本編


 セントラル大学付属高校の秋は忙しい。新学期早々の一大イベントの歓迎会が終わったら、次は学力テストが始まる。今日からはその前準備として、全てのクラスが午前中のみの授業で終わりだ。
「転校翌日から授業をサボるなんて、ウェスト通りのみんなが聞いたら呆れちゃうわ」
 まだ授業中のために他に誰もいない屋上で、ジョインはルークに言った。
「『ちゃんと噂話を流せ』って!」
 そう続けておかしそうに笑う彼女に、ルークはどう言葉を掛けて良いのかわからない。
 昨日の混乱から一日経ったが、ロックを取り巻く状況は悪化し続けていた。おまけにルークやレイルも白い目で見られるようになったので、仕方なくルークは、噂話の中心人物を屋上まで引っ張って来たのである。
 また噂話が悪化するだろうが、これはもう仕方がない。レイルはこんな状況でも、呑気に教室で爆睡中だ。本当に普通の心臓をしていない。
「なんとか言いなさいよ」
 少し冷たい風に吹かれながら立っているジョインが、つまらなそうに言う。彼女のボディラインは繊細で、長めのスカートと髪の毛が風にたなびいている。
「なんで、俺らが穴掘ってるって知ってるんだ?」
「クラスの人から聞いたのよ。どうせ、ロックに言われてあの遺跡を探り当てたんでしょ?」
「確かにロックに言われたが、あいつもお伽話をヒントに探したんだぜ?」
 正確にはクロードの書斎のホワイトボードだが、そこは黙っておく。向こうがどこまで事態をわかっているのか知りたかったからだ。
「ならロックは、クロードから聞いたのよ! 私達でも知らないのに、貴方達が知ってるわけないじゃない」
――ちょっと待て、なんの話をしている?
「それはあの遺跡の存在か?」
「違うわよ。存在なんてどうでも良い。あの遺跡を掘った理由よ。私達はクロードに依頼されて、あの遺跡を掘る為にこの街に来た。でも、発掘作業をしていた人間は全員死んだ。おまけに私達の住む区域には、警察官がウロウロするようになった」
「……殺人事件が起きたせいじゃないか?」
「……何か事件はあったらしいわね」
「……らしい?」
 眉間にシワを寄せるルークに、ジョインは「何も知らないのね」と呆れた。
「私達は“貧困民”だけど、みんながみんな仲良しグループな訳じゃない。それは同じ人種でも対立する貴方達と同じ。そのことを、貴方達はみんなわかってない。差別――いいえ、優越感や嫉妬は、皆が持つ感情よ」
「同じ人間だからな」
「……嬉しい言葉をありがとう。だけど、世の中の大多数の“人間”が『自分より下の奴らは、同じような奴らと一緒くたに群れている』と考えているのよ」
「つまり、殺人事件があっても、誰が死んだかまでは詳しくわからないと?」
「そういうこと。貴方達だって、ニュースで殺人事件を見てもそんな気分でしょ?」
 ルークは黙って彼女を見る。沈黙は肯定だ。
 少しすっきりしたような表情をする彼女に、昨日感じた嫌悪感は感じられなかった。彼女の方も、ルークの肯定的な素直な態度が、少しは嬉しいらしい。先程までは険しかった表情が、幾分か女の子らしい表情に戻っている。
「……本当のところ、貴方達まで巻き込むのは嫌だったの」
 ポツリとジョインが呟いた。弱い風に流されたその言葉に、ルークは彼女の顔に目をやった。
 美しいエメラルドグリーンの瞳に、長い睫毛がかかっている。憂いを帯びた聖母のような彼女の表情に、ルークは一瞬時間が止まったような感覚を覚える。
「自分で言ってて辛いのよ。『群れていても違う』のは、貴方達だってそうなのに」
「俺も、そこまでじゃないが貧しい家庭だ」
「そうみたいね。クラスの人達が言ってた。『あの二人は金持ちの奴隷だ』って」
「俺らにそんなつもりはないんだけどな」
「羨ましい頭ね」
 皮肉を言いながら、それでも彼女は笑った。優しい花弁が咲くような、本当の笑顔だった。そんな彼女に見惚れるルークに、表情とは裏腹に、彼女は冷酷な真実を繋げていく。
「……貧困街の人間達は、協力してクロードを殺そうと考えた。私達の仲間が、どんどん発掘作業が原因で死んでいったんだから当然よ。でも私はそれに反対だった。私と同じ考えの人間は、団結してある計画を立てた」
 彼女の瞳に冷たい色が宿る。こんな瞳の人間を、ルークは見たことがない。
「学校に潜入して、クロードを社会的に抹殺する」
 低く冷たく言い放つ彼女に、ルークは人間的な暖かみを感じなかった。ただそこにある。無機物のような彼女。
「最初は反対されたのよ。特に強行派の男達にね。『女は男に従ってろ』と言われて驚いたわ。私達は復讐に狂ったとしても彼と同類になっちゃダメなのに。でも、ちゃんと諭したらわかってくれて、今私がここにいるの」
「同じ人種の中にも、いろいろあるのはわかった。そんなとこにいたら、レイルなら暴動を起こすよ」
 ルークの言葉にニッコリと笑う彼女の目には、また感情が浮かんでいた。
 風が止み、辺りには優しい静寂が訪れている。今この場所だけは、学校の喧騒とは無縁の場所だ。
「あの子、曲がったことが嫌いそうだものね」
 一瞬、思い出すような表情をしてジョインは言った。
「純粋で凶暴で、筋を通す良い奴だ」
「よくわかるわ……良い“女”、じゃなくて?」
 ジョインのからかうような言葉に、ルークは苦笑する。
「あいつにとっても俺は“男”なんだろうけど、お互いに……恋人には出来ないな……上手く言えないけど」
「ふーん」
 口を尖らす仕種をしながら、ジョインがフェンスから離れた。それまで体重を預けていたそのフェンスから、小さく音が鳴る。
 屋上から降りる階段に向かうジョイン。レザーで作った花が付いた可愛らしいデザインのパンプスが、くるりとルークの方を向いた。二人の距離が近付く。
「付き合ってないんだ? それなら今は、フリー?」
 もう目と鼻の先まで近付いたジョインが、妖艶に微笑んでいる。
「……フリーだけど、それとこれとは……」
 目を合わせていられなくて、ルークは彼女から顔ごと視線を逸らしながら言う。
「どうして? 人種が違うから? 親友を傷つけるから? それならレイルさんだって一緒でしょ?」
 彼女の発した最後の言葉に、ルークは反射的に振り向いた。振り向いてから慌てて顔を戻そうとしていると、両頬に暖かい感触が触れた。その温もりに顔の方向が固定されて、目の前はジョインしか見えない。
 ルークの顔を両手で挟み込んだジョインは、そのままゆっくりとキスを仕掛けてきた。しばらく柔らかい感触を楽しんだのち、ニッコリと笑って階段に向かいだす。
「……なんだよ?」
 歩みを止めない彼女に、堪らずルークは声を掛ける。
「何?」
「だから、なんなんだよ?」
 ルーク自身も何を聞いたら良いのかわからず、ただ顔だけが熱くなるので余計に焦る。
「それは、どっちに対する何なの?」
「っ……どっちって……」
 言われてから頭が覚醒した。自分は、レイルが親友を傷つけていると言われた。
「どっちもだよ!」
 一瞬わからなかった自分を隠すように、ルークは声を荒げた。そんなルークにはお構い無しに、ジョインは右手を持ち上げ指でピースサインをして見せた。
「まず第一に」
 ピースサインの指が一本折り曲げられる。
「レイルさんが親友を傷つけているのは、実際に貴方の心を傷つけているからです」
 授業で当てられた時と同じ口調で、ジョインはスラスラと解説していく。
「第二に、キスをしたのは、私と貴方が似ていると感じたから」
「どこが?」
「例え傷つけられるとしても、好きな人と一緒にいたいと思う。もっとその人の一番になりたいとは思うけど、本当にそうはなりたいとは思わないから。どう? 一緒でしょ?」
 ルークは驚いてジョインから目を離せない。背を向けているのに、ジョインはまるでわかりきっているかのように、軽い足取りで階段を降りだす。
 そして、ふと思い出すように振り返ってルークを呼んだ。
「お昼ご飯、一緒にどうかしら?」
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