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『獣の器』~元軍人の獣な夫に一目惚れから溺愛される話~


「それで? なんで今回はまた……二週間も滞在することになったんですか?」
 上流階級の格式ばった食事の席……をケントが嫌がり、急遽開かれた『飲みの席』にて、イアナは対面の席に座っているレイルに問い掛けた。
 邸宅の二階部分に設けられた窓の面積を広くとった“テラス風”の一室にて、“友人同士”気軽な夕食を楽しむという形で四人で食事をすることが『俺の言う“飲みの席”や』と言い張るケントだったが、あれはただ『部外者を入れたくない』というだけのことだろう。この邸宅にはたくさんの使用人がいて、その誰もが主やツヴァイ、そしてイアナのことを慕ってくれている。この邸宅の闇とも呼べる秘密すらも慕う彼等だが、やはり本部からすれば警戒するに越したことはないのだろう。
 腹を探る相手が決まっているのなら、尚更。その他大勢にまで意識を割きたくないのが本音だろうか。それでなくともこの場には、探りたくても探れない、秘密だらけの存在が他にもいるのだから。
「あー? 私がずっといると不都合でもあるのか? 心配しなくてもセックスの邪魔はしねえし、使用人達に手ぇ出したりもしねえよ。まったく、私の悪い噂ばっか鵜呑みにしやがって」
 秘密だらけの存在――レイルは、テーブルの上に並んだ大皿からウインナーを口に運びながら事もなげにそう言って、反対にイアナとツヴァイをむせさせた。
「仲良ぉ二人並んで、これまた二人仲良くむせちゃって、ほんま仲良し新婚さんやなー。あー、式はまだなんか。夜中間違っても“最中”に出くわさんように、俺の行ってええとこと悪いとこ教えといてやー」
「おいおい、こいつを交ぜるくらいなら私を交ぜてくれよ」
 四人掛けのテーブルでイアナ、ツヴァイの夫婦に対面してレイル、ケントの二人が座っており、むせるイアナ達を相手に、今日初めて会ったとは思えないような“気軽さ”で息の合った下品な話題を振ってくる。とても地下で殺気をぶつけ合った相手には見えなかった。ゲラゲラと笑う二人の姿は、まるで長年の友人のようにすら思える程だ。
「レイル……イアナの問いに答えてやれ。俺にも、今回の滞在はいつも通りだと言っていただろう」
「……特務部隊への報告はこれからだが、事後報告でも問題ねえよ。私の勘が言ってんだ。こいつを放っておいたら面倒なことになるってな」
「面倒事抱えてるんは、どう考えてもおたくの方やと思うけどなー?」
 挑発には挑発で返すと決めているのだろう。ぐっと手に持っていたグラスの中身を飲み干したレイルに対抗するように、ケントも一気に酒を煽る。
 気軽な夕食にはこれが必要不可欠だろうと、ケントが街にて調達してきたこのアルコールは、南部ではメジャーな種類の醸造酒だった。実際に飲んだことはなかったが、少し苦みがあるということはイアナも知っている。なのでケントから勧められたその酒は丁寧に断りつつ、イアナは邸宅内に常備している甘い果実のジュースに口をつけた。淡いピンク色の液体が、グラスに反射して美しい揺らぎを見せる。
「面倒事……どういうことだ? レイル」
 敢えて踏み込むべきではないと考えて、イアナは黙って視線をレイルに向ける。
 酒のグラスを片手に座っている彼女は、ただそれだけでも美しい。絶世の美女、そんな言葉がとても当て嵌まっている。まるで薔薇とそれを取り巻く鋭利な棘を、そのまま人間にしたような女だった。
 妖艶なるエメラルドグリーンの瞳が、ツヴァイ、ケント、そして……イアナへと動く。
「……“リーダー”のことで、ちょっとな……」
 酒に湿らされた唇が、えらくもったいぶって――彼女にしては控えめに言葉を零した。
 レイルが言う『リーダー』とは、現在の特務部隊のリーダーである男のことを言っている。昔、少しの間だけ配属された、ツヴァイのことではない。だが、そうはわかっていても、彼女の口からその言葉を聞くのは、イアナにとってはどうにも慣れない。未だにその言葉に隠しきれない『愛情のような響き』を感じて、もしや夫への感情ではないのかとどこかで訝しんでしまう自分が嫌だった。
 『愛情のような響き』は、特務部隊の間では当然のことのようで、彼女らはお互いにまるで恋人同士のような距離感で日々を過ごしていると、夫からもレイル本人からも聞かされていた。
「……あのクリスが、どうかしたのか?」
 狂犬達の頭である、リーダーの名がクリスだ。大陸北部出身の刀使いで、フェンリル最強の男。悍ましい狂犬部隊の逸話達の内、彼一人による惨殺も少なくないと言われている。
「なーに、この国になにかおこるわけじゃねえよ。これはフェンリルと……そうだな、本部との問題だ。適当にしてりゃ、そのうち解決する類のな」
 ふっと笑ってレイルは口を閉じた。この話はこれでお終いと、そうその瞳が語っている。
 彼女の態度にケントも諦めたのか、「へいへい」と相槌を打って空になったグラスに酒を注いでいた。
「お前が何も言う気がないことはわかった」
 小さく溜め息をつき、ツヴァイがグラスの中身を飲み干した。彼はイアナが知る中で一番アルコールに弱い人間だ。なので炭酸の効いたスッキリした飲み口のジュースを今も飲んでいた。飲み干したグラスをテーブルに置き、その瞳をケントへと向ける。
「それで? どうしてお前は『他人の腕』なんて持ち歩いているんだ?」
 席について早々に放ったイアナのセリフを茶化すように真似て、レイルが挑発的にケントへとそう問い掛けた。
 腕、という言葉にイアナは息をのみ、ツヴァイも静かにその目をケントに向けた。
 その言葉は、地下でレイルが零した言葉だった。確か、『私の腕』とか言っていたか。いったい、どういう意味なのだろうか。
 言葉通りの意味ならば、彼女自身の腕が切り落とされでもしたことになるが、目の前の彼女の腕は両腕とも健在だ。だが、彼女の所属する特務部隊は、想像も絶する闇を抱える組織だった。
 その大元である本部という存在自体、夫であるツヴァイに人体実験のような手術を行っている。もし仮に彼女の腕が切り落とされていたとしても、驚くことですらないのかもしれない。
 だが、そうだったとしても、ケントがレイルの腕を簡単に持ち出せるとも思えないのだが。
 レイルの言葉に、ケントがにっと笑い懐をまさぐる。
「いやー、ここでおたくの腕出すんは構わんのやけど、ほんまにええん? おたくの腕、何か握ってるかもしれんで? なあ?」
 目当ての腕に手を当てているのか、撫でまわす動きを見せつけながら、しかし懐からその本体を出すことはせずに、ケントは挑発的にそう返した。
「……魔力の感覚的に、私の腕なのは間違いないんだろうが……なんか、それ……本当に『私』の腕か? それに……何か、握ってるだと?」
 イアナとツヴァイに隠すつもりはないのだろう。しかし隠すつもりはなくても、説明をするつもりもないのであろうレイルは、そのまま一人で訝しみ、話を続けてしまう。
「やっぱ獣さんは魔力に敏感やな。正真正銘、おたくと魔力の繋がった腕、やで? 握ってるって言うたんは、おたくの“秘密”やから。 単純やろ?」
「……単純、ね」
 最後まで挑発的なケントの言葉を鼻で笑ったレイルは、そこで途端に興味を失ったように椅子に背を預けて酒を煽った。
「答える気がねえ奴と話すことはもうねえよ。私と魔力が繋がった腕なんて、それこそ“何本もある”。本部ってのはそういう場所で、お前に操れないその腕はただの無価値な肉の塊だ。おまけに握ってる秘密だと? 笑わせるじゃねえか。私の身に“きざまれた”召喚の力があるぐらい、ツヴァイでも知ってることだ。本部の資料を漁ったくらいでわかることを、秘密なんて言わないんだぜ?」
 くだらねえ、と最後には付け加えたレイルの姿に、イアナはどこか――胸騒ぎを感じた。
 普段のレイルは、こんなにも“話さない”。
 手も口も出すのは早いが、それでも口が軽い人間ではなかった。
 なにかを隠すために餌を散りばめた。そんな、違和感のある言葉だった。
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