このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第七章 蒼海の王


 クリス、ルーク、ロックの三人は、なんとか無事にスラムの道路に着地することに成功した。
 普段の闇夜よりはよっぽど騒がしかったはずだが、この地域はまるでそんなお祭り騒ぎなどなかったかのように静まりかえっている。それは軍の関わる行事への、頑なな批判のように感じた。
 気を失っているヤートを肩に担いだロックは、武器の重量にも顔をしかめるほどに疲れきっている。
 クリスは燃え残った札を抹消していた。クリスの周りは今、大量の火の粉が舞い散っている。
 ルークは傷付いた腕を庇いながら銃をしまうと、代わりにナイフを片手だけで構えた。そのまま近場の適当な民家の扉を蹴り破り、中に押し入る。
 まだ明かりのついていた家の中から、微かに悲鳴が聞こえて、すぐにまた静かになった。開け放たれた玄関から、ルークが半身だけ出して手招きしてくる。
「行くぞ」
 札を全て焼き尽くしたクリスは、ロックに手を貸してやりながら、急ごしらえの拠点に設定した民家に足を踏み入れた。
 民家は小さな平屋だった。キッチンとリビングと寝室が一部屋ずつある。風呂はない。狭いトイレと洗面台ならあった。
 深夜ではないので、家の主達は晩飯の用意をしていたらしい。変わり果てた姿の若い男女が、首から血を流して倒れている。男はリビングのテーブルの横で、女はキッチンでシチューを作っていたらしく、コンロに寄り掛かるようにして絶命していた。
 玄関からキッチン、リビング、寝室と一続きの間取りになっていたので、ロックは真っすぐ寝室のベッドにヤートを運び込むと、半ば放り投げるようにしてベッドに寝かせた。
 そのまま彼も武器を全て背中から外してベッドに倒れ込む。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきて、洗面台で顔を洗っていたクリスは思わず苦笑した。
 冷水により冴えた頭で、これからのことを考えながらシチューの入った鍋をリビングに持っていく。グツグツと煮込まれたクリームシチューは、丁度食べ頃だ。食器棚を物色していたルークが、目を輝かせて人数分の食器を持って後に続く。
「ロック、飯いらないのかな?」
 リビングの四人掛けテーブルの真ん中に鍋を置くと、食器を綺麗にセッティングしながらルークが聞いてきた。テーブルの横には男の死体が転がったままだ。
「少し寝たら目が覚める。あいつはそういう奴だ。先に食べるぞ」
「うん……美味そう!」
 クリスは鍋の中をよく掻き混ぜてからルークの皿にシチューを盛りつける。それを嬉しそうにルークは食べだしたが、一口目から神妙な顔をして動きが止まった。
「んー?」
「どうした?」
 民家の食べ物に、まさか毒物が入り込んでいるはずがない。
「なんか、この赤いの……」
 ルークがスプーンで皿の一部を指す。白いシチューの中に、赤い斑点が浮かんでいる。それにすぐに合点がいったクリスは笑いながら言った。
「ああ……殺した女の血が入ったんだな。美味いだろ?」





 酷く懐かしく感じる声に目が覚めた。柔らかくはないが固くもない、要するに微妙な感触のベッドの上で、ヤートは横になっていた。何も上は掛けられていなかったが、寒くないのは隣の暖かさのおかげで――
「――っ!?」
 隣で規則正しい寝息を立てるロックに、ヤートは面食らった。彼の暖かさによりここがもう精神世界でないことはわかったが、いったいここはどこで、何がどうなっているのだろうか?
 ヤートは問い質したい気持ちでロックの寝顔を見た。普段のふざけた表情ではない、時々眉間に皺がよるその顔は、相変わらず危険な魅力に満ちている。最初は問い質すつもりだったヤートも、だんだん安心してきた。
――無事で良かった。
 そう心から思ってしまうのは、精神世界で垣間見た、彼の本質からだろうか。自分を守ろうと本心から思ってくれている彼を、軽蔑なんて出来るはずがなかった。
 とにかく彼を起こすことにしたヤートは、あまりきつくならないように注意しながら、ロックの身体を揺らそうと手を伸ばしかけて硬直した。
 いきなり寝息が完全に止まり、金色の瞳が見開かれた。スイッチが入ったように覚醒した彼は、一瞬こちらを欝陶しげに見詰め、すぐにその口元に笑みを浮かべる。細い指先がヤートの少し開けた首元を撫でた。
「もう目が覚めちゃった? すげー気持ち良かったよ」
「ロック! 睡眠はもう良いのか?」
 ふざけたことを言いながら少しバツの悪い笑顔になったロックに、クリスが向こうから声を掛ける。
 どうやら寝室らしいこの部屋の向こうでは、美味しい食事が待っているらしい。優しい匂いが鼻腔をくすぐる。
「もう大丈夫だ! ヤートさんは立てる?」
「心配ない。すぐに行く」
 少し間接が痛むし音が鳴るが、全体的には身体の調子は逆に良いくらいだった。知らず知らずの内に溜め込んでいた不安から、一気に解放された気がした。
 ヤートは勢いをつけてベッドから立ち上がると、隣にまだ座り込んでいるロックを振り返った。彼はまだバツの悪い表情をしていて、立とうとしない。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「あー、いや……」
「ん?」
「違う方が勃っちまったから、良かったら抜い――」
「――断る」
6/15ページ
スキ