第一章 城塞都市


 ヤートは奥歯を噛み締めながら怒りを抑える。自分の職務は、侵入者からこの“島の全員”を守ることだ。
 素早く辺りを見渡す。使えそうな軍の兵器、車両は見当たらない。まともに走りそうなのは、目の前の――今はフェンリルの逃走用車両と化した一台だけだ。
 ヤートは目の前の青年をもう一度見た。
 まだ若い、おそらく自分が抱えている少女と同じくらいの年の頃だろう。終始冷静で、強い血の臭いを発してはいるが、彼もまた――レイルが所属する部隊のリーダーらしい義理堅さがあった。
 最初は城壁だったか――
 レイルをヤートが守り、岩石の階段でお互い守り合った。
 そしてさっきは――
 またしても翼からお互いを守り、そして自分の命を腕の中の少女が守ってくれた。部下達の死に絶望し、死の道を歩もうとした自分を、彼女は救い出してくれた。
 一度死にかけた命だ。ヤートはふっと小さく笑った。その笑みを見たクリスも安心したように笑う。
 ヤートはレイルを抱えたまま前方に走り出した。クリスもそれに合わせるように後ろの車の荷台に飛び乗る。クリスを乗せた、ロックの運転する車が猛スピードで発進し、その荷台にヤートも飛び乗る。
 レイルを丁寧に寝かせ、後ろを振り向くヤートの目の先には、ずたずたに引き裂かれた翼でこちらに追い縋る死の翼が広がっていた。







「なんで一緒に?」
 クリスが冷たく、だが何故か嬉しそうに笑いながらヤートに聞いた。風になびいてきらめく金髪は、まるで女性の髪のように細く柔らかい。
「俺は、防衛隊隊長だ。俺の任務は、島の全員を守ることだ」
「つまり俺らはあんたと一緒に、仲良く囮になる訳だ?」
 口を尖らせながら愚痴るルーク。その手は忙しそうに銃弾の装填のために動いている。
「なーなー、魔界の翼ってどんな銃弾が効くんだ?」
「知るか。ルーク、お前にしては潔いな? ヤートさんと一緒に囮で文句ないのか?」
「あるに決まって……ねえんだよな。このオッサンが居ようが居まいがあの翼は俺らを追ってくるだろ。それに、どういう訳かレイルもリーダーも気に入ってる」
「レイルは確かにな。俺の場合は単なる好奇心さ。あの翼を潰してから、聞きたいことがある」
「……この際だ。なんでも話そう」
「そりゃあ、楽しみだ」
 そう言いながらクリスは後方の翼を見やる。それは港までの直線を走る車に、一定距離を保つようについてきている。
「港に入ったら潰すぞ」
「俺ら三人で?」
「レイルの毒は解毒まで後、数時間は掛かる。船の中でゆっくり休ませるつもりだ」
「港まで引っ張る理由は何だ?」
「港には対魔合金の城壁がある。対魔合金は、魔力を通さないだけでなく、触れた者の魔力を吸い取る力もある。あの翼は魔力の塊だ。つまり城壁を直接ぶつければ、魔力を吸い取られて消滅する」
「……あの城壁はロックの重力魔法で間接的に持ち上げねえと」
「俺がぶつける」
 呟くように言ったヤートに、クリスも頷く。
「……あんたの術なら可能だな。任せる。ルーク、余った札をくれないか?」
「ああ、はい」
 ルークがポーチからくしゃくしゃになった札を取り出したのを見て、クリスの表情が冷たくなる。黙って数枚の札を受け取ると、炎を纏った指先で何やら書き始めた。
「……それは、札術か?」
「ああ。俺は遠距離戦は苦手でね。火炎魔法もだいたいコイツに頼ってるよ」
「近距離戦が最強なんだから、これくらいのハンデは必要だよな」
「なら俺が、なんとしてでもあの翼を引きずり落ろさないとな」
「俺はあんたの戦いを見ていない。期待してるぞ」
 クリスはヤートにそう言いながら薄く笑い、レイルを心配そうに見やった。ルークも彼女の額に手をやり、「うわっ、あちー」と驚いている。
 車の走る轟音が響く中、ヤートはこれからのことを考えていた。
 あの翼を倒して自分は――死ぬのだろうか?
 いや、死ねるのだろうか?
 自ら潔く死ぬか、捕まって殺されるのか。どちらにしろ、ヤートはレイルのことが気掛かりだった。
 ほんの一瞬目を合わせた時に直感した。例え敵だとしても、彼女を守りたい。どうせ死ぬ命ならば、一秒でも長く彼女を見る選択も悪くないと思えた。







 レイルの世話はルークに任せ、クリスは流れる景色に目をやった。それは景色を楽しむ為の行為ではなく、自分の考えに浸る為の行為だ。
 レイルが捕虜にした男は、どうやらこの国の防衛隊隊長らしい。確かにそれだけの力を持っているのはわかる。
 クリスの頭にあるのは、彼の先程の言葉――『機械になる』という言葉だ。
 暴走機械共のリンク先が彼だとしたら?
 自分達はもしや、とんでもない爆弾を手にしてしまったのではないか?
 本部からの作戦内容は、敵の『ゼウス計画』のコアを奪えというものだった。
 まさか、既にそのコアは取り付けられてしまったのか?
 クリスは本人には悟られないようにヤートを見やる。
 もしそうだとしたら――
 そして軍部の得た機密情報が正しければ――
 クリスは静かに首を振る。どちらにしても彼は死ぬ。
 こんな結末では、今も毒で苦しむ彼女が悲しむだけだ。とにかく、詳しい話を本人からも聞くしかない。
 クリスがここまで考えたところで、ルークがすっと立ち上がった。車は、港の入り口に差し掛かっていた。
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