私が貴方を包みます! ~変異してしまった彼の腕を隠すために、恋する編み物始めました~
逸る心を抑えながら、私はその扉の前で深呼吸をした。
診療所の奥――夫婦の寝室へさっさと消えたモリスは、敢えてその扉を閉めて行った。その扉の奥には、クレイが眠っているからだ。
ベッドを用意した病室の手前、診察スペースにて私は、エレアナと共に彼の看病のための準備を整えていた。それは主に私の心の準備という点が大きく、看病のための道具は既に病室に備えてあるのだった。
「無事だってわかった途端その顔やもんな。リグったら、彼に惚れてたん? 知らんかったわー。言ってくれへんから。もう、恋する乙女の顔してるやん」
「エレアナ先生ってば! だって、そんなん誰にも言えんもん……」
「ふーん?」
詳しく話聞かせなさいよ、とその目は悪戯な色を映していたが、私は敢えてそれには気付かないふりをして、気合を入れて扉を開いた。
「……っ」
予想はしていたことだった。ちゃんと、自分なりに覚悟をして扉を開いたつもりだった。
だが、その扉の奥に広がっていた光景は、やはり私の覚悟を容易く打ち砕こうとしてくる暴力的なもので。
「……呼吸は安定してるし、顔色も良い、か……」
隣に立ったエレアナがそう安心させるように零したが、それだけだった。その言葉を耳に入れたところで、私の心はほんの少しも安心出来そうもなかった。
病室には普段、ベッドがふたつ並んでいるのだが、今はクレイが寝ているひとつだけが、空間の真ん中に設置されている。その周りには点滴の機材に腕を固定するための棒状の機材――剣先が剥き出しの刃なので危険だからだろう――、そしてこの部屋に安定して魔力を吐き出している、まるで加湿器のような見た目の機械がある。
病室自体は、いつも通りの風景だった。昨夜の悲鳴など何もなかったかのように、傷一つない壁紙と床が私達を迎え入れてくれる。
だが、私にはわかってしまった。床にも壁にも夥しい量の血液が飛び散った跡が、それを強引に魔力によって消し去った跡が、この部屋に残留するモリスの魔力として、まるで残り香のように滞留していた。
魔力が目に見えることはない。ただ、なんとなくイメージとして脳が彼の魔力を嗅ぎ分けたのだ。癒しの力と、冷徹なる水の魔力をほんの僅かだけ。
村で生活する一般人にしては魔力を“視る”素質だけはあると学校では褒められた私は、エレアナよりもそのイメージをほんの少しだけ鮮明に見分けることが出来る。
魔力が残った部屋に何か問題があるわけでもないので、私はさっそくベッドに横たわるクレイの傍に寄る。看病をするためのイスが置いてあるのでそれに腰掛ける。
「クレイ……」
愛しい彼の顔が、そこにあった。本当に彼だった。
感激に声が詰まり、彼の名を呼ぶことしか出来なかった。
最後に会った時よりも、身長も体格も大きくなっていた。軍人として相当鍛えられたのだろう。村にいた時には細身なだけだった身体つきは、程よくついた筋肉により逞しさと美しさが共存する形となっている。これは見慣れない兵士の服装に包まれているから、という理由だけではない。
いつも目で追っていた美しい銀髪は、短く切りそろえられており、その下で鋭い光を宿す紅の瞳が、今にも開きそうな生気を感じさせた。小さく息をしているのがわかる唇が薄く開いていて、それがいやに色気を感じさせる。
「本当に、恋する乙女になってる」
クスクスと背後のエレアナに笑われるまで、私は時が止まったかのように彼の寝顔を見詰めていた。
見惚れていたのだ。
その顔の美しさに。
その肉体の美しさ、そして生命の息吹の強靭さに。
そして――その変異した腕の輝きに。
自然と、手がそこに伸びていた。美しい“彼の腕”に。
「っ……」
結晶のように突き出した右肩に触れると、そこは思いのほか暖かくて。そして突然気付く。ここは彼の身体の一部なのだから、暖かくて当然なのだと。どくりどくりと鼓動を繰り返す心臓から、この結晶の中に流れるのはいったい何なのか。私にはわからない。
見た目こそ透き通るようなオレンジ色を宿す結晶と化した腕だが、その内部には筋肉も血管もあるのかもしれない。私なんかにはわからない仕組みでこの腕は生きていて、彼の腕として機能しなければならないのだ。
そのまま手を彼の手首へと下ろしていく。するりと触れる手触りは、暖かさを感じるガラスとでも言えば良いのか。そこに人間に本来備わっているはずの柔らかさというものはなかった。
そして無機質な手触りがある個所を境に、どきりとするような冷たさに変わった。
「ここからが、同化した剣……」
本来ならば手首の位置。そこから先が刃へと変貌していた。本当に、文字通りの『同化』だった。手首からそのまま、いきなり刃が生えている。柄の部分を拳で握り込んで、そこがそのまま陥没したかのような状態になっている。
両刃の輝きは本物であり、軍で支給されているだけあり切れ味も鋭そうに見える。今は危険がないように機材にテープで頑丈に固定されていた。そのため彼は右腕だけ骨折したかのように中途半端に吊られていて、寝返りもこのままだと打てそうになかった。
「この腕が……一生、このまま……」
私にとって、クレイは今でも大切な人だ。どこの誰かもしらない令嬢様の婚約者になっていたとしても、私はこの姿の彼のことだって、変わらず好きなままなのだ。だから、彼の身を案じ、こんな腕になってしまったとしても命を繋ぎ止めていて欲しいと心から願っている。
だが、他の者からしたらどうだろうか。辺境の閉ざされた村。様々な技術が栄えた都。そのどちらで生きるにしても、彼の姿は“異形”過ぎはしないのか。いくら幼少期を過ごしたこの村と言えど、心無い者達はどこにでもいるんじゃないか。皆が皆、私やエレアナ、モリス、それにここまで彼を運び込んでくれた村人のように接することが出来るのだろうか。
いったい、どれくらいの時間そうしていただろうか。いつの間にか、気が付いたら窓の外の太陽は高い位置まで動いており、背後にいたはずのエレアナも部屋から出て行ったようだった。
厳しい冬を感じさせる色合いは、まだ窓の外には迫っていない。適温に保たれた室内から見る景色は、暖かい色合いに染められているかのように、平和なものだった。
「……っ」
その時、彼の口から小さなうめき声が漏れた。はっと息を呑み、そのまま私は彼を凝視する。
辛そうに寄せられる眉の色気に、こんな状況でも少しときめいてしまう。本当にかっこいいんだから。
村を出て行った時には既に、少し鋭い目つきではあるが整った青年の表情をしていたが、それから二年を経て結婚の出来る年齢へと成長した彼は、逞しくもどこか惹かれてしまう、そんな強さを感じさせた。
それから長い時間を掛けて、懐かしい、その紅の瞳が開かれる。
「……」
「クレイ……目、覚めたんやね……っ」
薄っすらと開いた紅に、自分が映り込むことが嬉しくて、私はまだ困惑の表情をしている彼の左手を手に取った。その手は腹の上に置かれていたため、彼の腕を引っ張る形になってしまった。それでも変異してしまっている右腕を無遠慮に触るよりは、彼のためにもこの方が良いと思った。
「あ……リグ、なのか……?」
「う、ん……」
久しぶりに聞く彼の声にやっとしっかりとした安心感を得られた一方、私の心にはどろりとした汚い感情が湧き出るのを感じた。
彼は私の幼なじみだ。生まれも育ちもこの村だ。だから、彼の言葉も私と同じく訛っていた。なのに……
「……綺麗になったな。ここは、エレアナ先生の診療所? 俺は、ちゃんと帰って来れたんだな……」
彼の言葉から、その特徴的な訛りはなくなっていた。訛りのない中央部の人間からすれば、イントネーション等は少しおかしいのかもしれないが、そう思うのは今の私だってそうだった。
でも……そんなことより……
――今、褒められた? あれ? 綺麗、って……?
「えっ!? えっ!?」
「うん? どうした? リグだろ? 三年ぶり、か? 本当に、綺麗になったな。もう……その……誰かのものにはなったのか?」
開かれた彼の口から出た言葉は、訛りだけでなくその内容までおかしかった。
彼はそれはもうスラスラと、女性の容姿を褒める発言を行った。それも私のことを。幼なじみで、もしかしたら異性として意識すらされていなかったかもしれない私のことを、よりにもよって綺麗になったなどと言ったのだ。もちろんこんなこと、今まで言われたことなんてない。彼だけでなく、誰からも。こんな真剣なトーンでは初めてだった。
「あんたこそ……クレイ、やんな? ほんまのほんまに、クレイやんな?」
私の知っている彼は、こんなセリフをサラリと吐けるような人間ではなかった。人の容姿を悪く言うこともないが褒めることなんて絶対にない。そう言い切れるくらいには、クレイは口下手で考えが読めないくらいには大人しかった。いや、今から考えたら暗いくらいだったかもしれない。
身長だけは高く、更に目つきも少しばかり鋭かったことが幸いし、彼本人のことを悪く言う人間もこの村にはいなかった。いや、もしかしたら言えなかっただけかもしれないが。
「ああ。もしかして、幼なじみの顔をもう忘れたってのか? まったくリグは、見た目は綺麗になっても、そうやってたまにうっかりしているところは変わらないな。可愛いよ」
私に対してはよく見せてくれていた変わらない笑顔で起き上がり、クレイは自由な方の左手を伸ばす。そのまま自然な動作で私の頭を撫でてくれて、そんな行為もまた初めてのことで驚いてしまう。
それに何より……
「っ……そんなん、村にいた時は言ったことないやん。なんなん!? 都の兵士様は……っ……都の麗しい令嬢様の婚約者様は、そんな言葉言い慣れてますってことなん!?」
彼は中央に屋敷を持つ令嬢と恋仲になり、彼女の元へ行くために村を出た。
その令嬢様やらとクレイが、どういう経緯で知り合ったのかは知りたくないくらいだった。
幼なじみで村にいる間はほとんど一緒にいるような生活をしていた私とクレイだが、件の令嬢様がこの村を訪れた頃、彼はたまたま駐屯軍の剣術指導を受けていた。
いろいろと“進んで”いる中央部では、女性軍人もそれなりにいるらしい。だが、この村は田舎だ。辺境である。軍人という職業イコール男性という考えがまだまだ一般的であり、年明けから募集が開始される、駐屯軍での年単位での剣術指導への応募も、この村では十六歳からの男児のみであった。
その年、十六歳という“そろそろ一人前”とみなされる年齢となったクレイは、両親のすすめ――というよりは村全体の空気だ。男児たるもの剣術を修め、軍属に就くことこそが、辺境のこの村においてのエリート像なのである――によりその剣術指導に応募した。
偶然、というのは重なるものだ。それはもう、恐ろしいまでに。
たまたまクレイが指導を受けていた時に、たまたま中央部より、護衛と共に訪れた成人を迎えたばかりの令嬢が訪れており、これまたたまたまクレイを一目見て気に入り彼に声を掛けたのだ。そして彼は――クレイはあろうことか彼女に向かってこう言ったのだそうだ。
『俺が貴女を守ります』と。
それをそのままドストレートというか冗談が通じないというか……とにかく自分に対してのプロポーズだと拡大解釈したその令嬢様は、それから彼を一気に陥落させてしまった。
そう、『陥落』させたのだ。周囲から攻めたことは確かだ。外からしっかり囲い込んだと言って良い。だが、そこにはクレイの同意も確かにあったのだ。彼はちゃんと、『彼女を幸せにするのが俺の責任だ』と言って退けたのだ。ほんのりと赤く染まった顔をして。
私はそれを、目の前で見届けた。何も言えずに。
その空気はとても、嫌々というわけでも、仕方なくといった様子でもなかった。本当に彼は、心から願い、彼女が先に帰って待っているであろう中央部へと旅立ってしまったのだ。
「……そんなん、いきなり言われても……私……私……」
悔しくて、涙が出た。彼に願ってもいない幸せな言葉を次々と投げ掛けられているというのに、性懲りもなくまた同じように繰り返そうとしている自分自身が悔しくて。
私は貴方が好きだ。かっこいいといつも思っていた。そう返せば良いのに、言い慣れない言葉のためか口が思うように動かない。代わりに零れるのは拗ねたようなマイナスの感情の言葉ばかりで、この二年間、自分が全く成長していなかったことに愕然とした。
彼の腕が頭の上から降ろされる。ああ、そりゃそうだ。今の私の返答では、自分に好意があるなんて絶対にわかるはずがない。天邪鬼が可愛く許されるのは、幼い子どもの間だけだ。
「リグ……よく聞いてくれ」
零れる涙を見せたくなくて、精一杯の強がりすら出来ずに俯いた私の顎に、彼の手が添えられて真っ直ぐ前を向かせられる。
ベッドに起き上がった彼は、椅子に座る私よりも少しだけ背が高い。普段の身長差もそれくらいだから当たり前か。昔から綺麗だと思っていた紅の瞳が熱を帯びたように一心に、私を見ている。まるでその視線に貫かれるかのように、鋭く強い。
「俺だって、言い慣れてないさ。だけど俺は、中央部でたくさんのことを教わった。それは剣術や学問もあるにはあるが、一番勉強になったのは……恋愛についてだった」
「そ、そりゃ……令嬢様との恋愛やもんね」
「最後まで黙って聞いてくれ。俺は、向こうで『相手と両想いになるには、自分の想いをちゃんと伝えないといけない』と教わった。だから俺は、今度こそちゃんと伝えて、“好きな相手”と結婚したいと思って、帰って来たんだ」
「……それって?」
それは正しく、私が考えてきた……いや、後悔してきた考えそのもので。
――好きな相手って言った? 今、好きな相手って……あ、でも……令嬢さんは?
「ま、待って!? 令嬢さん……婚約者さんは? 中央で結婚したんちゃうの?」
思わず顎に添えられた手を振り払って言った。その声のトーンが余裕のないものになっているのは自覚している。今の私に余裕を取り繕うなんてことは出来ない。だって、目の前に……夢にまでみた幼なじみが、目の前に帰って来たのだから。
「アイツとは……もう、終わったよ」
「え?」
思いの他淡々と、その言葉は告げられた。こちらを見る視線はそのままに、その口から零れた言葉はやけに冷ややかに感じられて。その裏側に潜む嫌悪を、幼なじみの私だけが感じ取ることが出来たのだと思う。
「リグには隠し事をしないと決めたから言う。俺のこの腕を見て、婚約者から破談を告げられた。『腕が任務で落とされたならともかく、バケモノのように変異している夫なんて、家の品位が下がる』からと真顔で言われたよ。もちろんご両親にもだ」
「そんな……酷い……」
任務での不慮の事故。それは腕が落とされようが変異しようが変わらない事実なのではないのか。どうして腕が無くなった状態なら良くて、変異してしまっていたら駄目なのか。品位なんて言葉、言い訳ではないのだろうか。
そうだ。言い訳だ。田舎の村で育った私ですらも、彼の腕を見て『これからの彼の人生』を想像してしまったぐらいだ。品位を大事にするような家系で、そんな相手を結婚相手に許すなんて有り得ない。
田舎はともかく中央部では医療も発達しており、それ故に障害を持った者――彼の場合、これが『怪我』にあたるのか『病』にあたるのかは不明だが――の生活への保障も手厚いとは聞いていた。だが、それも『生活とする』という側面だけの問題で、周囲からの目を保証するものではないのだ。
「……ありがとう。だが、俺にもあの反応は妥当だと思った。だけど、こうも思った。『もし、この腕を見てリグが……俺との結婚を了承してくれるというのなら、俺はどんなことをしてでも幸せにする。世界一大事にして、幸せな嫁にすると誓う』って」
「そ、それって……」
「うん。プロポーズのつもりだ。もちろん、もっとその……ロマンチックにして欲しいって言うなら、ちゃんとやり直す。だが、俺はリグの姿を見てしまった。もう、我慢出来ないんだ」
身動きの取れない姿勢ながら、彼は私の目の前で首を垂れる。その姿がまるで騎士が忠誠を誓う様子に見えて、私の胸はどくどくと煩いくらいに脈打った。
「リグ……俺と結婚してくれ」
顔も身体も、頭だって熱いなか、私は生まれて初めてのプロポーズを、初恋の男性から受けることになったのだった。