第三章


 この森は居心地が悪い。
 歩きながらサクは、木々からの突き刺さるような“視線”を感じ取っていた。ここが迷いの森と呼ばれる場所とはいえ、もちろん生えている木々に本当に目がついているというわけではない。とにかく突き刺さるような負の感覚が、森の木々から発せられているのだった。
 サクですらぞくりとする冷気を孕んだその感覚は、生命の感じる危機感に直結する。ある程度戦闘の経験のある自分ですらこうなのだ。前を歩くリチャードとレイルが、どれだけの精神的疲労を溜め込んでいることか計り知れない。ガリアノに続き文句も漏らさず歩く二人の背中を見詰め、サクは小さく息をつく。
 何が惑わしになるかわからないため、先頭を歩くガリアノは言葉を発することはない。黙々と真っ直ぐ森を抜ける自分達に、木々は果たして何を思い、そして見せ惑わすのだろうか。
 ざわざわと枝葉を揺らす以外に、この森に音は皆無だった。静かにただ、獲物を迎えるために暗い霧の大口を開けている。生き物の気配も声も聞こえない。ただ、自分達の足音が地面に吸い込まれるように浸透していく。
 先頭を歩くガリアノは、前方と横方向の広い範囲を警戒しているため、普段の彼の速度よりはそのペースは落ちている。そのためまだ旅慣れていない二人も、息も切らさず問題なくついていけているようだ。後方を特に警戒しているサクも、このペースならば後方だけでなく広範囲に意識を向けておける余裕があった。
 この世界の平均よりも遥かに高い視線で、リチャードが木々になっている実に目を向けている。彼等の世界では彼ぐらいの体格が普通なのかと問い掛けたら、やはり背は高い部類に入るらしく、レイルが言うには「すらっとした王子様系だからモテてた」とのことだった。確かに同性のサクから見ても、彼は充分この世界でも引く手あまただろうと思う。
 フヨウの街を歩いている時にもそれは感じていた。ガリアノと二人で歩いている時とは確実に違う視線を、この二人を連れていると感じるのだった。熱っぽい若い男女の視線は、これまでの二人旅では考えられないものだった。リチャードが身長に比例して長い手を伸ばそうとして、背後からレイルに背中を叩かれている。
 ガリアノ曰くこの森にあるものは、全て食用には向かないであろうということだった。確かにサクの目から見ても毒々しい色合いのその果実は、栄養価よりも毒素の方が強そうだと思える。
 毒素は即ち幻覚作用だ。街で事前に聞いていた話によると、見えもしないものやありもしないもの、または記憶の中などから抜け出せなくなるらしい。その効果がいつまで続くのか、またそれを抑えるものがあるのかも、情報不足でわからない。そもそもここは迷いの森と呼ばれる場所で、訪れる者すら少ないのが現状だった。
――旅人自体が少ない世界ですからね。
 前の背中を見ながらサクは、頭に浮かんだ言葉を考える。『世界』という言葉を、自分達はあまりにも意識していなかった。
 目の前にある現実に精いっぱいで、旅の目的地を頂きの街と決めてからは、もうそれが全てになっていた。自分達が歩ける範囲の大地がどこからどこまであるのかなんて、確証のない耳に入る情報だけで知ろうともしていなかった。
 それは、きっと危険なことだった。外からの人間でなければ、この指摘は出来なかったかもしれないのだ。
 彼等の『世界』では信じられないことに、大地は、全て円形で繋がっているらしい。果て無き水――海か陸地かという違いはあれど、最終的に一直線にいけば、いつかは元居た場所に戻るというのだ。地平線の向こう側は、自分の後ろ姿なのだという。
 広すぎる世界を見、考える余裕等ない世界で、それを伝聞する旅人や冒険者すらも少ない世界。閉ざされた世界は、差別を作る。外なる敵を見出せなければ、その矛先は内へと向くのだと彼女は言っていた。
――外なる敵……それはきっと……
 それはきっと、この世界の魔法の理だろう。自分達が困り救いを求める根本に、根深く横たわる“便利”という甘き誘惑。一度味わったその旨味を、捨てることは難しい。
 そこまでサクが考えたところで、先頭のガリアノが立ち止まった。彼は声の代わりに右手を上げて、無言で制止の意思を示す。彼の大きな背中の先に目をやると、そこには湿地帯が広がっていた。
 薄暗い森はぷつりとそこで切れているというのに、薄気味悪い濃度の濃い霧が、相変わらず漂っている。
「まだ森を抜けるには早いはずだがな……」
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