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季節物短編


 私が物心ついた時には、生みの親と言われる存在は行方をくらませた後だった。
 身寄りのない私は心優しい宮司さんに拾われて、全く同じ時期に全く同じ境遇で育てられた『幼馴染(幼い頃から一緒だから)』兼『同級生(年齢も一緒だったから))兼『同僚(目指した職場も一緒だったから)』の“彼”と共に育った。
 宮司の周りに集まる者達も、皆等しく優しかった。暖かい、幸せというものに姿形を与えたような、そんな絵に描いたような幸せな時がずっと私達を包み込んでくれていた。
 そんな優しかった宮司も老齢のため、ついに神社を手放してしまった。それからはもう、荒ぶのは早くて早くて……
 時折仕事の合間を縫って世話になったこの神社の掃除をしているのだが、そもそも自然の力に動物の力が敵うはずもなく。
「っ……さむっ」
 冬に近づく冷たい風が、上着に守られた身だけでなく、燃えるような『紅』に怯えるこの心すらも凍てつかせるようだった。
 こんな秋の夜に、自分は――楓貴子(ふきこ)は捨てられたのだ。親がただ一つ残した言葉は、『元気でね』でも『生きて』でもなく、『楓』という言葉だけ。
 その言葉<名>があまりに真っ直ぐに、鋭利に私の心を穿つのだ。この燃えるような『紅』の下では。
 いくつになっても変わらない。あれから何年経とうと、大人になろうと、何度この光景を目にしようと。この心は楓<カエデ>を怖がっている。
「携帯繋がらん思ったら、やっぱここにいたんか」
 背後から近づいていた大きな気配に、楓貴子は振り返らずに頷いた。
「うん……ラジオで紅葉ってフレーズ聞くと、どうしても足がここに向いてまう……せっかく化粧して『敏腕営業』って顔してんのに……」
 背後の足音が近付いて来る。がさりがさりとやけに響くのは、この前駅ビルで買った『エエ感じの革靴』の音だろうか。
「お前は『営業』の前に『女』やねんから、今ぐらい……エエやろ」
 同い年の“彼”は、同い年のくせに身体ばかり大きくなっていて。ぐっと背後から抱き締められて、その顎が頭の上に乗せられる。
「……っうん……うん」
 熱い雫が流れる顔を、わざと見ないようにしてくれている。彼だって、思うところはある『紅』だろうに。
「お前の名前、意味わかってるやろ? 今はもう、『ただのカエデ』じゃないんやで?」
 “彼”の言いたいことはわかっている。だからこんなにも……想いが溢れる。
「せや……私は楓貴子や。あんたの『大切な楓』や」
「わかってるならエエねん。まだ昼休憩って誤魔化せる時間やし、もう少しだけ見てよか」
 明るい声で提案されると、雫が更に溢れてしまった。声には出さずに肩を震わせる。“彼”は気付かないふりをしてくれている。
「……楓の花言葉って知ってるか?」
「……男の口から『花言葉』なんて、気持ち悪」
 “彼”の声が少し上ずっている。雑学なんてものを話す時の、得意げな時の“彼”の癖だ。
「うっさい。お前は楓の花言葉らしく少しは俺に『遠慮』しなあかんな。俺が言いたいのは『大切な思い出』って意味があるってことや。こんだけ綺麗な景色なんや。“色々と”心に迫るモンがあるのが普通や」
 ついにその顔がこちらを向いて、まだ流れていた雫を慌てて隠す。表情は見えなくなったが、薄く笑った気配が伝わる。
「……大切、なんかな」
 覆いかぶさるような『紅』の下に、捨てられた自分。その小さな身には過ぎる『紅』に、心は『美しさ』なんてものは感じ取ることが出来なかった。
「俺にとっては、一番大事な贈り物やったから」
 思わず顔を“彼”に向けると、暖かいキスを落とされた。
「この『紅』の下で、お前に会えた。“楓”はいつも『美しい変化』を俺に見せてくれる」
「……アホ」
 得意げな彼の笑顔に、涙腺だけでなく口元まで緩まされてしまって、今だけは良いかと、その大きな身体に身を任せた。


 END

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