第九章 繋ぎ合わせたモノ


 夕食を全員で楽しむと、その後のシャワールームが混み合うから困るとルツィアが呟いていたのが耳に入ったエイトは、その言葉に思わず吹き出しそうになって、慌ててすぐそばにいたサクに話題を振った。声の主はそのまま恋人だと紹介された色気抜群の男と腕を組んで出て行った。
「この家? 全体がアジトなんだろ? オレが寝る場所ってある?」
 今は夕食も終えて皆がリビングから出て行くところだったので、立ち止まる形となったサクとエイトのみが部屋に残ることになる。
 この特務部隊という集団には『フェンリル』と『それ以外』という明確なる壁が存在していると、部外者であるエイトもさすがに気付いている。
 デザートローズで対峙したあのクソアマもそうだったが、フェンリルという存在は、そこにただ立っているだけでも背筋に這いよるような殺気を常に垂れ流している。そこに本人の殺意なんてものは関係なく、ただ、『人を殺す』という『趣味』を楽しむ性分なだけなのだから質が悪い。
「えーと、リーダー……あー、クリス先輩です。一度聞いてみないとわかりませんが、多分部屋自体は余ってないので、もしかしたら俺とルーク先輩と一緒の部屋になって、クリス先輩はどこかに行かれるかもしれません」
 鮮やかな銀髪の下でそれより幾分かくすんだ灰色の瞳が頼りなげに揺れる。闇を思わせる漆黒でも、欲望を色濃く映すエメラルドグリーンでも、ゾクリと凍てつく深紅でもない。そこにあるのは『人間』の瞳。狂ったケダモノの気配を、サクからは――いや、ヤートからもルツィアからも感じなかった。
 きっと年齢は同じくらいだろう。彼だって特務部隊を名乗ることを許されているだけあり、それなりに腕は立つはずだ。しかし彼等の中の新人という括りは、どうにも『殺しの経験がない』という意味を込めているようにエイトには感じられた。
 覗き込むように見詰めていたため、揺れる灰色と目が合った。くすんだ色の奥底に、何か滾るものはないものかとつい探してしまう。そんな暖かな灰色だ。まるで燈火の熱がまだ残っているかのように、彼の瞳からは温もり<優しさ>が溢れている。
「べつにオレはどこでも寝れるけどよ、さすがに傷を治さないといけねえからな。さっきメシ前にクリスに処置はしてもらったが、安静にしてろって怒られちまった」
 夕食前にクリスに傷を診てもらったのだが、その見立ては的確で処置も手際良く驚かされた。殺しのために編成されたフェンリルにおいて、しっかりとした医療技術を持っている人間がリーダーを務めている等、誰が想像出来るだろう。そのため、編成されてから一度もそのメンバーが欠けていない。
 高い次元の戦力を効率良く有する為の本部の策なのだろうが、あまりに強力過ぎるが故に疎まれていることも事実だ。現に元南部支部のイースもそんなことを言っていた。内部でも敵の多い先輩達に比べたら、新人達の纏う空気が柔らかいのも当然だろう。
「そ、それだったら俺のベッドを使ってください。多分ルーク先輩が、その……誘っちゃうでしょうけど、あの人、実は……」
「あー、あいつゲイだろ? さっきメシ食ってる時に本人から聞いた。あの野郎、オレのケツ触りながら声掛けてくるんだぜ? いくらオレが男もイケるってわかったからって、頭おかしいっての」
「ルーク先輩、エイトさんみたいな人も好きみたいで……なんか、すみません」
 自分のことでもないのにペコペコと頭を下げるサクの肩に手を掛け、エイトは強引にその頭を上げさせた。驚いた顔をしているサクに、エイトは出来るだけ高圧的にならないように注意しながら問いかける。
「オレさ、多分お前と年齢変わんねえぞ? だから敬語なんてナシでいい。オレもお前のことサクって呼ぶから、お前もオレのことエイトって呼び捨てで。それと、自分が悪くねえことには謝るなよ? 今ここにいる連中は、“一般常識”から外れた連中だ。そんな奴らのためにサクが謝る必要なんかねえよ」
「……確かに、“一般的”な先輩とは違うだろうけど……」
 エイトの言葉にサクはまだ不服そうだったが、それでも一応は自分に対して敬語はなくしてくれた。それだけでも彼と少しだけ距離が近くなったような気がして、エイトは心の中で小さくガッツポーズ。
 エイトの好みの男性像はエドワードのように『頼りになる大人の男』だ。そこに年齢なんてものは関係なく、まだまだ考えの浅い自分自身の導き手となるような、そんな男がずっと理想像として君臨している。それが初めての男であるエドワードの影響であることは無論だが。
 偶然にも身を寄せることとなったフェンリルの男達というのは、文字通り三者三様。冷静沈着なリーダーであるクリスは、冷徹なる気配の内に心優しい面を覗かせる。
 穏やかな笑みを湛えるルークは、その笑顔とは裏腹になんとも直接的な誘いをくれた。どうやら自分は、彼のタイプらしい。残念、好みはマッチしなかったな。
 そしてルツィアの恋人であるロックだが、彼の色気には思わず生唾を飲み込んだ。南部生まれのあの肌はマズい。一度背中を任せた女の相手を奪う気にはエイトもならないが、ついつい食事の最中や笑い声が零れる口元を盗み見てしまった。フェロモン垂れ流しとレイルが耳元でおかしげに囁いていったが、彼女の言いたいことはよくわかる。
 彼女は彼女で、エイトの性欲を煽る挑発的な視線を常に投げ掛けてくる。どうやら話を聞くに婚約者もいるというのに。さすがは軍部一の、だ。エイトの側から何かするつもりはないが、彼女の方からモーションがあればそれはもう仕方がないかと割り切っておくことにする。心の貞操は固く誓っているエイトだが、身体に関してはとっくの昔に捨て去っている。きっとここの人間は皆、そうなのだろう。
 彼女に良いようにオモチャにされているルツィアに関しては、エイトからは何も言うまい。なにせ、ああいう真面目ちゃんタイプはエイトが最も苦手なタイプだ。物語の中ではよくヤンチャな男と真面目な女がという関係性を見るが、エイトにはその点がどうにも理解出来ないでいた。ルツィアがずっとツンツンした態度を崩さなかったら、きっとエイトは彼女のことは心の中でスルーしていた。
 そしてそんな真面目ちゃんの同期は、やはり真面目で……気弱な『可愛い』タイプの男だった。
 そう、エイトから見てもサクは可愛い。身長があまり高くないエイトは、陸軍の中でも『可愛がられる』側が多かった。そんな自分の『武器』をエドワードとの間で理解していたエイトは、その武器を躊躇なく“振るって”来た。愛欲をねだるのも、“願い”を伝えるのも同じ顔で囁いた。欲も愛も、同じだった。
 そんなエイトが可愛いと思えるのだ。身長はサクの方が高い。しかし愛らしい童顔のせいか、それとも純粋さが溢れるような銀髪のせいか。暖かい灰の瞳はとても大きく、頼りない印象を強くする。
 しかし、笑顔が良い。
 エイトはまだサクと知り合ったばかりなので、彼のとびきりの笑顔は見たことがない。しかし、きっとその笑顔にエイトは惹かれる。
 わかってしまった。彼の浮かべた苦笑いから、その愛らしさを想像してしまった。
――エドワードも、こんな気持ちだったのかねー。
 今だって、目の前で浮かんでいるのは苦笑いだ。敵意こそないが、進んで踏み込むつもりもない。いや――踏み込み方がわからない、か……
「ああ、違うな。デザートローズの陸軍の上官とも全然ちげえよ。でもよ……」
「……でも?」
 言葉を中途半端に止めた為か、サクがエイトに向き直った。その純粋“過ぎる”反応に、思わずエイトの方が笑みを零してしまう。
――駄目だ。マジで可愛い。
 首に手を回して、そのままの勢いでキスを仕掛ける。エイトの速度についてこられる人間は、おそらくフェンリルにおいてもレイルくらいだ。新人が追い付ける速度ではない。
 目の前の灰に色が浮かぶよりも先に、その頬が朱に染まっていく。
――こりゃ変わらないって言っても年下か? 年下は初めてだが、なるほど……こりゃ確かに甘やかしたくなるな。
 さすがにこれ以上は“これから”の関係に問題が生じると判断し、エイトはするりとサクの首から手を放す。その瞬間にばっと身体を離したサクの瞳には、戸惑いと興奮の色が浮かんでいて、その中心に自身が映っていることに、エイトの心が震える。
 しばらくリビングに突っ立ったままの二人だったが、エイトは扉の向こうに気配を感じ、微妙な距離を保ったままのサクに向かって「オレはこの中じゃ新参者だ。メシのお礼も兼ねて皿洗いぐらいはやってやる」とへらりと笑ってやった。
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