第八章 歪な群れ


 本部から新人の教育を任されたのは、あの作戦から二日が経った時だった。
 あの作戦――本部とデザートローズの話し合いにより、表向きには『独立を願った陸軍の暴走』という形で処理されたので正式名称は付かないようだ――により、フェンリルは全員死亡しただろうということになったので、しばらくほとぼりが冷めるまで逃亡するのがフェンリルの任務となっていた。
 そんななか、本部では『戦闘能力の高い人材をただ遊ばせておくのは惜しい』という意見が当たり前のように上がり、有望な新人二人が送られてきたのである。
 また、本部に送るはずだったヤートは、ゼウスのコアを使った戦闘能力の検証の為に行動を共にすることになった。これにはクリスが事前にコピーを送っていたことも理由の一つにあるようで、本部としてはコアの情報が流出しなければ問題はないらしく、最強と謳われるフェンリルが周りを固めている現状が一番安全だと判断したようだ。
「それにしても上手くいったよなぁ」
 ルークが嬉しそうに、テーブルの上から取ったであろうパンにかぶりつきながら言った。立ったままなので行儀が悪いが、ロックも立ったままなので何も言えない。
 この場所には物が異常なまでに少ないのだから仕方がないのだ。彼の言葉だけではいったい何に対しての嬉しさなのかはわからないが、ロックも一応相槌を打つ。
「だよな。可愛い新人も入ったし、このまま楽ぅな隠居生活も良いよな」
 今は本部にほど近い一軒家に見せ掛けた拠点で、新人二人の訓練の為に滞在している。逃亡生活も二週間目に突入し、人目を避けての生活にも慣れてきた。最初こそ所属すらも読めない部隊からの襲撃があったが、この頃は全くなく、嘘みたいな平穏な日常が続いている。
 今日もリビングでルーク、ロック、レイルといういつものメンツで遅めの朝食についていた。他は外に訓練に出て行ったようだ。
「てめーに殺しもセックスもない生活なんて送れるのかよ?」
 ソファの上で大欠伸をかましながら、レイルが呆れたように言った。只今の時刻は朝の九時。眠そうに欠伸をする時刻でも、ましてや青少年の発育に悪い台詞を吐いて良い時刻でもない。この女は本当に、絶望的にデリカシーが感じられない。
「殺しはともかくセックスは相手がいるからな」
 いつものように返した。
 それなのに――
「てめーのその態度……殺してぇ程ムカつくんだよ」
 さっきまでソファに胡座をかいて座っていたレイルが、目の前で剣を突き付けてきていた。身長差すら無効化する危険なまでの威圧感に、ロックは丸腰ながらも表情一つ変えずに彼女を睨みつける。
「冗談は止せよ。パンがまずくなる」
 ルークが片手を銃に添えながら言った。あのクソ野郎のもう片方の手は、まだ食べかけのパンを持っている。
「イチゴジャムでもぶちまけてやろうってか? それは仲間想いのようで仲間想いじゃねえんじゃねえの?」
 ロックは部屋の端に置いてあった自分の武器を横目で確認するが――遠すぎる。
「仲間、仲間……あのクソメスガキはてめーの仲間じゃねえんだろ?」
「……ヤートさんだってそうだろ?」
 ロックはそう答えてから後悔した。
 レイルは普段は安い挑発に乗る女ではない。だが今は、普段の彼女ではない。それは自分が一番わかっていたはずのことだった。
「そうだよ!! あー! ちくしょう……頭冷やしてくるわ」
 レイルは怒りで震える手で剣を鞘に戻すと、こちらを振り向きもせずに扉を開けて出て行った。扉が反動で閉まってすぐに玄関から音が聞こえたところをみると、走って飛び出して行ったのだろう。
「……ジャム付きパンにならなくて良かったな」
 ルークがさも興味が無さそうに呟いた。彼の方を見ると、何もつけていない焼きパンの最後の一個を無表情に頬張っている。
「あいつがあんな風になるとはな……」
「よっ! 色男っ」
 軽口につっこむ気力すら出ないロックに、ルークは苦笑した。
……パンを食べ終わったのも理由の一つだろうが。
「女の嫉妬は街一つを制圧する軍隊よりも怖いもんだ」
「だからって男だけじゃ楽しくねーだろうが。僕は尻ばかりじゃ満足出来ねえんだよ」
「……レイルよりあの……ルツィアちゃんだっけ? が良いんだろ?」
「良いっつーより……この作戦の前から付き合ってた」
「公認彼女なら腹括るしかねーだろ。お前の責任だ」
「……おっしゃるとーり」
 ルークは先程までレイルが座っていたソファに座り、項垂れたまま立ち尽くすロックに軽く手招きする。
「なんだよ?」
「お前にまで結婚するとか言われちまったら、俺の楽しみリーダーだけになっちゃうからな! 最後に一回だけ」
 拝むようにして頭を下げたルークに、ロックは思わず吹き出してしまった。真剣に話を聞こうとしたのに、ルークの馬鹿っぷりはむしろ清々しい。
「バーカ」
 憎しみではなく、親しみを込めてそう言うと、空気を察したのかルークはにこやかな笑みを浮かべて顔を上げた。深い海を想わせる美しい青色の瞳に捕まり、ロックは目を離すことを躊躇う。
 心の中で一瞬理性が警鐘を鳴らし、ありとあらゆる言い訳が、自分の中を駆け巡った。
「独身最後の自由だぜ?」
「僕はまだ結婚するつもりはねーよ。形から縛り上げなきゃならねえような大物が相手じゃないからな」
 ロックの言葉に、ルークの口元が悪い形に吊り上がった。彼はその表情のまま手で銃の形を作り、入り口のドアに照準して止まる。
 彼の口だけが動く。
「あの人も強情だよな。わざわざ結婚しなくてもレイルは逃げないだろ」
「地位ってのは時に人を狂わせるからな」
「でもよぉ……」
 そこまで言ってからルークは笑みを隠さずにロックを見上げた。その態度にロックは思わず溜め息をついた。
「そうだな……まさかヤートさんが本部の部隊長になるなんてな」
 走り出す足音に、ルークの表情は変わらない。
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