第九章 繋ぎ合わせたモノ


 尊敬するリーダーが出て行ってしまって、サクは話題に困って視線を洗っている途中の皿達に落とす。
 隣で同じく皿洗いを続けているエイトのことは、見ない。彼は軍人らしく視線に敏感なタイプなので、ほんの少しの気配にすらも勘づいてしまう。それに、なんだか……自分を見る目に不安を駆られる。
「これで終わりだな」
 隣を見ないようにしていたというのに、肝心の手元のことは目に入っていなかった。視界に映してはいても頭にまで入ってこなかったのだ。なんだか彼に“アレ”を見せられてからというもの、どうにも心が落ち着かない。
「そうで……そう、だな」
 リーダーが顔を出す前に交わした会話を思い出し、サクは慌てて敬語を外して返事をした。そのサクの返答が面白かったのか、隣のエイトはくくっと笑いを嚙み殺している。顔を見なくとも笑顔が浮かんでいることが想像出来る。
――今なら、聞けるかな?
 第一印象はどう考えても危険な男だったエイトだが、どうやら自分にはそれなりに好感を持ってくれているであろうことは、いくら鈍いサクにだってわかった。軍学校時代には散々『鈍い』『鈍感』『女心がわかってない』と言われ続けていた自分でも、さすがに彼からの好意はわかったつもりだ。それが純粋なる好意なのか、下半身が絡む欲望なのかは判別し難いが。
「サクってマジで素直だよなぁ。そんな純粋さでよく特務部隊なんかに抜擢されたな?」
 エイトが最後の皿を洗っている。クリスが用意した鉄火丼に使用した丼で、黒の下地に金色で岩に登る狼の柄が描かれている。北部のデザインはその独創性から芸術品として他の地方に出回っているが、その良し悪しはサクにはわからなかった。
 だがそんなサクにだって、わかっていることもある。それは、エイトの問いへの答えだ。
「……俺も多分、ここにいる人達と同じくらいには、おかしいんだと思う」
 何気ない雑談のつもりだったのだろう。隣のエイトの纏う気配が変わったことが、鈍いサクにでもわかったのだから。
「それってよ……どういう意味でだ?」
 洗い終わった皿を置いたエイトの声は、少し低くなっている。しかし、その声に拒絶や疑惑の色は滲んでいない。あるのはそう、好奇の色合いだ。
――今までは、気持ち悪がられてばかりだったけど、ここなら……エイトならわかってくれるかも……だって……
 その声にサクの心が揺さぶられる。決して、決して口になどするものかと決めていた自身の“汚点”。“これ”のせいで自分の軍学校での“生活”は散々なものだった。誰だ、井の中の蛙なんて言ってた奴は。自分より狂った奴は、少なくとも同期にはいなかったんだぞ。
「……性的な、意味で」
 いざ口に出そうとすると、あの時のトラウマが蘇る。
 あの時……軍学校での始めての夜。見回りの上官もその日ばかりは大目に見るのがそこでの決まりだったらしく、その夜だけはサクと同室の同期達は、初めての軍部に興奮し、用意していたジュースと菓子で盛り上がった。
 まだ若い思春期真っ盛りの男ばかりで盛り上がれば、すぐに話題は性的な話にすり替わる。同期達からすれば幸運なことに、と言うべきか、たまたまその部屋には男性もイケる口の者はおらず、皆が女性との体験談を話す中、話を振られたサクは、何の疑問も持たずに自身の性癖を語ったのだ。
 それからは……思い出したくもない。
「なんだよ? ここにはゲイもバイも、ましてや根っこの部分がカニバリズムやネクロフィリア、異常なまでのサディストまで目白押しなんだぜ? 今更何言われても驚かねーよ。ま、サクみたいな可愛い顔がどぎつい性癖言い出したら、そりゃぁ……」
「そりゃぁ……?」
 そこで言葉を止めたエイトに、サクは怖くなって彼に顔を向けてしまう。
――やばい、つられた! 恥ずかしいっ……
 そこにあったのは彼の笑顔。いつもは獣のような気配を纏うのに、今の彼は人懐っこいヤンチャそうな笑みを浮かべている。年が近いせいもあるだろうが、本当に親友とか、そんな感じに思えてしまう。可愛い可愛いと彼は言うが、サクからしたらエイトだって充分“可愛いタイプ”だろうなと思える。
「すげぇギャップってすげぇ惹かれる。オレのことも、ぐちゃぐちゃに出来るのか?」
 こちらを見据える赤が、欲望に淀んだ。洗剤を洗い流したままの濡れた手が、頬に触れる。指先は水仕事のせいで少し冷たいのに、手のひらはどことなく熱い。そこに彼の中の欲望の滾りをまた感じてしまい、サクは意を決して“自身”を伝えることにした。
「それは……出来ない。オレ……対物性愛、だから……」
 頬に触れていた手が下ろされた。温もりが離れることが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。人の体温なんて、今の今まで心地良さの欠片も感じなかったのに。
「……あー、人じゃなくて物か……そりゃ確かに、ぐちゃぐちゃに出来ねえな」
 返事が怖くて思わず目を伏せたサクだったが、返された言葉は単純明快なものだった。おまけに大笑いつき。
「……気持ち悪く、ないの?」
「あのなー、オレだって『一般人』からしちゃかなり『ヤベー奴』って言われるんだぜ? 自慢じゃねえが女を犯すことも男に掘られるのも大好きだ。薬キメると女を殺しながら射精するくらい狂ってもいる。だから今更、それぐらいでビビんねえよ。ただ、オレ相手じゃ勃たねえと思うと残念だけどよ」
 最後までゲラゲラと笑われて、サクの心の氷がするりと溶けていく。あのトラウマから今まで誰にも言えなかった性癖だ。フェンリルに配属されても、絶対に言わないと決めていた。しかし、エイトの反応を見ていたら、どうやら自分の悩みというものは、この集団においては小さなものだったらしい。軍学校の中でいても、どうやらサクも同期達も井の中の蛙のままだったようだ。
「そう言ってくれたら嬉しい。ねぇ、エイト?」
「ん? どうした?」
「俺にもう一度、“アレ”見せて」
 エイトの表情はまだ優しい笑顔のままだ。この空気なら言えるだろう。このままここでそれを告げて、彼との二人きりの寝室にて、あの美しい傑作を見せてもらいたい。
――エイトもキレイだと思ってるだろ? だってあんなに、大切に持ってるんだから。“ソレ”は本当に傑作だから。
「アレって、なんだよ? 武器なら廊下に置いたままだぜ?」
 おどけた様子で廊下に目をやるエイト。逸らされた赤の中には、どことなく暗い光が見えた気がした。
 しかしサクは自分の興奮が抑えられなかった。彼の心の小さな拒絶も疑惑も、サクは『鈍い』から見落とした。
「違うよ。アレだよ。あの、『脳と目が入った培養槽』! 俺、あんな小さいの初めて見たし、それに中に入ってた脳と目の細工がすご……く、て……?」
 サクは『鈍い』から、見落としが多い。任務中も勉学も、人の心の機微だって、なんでも、なんでも鈍いのだ。
 でも……
「ぐっ……」
 エイトの拳がサクの腹に突き刺さっている。痛みに思わず蹲る。彼の得物である爪が装備されていれば、これは完全に致命傷になっていたことだろう。彼が得物を装備していたとしたら、果たしてサクに同じことをしていただろうか。鈍いサクにはわからない。
「お前……デミのこと、“アレ”って言ったのか? オレの大事な女だって説明したにも関わらず、アレと言って、挙句の果てには細工とまで言ったのか!?」
 鈍いサクにはわからない。なんでエイトが怒っているのかを。
 鈍いサクにはわからない。なんで傑作を褒めたのに、その持ち主が怒っているのかを。
 鋭い痛みに声が出ない。しかしきっと、声が出たとしても、今のサクには何を言えば良いのかわからなかっただろう。
 戸惑いと哀しみだけが渦巻く瞳でエイトを見上げると、彼の怒りに滾る赤が少しばかり揺れた。
「っ……クソっ! 謝らねえぞ? 悪いのはお前なんだからよ! あー、クソっ!!」
 そう悪態をつきながらドカドカとリビングを出て行ったエイトを、サクは声を掛けることが出来ないまま見送った。
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