東の香りは罪の味


 グリーンローズハイスクールの中庭は、赤組以外の生徒達からは『庭園』と呼ばれ、赤組の生徒達からは『決闘場』と呼ばれている。美しい装飾と草木が、見事な造形の噴水を中心として放射状に広がっている。コの字型の校舎の真ん中に位置するこの中庭は、噴水や整えられた草木、そして歴代校長を模した像の面積を引いたとしても、なかなかの広い空間を保持していることになる。
 噴水前の開けた空間には、隅に何脚かガーデンチェアがあるだけで、円形の広場には何の障害物もない。この空間を決闘のために使うなど、赤組の生徒しか考えないことであろう。だからこそ、この中庭は赤組とそれ以外の組では呼び方が違うのだ。
「すまないね。リーファくん。ここなら、邪魔は入らないだろうから」
 優しい笑みを浮かべながら、リティストがリーファを振り返る。彼は噴水の真ん前に立っており、午後の日差しを受けた彼の姿はまるで天使のように神々しい。しかしその漆黒のジャケットが、どこか闇を引き摺っているようにも感じてしまう。常闇が似合う、不思議な漆黒だ。彼は常に、その色を外さない。
「邪魔って……まるで決闘か、取引でもするみたいな物言いだな」
 不適に笑ってやりながら、リーファは密かに舌打ちしたい気持ちを抑え込む。
 リティストからは明らかに、教員から発せられるべきではない戦いの気配を感じるのだ。彼は、強い。その強さは本人が意図しているかは別にして、他者を圧倒するプレッシャーとして空間を支配することも出来る。
 彼からは明らかに、強者の空気が滲み出ている。およそこんな学校にいるべきではない。例えるならば軍人か何か。
 長年不良をやっているリーファは、もちろん街で治安維持のための軍人さんのお世話になったことも一度や二度ではない。治安維持のために街を監視している軍人達は、下っ端らしく秩序に欠ける人材が混じり込んでいることも多々あり、時たま不審な人間に対するやりすぎな“尋問”が問題になることもあった。
 誇らしげに言うことではないが、リーファが今までそんな治安維持の軍人相手に無事であったのは、自身が女であったということに他ならない。不良仲間であった男子生徒が病院送りにされるなど、それこそ何人も見ている。だからこそリーファは軍人という生物の足運びも熟知しているし、彼等が発する一般人とは違う独特の空気感もわかっているつもりだ。
「取引、か……確かにこれからする話は、取引に関することになるな」
 辺りには人影は全くない。下校時間であるこの時間帯は、一番混み合う校門以外は人の姿が疎らになる。部活動も何種類かあるが、そこまで熱心な校風でもないので、形だけの活動を繰り返している部も多い。中庭は確か生徒会の美化活動の活動場所だったはずだが、おそらく毎日行う程の熱意があるとも思えない。グリーンローズハイスクールにおいて生徒会という活動は、自身の内申点を上げるための、優等生達のためのお遊戯会に近いものがあった。
「取引って?」
 学内ではおよそ聞き慣れないその単語に、リーファは警戒心を隠さずに問い返す。リティストの表情は変わらない。ふいに冷たい風が足元を撫でた気がした。
「……この校内で、幻覚作用のある薬草を栽培し、それをあろうことか流通までさせている生徒がいるという疑いがあってね」
 がつんと頭を殴られたような衝撃だった。リティストの表情は変わらない。端正なる男の冷徹な表情は、鋭利な切れ味のナイフを彷彿とさせる。
 校内で幻覚作用のある薬草を栽培……薬草という言葉に、一番に連想される場所は、あのギーラの『温室』だ。あの温室で栽培されている『茶葉の元』の草花が、いったい何なのかリーファは知らない。茶葉に関する知識は普通の人間より持っていると自負している自分が、その茎や葉を見ても種類を言い当てることが出来ないのだ。
――まさかギーラが? いや、でも……なんで? 理由が、動機が見当たらない。
 幻覚作用のある薬草は、それ即ち『麻薬』である。軍による厳しい取り締まりのお陰で、民間人にその危険な植物が出回ることはほとんどない、と思いたい。少量でも意識の混濁や記憶障害が起こりえる危険がある麻薬は、ここ東部だけでなく大陸全土の法律で禁止されている代物だ。
 それをわざわざ校内で、ギーラが栽培し、しかも誰かに売りさばいているというのか?
 法律で禁止されている物が高値で闇で取引されることは想像に容易い。だが、ギーラは正真正銘のお嬢様である。その家には唸る程の資産があり、彼女自身もその恩恵を受けているはずだ。今朝のリーファへのプレゼントを見ても、それは明白だ。彼女が自由に管理出来る金額は、そんじょそこらの学生の比ではない。
 ギーラには法律に触れる危険を冒してまで、取引を行う理由がないように思えた。金に困っている貧乏学生ならともかく、彼女に限って金のためにという動機は考えられない。しかもどこかの誰かに売りさばく等、それこそ不良仲間のような闇に近しい存在の協力が不可欠だろう。
 リーファは値踏みするようにリティストを見上げる。
 今朝、リーファの心にギーラに対するほんの微かな違和感が芽生えたのは確かだ。しかしその小さな感情だけで、目の前の男への信頼が勝る程、リーファはこのリティストという男を信頼できずにいた。
 今もこちらを闇を纏ったような紫の瞳で見下しているリティストには、教員としての気配は感じない。それこそ軍人、いや、もしかしたらその取引相手がリティストであり、彼からのカマかけの可能性まで考えられる。
「……なんで先生は、そんなことを知ってるんだ? 教員内で問題になってる、ってことはないだろ?」
 もし教員内でそんなことが問題になっているとしたら、その尻拭いに駆り出されるのはリティストではなく『優等生クラス』の担任だ。そしてそんな“面白そうな話”が少しでも話題に上がるものなら、鼻の利く赤組の連中達が黙っているわけがなかった。
「君が僕に協力してくれるなら、僕が何故この情報を知っているかも、どこまで調べがついているかも話そう。君は僕の調べた情報が知りたいだろうし、僕は君の協力を得た方が上手く事が運ぶと確信している。どうだい? 良い話じゃないか?」
「……」
 確かに、リーファからしたら悪くない申し出だ。口ぶりやリーファに声を掛けてきた過程から、どうやら彼はギーラと彼女の温室に目をつけているに違いない。そして、その彼女がリーファと特別な関係であることも予想しているのだろう。思春期真っ盛りな女生徒を陥落させるには、どんな説得のプロよりも恋人の言葉が一番有効であると心得ているのだろう。
 それに、今更後に引けないという感情もあった。彼の冷え切った瞳は、リーファの心を震え上がらせ、その口に拒絶も撤退も零させる隙を与えない。彼は、強い。これまで出会った誰よりも、残虐に――人を殺すだろう。
「わかった……教えてくれ」
 リーファの了承を得て、リティストはひとつ頷いた。
「ありがとうリーファくん。特務部隊東部支部の一員として感謝する」
「特務部隊、だと?」
 リーファの見立ては正しかった。リティストは正しく軍属の人間であった。しかしその所属は一般的な軍人とは異なる。
 特務部隊とは軍の中の暗部を象徴するような部隊である。その活動内容は主に暗殺や誘拐などの諜報活動。今回のリティストのように、本物の教員として敵地に潜入するといった作戦は、確かに特務部隊にとっては朝飯前の任務といえる。
 そして一般的な軍隊と異なる点がもう一つ。それは所属する人間一人一人の戦闘能力だ。基本的には単独での任務が多い特務部隊の人間は、各々が高い戦闘能力を持っているというのだ。存在自体が噂話程度の眉唾ものの情報しかリーファも知らないが、目の前の男を見るに、それらの話もあながち間違いではないような気がする。隙の無い立ち姿は、腕自慢の不良でもなかなか体得出来るものではない。
「僕は教員としてこのグリーンローズハイスクールに潜入している特務部隊の人間だ。もちろん教員としての免許も持っているし、教員としての時間は君達の成長のために全力を尽くしているつもりだ。今回の任務も、学内の風紀を乱す生徒のためへの生徒指導の一環だと僕は思っているよ」
 涼しい顔でそう言ってのけるリティストの姿に、リーファは一人納得した。彼がいつも纏っている漆黒のジャケットは、特務部隊としての組織のカラーを護ってのことだったのだ。もしかしたらそのジャケットも軍からの支給品で、本来の機能とは異なる魔法等への耐性を高めた装備なのかもしれない。
「どうりで“強そう”なわけだ」
「ふふ、僕も案外まだまだだったらしい。気に掛けていたとはいえ、一生徒に見破られている程度ではね」
「心配すんな。まだ皆、騙されてるよ。先生と対峙したグロウとそのお仲間達はわかんねーけど」
「……そのグロウくん達なんだが、僕の調べでは『例の薬草』の購入者である可能性が高いんだ」
「なんだって!?」
 思わず大きな声が出て、リーファは慌てて周囲を見渡す。この闇を纏ったようなリティストが構わず会話を続けている時点でその心配はないのだろうが、それでも自身の声のトーンには注意を払い過ぎているということはないだろう。学内には、人目があるのだから……
「……『例の薬草』には強い幻覚作用による性的な興奮の他に、長期間の服用によって急激な筋肉の増強作用もあるらしい。どうやら摂取した成分の吸収を高める効果があるようで、筋肉増強剤としても売り込まれているらしいんだ」
「グロウが……そんな……」
 リーファの心に、グロウの明るい笑顔が浮かぶ。裏表のない性格のグロウは、リーファからすればそんな違法な薬草に手を出すような男には思えない。だが、彼が強さを求めていたのは事実だ。彼は事あるごとにリーファに絡んでは、『俺の方が強い』と豪語していたのだから。
「売買先はグロウくん達だけじゃない。どうやら他国の軍にも流れているらしくてね」
「他国? それに軍だって? そんな奴等、この国に入ることすら出来ないんじゃないのか?」
 一つの大きな陸続きの大陸の東部にあるハマナスの街は、大陸東部を統べる国家の所属である。東西南北、そして中央部に分かれたそれぞれの国は、今では争いを避けるために敢えて和平条約によって停戦の約束を結んでいる。戦争を繰り返していた遥か昔には、国毎に名前もあったらしいが、今ではそんな名前も捨てて、それぞれのことを地方で呼ぶようになっている。
 停戦に合わせて各地方の軍も統合されて、今では通称『本部』と呼ばれる一大組織として“国民”の安全を守る組織として機能しているのだ。しかし元が別々の国ということもあり、表面上は平和を謡いながら、その水面下では際どい小競り合いが起きていることもしょっちゅうだ。
 そのためこの東部の街では、街の門には常に検問所が設けられている。怪しい“他国”からの人間は、その検問所を突破することは出来ないという話だが……
「闇に潜む者達が、そんな生ぬるい“表”の調査を破るなど容易いんだよ。まだまだ世の中には、女学生じゃわからない“常識”がいっぱいなんだ」
 そう言って怪しく笑うリティストの姿こそ、闇に生きる人間そのもので。その細腕に握るのはいったいどんな得物なのか。その優しい笑みの裏側で、どんな悪意を潜ませているのか。
「……コホン。怖がらせてしまってすまない。とにかくグロウくん達の最近の“鍛え方”は、単純な筋肉トレーニングだけで得られる量を超えている。グロウくんは特に普段から鍛え方も徹底しているようだけど、それでも何か『違法なもの』の力を借りていることは間違いないだろう」
 今朝も見た、グロウの身体を思い出して、リーファは思わず自分で自分の身体を抱き締めるように抱えてしまった。
 確かにこの二ヵ月程で、グロウの身体はまるで筋肉を膨らませたかのように強靭になっていた。一つ一つの筋肉の束の厚みが、学生のそれではないことぐらい、拳も蹴りも打ち込んでいたリーファもわかっていたつもりだ。だが、そこに違和感を感じ――ないように、自らを騙していたのは、己の心そのものだった。
 彼の学生離れしたその身体も、彼の一心不乱な努力の証であって欲しかったのだ。目標に向かって真っすぐに突き進む、それがグロウの良いところで、そんな彼のことをリーファも嫌いではなかったのだから。
「あいつは……そんなことしない……」
 文字通り、振り絞るような声が出た。言葉と同じく震える手を隠すために、ぎゅっと両手を握り締める。胸がどくんと跳ねた気がして、その暴れる心臓の上で、彼から貰ったプレゼントがぐんと熱を持った気がした。
――指輪……そうだ、指輪だ。
 今朝のやたらバタバタしたやり取りを思い出し、頭が不良仲間のことから恋人のことに切り替わる。己の瞳の色合いを贈った愛しい彼女は、違法な売買の売人側として疑いを掛けられている。
「それは君の目で確かめたらどうだい? 僕はこれから温室<取引先と思われる場所>に向かうつもりだ。君にも“説得役”をお願いしたい。君の交友関係なら、“売り手”にも“買い手”にも説得役として申し分なさそうだからね」
 間違いない。彼はもう、リーファのことも一通り調べ上げている。その関係が二ヵ月分だろうが一昨日からのものだろうが、彼はリーファの身辺をしっかりと調べ尽くしている。それが軍部の動きだから。リーファは何度も補導されているので、その細かさもわかっていた。彼は軍人で、そして特務部隊なのだ。
「……先生は、変だって……思ってるよな? その……あたしが女の子と……ギーラと付き合ってるっての……」
 震えたままの声が、先程とは異なる理由で揺れる。この街でも大陸全土でも、同性同士が付き合うことは、白い目で見られる行為である。しかし――
「リーファくんは不良なんてものをやっているのに、今更周りの目を気にするのかい? 『普通』の真面目な生活を嫌うのが君達不良じゃないのかい? だったら何を恥じる必要があるんだ」
 呆れたような声を上げるリティストに、リーファは驚いてその顔をまじまじと見詰める。その闇の色合いの深い瞳の裏に隠された、異物への嘲笑を探し出そうとするが……
「……驚かない、のか……?」
 リティストの瞳には、ほんの欠片もリーファを軽蔑する光はなかった。それが巧妙に隠されたオトナの処世術だと言うならば仕方がないが、それでもリーファにはその瞳は信じられるものに思えた。
「……この学校内の話ではないが……僕の『職場』にも何人かいるよ。彼等も彼女等も本当に愛し合っているし、異性愛者の僕から見ても素敵な男性も多い。だからその気持ちを異端だなんて、思い込んで委縮しないで欲しい」
 時に学生とは、世の中から見れば小さな世界の中でもがき苦しむものだと言う。学校という小さな小さな箱庭は、世の中全体から見れば極小さな聖域で。しかしその聖域には、狭い分より濃厚な決まり事が作られていく。リーファが正にそうだった。この小さな小さな箱庭の中での法律だけで、物事を、自身の恋心の善悪を、決めつけようとしていたのだ。
 その狭く小さくそれでいて大きな思い込みに、手を伸ばせるのはオトナしかいない。遥かに広い視野をもって、その常識をぶち壊してあげられるのは、その頼りがいのある大きな手に他ならないのだ。壊す勇気がなくても良い。そっとその手を差し出すだけで、狭く小さな海に溺れてしまう儚き手を掬い上げることが出来るかもしれないのだ。
 リーファは少なくともこの時、リティストの言葉に心が救われた。異端な恋だと思っていた。ひた隠さなければならない、異常な性的対象だと。男の不良仲間に想いを打ち明けられながらも、それに縋れない自分の心に、その心こそが悲鳴を上げていた。
――女の子を……ギーラを好きでも良いんだ……
 思いもしない相手からの肯定に、リーファの心は自然に前を向き始めていた。その前を向いた先――そこには輝く程の陽の光はないかもしれない。だが、そこにいるであろう相手を、陽の光の元に引き上げてやることは出来るかもしれない。
 違法な薬草を売る彼女も、それを買う彼も。リーファがリティストに協力すれば、万事上手くいくかもしれないのだ。
「……ありがとう。あたし、先生を手伝うよ」
 流れそうになる涙を堪えて俯きながらそう言うリーファに、リティストは敢えて視線を逸らして頷いてくれた。彼の優しい気遣いにリーファの口元が緩んだその時、二人に向かって慌ただしい足音が近付いて来た。
「……どうしたんだい?」
 駆け寄って来た人間が二人の前に現れる。息を切らせて登場したのは、リーファのクラスメートである男子生徒だった。赤組に在籍している人間にしては珍しい、文科系の大人しい生徒だ。リーファはおそらくタイプ相性が悪いので、彼とは話したことがなかった。体格もリーファの方が良いくらいだ。不良ばかりに目が行く赤組だが、不良以外にも掃き溜めの住人は多種多様に存在する。
 優しい教員の顔に戻ったリティストが問い掛けると、少しばかり呼吸を整えるために時間を空けてから、その男子生徒は懇願した。
「温室で……温室でグロウ達が女の子を襲ってるんだ! あれは普段の悪ふざけな感じには見えないって! “武闘派”な皆はもう帰ってて、学校中探してやっとリーファを見つけたんだ!」
 クラスメートの言葉がやけに冷えた頭に落ちてくる。みるみるうちに冷めた目つきになるリーファの肩を、リティストがそれ以上に冷たい目をして叩いた。
「急ごう。どうやら僕が考えている以上に、事態は深刻みたいだ」




 温室へと急ぐリーファとリティストは、駆ける足はそのままに『現状における戦力の確認』を済ませていく。
 クラスメートの目撃した時間から刻一刻と時間が過ぎている。相手は不良で、しかも筋肉の増強を行っている可能性が高い。詳しい人数まではわからないが、グロウの取り巻き連中は多くて五、六人程度だったはずだ。他クラスまでその触手が伸びていたとしたら話は別だが。
 リティストの見立てでは話が大きくならないということは、関わる人数は少ないのではないか、ということだった。秘密の共有は、少人数であればある程露呈する可能性は低くなる。彼等は不良だ。仲間以外は敵という生き物だ。自分達の仲間内以外には、そんな魔法のような草は共有しないのではないか。
 人数自体は大したことないが、不良の男達に対してこちらは不良とは言え女学生と、軍属の教員である。リーファとリティストは、お互いがお互いの力量を直接見たことがないので、ある程度口頭で今自分が持ち得る戦力を説明することになる。
「リーファくんは一年生だから、魔法学の授業はまだだったね?」
「ああ。適正試験は入学前にやったけど、魔力自体が少ないみたいだから、残念ながら魔法による攻撃は期待しない方が良いって言われた」
「なるほど。僕は地唱術は扱えるが、出来るだけ校内では使用したくないのが本音だ。教員の採用試験の時には、ほとんど戦いのスキルがないように偽っていたからね」
「見た目だけならそうとしか見えねえよ。相手は異常な筋肉があったとしても不良生徒だろ? 特務部隊のあんたの敵にはならねえんじゃねーの?」
 当たり前のことを真面目な顔をして言うリティストのことを、リーファはついつい鼻で笑ってしまったが、どうやら彼は大真面目に目先とは別の標的のことを仮定しているようだった。
「確かに麻薬……流通名は『東の夢』という名前らしいが、それを服用していたとしても、グロウくん達は僕の敵じゃない。だが、どうにも胸騒ぎがしてね……取引相手の他国の軍人が乱入してきたら、僕でも学生達を全員護り切れる自信がない」
 リティストが敢えて『学生達』と言った事実に、リーファは彼に対する態度を改めることにした。今のこの状況ならば、彼は『リーファを護り切れる』と言うのが自然だ。しかし彼は『学生達』と言った。それはつまり罪を犯しているであろう、ギーラもグロウ達も護ろうとしてくれていることに他ならないからだ。
 学校サイドからすれば、もしかしたら襲撃者がいればそれに乗じて『原因の抹殺』を目論むかもしれない。軍部から潜入している教員からすれば、この校内で犯罪に手を染めていた学生がいくら死のうが問題もないだろう。それでも彼は『教員』として、このグリーンローズハイスクールの学生達を護ろうとしてくれているのだ。
「先生……ありがとう。あたしも力になりたい……」
「君は充分に力になるよ。さあ、もうそこを曲がれば温室だ。気を強く持て」
 鋭さを増したリティストの声に、リーファも力強く頷く。先程まで晴れていた青空が、まるで罪の気配を察したように黒い雲に覆われていく。隠しきれない罪の香りを、その曇天が覆い隠そうとでもするかのように。
 ぽつりぽつりと降り出した雫が、まるで黒く染まった空からの謝罪のようにリーファには思えた。次第に雨脚が強まる大気に、これから起こる未来を視通そうとして、リーファはルビー色の瞳に暗い暗い雲を映した。
 その時、隣を並走していたリティストの足が止まる。
「本来なら女子生徒に一人で行かせるような場面じゃないんだが……」とリティストは前置きしてから、それでも少し言いにくそうに言葉を零した。
「早速妙な気配がある……僕は周囲を確認してから助けに入る。何もなければ数分だ。それまで時間稼ぎを頼めるかい?」
「任せな。これでもあたしは、グロウの片想いのお相手なんだぜ? あいつと軽くお茶でもしてれば、数分なんてすぐ経っちまうさ」
「助かる。すまないが、不良集団よりも他国の軍人の方が危険度は格段に高いことはわかるだろう? すぐに助けに入る」
 そう言い終わらないうちに忽然と目の前からいなくなったリティストに、リーファは思わず目を丸くしてしまった。気配も何もかも、最初からそこに誰もいなかったかのように消え失せた彼に、リーファは自分が思っていた以上に強い援軍がついていることに今更ながら安心してしまう。
――軍人っていうより、暗殺者か何かだろ……あ、だから特務部隊なのか……
 随分強くなってしまった雨の中、リーファは一人、温室へと続く道を進む。
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