第八章 歪な群れ


「さっさとヤりてえ気分なんだ。お預けなんて聞いてねえよ」
 レイルの手がルツィアの頬へと添えられて、そのエメラルドグリーンが細まる様を見せつけられる。
 仮眠室として使用されているこの部屋は狭く、洞窟内の壁を一部利用しているために窓もない。合計四人が寝られる二台の二段ベッドがあるだけの簡素なものだ。
 意気揚々と洞窟内に向かったレイルの耳元でその『指示』が届いてからというもの、彼女の機嫌はすこぶる悪い。いや、正確に言えば、『悪かった』だ。
 彼女は新しい『暇潰し』を見つけていた。それで、機嫌が直っただけ。
 その『指示』とはリーダーであるクリスの指示であり、遠く離れた彼からの指示に、狂犬は素直に従った。その直前まで任務<殺し>に目をギラギラさせていたというのに。
 長い睫毛が上げられると、そこには渦巻く欲望の中にルツィアの姿があって。
「次の『脈動』が終わるまで待機なんてよ……あと一時間は掛かるぞ」
 そう口では言いながら、彼女の手は意味ありげにルツィアの太ももの上を這っている。
 今はルツィアとレイルの二人っきり。狭い狭いこの仮眠室のベッドの上で、レイルに――多分、襲われている、で合っているだろう。
「なー? お嬢様は一時間もあれば充分満足出来るよなー?」
 その形の良い唇から艶めかしい舌先を覗かせ、レイルがルツィアの耳元をくすぐる。頭の中では相手は同性だ、いけ好かない女だと言い聞かせているというのに、ルツィアの口から出る言葉は、恐怖と欲望に塗りたくられた悲鳴というには余りにも甘い声ばかりだった。
「っ……お、女同士でこんなっ……そんなに私のことが、嫌いならっ……いっそ殺――」
「――おいおい、私がいつお前のこと嫌いだなんて言ったよ?」
 耳元でくくっと笑われて、思わず彼女に顔を向けて、そのまま唇を奪われる。頭の中で考えていたことがその一撃で全て吹き飛んで、目を閉じることすら出来ずに深紅の奥に見える二段ベッドの上段の木目を睨み付ける。
 わざとだと容易にわかる音を立てながらなぶられて、身体もほだされていると気付く。どくどくと煩い心臓が、彼女を求めてしまっている。それはもう、顔に集まる熱からも明白で、頬に触れた彼女の手がそれに気付かないはずがない。
 そう、身体もそうなのだ。心はとっくに、あの車の中で、とっくにほだされていた。
――でも! 私にはっ!!
「先輩はっ……ロックの“相手”だから……」
 絞り出した。言ってはいけない、そう自分自身で決めていた言葉だ。決して言ってはいけないのだ。その事実に太刀打ちできないことを、自分で証明してしまいそうだったから。
 レイルとロックの関係が、ただの同僚で済むわけがないのは、この二人を知っている者達からすれば常識である。むしろこの二人は、気に入った者となら進んで肉体関係を持つような人種だ。そこに貞操観念なんてものはないし、むしろ強い繋がりは彼等の世界では生き死にに直結するメリットとなることも多い。
 任務のために身体を使うだけでなく、それ以外の物事でも利用出来るものは利用する。彼等はそういう意味でも、裏側の人間で、プロなのだ。
 ルークがゲイだということは本人から聞いた。笑顔が魅力的な好青年に浮いた噂が全くなかったのはこのせいかと納得もした。クリスに至っては不能ではないかと噂が流れていたが、それも多分違うだろう。目の前の狂犬と同じくギラギラした気配を、彼からも確かに感じたのだから。
「なんだよ? 同じ男の相手はダメなのか? あいつはこんなもんじゃ怒りもしねーよ。それに心配しなくても恋人はお前だ。私にも相手はいるし、“こういうコト”はまぁ、あれだ……『致し方ない』って諦められてる」
 最後ばかりはその『相手』の顔が過ぎったのか、バツの悪そうな顔をしたレイルだったが、それでもその手が止まることはない。知らない間にジャケットもシャツも脱がされて、ロングパンツに手が掛かっている。
「女同士だからって、浮気じゃない……こんなの……」
 抵抗はしても無駄だろう。単純な力比べなら、身長の高いルツィアに分があるが、相手は歴戦の殺し屋だ。こんな狭いベッドの上で、しかも雷を流せる凶器<手>を下着越しに這わされている。ほんの些細な『気まぐれ』で、いとも簡単に殺されることだろう。
 それでもルツィアは確信していて、こんな悪態とも取れる言葉を吐けた。きっと、彼女は優しいから。口では文句も暴言も垂れ流し、その白く美しい手で幾多の猛者を葬っている女だが、きっと彼女は優しいから。
――そんな眼で、見ないで……
 口づけの間ですらも逸らされなかったエメラルドグリーン。その光には、常にルツィアを気遣う色合いが浮かんでいて。こんな色、愛しい金色には浮かんでいなかった。
「女同士だからセーフ、なんて思ったことねーよ。お前はわかってるはずだぜ? 女だってよ、お前のこと、本気で愛する奴がいるんだってな」
――それは誰のことを言ってるの?
 答えを求めて開いた口に、更に欲望を差し込まれて、ルツィアは目を閉じてその勢いを受け入れる。
 たっぷりと感触を楽しんだ後に開いた彼女の口からは、「ま、私は本気じゃねーけど」と悪魔のような言葉が零れたが、その上で細められた優しい瞳には、騙されても良いと思えた。


 隣から聞こえる声で、ルツィアは目を覚ました。
 二段ベッドの下の段にて乱れた服装のまま眠りに落ちていたことを思い出し、慌てて足元にまで追いやられていた下着に手を伸ばす。
「あー、お前の彼女起きたぜ。マジで寝顔までカワイー」
『お前っ! まさかヤっちまった?』
「さぁ、どうだろうなぁ?」
 ヘラヘラと笑っているレイルは、どうやら無線にてロック達と連絡を取っているようだ。ベッドの端に座っていて、挑発的な下着姿。脱ぎ散らかした漆黒は、ルツィアの足元に纏めてあった。
 それにしても、とルツィアは服を身に着けながら考える。
 レイルがロック達と連絡を常に取っていることは問題ない。フェンリルというチームは仲間内での無線を常にオンにしていると聞いていたし、そもそもメンバー間の親密度が異常だ。
 それこそさっきの情事中ですら、彼女が通信中の無線を切っていたとは思えない。
 そう、通信中の無線は、レイルの端末だけなのである。
 彼女の左耳で光る黒のピアスだけが、微かな雑音を零しているのだ。
――私の無線だって拠点にいる間は問題なく稼働していた。そもそもここは、無線の範囲には入らないはず……
 ここは昨日までいた拠点からは、相当に離れた位置にある。無線が通じる距離ではない。なので『問題がある』とすれば、それはレイルの端末ということになる。
 レイルは通話の最中は、常に左手でピアスに触れていた。その左腕にはシルバーのブレスレットが光っている。ごつい印象があるが、彼女の細腕には不思議と似合っていた。
 先程の情事の時に紛れてルツィアは触れてみたのだが、どこにでもあるようなブレスレットにしか見えなかった。
 感触から何か情報が得られないかと熱心に触れたのがいけなかったのか、「これはカレからのプレゼント。妬いちゃう?」と上目遣いに言われてしまい、思わずそのブレスレットに噛みついてしまった。
 冷静になれば相当まずいことをしたと今更ながら思うが、彼女は「メスガキの痕がついた。カワイー」と笑っただけだった。
 思考をしながらも手は身支度を完了させる。少し髪の毛は乱れてしまったが、これなら男の軍人相手なら誤魔化せるだろう。相変わらず下着姿のままのレイルも通話を終了させた。
「わりい。待たせた。そろそろ脈動の時間だから、それが終わったら突入だな」
 せっかく手櫛で出来るだけ整えたのに、小さな手にガシガシと頭を撫でられた。男性の大きな手にされる安心感とはまた違う、滑らかな感触が心地良い。
「ピアス……いや、無線気にしてんのか?」
「……はい」
「心配しなくてもお前の声は聴かせてねえよ。これに細工があってな、遠く離れた状態でも無線が届くように強化してくれるんだ」
 そう言いながら彼女は左腕でガッツポーズをして見せる。女性らしいそのシルエットにも確かに硬い筋肉を感じて、先程の艶めかしい時間をつい思い出してしまう。
「赤くなってる。カワイー」
 挑発的な下着のままで迫られて、思わず目のやり場に困る。まさか同性相手に視線を彷徨わせる日が来るなんて。
「も、もう時間ですよ……」
「それもそうだ。あ、それとよ。これはロックからも聞いてるだろうが……」
 さすがに時間を気にしたのだろう。身を引きながらレイルは続ける。
「真面目な優等生ちゃんも好物だけどよ。お前は普通に話した方が可愛いぜ」
 恋人にも言われたその言葉に、ルツィアも今回は素直に頷いた。真面目と頑固が違うことぐらい、ルツィアにだってわかっていた。
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