第八章 歪な群れ


 今は使われなくなって久しい廃工場で、フェンリル期待の新人――と本部の人達に言われただけ――のサクとルツィアは戦闘の準備をしていた。
 正真正銘、命を奪い合う戦場の気配を初めて感じて、二人の間に流れる空気は心なしか気温よりも冷たく感じる。
「槍の準備は大丈夫?」
 工場の、今は稼動していないベルトコンベアに隠れるようにして、ルツィアがサクに聞いてきた。頭上から落ちる遠慮のないオレンジの光が、彼女の細い腕を照らし出す。
 美人の分類に入る顔つきと同じく、彼女の細腕は緊張により強張ってしまっている。長年の得物であるはずの弓を頼りなげに持つ彼女は、軍学校をトップクラスの成績で卒業した優等生とは思えない程に緊張している。
 それもそうだ。
 これは自分達にとっての初任務であり、初の共闘でもあるのだ。
 軍の資料にたった一言だけ書いてあったフェンリルの特徴『他に類を見ない連携能力』を、自分達にも強いられている。
 そう思うだけでもサクの気持ちは高ぶり、それに比例して緊張からくる身体の震えも止まらなくなるのだった。
「……時間……」
 ルツィアがすっと目を細めながら携帯端末を取り出した。サクも慌ててそれに倣い、彼女のカウントにデジタル表示が合っているかを確認する。
「任務開始十秒前……」
 サクはそう呟いて、愛用の槍を握り締めた。
 平均的身長のサクより一回りは長いこの槍は、軍学校に入った頃から愛用している。シンプルなデザインで、先端の刃は敵を刺し貫くことに特化している。周り曰く骨董品らしいが、本当の年代物というものの価値を、サクは自分なりにわかっているつもりだった。
 隣でルツィアの喉がゴクリと鳴った。
『……俺は今回は指示だけを担当する。開始だ』
 リーダーであるクリスの声が無線越しに響き、作戦開始を理解した身体が固まる。
 いきなり背後で無数の殺気が動いた。あまりに強い殺気過ぎて、正確な人数がわからない。
――人数なんて、わかっているはずなのにっ!!
 一瞬遅れて背後を守るベルトコンベアに大量の弾丸が突き刺さった。不快な音を立てながら、それでも貫通はしなかった。遮蔽物として選んだのがこれでなければ、今頃蜂の巣だっただろう。
 数秒程銃弾の嵐が続き、唐突に耳を痛めそうな爆音が止んだ。
 サクは怪訝に思ったが、周りはいきなり静寂に包まれ、横で激しい息をしているルツィア以外に人の気配は完全に消えている。サクは静かに、そしてゆっくりと頭をベルトコンベアの上から出した。
 ほんの一瞬、状況を確認しようとして、慌てて飛び付いてきたルツィアに押し倒されるような形で床に転がる。床に仰向けに倒れたサクの視界を、一発の弾丸が横切った。
 先程着弾していた小型の弾丸とは違う、一発で致命傷になるライフル弾だ。一気に心臓が締め上げられたような感覚がして、身体は寒いのに全身が汗ばむ気持ち悪さに気を失いたくなった。
「何やってんのよっ!?」
 のしかかるようにしてルツィアが小さく怒りの声を上げる。
「ちょっと見て確認を……」
「さっきまでのはルーク先輩の牽制射撃! 本命はロックの狙撃! こんなの初歩中の初歩じゃない!! なんでわからないのよっ!?」
 優等生らしい筋の通った言葉と剣幕に、サクはただただ謝るしかなかった。ミスったのは自分だ。
「悪かったよ……でも二人とも、射撃のポジションはそのままだった」
「そう……」
 ちゃんと仕事はしたんだぜ、と得意げに言ったサクに、ルツィアは一瞬納得しかけ、すぐに表情を険しくした。
「レイル先輩はっ!?」
 いきなり頭上に悍ましい程の殺気を感じ、二人して上を見上げる。
「ハロー!」
 双振りの造形の異なる剣を怪しく閃かせながら、レイルがベルトコンベアの上から切り掛かってきた。
 地面に横たわったままのサクを庇うように、ルツィアは弓でレイルの剣を受ける。純粋な力勝負になれば、ルツィアとレイルの差はほとんど無くなる。
 薄いブルーが特徴の美しい流水のようなデザインの弓――女子達の間で人気のブランド“セイレーン”のものらしい――に浅く剣が食い込む。
 切り掛かってきた時からニヤニヤしているレイルに対し、ルツィアの表情は辛そうだ。パワーでは両者互角だが、その身から放たれるプレッシャーはレイルが圧倒的だった。
 少しでも目を離せば殺される。相手に精神的な負担を与えるその目で、いったいどれだけの猛者を葬ってきたのか……
「ルツィアはまあまあ……サクは、まぁ……頑張れ、よ?」
 がっぷりと噛み合った状態で、レイルがまるで冗談を言うかのような軽い口調で言った。
 ルツィアの表情が曇る。その瞬間、サクの身体を衝撃が襲った。
「……っ!?」
「……チッ」
 ルツィアが足を振り上げている。一回転する視界の中で、サクは自分がどうなったかすぐさま理解した。
 どうやら自分は同期である彼女に蹴り飛ばされたらしい。ルツィアはサクをレイルに蹴り当てることによって近付いていた距離を無理矢理離し、ついでに動き出す気配の無かった邪魔者を遠くに排除したのだ。
――賢い、けど……
 サクは悲しくなる自分を叱咤し、飛び退くようにしてレイルから離れる。
 その後ろで装填を終えたルツィアが矢を発射。レイルはそれを空中で切り落としながらサクを飛び越して、またもルツィアに切り掛かる。
「なかなか……特務部隊らしいことするじゃねーの新人が」
 心底楽しそうにそう言うレイルは、サクのことなど意に介さず、こちらに無防備に背中を晒している。
「……ナメんなっ!!」
 完全な挑発だとはわかっていたが、サクは槍を振りかざす。だがその槍が彼女に届くことはなかった。
「ナメてねーよ馬鹿野郎」
 いつの間にか横に迫ってきていたルークが、ナイフで槍を弾いたのだ。
 接近戦で、一対一の状況が作られる。狙撃を心配しちらりとロックの方を目で確認すると、彼はクリスとのんびりこちらを眺めていた。
 完全にナメられている。無理はないが。
 身の安全を確認したところで、サクは神経を目の前のルークに集中した。
 銃を撃たせれば百発百中。その繊細な射撃の腕前は近~中距離では敵無し、乱戦が得意スタイルという銃使い。
 そんな彼も接近戦、ことに一対一の状況は苦手なはずだった。
 銃を撃つ隙すら与えない密着状態では、彼はナイフに頼る。そのナイフテクニックも一流ではあるが、それでも付け入る隙がない程ではない。
 サクは槍を器用に扱いルークの身体を突いていく。刃はさすがに躱されるが、数発が肌に当たった。
 ルークが少し嫌そうな顔をしたので、サクは更に一歩前に出てとびきりの突きを繰り出そうとして――
「――おっと、それ以上いったらざっくりだぜ?」
 レイルの剣が首元に当てられていることに気付いた。少し離れたところでルツィアが、荒い呼吸を整えながら座り込んでいる。
「訓練終了だな」
 こちらに歩いてきていたクリスがそう言い、ロックが安心したような顔でルツィアに駆け寄る。
 サクは脚の震えに耐え切れず、その場に座り込んだ。きっとルツィアも同じ気分に違いない。
「実際にやってみて、どうだった?」
 クリスが特に感情も出さずにレイルに聞いた。それにレイルは溜め息を一つついてから答える。
「ルツィア……可愛いメスガキだからナメてたんだが、かなり動きは良かったぜ」
「あぁ、僕も思ったよ! お前、マジで凄いな」
 ロックがニコニコとルツィアの頭を撫でながら笑う。
 ルツィアも少し照れたように笑うが、レイルは不愉快そうな表情で続ける。
「相方を切り捨てる判断力なんて、新人とは思えないくらいだった……てめー、仲間を何だと思ってやがる?」
「……サクさんの動きがあまりに悪かったので、戦力外と判断しました」
 言葉に棘を含ませながら淡々と話すルツィアに、レイルは冷たい視線を投げてから、「クソガキが……」と舌打ちを一つ。
「まぁまぁ! サクの動きが悪かったのは事実だぜ? そこんとこ、精進しろよ新人!」
 ロックが空気を変えようと明るい声を上げた。
 微妙な雰囲気は解消されていない。
 緊張やら打撲やらで痛む身体を解す新人二人に、フェンリルの四人は一瞬何かを考えるような表情になった。
「……ヤートさんは?」
「屋上でゼウスのスキャンをしてるはずだ」
 クリスの問い掛けにルークが無表情で答えた。彼は散らばった薬莢を拾う作業に入っている。
「ちょっと様子見てくる!」
 レイルが相変わらずの笑みを浮かべながら、屋上に続く階段に向かう。
 この工場は出来てからかなりの年月が経っているらしく、エレベーターなどという便利な物は搭載されていない。風が吹き荒ぶ屋上へは、奥から出たところにある外付けの階段を使ってしか到達出来ない造りをしていた。
「僕も行くよ。ルツィア、ちゃんと良い子にしてんだぞ?」
 足早に向かうレイルにそう声を掛け、ロックはルツィアの額に軽くキスを落としてから走り出した。
 それにルツィアは一気に顔を赤らめ、ぎこちない動きで周りのギャラリーを見渡した。
 クリスは特に興味もなさそうに、まだ座り込んだままだったサクに手を貸してくれた。ルークはニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべているだけだ。
「……少し外に出ようか」
 クリスが誰ともなしに呟いた。どうして、とサクが聞く前に、四人の頭上から銃声が響いた。
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