貴方に捧げる、ふたつの心
次にウィアスが目覚めた時には、薄暗い牢獄に囚われていた。
ガチャリと首につけられた首輪を鳴らしながら首をもたげ、それだけでも激痛に苛まれその動きを止める。
牢獄はあまり広くない造りで、ウィアスしか囚われていないようだった。目の前にも同じような造りの部屋が見えるが、人影はない。
部屋を見渡しても窓はなく、昼夜の確認が取れなかった。灯りはこの部屋とは鉄格子を隔てた廊下の壁にある蝋燭のみで、決して明るいとは言えない。
ウィアスはいつの間にか装着されていた首輪に前脚を触れようとして、その左脚が無くなっていることに気付いた。
――あれは、夢ではありませんでしたか……
意識を失う直前に起こった出来事。あまりに痛みが激しかったせいでおぼろげにしか思い出せないが、あの魔族の男がウィアスの脚を『手荒に』切り落としたのだろう。あれからどれだけ気を失っていたのかは知れないが、切り落とされた部分に痛みはなく、しっかりと止血までされている。
機械的な天使の表情を思い出し身震いする。聖職者達が敬う者の正体があれであるならば、ウィアスは自身にも教えてもらった聖なる魔術を呪い続けるだろう。あんなに冷たい力を、ウィアスは知らない。
「起きたのかい? 霊獣のお嬢さん」
鉄格子の向こうから穏やかな声が聞こえて、ウィアスは一瞬そこにあの魔族の男の姿を望んでしまった。
しかしそこにいたのは穏やかそうな中年の男だった。脳裏に浮かんだ男とは十程は年齢が違うだろうか。言葉と同じく優しい空気を孕んだ男は、しっかりと鎧を着こんだ兵士の装いをしていた。
黒を基調とした鎧を纏ったその男は、薄っすらと紫色に肌が染まっている。ピンと尖ったその耳が、魔族であることを証明していた。黒の鎧は聖職者達が言っていた、『魔王軍』の装備に他ならない。
――軍に捕らえられた……私は、捕虜……?
くっと口元を引き締めるウィアスに、男は落ち着いてくれとその両手を前に出して軽く振った。
「まったく、魔力を抑える鉄格子越しなのに、凄い魔力だな。お嬢さん、ワシらは魔族だが、お嬢さんのことを殺そうとか、そう言ったことは考えとらんから、安心してくれ」
頼むからと両手で祈るような仕草をされて、さすがにウィアスも少し警戒心を解かれた。違和感しか感じない首輪に残った右の前脚で触れて、男の言葉の通りこの首輪もまた鉄格子と同じく『魔力を抑える装備』だと理解する。
男の穏やかな光を宿す瞳を見るに、嘘はついていないように見える。現にウィアスの傷は治療されている。あのまま血を流し続ければ、おそらく命はなかっただろう。
「お前さん、こちらの言葉はわかるけど、話すことは出来ないんだろう?」
人語の返事が出来ないウィアスは、男の問い掛けにくぅぅんと鳴いて答えた。その対応に男はそうだと手を叩く。
「お前さん、軍隊に居ながら万年牢の看守止まりのワシよりよっぽど頭が良いな。よし! これからワシが質問する時は『はい』か『いいえ』で答えられる聞き方をしてやるから、『はい』の時は今みたいに鳴いて、『いいえ』の時は二回鳴いてくれ」
――なるほど。どうやら本当に、敵意はなさそうですね。
ウィアスは男の友好的な対応に少し安心し、静かにくぅんと鳴いた。
「お利巧なお嬢さんだ。お前さんはそうだな……魔族や魔王軍のことはけっこう知ってるのかい? ワシからしたらさっきの警戒ようは、あまり知らんと見えるんだが」
男の指摘は当たっていた。ウィアスは酷く浅い知識でしか魔族のことを知らない。そう素直に思えたのは、記憶が途絶える直前の、あの男の行動からくるものだった。
俯き気味に『はい』と一回鳴くウィアスに、男は「そんな落ち込むようなことじゃないさ」と優しく笑った。