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貴方に捧げる、ふたつの心


 本当にゼトアは、自分の言いたいことだけを言って出て行った。混乱した頭でウィアスが適切な抗議を出来るはずもなく。入れ替わりに戻って来た看守の男が通訳の機械を入れてきて、そこでようやく頭が落ち着いてきた。
「いったいどうしたんだい? ゼトア様に何か言われたか? いや、ワシにはそんな方ではないと思うんだがな……」
 ウィアス以上に狼狽している看守に申し訳なくて、この事態を彼に説明しようとして、ウィアスはなんとなく躊躇ってしまった。
 この大陸には本当にたくさんの種族が生活している。基本的に同種族同士で固まって生活しているのが主ではあるが、中には例外もある。軍や街で他種族同士が仲良くなり、いつしかそこに愛情が芽生えるといったこともあるようだ。現に村に来ていた聖職者の中には、人間とエルフのハーフといった者もいた。
 なので知性のある霊獣に魔族が求婚というのも、まぁ……絶対に有り得ないということはないのだろう。世の中には竜人とドワーフの夫婦や、人魚と鬼族の叶わぬ恋の物語があったりもするらしい。しかし――
『ゼトア……様、というのは……“あの”魔王軍のゼトアで間違いはないですか?』
 ウィアスは頭に浮かんだ恐ろしい疑念を文字にして伝える。その印刷された文字を見て、看守の男は頷いた。
「霊獣のお嬢さんでも知っているのか。さすがはゼトア様だな。我らが魔王の側近にして、軍の限りなくトップに立つ方だ」
 生まれ持って高い魔力を有する魔族の軍に、生半可な人材はいない。そんな戦闘能力の高い軍において『ゼトア』は魔王に次ぐ実力を持ち、前線での指揮官を務める軍の大幹部である。
 その槍捌きは他の追随を許さず、強大な『地唱術』と呼ばれる大地の力を操るその様は、人間達だけでなく他種族からも『魔将』と呼ばれ恐れられる存在だ。
 先程の彼は三十台そこらの若々しい見た目だったが、おそらくはもう何百年と生きている。魔族はその高すぎる魔力に身体を馴染ませるために、エルフと同じく極めて長寿を誇る種族であり、その死因の大半が戦死と揶揄される程だった。
――そんな魔族の大幹部が、たまたま拾った霊獣の娘を見染めて、求婚?
 あまりに突飛すぎるその話の流れに、ウィアスは自分ではなくゼトアの立場を考えて、おいそれと話せる内容ではないと思い直した。彼は軍の大幹部だ。看守の男の態度から規律がしっかりと末端まで伝わっているのは理解出来るが、果たして『軍の大幹部が他種族を嫁に取る』というゴシップを聞いてどう思うか。
 敢えて彼に席を外すように伝えた程だ。ゼトアは内密にしたいに違いない。ウィアスはそこまで考えると、話の方向性をそれとなく変える。自然と彼を庇うように思考している自分に、気付かないふりをしながら。
『わざわざ軍の大幹部様が来られるなんて』
 次々と印字されていく言葉を見て、男がおかしそうに笑った。
「お嬢さんは意識がなかったから知らないんだったな。ゼトア様、ここんところ毎日様子を見に来ていたんだ。ここに運び込まれて三日程度だが、それでも朝昼晩と来られて、ワシの方が心臓が止まってしまうかと思ったさ」
 看守の言葉にウィアスは驚いた。あの強い強いダークブルーの視線を思い出す。全てを包み込むようなその蒼に、言葉に出さぬ優しさを感じた。その瞳の通りに彼は、ウィアスの身を案じてくれていたというのか。その気持ちが染み入り、思わず俯いてしまう。
『そんな……傷を負い、闘いの邪魔をしたのは私なのに……』
 頭の中がそのまま文字として流れてしまった。はっとした表情で顔を上げると、そこには看守の笑顔があった。こちらの心配など吹き飛ばすような、そんな満面の笑みだ。
「ゼトア様が言った通り、純粋で賢いお嬢さんだ。本当は『どうして私が結婚することになるんですか?』って聞きたかっただろうに、ゼトア様の身ばかり案じるんだもんな。本当に、お似合いだと思うよワシは」
 男の予想外の言葉にウィアスは慌てて頭を振って、そして激痛に姿勢を戻した。そんなウィアスを見て看守も慌てて付け加える。
「いやいや、実はゼトア様にさっき扉の向こうで言われたんだ。『まだ公にはしていないが、霊獣の娘を貰い受ける』ってな。聞いた瞬間は確かに驚いたが、ワシもお嬢さんのような利巧な女性なら、種族も年齢も関係ないと思うんでな」
 もう既に決定事項のように話していたであろうゼトアの口調を想像し、ウィアスは思わず笑ってしまった。獣の姿の笑い声に、看守の男もそれの意味を悟り優しい笑みを零す。
「お嬢さんのような女性なら、きっとゼトア様も大丈夫だろう……本当に良かった」
『え?』
 なんだが不穏な空気を嗅ぎ取り、ウィアスは看守の男に続きを促す。心からの言葉が漏れただけの男は最初、少し考えるような仕草をしてから「これから伴侶となるお方のことだ。ワシは下っ端だからあまり詳しくないし正しい情報かもわからんが、お嬢さんには聞く権利があるだろうな」と前置きして話し出した。
「ゼトア様はその……どうやら同性愛者じゃないかって噂なんだ。あくまで噂の範疇だが、確かに浮いた話は全くない。あれだけ腕が立ってあの見た目だろう? 城下だけじゃなく軍内でも他の街でも憧れの的だ。いつしかワシら一般兵はこう思ってもおかしくないだろう。『ゼトア様はきっと魔王様とデキてる』ってな」
 さすがに兵士同士のやり取りをウィアスにそのまま話すわけにもいかないのか、男の表情は少しばかり苦し気な半笑いだった。なんとも微妙な表情に、彼の心中を察する。
『ゼトアはそこまで魔王アレスを崇拝されているのですか?』
 たかが噂、されど噂だ。そこまで兵士達に思わせる程の何か濃密なものが、きっと二人のやり取りにあるのだろう。そうでなければ、こんな噂はなかなか立たないように思う。
「ゼトア様の口癖だよ。『魔王は俺の全てだ』と、いつも言っている。生半可な盲信じゃない。アレス様のために、ゼトア様は命を捧げている。アレス様の命令を全て、これまで形にしてきたのはゼトア様だ」
『全て……ですか』
 果たしてどんな関係性なら、そんな言葉が出てくるのだろうか。確かに噂になるのもわからなくもない。そこにあるのは果たして主従か、それとも……
「お嬢さんが暗い顔をしてどうするんだ。お嬢さんがゼトア様に口説かれたのは間違いないんだ。さっきの庇いよう、お嬢さんだってゼトア様のことが、気に入ってるんだろう?」
 少し下世話な顔をして――多分空気を軽くするためにわざとされている――看守の男が問い掛けるものだから、ウィアスも観念して本音を伝えようと文字を打ち出す。この男はどうやら下っ端ながら、ゼトアからある程度は信頼されているようだったからだ。
『初めて見た時、美しい瞳だと思いました』
 まるで光の届かない深海のような瞳に、深く深く飲み込まれた。浮上する場所を見失うかのように、絡み取られて動けなくなる。絡まる視線だけが熱く猛り、心臓が蕩けだしそうな程の熱を宿したのだ。
『逞しい腕に、大きな背中に、口から零れるその声に……きっと、私は惹かれています』
 人型の、それも魔族の幹部に恋をするとは思わなかった。村にも何匹か年の近いオス達はいたが、村長であり族長でもある父親の娘であるウィアスは、今から思えば良い意味でも悪い意味でも浮いていた。魔力を高める修行や聖職者から教えられた聖なる魔術の履修に励み、そこには目を向けようとはしていなかった。
「……お嬢さんの優しさがあれば、きっとゼトア様も大丈夫だな」
 感動したように頷く男の言葉に、ウィアスはやはり先程の感覚は間違いではなかったと気付く。不穏な香りが嗅ぎ取れる。
『……ゼトアが結婚しないと、何かマズいのですか?』
 直接、気になった部分に触れた。核心をついたのであろうその言葉に、男は苦笑いを隠せない。
「本当に賢いお嬢さんだ……実はアレス様が先日、新しい国の方針を伝えられてね。このご時世、軍の人員不足が深刻でな。『適齢期の男女の婚姻を奨励する』と告げられたのだよ。子供ってのはどんな種族でも、その……男女の間にしか運ばれてこないだろう?」
 微妙な年頃の娘に向かってなんと言ったら良いものかとあたふたする男を見て、ウィアスは優しく微笑んだ。獣の姿であるウィアスだって、恋愛やそれに伴う行為のことは理解している。だが、さすがに他種族と交わることをしっかりと考えたことはなかったが。
「魔王であるアレス様のお相手は、それこそ利権が絡む。後回しにするのも問題ないが、ゼトア様は軍の士気を、ひいては城下の手本とならなければならないとお考えなのだろうな。女性の相手を探していたんだろう。そこにお嬢さんが現れたってわけだ。お嬢さんには悪いが、他種族との婚礼は明るいニュースになりやすい。そういった部分もあるんだろうな」
 男の言葉にウィアスは頷いた。自分が求婚された理由に納得出来た。つまりは愛情もあるのだろうが、政治的な意味合いも強そうだ。一種のパフォーマンスの一部に自分がされるのは少しばかり気分が悪いが、相手が大物過ぎるのだから、それも仕方がないかと思い直す。
 なにより自分は捕虜で、彼に命を救われた身なのだ。あの天使にもしウィアスだけの状態で出会っていたら、村の者達と同じ運命を遂げたに違いなかった。村の者達への哀しみがようやく心に浮かび上がってきたが、それをウィアスは口元を引き締めて噛み殺した。
 戦乱の世に生を受けるということは、いつ親しい命が失われるかわからないのだと、ウィアスは厳格なる両親から教えられた。死を覚悟してあの天使に挑んだ両親の姿は、決して哀しみの涙を送る姿ではない。最後まで高貴なる霊獣であったと称えなければならないのだ。それは娘の務めである。
『ゼトアには、きっと……他に好いているお方がいるのでしょうね』
「ワシには詳しいことはわからんが……それでもワシには、お嬢さんに向ける瞳も真実に見えたとも」
 慰めるようにそう言う男にウィアスも微笑んだ。その瞳は真実だと、ウィアスも心から願っていたからだ。
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