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第1章 人間の街、エルフの母子


「それで? 魔族のアンタがなんで教会に友人なんかいるんだ?」
 隣を歩くグロッザが、沈黙に耐えかねたのか聞いてきた。
 二人は、店だけでなく建物自体がまばらになりつつある道を歩いていた。目的の教会は街の中心地から少し離れている。
 必然的に少し並んで歩くことになるのだが、生憎雑談といった類いは趣味ではない。少々落ち着きのないこの青年には、その沈黙はなにかの拷問のように感じられたのだろう。
 先程までは彼の視線と口は忙しなく動いていた。
 まずはゼトアに「魔王軍所属じゃないわりに装備はしっかりしてるみたいだな?」となかなか鋭い指摘をしてきたのは驚いた。
 今回は潜入ということで、防具は使い込んだ薄い黒皮の鎧のみだが、そこから滲み出る確かな血の痕跡が、自分を兵士とまわりに認識させてしまうのだろう。
 その下には全体的には暗い色合いの袖の短いインナーに、ダメージに強いことで民間にも普及しつつある軍用のボトムにブーツ。やや長めの黒いコートを羽織り、露出している腕の傷等を覆い隠してはいるが、それでも普通の旅行客には見えない。
 隣を歩くグロッザはといえば、袖のないタイプのグレーのシャツに、深い緑色のボトムを合わせたまさしく普段着という出で立ちだ。
 肩をこえた銀色の髪の結び方が、全く一緒で笑いそうになったが。本当に買い物かなにかに出たところ、自分と遭遇したのだろう。
「その槍……本当にゼトアみたいだな」
 青年があまり視界にいれないように――凶器から目を逸らすために目が泳いでいるのか――ゼトアの槍のことを言った。
 ちなみにここで言われた“ゼトア”というのは魔王軍でアレスの腹心のゼトアだ。つまり自分自身のことなのだが、青年は別人だと思っているから笑い話のつもりだろう。
「槍使いなんて腐るほどいるさ」
「でも! 魔王の腹心であるゼトアは別格だろ!? 同じ魔族なんだから憧れとかねーのかよ?」
「……」
 本人なので憧れなんてものもなく。また誇張や自慢は主義に反する。考えあぐねて、結局黙ることにした。
 自分のネームバリューを過小評価し過ぎていたようだ。最前線なんてここ数十年は出向いていないのだが。
 まずは潜入という時点で目立つ自分には向かなかったのだ。しかし我らが魔王の任命を疑うような真似はできない。
 そして長く重苦しい沈黙の末のグロッザの言葉が、先程の問いである。
「シスターに用がある。人間達からしたら遠い昔の話になるが、彼女が従軍していた師団を壊滅させた時に、捕虜として捕らえられたのが彼女だ」
「アンタら魔族はエルフ並みに長寿だからな」
「あぁ、ほとんどの死因が戦死と揶揄される程の、な」
「……待ってくれ。じゃあ、その女性って人間の軍に従軍していたのか?」
「そうだ。我々魔族が敵対するのは今も昔も人間共のみだ」
 そうなんだと、目を伏せるグロッザに、ゼトアは慰めの意味で言葉を掛ける。
「その経歴があるからこそ、今でもこの街に住めるのだろう。母君に感謝するんだな」
「えっ?」と顔を上げる彼は困惑した表情を浮かべている。
「この街にはシスターは一人しかいない。そして彼女の名はルツィア。魔に堕ちてしまったダークエルフのルツィア・ライザグル。お前の母親だろう?」
 きっと引き締まる彼の口元を認め、「あまり大声で話す話題ではないな。早く教会に案内してくれ」と続ける。
「……わかったよ」
 まだ年若い青年を急かしながら、ゼトアは彼の背を追って歩を進めた。
――本当に、大きくなったものだ。






 その教会はまるで、絵本の中の世界のような空気に包まれて建っていた。
 古い木造建築のその佇まいからは、威厳ではなく、優しい安心感を放っている。
 取り仕切る者の誠実さだろうなとゼトアは思いながら、大きな装飾の入った扉を押し開ける。片手で音を立てながら扉を開けたため、隣でグロッザが目を丸くしていた。
 丁度礼拝の途中だったのか、女性が中央の十字架の前で祈りを捧げていた。天界からの使者である天使の一人が描かれた壮大なステンドグラスを見上げ、その真下に掲げられた十字架――女性の腹に聖なる槍が突き刺さった造形だ――に視線を下ろした。
――どうやらあのクソ天使は、まだ性癖が変わっていないようだ。アレスが嫌悪するのもわかる。
 祈りの言葉を切り上げ女性がこちらに振り返るまで、ゼトアは静かにそんなことを考えていた。
 礼拝のための長椅子は少なく、建物の規模としてもそこまで大きなものではないようだ。グロッザが後ろで扉を閉めている音が聞こえる。
 教会のなかには自分達三人だけしかいないらしい。振り向いた女性の表情が一瞬固まり、そして綻んだ。
「ゼ……ゼ、トア?」
 名前を呼びながら、本当に実在するのか確認するように、彼女は駆け寄り抱き付いてくる。そのまま名前を何度か呟き、応えを求めてこちらを見上げた。
 白を基調とした神官服が小さく震えている。安心させてやるためにも頷いてやると、みるみるその眼から大粒の涙が溢れ出す。息子と同じく美しい銀髪を腰まで伸ばし、大海を思わせる深い碧の瞳が細められた。
「本当に、迎えに来てくれた」
「あぁ、大昔だが、約束は約束だ」
 おそらく神、いや、天界との契約違反だろうが、ゼトアはルツィアに歩み寄り抱き締める。
 自分よりは少しばかり薄い褐色の肌は、未だ若々しく、脳裏に昔の感情を浮かべるには容易い。溢れる涙をそのままに、小さく嗚咽を漏らす彼女は、本当に昔のままのように感じた。一回り以上小さいその身体を抱きながら、視線だけグロッザに投げ掛ける。
 彼の眼には、困惑のみ。そこに他の感情も見たくなり、ゼトアは自分のねじ曲がった部分すらも見透かす魔王の残酷な笑みが、脳裏に浮かんで離れなかった。
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