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季節物短編


「ハロウィン……ですか?」
 魔族達の暮らす都に聳える魔城にて、ウィアスはそう問い返した。
 魔王アレスの側近にして魔将の地位を得ているウィアスの目の前には、まだ年若い魔族の兵士達が立っている。彼等もまた魔王軍所属なので、直属ではないもののウィアスの部下という立場である。
「はい。現在、戦線の維持は安定しており、城下においても以前よりは穏やかな空気が流れております。そこでアレス様へ、城内を解放してのハロウィンの許可を頂きたく……」
 どうやら彼等は、城下の民衆達の精神面を心配しているのだろう。さすがは争いをなくすために戦っている魔王の下に集う兵士だ。彼等の心を人間達にも見習ってもらいたい。
「そうですか。それでは私からアレス様へお時間を頂けるように伝えましょう。その場には私も同席しますので心配はなさらずに」
 ウィアスとしてもこういった民衆を想っての提案は大歓迎だ。今でこそ人型の魔族という種族として籍を置いているが、ウィアスは生まれは大型の狼のような『霊獣』という種族である。
 人形の種族達の習わしや行事といったものとは無縁だったため、純粋にお祭りというものに対しての憧れのようなものも少なからずある。祝い事は、民衆の心を潤す絶好のチャンスであろう。
「ありがとうございます!!」
 がばっと頭を下げる兵士達に微笑み、ウィアスは『ハロウィン』という初めて聞いた行事のことを尋ねることにした。
「すみませんが、私はあまりお祭りなどに詳しくないので……ハロウィンとはどういったことをする祭りなのでしょう?」
 幼い頃から族長の娘として育てられたウィアスは、どんな相手に対しても丁寧な言葉遣いを崩さない。例えそれが部下であろうが、敵であろうが変わらずだ。その点を夫はとても心配しているが、敵はともかく、魔王や自分という上の立場の者のために命を懸けて前線に立っている彼等に向かって、横暴な態度など取れるはずがない。
「仮装ですよ! 仮装!!」
「か、仮装……ですか?」
 下げた時と同じくらいの勢いで顔をがばっと上げながら、兵士の一人が嬉々とした表情でそう言うものだから、ウィアスも驚きながらもそう繰り返すことしか出来なかった。
――仮装ってことは、衣装が必要なのでしょうか?
「元は人間達の国から始まった行事で、向こうでは俺達魔族や鬼といった『人外』のものの恰好をして、それを人間役が打ち倒す、って感じの戦にちなんだ行事みたいですが、今ではただ仮装して祭りを楽しむってだけになってるそうです。なんでも、人間達の街にも少なからず好意的な異種族が生活しているから、そいつらに配慮して、だとか」
 ウィアスの生まれは魔王とその側近のみの秘密のため、辺境の村の出身の魔族だということになっている世間知らずなウィアスの問いにも、部下達はちゃんと丁寧に答えてくれる。
「……なるほど。そういった問題は、どこの国家も抱えていますからね」
 様々な種族が生息するこの大陸において、人間と魔族の国家は他の追随を許さない大勢力に属する。小国の他種族が生活のためにどちらかの勢力に取り込まれることなどよくある話で、この魔都にもいくつかの種族が生活している。
「人間達の祭りを魔族がするなんて、ちょっとおかしいかもしれないですけど……お祭りの発想自体は、その……」
「楽しそう、ということですね」
 言い淀んだ兵士の一人ににっこりと微笑み、ウィアスは彼等の緊張を解いてやるために同意してやる。
「私も城下の人々の緊張を解す案には賛成です。アレス様にお伝えする前に、いろいろと教えていただけませんか?」




 部下達のアレスへの提案は大いに歓迎され、我らが魔王の許可も下り、その日のうちには城下も城内も浮足立つことになった。
「それで……お前はいったい、どんな『大嘘』を吹き込まれたんだ?」
 眉間に寄った皺を隠すこともなく、ウィアスの夫であり同じく魔将の立場であるゼトアが大きく溜め息をついて言った。
 今は夫婦のための寝室に二人。昼間の決定を見届け、夜遅くまで祭りの準備のための打ち合わせを行った後である。
 慣れない行事の準備にくたくたになってしまったウィアスとは異なり、夫のゼトアは軍内での会議から戻ったところだ。
 城内で既に聞きつけていたのだろう。「戦線が縮小しているため自分一人で良いと言って部屋を出たのに、お前は……」と開口一番に呆れた声を上げたゼトアは、それでも初めてのハロウィンに浮かれるウィアスのことを叱るようなことはしなかった。
 普段ならば「敵側の真似事など……」とウィアスだけでなくアレスまでもお叱りを受けそう――ゼトアは魔王アレスと対等というわけではないが、二人は幼馴染なので、他の目がない時は随分と砕けたやり取りをしている――なものだが、今回はお咎めなしのようで安心だ。
「亡命してきた人間の母を持つ兵士達から聞いたのですが、他種族やモンスターの仮装をして、城下を練り歩くらしいです」
 魔族達の集まる魔都にも、人間の国から逃げ出して来た人間達が少なからず存在する。そんな人間達が魔族と子を成し、人間と魔族のハーフである子供達が兵士として志願してくることも珍しくない。
「それは俺でも知っている。そうじゃなく、なんでお前がそんな……狼の耳を頭につけているんだ? おまけに尻尾まで……本物の毛ですらないだろ?」
 ゼトアはウィアスの頭の上を指差して、絞り出すようにして言った。
 ウィアスの頭には今、部下達から渡された造り物の狼の耳がついている。肌触りこそ本物には程遠いが、見た目だけならそんなに変わらない。尻尾も同じくで、こちらはスカートの上にくっつけてある。彼等は嬉々とした表情でウィアスにこのセットを譲ってくれた。心優しい青年達である。
「これは、ハロウィンについて教えてくれた部下達から勧められたのです。私のように馴染みのない者もいるだろうから宣伝も兼ねてって――」
「――その者達の所属と名前は? 上官に対しての態度がなっていない。処罰の必要がある。いったい、誰の嫁だと思ってるんだ……」
「……ゼ、ゼトア?」
「ウィアス。はっきり言うが、お前は部下に性的な目で見られているんだ。こんな趣味の悪い仮装までさせて……お前が上官らしい振る舞いをしないから、下の者達が――」
「――趣味が悪いなんて言わないでください!!」
 思わずウィアスはそう、ゼトアの言葉を遮っていた。普段、ゼトアがこんなに言葉を荒げることは滅多にない。寡黙と言ってしまえばそれまでだが、言葉よりも行動に表す男だからこそ、ウィアスは揺るぎなき愛情をそこに感じることが出来た。
 必要以上に叱ることもしなければ、部下を蔑むような台詞も聞いたことがなかった。そんな彼が、自分によくしてくれた部下達を……
 それに、この狼の耳や尻尾を『趣味が悪い』なんて、誰よりも愛するゼトアには絶対に言って欲しくなくて……
「……『趣味が悪い』は言い過ぎたな。悪かった……すまない」
 ウィアスの心なんて見透かされている。彼は見た目こそ三十代の若々しい姿だが、何百歳も年上の大人な男なのだ。まだ二十歳にもなっていない小娘なウィアスの癇癪なんて、煩わしいとすら思っていないだろう。
 ウィアスは生まれは『霊獣』の娘である。大型の狼のような身体を、ほんの数年前まではしていたのだ。まるで自身の『本来の姿』をなじられたように、ウィアスは感じてしまった。それが彼の本心ではないことすらも、わかっているというのに。
 それでも、思わずにはいられなかった。魔族の血をわざわざこの身に混ぜ込んだ彼の口から、『獣の身は愛せない』と、そう告げられてしまうのではないかと不安で。
 大きな手が頭に添えられる。優しく撫でるその動きに、造り物の耳がペタンと折れた。そのなんとも軟弱な動きに、目の前のダークブルーの瞳が優しく笑う。目元に熱を感じてウィアスが下を向くと、ゼトアはふっと笑ってから、その逞しい褐色の腕で抱き寄せる。
 ぐっと彼の顔が近くなって、そのまま口づけを落とされる。優しい、不安を全て飲み込んでしまう、そんな口づけだった。その間もペタンペタンと、頭の上の目新しい感触を手で楽しんでいる感覚が伝わる。安物なのだろう、そろそろ髪の毛が痛くなってきた。
「お前の耳は、今の魔族の耳も、昔の獣の耳も、変わらず俺の好きな部分だ。どうせならこんな安物じゃなく、元の霊獣の頃の耳を触っておくべきだったな」
 そう言って喉の奥でくっくと笑う。手は“ウィアスの耳”まで下りていて、尖がった耳の先端をするりと撫でる。
「ん……っ」
「お前のそんな顔は、俺以外に見せたくない。もちろん、魔王にもな。部下共になんて、尚更だ。俺の気持ちは、ウィアス。お前もわかるだろう?」
「……はい」
 そんな風に覗き込まれたら反則だ。もうウィアスには彼の言葉に頷く以外にない。ウィアスの態度に満足したのか、ゼトアは撫でていた耳に舌を這わせる。
 ウィアスは慌てて彼を押しのけようとして、自身が既に夫婦のベッドに腰を下ろしていたことを思い出し、続いてシャワーも浴びていないこと、そして造り物の耳と尻尾がついたままであることまで思い出す。
「っ……ゼトアっ、せめて耳は取ってから」
「いいじゃないか。俺は最初、獣の姿のお前に惚れたんだ。何も問題はないだろう。それとも、『趣味の悪い』ものは外したいのか?」
 寝室のベッドにどさりと押し倒され、造り物の耳をピンと指先で弾かれた。パツンといかにも造り物な音が響いて、その気恥ずかしさからウィアスは思わず愛しい夫から目を逸らして言った。
「……っ! き……今日のゼトアは、意地悪です……」
「部下達に隙を見せた、お前へのお仕置きだ。二度とふざけた態度をとれないように、その部下達も再教育だな」
 くっくと笑うところを見るに、ゼトアは本気で言っているわけではなさそうだ。その証拠に、今もウィアスの頬から首筋にかけて這う彼の手は、とても優しい。
「仮装なんてしなくても、お前が祭りに出席するだけで、城下の者達は喜ぶだろう。魔将として、しっかりと国民に気高き霊獣の魂を見せてやれば良い」
「っ、はい!」
 まだまだ未熟な魔将であるウィアスは、頼りになる夫の言葉に強く強く頷くのだった。
 後日、人知れず数名の兵士の減給が決まったのは、また別のお話。



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