第七章 蒼海の王〈プロトタイプ〉
静まり返ったスラムの大通りを、一台の軍用車が猛スピードで通り過ぎる。
今、リチャードは数人の部下を従えて、自身の魔力を感じるポイントに向かっている。残り魔力が少ない為長期戦を避け、尚且つ相手に逃亡の隙を与えないように立ち回らなければならなかった。
周りを巻き込まないために、敢えて部下の数は少なくした。自分もそうだが相手も弱っている。自分が全て、受け止めれば良い。
「ポイントに到達したら、お前達は出入り口を固めろ」
「はっ! ですが……スラムの民を人質に取られた場合はどう致しますか?」
部下が少し怪訝な顔をして聞いてきたので、リチャードは頭を抱えたくなった。
「……」
自分らしくないことぐらいわかっているのだ。しかし今は、状況と相手が普通ではない。ここであいつらを始末しておかないと、この国が血の海と化す。
「……あいつらに捕まった時点で死んでいる可能性が高い。出てきた者は構わず撃て」
奥歯を噛み締めるようにそう絞り出すと、部下達も目を伏せた。一瞬の静寂の後、はっきりと了解の意が耳に入り、リチャードは小さく「こんな任務に同行させてすまなかった」と呟いた。
犠牲の上に成り立つ功績を考えると吐き気に襲われる。それを表情に出すことなく堪え、リチャードは目を瞑った。
今にも無関係の苦しむ人々の声が聞こえてきそうで、耳までも塞いでしまいたかった。
陸軍の地下にある貯水槽に到着したアレグロとローズの二人は、すぐさま召喚の準備に取りかかる。
浄化されても尚空気の悪いこの空間に、ローズは嫌悪感しかなかったが、この浄化された光の魔力 満ちた水こそが、正なる水流を産み出すビスマルクには必要だった。
魔力の集中に入るローズの傍らで、アレグロが大きな瓶に入った液体を足元に垂らした。
「それは?」
気になって尋ねると彼は肩をすくめた。
「フェンリルには個人的な恨みもありましてね。少々私の最高傑作の粒子もブレンドしておこうかと思いまして。もちろん、ローズ殿の邪魔にはなりませんとも」
相変わらずの読めない表情に、ローズは追及を諦めた。精神の集中をこんな科学者に割くのも得策ではないし、何より召喚に問題があるような空気もない。胡散臭いのは認めるが、彼は一応はこの国の仲間なのだから。
邪魔はしない、その彼の言葉を信じて、ローズは蒼海の王に祈りを捧げる。
何もしない数分間というのは、本当に退屈なもので、銃の点検も終えたルークは、暇なので座り込んでいる敵達に話し掛けた。
「なんで軍隊が憎いんだ?」
自他共に認める爽やかな笑顔でそう問い掛けたが、敵の四人は動揺した目でこちらを見ただけだった。
誰に話し掛けた訳ではなく、誰かが返事するだろうと思っていたのに当てが外れた。
「なんで反逆を?」
もう少し簡潔に、少し力を入れて言うと、リーダーらしき男が口を開いた。
「貧しいから。こんな国、ひっくり返したいから。それだけじゃダメなのか?」
ふて腐れたように話すその態度に、ルークは苦笑した。若者らしい、支離滅裂な理想論は嫌いではない。
そんなルークの反応に気を悪くしたのか、男は睨みつけるようにして続けた。
「自分の利益の為に人が死んで良いなんて、ふざけた体制を変えたいんだ!!」
「……お前らも、同じことしてるってわかってるのか?」
目を見開いてこちらを見た男に、ルークはもう一度言う。
「自分にとって邪魔な人間を殺すんだろ? 今の政府と一緒じゃねーか」
「違う!! これは復讐だ! 人間は平等だ!! 政府や軍の奴らに、自分がされたことをやり返すんだ!!」
「なら、更にお前はやり返されるぜ? 連鎖にしかならねえことは止めとけって」
「煩い!! お前に俺達の何がわかる!?」
「わかんねーよ! スラムの人間の考えなんて!! でも……」
つい言い返した自分の言葉に、クリスとレイルが小さく反応したのをルークは背中で感じた。一瞬で冷たくなった空気に、男の目にも動揺が走る。
足音が近付いてくる。
何故かは知らないが、涙が出そうだった。
「……でも、あんたは私らを理解しようとしてくれてる、だろ?」
小さな腕に後ろから抱きしめられた。白く細い、折れそうな繊細な腕。拘束の跡が痛々しいが、もう光の魔力は感じなかった。
レイルに優しく抱きしめられ、ルークは零れ落ちそうだった涙を拭うと、男に向かってきっぱりと言い切った。
「俺とお前達は違い過ぎる。邪魔な人間を殺す覚悟すらない奴らとは、一緒にされたくねえよ」
「なんだとっ!?」
その時、この空間に二つの影が走り込んできた。
息を切らせながらその二人は、空間の真ん中で直立不動の姿勢を取る。
「本部から派遣されました、新人のルツィアです」
「同じく新人のサクです。逃走用の車両も用意してあります」
「本部から連絡は受けている。すまないな」
いきなり登場した二人に、返答したのはクリスのみだった。
ぽかんとするレイルとルーク、そして……
「ルツィア! まさか君に助けてもらえるなんて、なんて奇跡なんだ」
白々しい程の歓声を上げてロックがルツィアと名乗った女に抱きつく。それを彼女も拒むことはせず、視線は何故かレイルの方を向いた。
そして勝ち誇ったような表情をされて、ようやくルークは察し、慌てて話題を元に戻そうとする。
「スラムの反政府グループの情報は入っています。奴らは近隣の民家から食料を強奪。更に強姦、暴力も日常的だったようです」
ルークと同じように事の展開にワタワタしだしていたサクと名乗った男が、すぐに意図を読み取り返答した。
生真面目さが滲み出ているその姿勢にルークは好感を覚えた。
レイルの方は、残念ながら恐ろしすぎて見れない。
「聞いたかルーク? 志だけは大層な、弱い者イジメのプロらしいなぁ」
その言葉にロックはルツィアとの抱擁をようやく解き、いつものニヤついた笑みを浮かべながら茶化すように言った。手に持ったままの銃には弾は装填されたままで、敵の男の一人が情けない悲鳴を上げる。
「……やっぱり俺とは違うんだな」
「私らともちげーよ。安心しな」
先程から静かだったレイルが、思いのほか優しい声を出した。
「うん」
その声に安心しルークはレイルに振り返り、その額に優しくキスを落とす。レイルは甘い笑みを浮かべると、腕をそっとルークから離した。ルークはリーダーの男に向き直る。
「最後に聞きたいんだけど、お前らの強姦って、やっぱり女だけ?」
ニヤリと笑いながらそう聞くと、四人の表情は一瞬にして凍り付いた。
質問の意図を探るように、こちらをひたすらに凝視してくる。
「んー。同性が大好きな奴とかいないのかなって気になって。そうじゃないと、そこの女の子は楽しめなかったでしょ?」
唯一の女性を指差して笑うと、彼女はびくりと震えた。
「……彼女はそういう行為には参加していない。女が女を犯すものではない。第一、相手は腐りきった奴ばかりだ」
「言ってることが矛盾してる気がするけど?」
「ルーク! 何、回りくどいこと言ってんだよ!?」
レイルが焦れたように声を上げた。
苛立った様子で女性の髪を掴んでその顔を無理矢理上げさせると、彼女の首元に舌を這わせる。
「私は女相手でも充分興奮するぜ? 本当なら手足ぶった切って、その指をぶち込んでやりたかったんだけどな」
レイルは爛々と輝く瞳で女性を見つめ、いやらしく笑う。その瞳に捕まった女性は、小さく震えながら、それでも目を離せないでいた。
それが彼女の危ない魅力の仕業であるのは、経験者のルークにはよくわかった。今、あの女性の中では、身の凍る恐怖と、身体中を駆け抜ける官能がごちゃまぜになっているはずだ。
「……同じスラムの人間でも、自分達以外は腐りきったゴミと同じなのか?」
一歩引いた場所で成り行きを見守っていたヤートが、言葉を選ぶようにして聞いた。
選んで、選んで……彼らの言葉を仕方なく復唱した、彼の言葉はそんな空気を孕んでいた。
「……」
自分の言葉の矛盾はわかっていたのだろう。完全に沈黙してしまった男を、ヤートはただ黙って見下ろしていた。
ルークはそんな彼が羨ましいとすら思えた。仲間達と同じようにスラムで生活していた。歪むことなく成長し、成功した彼に……彼こそ、相応しい。
目の前の覚悟のない人間達よりは、よっぽど好感を覚える。
「それより! クリスさん! 光将がこちらに向かっています」
サクが思い出したように声を上げた。
だがその声はすぐに濁流によって掻き消された。破壊の意思を強く表す命の本流が、建物ごと全てを巻き込まんと流れ込んできた。
「来たな! ビスマルクの水流だ! 全員集まれ!」
クリスの号令にフェンリルの残りの三人はすぐさま反応し、それぞれがヤートと新人二人をひっつかんで一塊になる。
濁流により屋根は吹き飛び、すでにここが水の壁に囲まれていることと、このままだと渦によって巻き上げられた水流が落ちてくることもわかる。
あまり猶予はなさそうだ。
そこまで考えた時にレイルは水の中に光の粒子が光るのを見た。どうやらロックとクリスも気づいていたようで、二人と目が合った。腕のブレスレットを触り、感触があることにほっとする。
「ヤートさん! 敵さんはこれから俺達を水圧で潰すつもりだ。だがこの水はどうやらあの浄化された塔の水を媒介にしている。つまりヤートさんのリンクで方向性を操作出来るはずだ」
「なるほどな。やってみる」
クリスの説明にすぐ理解できるヤートを見て、レイルはその声の頼もしさに安心した。
「わかってはいるだろうが、水が降ってきて触れた一瞬が勝負だ! 空間と逃げ道を作ってくれ」
もう一度確認の意味で説明しているクリスも同じ思いらしく、この状況だが顔には優しい笑みが浮かんでいる。
ロックがライフルの装填を確認しているのが見えたが、ルークのバカは確認をしていない。どこまでもトロい奴だと思うが、口には出さない。
頭上の水流が重力に従って落ちてきた。新人二人は可哀想に目を瞑ってしまっているが仕方ない。
レイルは仕方がないので震えてしまっているルツィアの腕にそっと触れてやる。ビクリと反応した彼女の反応に、いけ好かないメスガキだと思った最初の印象を訂正することにした。
「ちゃんと武器を持てって。せっかく良い剣持ってんだからさ」
優しく耳元で囁いて、周りを見渡すと、ルークも同じようにサクに手解きしていた。水流の勢いに驚くサクと一緒になって、思わず氷結魔法で壁を作ろうとする彼はやりすぎだと思う。
幻想の水流は、目の前まで迫ってきていた。
ヤートの手が、ついに触れる。
「っ!?」
急に水流の操作が効かなくなり、ローズは絶句した。
ビスマルクを介しての主導権を握られ、ローズは慌てて召喚の解除を行う。足元の水はほとんどがビスマルクの力によりスラムに送られた。ここは水脈の最終地点になっているので、無くなったところで問題はない。元は何よりも汚染された水源だったのだから。
「どうされました?」
アレグロが冷や汗をかくローズに話しかけてきた。
普段と同じ表情の彼に、悪意は感じない。そう、悪意は。
「そなたは何をしたのじゃ?」
そこで彼は笑い出した。
「なーに。最高傑作を混ぜこんだだけですとも」
もう一度、同じことを言う彼の声は震えていた。
目の前の建物が突然濁流に飲み込まれ、リチャードは目を見開いた。
建物の周りから渦を描くように集会場だけを押し潰している。周辺には既に人が住んで居なかったのが幸いし、集会場のような大規模な施設の全てを飲み込んだところで巻き込まれた者はいないように見える。
それよりも……
「これは、ビスマルクか?」
自分のよく知る幻想の水流に、それはよく似ていた。
「……水流が止み次第突入する!」
「はっ!!」
リチャードは指示を飛ばしながら、魔力を探る。
狂犬の手首につけた楔は、すでに解除されている。残存魔力が少ないことと、発動してから時間が経ち過ぎているせいだ。
だが先程まで確かにあの場所から自分の魔力を感じていた。間違いはないはずだ。
リチャードは鋭く建物を睨みつけた。
魔力ではなく、あの冷たい狂った殺気を見つけようとするが、月明かりに照らされた夜のスラムには、そもそも人の気配すらなく、渦に飲み込まれた建物からは声一つ上がらない。
「……」
リチャードの脳裏に最悪の可能性が過ぎった。
相変わらず建物からは声一つ上がらない。水圧によって即死したのなら尚更。しかし……彼らがそれくらいでくたばるのだろうか?
嫌な想像ばかりが膨らみ、リチャードは車の後部座席に座り直した。
「っ! な、なんだ!?」
いきなり頭に流れ込んできた。
それは映像のように鮮明になり、彼の視界を占拠する。
目の前に迫る水流。
手をかざす……自分?
その手に導かれるようにして空間を開ける水に、視線がゆっくりと後ろを振り返る。氷の壁に隠れるようにして座り込む男と、剣を手に震える女、そして刀を水流に突き立てる男の背中。
そして、意識が途絶える。
酷い悪夢を見たような気分だった。
いきなり現実に引き戻されたリチャードは、あれは自分の視界ではなかったことに気づいた。小刻みに揺れてしまう足を隠すこともなく、車内の窓から建物を見つめる。
渦が建物を巻き込み押し潰した。その水流に何故かわからない悪意を感じるような気がして、リチャードは思わず目を逸らした。
何かが、起こっている。
この国にとって、絶対に良くない何かが。