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闇夜に輝く月のように


 翌日、秋月が目を覚ましたのは、カーテン越しに刺さる光の眩しさによってだった。ベッドから手の届く範囲に置いてある目覚まし時計を手探りで探し、時刻を確認する。午前九時だ。普段の秋月なら休日であっても寝過ごさないような時間だった。
 ここで普段の秋月ならさっさと起き出して行動を開始するところだが、今日は違う。だって、まだ銀一の腕の中に囚われているのだから。
 昨夜、“初めて”の愛のある幸せな時間を経験し、まさしくそれが“自身にとっての初めてだった”と感じた秋月は、同じく違う意味でも同じ意味でも“初めて”を経験し、同じく幸せを噛みしめている銀一と眠りに落ちるまで語り合った。逞しい腕にされる腕枕から、彼の心まで伝わってきそうで。
 お互い、スラスラと言葉が並ぶ程器用ではない。だが、この幸せな経験が、二人の言葉を少しだけ滑らかにしてくれる。
 話したのは、お互いのこと。夜道を歩いた時よりも、少しだけお互いに踏み込んで。
 夜道を歩いた時よりも、随分と淡い暗闇に包まれた空間で。夜道を歩いた時よりも、触れ合う肌は熱を持っていて。
『俺……遊びとか、そういう付き合い出来んから。もう、一生……離したない』
『私も……離れたくない』
『明日、俺の荷物少しだけ持って来てええか? 仕事の合間に泊りに来れるようにしな、心配でしゃーないわ』
『そんな心配せんでも、私のこと綺麗なんて言ってくれるん、銀一だけやし。そう言えば……銀一って、仕事は? 何してるん?』
 踏み込めるのは、これが限界だった。頭を預けている硬い腕にピクリと力が入ったのを意識してしまう。
『……地影院サン<飼い主>に頼まれた仕事してるだけや』
『……』
『……そんな知りたいんやったら、明日見せたるわ。昼に一回帰るついでにあの男の私物全部宅配便持って行ったるから、仕事片付けてから夜にまた来る。そん時な』
 少し早口で、しかも饒舌な気がするのは、彼に後ろめたいことがあるから? それとも、私が嫌な疑い方をしてるだけ?
――でも、やっぱり怖い……ヤバい仕事とか、ちゃうやんな?
 飼い主だと言う男の凄み。銀一自体の言い知れぬ存在感。鋭い目つきに負けず劣らずの鍛えられた身体。そして――決して見せようとしない裸体。
 求め合うその時は、淡い暗闇の中だった。風呂をどうするかと問われて一緒に入るなんて選択肢を選べる秋月ではない。先に風呂からあがった彼は、シャツの下に着ていた黒のインナーを身に纏っていた。
 そしてそれは寝起きの今もだ。汗をよく吸う肌ざわりの良い七分袖のインナーは、身体つきは伝えられても、その下の肌を晒すことはない。
――刺青、なんて……考え過ぎやんな?
 瞳を閉じた彼の端正な寝顔を見詰めて、秋月は心の中の不安にとりあえずの蓋をする。本人が今夜『見せる』と言ったのだ。彼を信じようと決めたのは自分だ。
 腕枕だけでなく、銀一はずっと秋月を抱いたまま眠っていたようだ。人の体温に安心するなんて、銀一が初めての経験で。それだけでも彼からの深い愛情を感じることが出来るはずなのに。
「……おはよ」
 不安に圧し潰されないようにぎゅっと目を瞑っていたら、目の前からそう優しい声が響いた。ゆっくり目を開けると、そこには昨夜何度も貫かれた熱のこもった瞳があって。
「……おはよう」
 秋月の返事に銀一はふっと笑って、頭をガシガシと腕枕をしていない方の手で撫でてくれた。そしてすっと腕を秋月の頭の下から外すと、伸びをしてからベッドから立ち上がる。けっこう、寝起きはスムーズらしい。本当に、似た者同士。
「えーと……もう、九時過ぎとるんか。悪いけど、昼から仕事あるからさっさと部屋片づけよか。帰り道にそのまま宅配便んとこ持ってったるから」
「う、うん」
 言われるがままに秋月もベッドを抜け出し、寝間着のまま部屋の片づけを始める。引き出しの中等は秋月の担当で、目に見える範囲の私物を段ボールに放り込むのは銀一の担当に自然と決まった。そんな連携すら確認も取らずに行える。昨夜の行為中にも思ったのだが、本当に相性は抜群というやつかもしれない。
 家電製品を買った時に保証書と共に置いていた段ボールをこんな形で使うとは思わなかったが、大きな箱がそれしかなかったので仕方がない。今はいつ来るかわからない家電の故障より、目の前から元彼の気配を消すことが先決だった。
「こんなもんか? マジで置き過ぎやろ……」
 一通りの作業を終えて呟かれた銀一の言葉に、秋月も思わず苦笑した。
 元彼が置いていった私物を詰めた段ボールは、なんとか一箱には収まったもののパンパンだ。ちょっと蓋の部分が窮屈になっていたが、そこは銀一が強引にガムテープで閉めてくれた。見た目の割に軽いのは、私物の種類が服や小物だからだろう。これなら銀一にお願いしても良いかと甘えることが出来る。
「じゃ、持ってくから。あ、せや。連絡先、教えてくれ」
「あ、そうやね」
 玄関先まで見送ってから、二人で慌てて連絡先を漸く交換する。現代人とは思えない程の抜けっぷりに、二人して笑い合った。
「それと……こいつの送り先の住所と名前と電話番号もええか? 腹立つから俺の名前で送ったる」
「……うん」
 くくっと悪戯を思いついたような笑みでそう言う銀一に、秋月は少し不安を覚えてしまう。
 元彼氏の登録された連絡先――名前に住所、そして携帯番号だ――を銀一へメールしながら、別れ際にも見せた短気な部分が飛び火しないか心配になる。
――逆恨み、なんてされるいわれはないけど……でも、どう沸騰するかわからん人やし……
「へー、あいつ『陽(ヨウ)』って名前なんや。輝いとんなー」
 相変わらずの悪い笑みでそう呟いた銀一の顔を見て、秋月は自分の心配が不要なものであると確信した。
――あかん、めっちゃ怖い顔してる! 輝いとるなんて嘘ばっかやん!
 青筋すらも見えてきそうな銀一の笑みが、彼の怒りの大きさを物語っている。
「……ほんまに銀一の名前書くん?」
「ああ……ちょっと気は早いけど、俺の名前<苗字>書いといたるわ」
「えっ!? それって……っ」
 驚く秋月の口にすっとキスを落として反論――もとい問い掛けを止めてから、銀一は段ボール片手に扉を開ける。
「とにかく……秋月はもう、何も心配せんでええ。俺が……何があっても守ったる」
 言うだけ言って出て行った銀一に、秋月は脳まで熱を感じる程に熱くなった頬に手をやりながら、ぺたんとその場に座り込むのだった。
 そんな頭の中ですら、銀一が仕事に遅れないように急いで出て行ったのだということも、なんとなく理解している自分がいた。
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