを勝手に選んで押し付けたんだろ? 関係性が出来てない相手に押し付けちまったら、自滅するに決まってる」
 なんとなくその言葉に思い至ることがあるリチャードは、思わず同情してしまったが、隣でその“思い至る相手”は、身も蓋もない台詞を吐き捨てていた。もちろんロロジには聞こえないよう、小声で話しているし、彼は彼で自身の身の上話を語るのにいっぱいいっぱいになっているので、こちらの態度にも気付いていないようだった。
「この世界に転生した俺は、そのプレゼントだけは握り締めて持って来ていた。これだ」
 そう言ってロロジは、その蒼き光が零れる手をそっと開く。そこにはセイレーンのペンダントが握られていた。リチャードがレイルに贈ったものとは、細かいデザインや大きさが異なるので、全く同じものではなかった。ペンダントにするには少しばかり大きく、そしてごちゃごちゃとした装飾が過度に感じる。
「うへー、あの店、あんな趣味の悪いデザインも売ってるのかよ。こりゃ、リチャードには感謝だな」
 感謝と言いながら皮肉を述べるレイルには、もう慣れてしまった。そんなことを言いながらも嬉しそうに受け取ってくれた彼女の優しさすらも愛おしい。演技や嘘だと言われたとしても、それは彼女の『優しさ』である。
――そうか。そういう『関係性』が築けなかったのか……
 リチャードはわかってしまった。ロロジが振られたのは、彼女との関係性が育ち切っていなかったのだろう。多少“凝り過ぎた”デザインだったとしても、気持ちのこもったプレゼントを拒否される程だ。お互いの熱量に相違があったに違いない。
「こりゃ、本当に付き合ってたかも怪しいぜ……」
「男女の仲というのは部外者の他人にはわからんもんだ。オレ達が安易に決めつけて良いものではなかろうて」
 ガハハと笑ってガリアノが実に年上らしいことを言ったので、リチャードは余計に目の前の男に同情的な目を向けてしまう。彼は、どうにも幼く感じた。
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