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第七章 蒼海の王〈プロトタイプ〉


 クリス、ルーク、ロックの三人は、なんとか無事にスラムの道路に着地することに成功した。
 普段の闇夜よりはよっぽど騒がしかったはずだが、この地域はまるでそんなお祭り騒ぎなどなかったかのように静まりかえっている。それは軍の関わる行事への、頑なな批判のように感じた。
 気を失っているヤートを肩に担いだロックは、武器の重量にも顔をしかめるほどに疲れきっている。
 クリスは燃え残った札の抹消を始める。そのためクリスの周りは今、大量の火の粉が舞い散っている。
 ルークが傷付いた腕を庇いながら銃をしまうと、代わりにナイフを片手だけで構えた。そのまま近場の適当な民家の扉を蹴り破り、中に押し入る。
 まだ明かりのついていた家の中から、微かに悲鳴が聞こえて、すぐにまた静かになった。開け放たれた玄関から、ルークが半身だけ出して手招きしてくる。
「行くぞ」
 札を全て焼き尽くしたクリスは、ロックに手を貸してやりながら、急ごしらえの拠点に設定した民家に足を踏み入れた。
 民家は小さな平屋だった。
 キッチンとリビングと寝室があり、風呂はない。汚いトイレと洗面台ならあった。
 深夜ではないので、家の主達は晩飯の用意をしていたらしい。変わり果てた姿の若い男女が、首から血を流して倒れている。
 男はリビングのテーブルの横で、女はキッチンでシチューを作っていたらしく、コンロに寄り掛かるようにして絶命していた。
 玄関からキッチン、リビング、寝室と一続きの間取りになっていたので、ロックは真っすぐ寝室のベッドにヤートを運び込むと、半ば放り投げるようにしてベッドに寝かせた。そのまま彼も武器を全て背中から外してベッドに倒れ込む。
 すぐに規則正しい寝息が聞こえてきて、洗面台で顔を洗っていたクリスは思わず苦笑した。冷水により冴えた頭で、これからのことを考えながらシチューの入った鍋をリビングに持っていく。
 グツグツと煮込まれたクリームシチューは、丁度食べ頃だ。食器棚を物色していたルークが、目を輝かせて人数分の食器を持って後に続く。
「ロック、飯いらないのかな?」
 リビングの四人掛けテーブルの真ん中に鍋を置くと、食器を綺麗にセッティングしながらルークが聞いてきた。テーブルの横には男の死体が転がったままだ。
「少し寝たら目が覚める。あいつはそういう奴だ。先に食べるぞ」
「うん……美味そう!」
 クリスは鍋の中をよく掻き混ぜてからルークの皿にシチューを盛りつける。それを嬉しそうにルークは食べだしたが、一口目から神妙な顔をして動きが止まった。
「んー?」
「どうした?」
 民家の食べ物に、まさか毒物が入り込んでいるはずがない。
「なんか、この赤いの……」
 ルークがスプーンで皿の一部を指す。
 白いシチューの中に、赤い斑点が浮かんでいる。それにすぐに合点がいったクリスは笑いながら言った。
「ああ……殺した女の血が入ったんだな。美味いだろ?」





 酷く懐かしく感じる声に目が覚めた。
 柔らかくはないが固くもない、ようするに微妙な感触のベッドの上で、ヤートは横になっていた。何も上は掛けられていなかったが、寒くないのは隣の暖かさのおかげで――
「……っ!?」
 隣で規則正しい寝息を立てるロックに、ヤートは面食らった。
 彼の暖かさによりここがもう精神世界でないことはわかったが、一体ここはどこで、何がどうなっているのだろうか?
 ヤートは問い質したい気持ちでロックの寝顔を見た。普段のふざけた表情ではない、時々眉間にシワがよるその顔は、相変わらず危険な魅力に満ちている。最初は問い質すつもりだったヤートも、だんだん安心してきた。
――無事で良かった。
 そう心から思ってしまうのは、精神世界で垣間見た、彼の本質からだろうか。自分を守ろうと本心から思ってくれている彼を、軽蔑なんて出来るはずがなかった。
 とにかく彼を起こすことにしたヤートは、あまりきつくならないように注意しながら、ロックの身体を揺らそうと手を伸ばしかけて硬直した。
 いきなり寝息が完全に止まり、金色の瞳が見開かれた。スイッチが入ったように覚醒した彼は、一瞬こちらを欝陶しげに見つめ、すぐにその口元に笑みを浮かべる。
 細い指先がヤートの少し開けた首元を撫でた。
「もう目が覚めちゃった? すげー気持ち良かったよ」
「ロック! 睡眠はもう良いのか?」
 ふざけたことを言いながら少しバツの悪い笑顔になったロックに、クリスが向こうから声を掛ける。
 どうやら寝室らしいこの部屋の向こうでは、美味しい食事が待っているらしい。優しい匂いが鼻腔をくすぐる。
「もう大丈夫だ! ヤートさんは立てる?」
「心配ない。すぐに行く」
 少し間接が痛むし音が鳴るが、全体的には身体の調子は逆に良いくらいだった。知らず知らずの内に溜め込んでいた不安から、一気に解放された気がした。
 ヤートは勢いをつけてベッドから立ち上がると、隣にまだ座り込んでいるロックを振り返った。彼はまだバツの悪い表情をしていて、立とうとしない。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「あー、いや……」
「ん?」
「違う方が勃っちまったから、良かったら抜い――」
「――断る」





 四人掛けのテーブルに並んで座り、四人は食事をしながら今後のことを話し合った。
「とにかく腹が減っては戦は出来ぬ、だ。しっかり食べながら聞いてくれ」
 クリスが、シチューが山盛りに入った皿をヤートに手渡しながら言った。
 ルークは負傷した腕の止血用のガーゼを換えることに忙しい。
 二人で半分以上食べた後、クリスが簡単に傷の手当をしてくれた。傷自体は深くなかったので、しっかり止血して殺菌しておけば問題ないらしいので安心した。
 クリスは、魔力の急激な消費により頭が重そうだ。今もここに至るまでのいきさつをヤートに説明しているが、動いているのは口だけで、瞳は閉じられている。
 話に聞き入るヤートの横で、ロックは我関せずといった様子で食事にがっついている。体力、魔力共に早急に回復させるには、当然のことだが、外部からのエネルギーの摂取が最も効率的だ。
 ロックは早いペースで三杯目を食べ終わると、キッチンに向かった。彼は食器棚の下を少し漁り、ワインの小ビンを見つけると「ほんのちょっとの贅沢ってか」と呟きながら詮を抜いた。ボトルに直接口をつけて一気に飲み干す。
 彼の表情はアルコールにも全く変わらない。そんな彼に、ヤートが目を伏せたのをルークは見逃さなかった。彼の目は床に倒れた男に注がれている。
 片付けておけば良かった、とルークは後悔したがもう遅い。この光景が自分達にとっての“日常”であり、これから彼に慣れてもらわなければならないことだ。この空間では、彼の方が異端なのだ。
 後一つ――日常とは違うことがある。美しい紅一点がいない。
「……レイルの居場所は?」
 ロックが冷ややかな瞳でクリスを見ながら言った。空になったビンを床に投げ捨て、タバコに火を着けながらリビングに戻ってくる。
「それはこれから……おっと」
 答えようとしたクリスの携帯が振動している。ディスプレイを一瞬睨みつけ、クリスはニヤリと笑った。
「噂をすれば、だ」
 クリスは仲間達に静かにするように目で合図すると、通話を開始する。あれは本部との連絡用の端末で、電話の相手は本部以外に有り得ない。
「こちらクリス。デザートローズにて陸軍と交戦。ゼウスのコアは確保したが、レイルと連絡が取れない」
 簡潔に情報を報告しながら、クリスはキッチンに向かう。
 ロックは寝室に武器を取りに行き、ルークも銃の最終チェックを始める。ガーゼも上手く換えられたので気持ち良い。
 いきなりせわしなく動き出した自分達に、ヤートは不安そうな顔をした。そんな彼にロックは、彼の武器である大剣を渡してやる。
 クリスの話し声が止んだ。端末をポケットに戻したクリスが、獰猛な獣の表情を隠さずに言った。
「レイルの居場所がわかった。どうやらスラムの馬鹿共に捕まっているらしい」
「おうおう、こんな良い男達をすっぽかしてヤッちゃってるのかよ」
「場所は?」
 軽口を叩くロックに、ルークはあくまで真面目に聞いた。馬鹿なスラムの不良でも、今のレイルには抵抗する力も無いはずだ。
「ここからすぐにアジトがあるらしい。助けるぞ」
「そうこなくっちゃな!!」





「ヤートさんは、どうする?」
 クリスが冷静な声で問い掛けてきた。その表情にはいつもの無表情が戻っている。
 ヤートにはそれが淋しく思えた。まるで、自分だけは仲間に入れてもらえないような疎外感。
「レイルは……俺にとっても大切な人間だ。俺も行く」
 隠さない本心をぶちまけた。ロックがひゅうっと口笛を吹いて茶化したが、その行為に悪意は感じられなかった。
「あいつも……俺達もそう思ってるよ」
 クリスは穏やかに、嬉しそうに笑った。
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