第三章
――セイレーンでは、これに魔力がこもっていることを知ってるのか?
リチャード達がいた世界では、魔法とは現実とは真反対なファンタジーの話だった。幻想の、化学では説明がつかない産物だ。
その魔法とは真反対に位置する力の筆頭である現代科学技術によってオートメーション化された工場で、『セイレーン』のアクセサリーは生産されている。きっと一日に、何十万個と生産されているだろう。確か世界各国に輸出されていると聞いたことがあるし、そもそもどこの国に本社があるのかも知らなかった。
女性向けのアクセサリーショップに好き好んで行くような性格ではなかったリチャードは、付き合った彼女に対してしっかりとしたプレゼントを選びに行ったのも、恥ずかしながらレイルが初めてだった。
メルヘンというか、マリンをモチーフにしたような淡い水色の外壁に、アクセントのようにしてゴールドや同じく淡い紫色に彩られた窓枠が目を引くアクセサリーショップだった。開かれた扉を抜けたその先も全体的に青が目立つ店内にて、そのペンダント――霊石だけがリチャードの心を惹き付けたのだ。
――きっと、ロロジも同じ気持ちだったんだ……
霊石が人を選ぶのか、それともこの世界への適正でも見るのか、それとも……
――まさか……この霊石が、俺達を……?
ガリアノの手から思わずその大きな蒼を奪い取る。驚いたように目を見開きながらも、リチャードの態度にただならぬ気配を感じ取ったのか、彼は心配そうに声を掛けてくる。
「どうした? 心配せずとも魔力に飲み込まれた程度では、魔法の石は破損したりせんとも。それとも……あの者のことは……男としてわかってやれとしかオレには言――」
「――ガリアノ……」
いつもリチャードの不安を消し去ってくれるのは、隣の彼女ではなく、その大きな背中だった。ガハハと何もかもを笑い飛ばすその大きな大きな存在が、今はリチャードにとっての一番に頼れる者の姿だ。それは隣の彼女ではない。彼女は、答えない。応えない。
「……何か、思い至ることでもありましたか?」
何かを悟ったのか、彼の影がそう言って、リチャードに続きを促す。その白を思わず見詰めて、そこに普段通りの冷静なる闇を見つけて安心した自分に驚いた。彼の闇は、リチャードをどこか落ち着かせる。荒波を従えるには脆すぎる心は、一人きりでは不安で、独占出来ないことにまた、焦がれる。
「蒼の霊石の魔力は、自然からのものなんだよな?」
「ええ。ゼートでも、アクトでも、そう伝承には語られております。自然の、おそらくは生命力に富んだ木々や大地からの――」
「――天界の力だ」
ガリアノの言葉に、リチャードだけでなくレイルと、そしてサクも鋭い視線を彼に向けた。ざわりと、湿地帯に不快な風が吹き抜ける。霧も白も掻き消えたというのに、なんとも不快な風だった。
サクは、言葉の意味をわかっているのか、主に向けるにしては“過ぎる”目をして、言葉を零す。問い掛ける。
「何故……ガリアノ様がそれを知っているのですか?」
ひやりと空気が一瞬にして冷えたようだ。主に向けるにしては過ぎる殺気が、ぞわりと背筋を駆け上がる。こんな目を、こんな気配を纏った彼を、リチャードは知らない。
普段から、闇からそのまま這い出たような男だった。その男が、今はありありとその瞳に“感情”を浮かべている。ありありと、煮え滾るのは、これは――憎しみだ。
「どうして知っている!? 答えろ!! それはゼートが知っていて良いものではない!!」
主従を越えた憎しみの言葉に、ガリアノはただその目を伏せた。リチャードにはその彼の表情が、まるで泣いているかのように見えた。鬣のようなダークブラウンの髪が揺れる。
「お前さんの妹から聞いた。天界から零れ落ちた光の魔力の塊、とアクトの間では言い伝えられているようだな。お前さんがオレに言わなかったのは、『光の魔力であるが故に、アクトでは使えない』ことを、ゼートに知られたくなかったのだろう?」
「……霊石の存在自体、知っている者は限られます。元より少数派のアクトの中では、その“事実”まで知っている者となると、数は更に少なくなります」
「事実、なのだな?」
「自分は……幼き頃の思い出こそありませんが、親であろう者の言葉だけは、ずっと脳裏に刻まれていました。『偉大なる水神様を、ゼートにだけは呼び出させてはならない』と」
影は、いつの間にか主の目の前まで移動していた。その腕には闇色に鈍く凶器が光り、それと対峙する主もまた、その剛腕に刃を添えていた。影が、動く。
ばさりと――主の前に跪く。
「ガリアノ様はゼートにございます。しかし、自分にとってはそれ以前に、尊敬する主です。主の夢を『水神様に願う』為に、自分はこの旅に同行しています。その気持ちは……今も変わってはおりません」
下げた頭に己の主従を見せる影に、光はガハハといつものように笑った。笑い飛ばした。その声は、陰気な空気も消してしまう程に暖かい。
ガリアノはサクと視線を合わせる為に片膝をついて、その闇を覗き込む。
「お前さんの素直な言葉、久しぶりだな。確か……妹に初めて触れた時にも怒鳴られたか」
「その節は……いえ、先程も失礼致しました。決して“ゼート”には教えぬようにきつく言い聞かされていた記憶がありまして……ガリアノ様になら、お伝えするべきだったと思います」
「どうせどちらだろうと、オレは使えるのだろう? だったら何の問題もないとも。お前さんももう気にするな。それに、たまには熱くなっても良いと思うがなあ」
そう言ってまた笑い、サクの頭を撫でようとするものだから、これにはさすがのサクも慌ててその手を避けていた。感情の浮かばない瞳に、今日はやけにいろいろな色が浮かぶ。
「おいおい、こんなイイ女を放っといて男同士でイチャイチャするなよ」
和やかに戻った空気に安心したように、レイルがそう言いながらニヤニヤした笑みを浮かべた。
その言葉にサクは慌てふためいたが、ガリアノはそれすらもガハハと笑い飛ばすのだった。
思わずリチャードも笑ってしまったが、そこに思い出したようにレイルが言葉と共に顔をこちらに向ける。
「ところで……リチャードは何を言い掛けたんだ?」
まだ口元はニヤついたままだが、その瞳に少しばかりの――疑惑の色をリチャードは感じた。彼女の嗅覚は、いつ何時も素晴らしい。
「ああ、その蒼の霊石をセイレーンで造っている者がいるんじゃないか?」
リチャードの言葉に、いち早く反応したのは、意外にもガリアノだった。
「仮に、お前さんらの世界で霊石を造っている者がいたとしても、だ。お前さんらのようにこの世界に来れなければ意味はないのだろう? それならば、今はここで何を言っても仕方あるまい。それよりも、まずはこの森を抜けるのが先決だ」
「自分も同意します。疑問は残りますが、まずはこの森を抜けることが得策かと。この場で夜を迎えるのは危険です」
常に前を向いている主とは違い、追従する影の言葉には微かに困惑の色が残っている。それでも彼は主に同意する。それ程までに、この迷いの森が危険ということだ。霧は今は晴れているが、あの濃度の濃い悪意があの男だけの力で生み出されていたとは、リチャードにも到底思えなかった。
「ああ。そうだな。今考えても仕方ないことは、どうしようもねえからな……」
レイルも頷き、ガリアノの後を追って歩き出す。その言葉に彼女らしさの欠片もないことも、リチャードは理解し、そして敢えてそれを聞き流した。
「……次はいったい、どこに向かうんだ?」
己で見出せない“行き先”を問うのは、愛しい彼女ではなく、前を歩く大きな背中だ。
「迷いの森を抜けた先に、比較的大きな街があってな。順調に行けば明け方には着くだろう。なーに、森自体は夜になる前に抜ける。悩む時間は道中いくらでもあるんだ。考えるなら明るい朝にでもせんか。明けない夜はないのだからな」
そう言ってガハハと笑う背中に、リチャードも自然と笑みを零していた。その和んだ空気に突き刺さる視線には気付かないふりをして、リチャードは迷いを孕ます森を抜ける為に前進する。抜けた先がどうか希望に満ちた明け方であって欲しいと、思わずにはいられない程に、その視線は凍てついていた。