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第二章「妖狐」


 父親捜しを始めた三羽は、まずは人間達のいる街へ繰り出すようになった。母親探しをしなかったのは、三羽の母が既に地中に埋まっているということを理解していたからに他ならない。
 あやかしとして生を受けた三羽は、命の途中で生まれ変わった狐達とは異なり、異常ともとれる能力を幼き頃から有していた。高い知能に学習能力、多少の雨風にはびくともしない飛翔能力、鳥類故の鋭い視力は更に高まり、そしてその眼は――微かな妖力をも見つけ出す。
 神木と崇められるその巣の下に、母親達の身体が埋まっていることは、三羽は産まれてすぐに感じていた。埋葬という言葉として理解したのは最近だが、その言葉のおかげか三羽の心には安らぎすらも生まれていた。自分達は産み捨てられたわけではなく、その親もまた手厚く埋葬される程に慕われていたのだと。その言葉にはそういう意味があった。
 人間達の街というのは本当に刺激に満ちていた。寂れた神社の境内しか知らない三羽にとって、そこはこの世の楽園のようで。昼夜問わず光を宿したその街は、まさしく人類の繁栄の象徴である。
 ゴミを漁る他の烏達との交流は、三羽の知識をより深いものにした。最初は縄張りを主張するその烏達の相手が面倒と感じる程だったが、一際大きく成長した氷の姿を見て、街の烏達はおとなしくその餌場を譲ってくれた。餌場を欲しがっていた訳ではない三羽は、そこである提案をする。
『僕達は餌場を横取りしに来たわけじゃない。この街の知識が足りない新参者に、この街のルールを教えて欲しい』
 下手をすれば足元を見られるこの提案も、提案者が岩だからこそ、他の烏達に浸透した。彼等は街の至る所で、出会う度に、すれ違う度にたくさんのことを教えてくれた。
『人間達はみんな細い板を持ってて、そこには食べ物や人とかいろんなもんが映ってる。でもそれには触れれへんねんで』
『あんまり昼間に餌場には近寄り過ぎたらあかんで。目ぇつけられたら人間共に罠掛けられるからな』
『お兄さん、ほんまかっこええけど、ウチと一緒に今晩どぉ?』
『街にはほとんど動物はおらんけど、食べ物の匂いがきつい建物には、ネズミとかもよぉ出入りしとるで』
『うわぁ、お姉ちゃんべっぴんやなぁ。美味しい餌場教えたろか?』
『あそこの公園、鳩に餌やっとるばあさんいるから、その餌盗るなり鳩襲うなり、好きにしたらええで』
『あの屋台最近出来たんやけど、ゴミそのまま出してるから狙い目やわぁ』
『あの家知っとる? なんかいやに獣臭い匂いしてるから、あんま近寄らん方がええで』
 街の烏達は噂話が大好きなようで。鋭い視力と感覚で仕入れた情報を、三羽にもたくさん教えてくれた。そしてその家は、野生動物である烏達ですら『獣臭い』と感じさせる程に、とても酷く淀んでいた。強すぎる妖力に、家が、空気が侵されている。
『あそこって……』
 烏達は好奇心旺盛だ。それはもちろん三羽も然り。三羽は狐達の友達のことも調べていた。あまりに人間とは異なる匂いを発するその娘を、判断する材料を探していたのだ。それは仲良くなった狐達のためでもあり、自分達の目的のためでもあった。
『ああ。あの娘の家やろうな。この前つけたから間違いない』
『えらい獣臭かったけど、なんか狐っぽぉない?』
 食べ物に関して一際執着のある氷は、嗅覚に関しても三羽の中では群を抜いていた。彼の鼻を信頼している岩は、小さく頷く。
『おそらくあの家におるのは妖狐やろな。黄達と似た匂いがした。どういうわけかは知らんけど』
『多分その妖狐、メスやで』
 鋭い視線でそう言う雷に、氷が目を丸くする。
『なんでわかんねん、雷?』
『メスの勘』
『……嘘やろ?』
『嘘』
 あっけらかんと白状する雷に、氷が大袈裟にずっこける。岩はそんな氷を無視して雷にもう一度問う。
『なんでわかるねん?』
 すると今度は雷も真剣な表情をして答えてくれた。
『あの娘、夜中に来る時に決まって「お父さん……」って呟いてるんやわ。だから多分家におるんは母親だけやろ? だから妖狐はメスやと思うねん』
『お前、いつそんなん聞いたんや?』
『たまーに、鳥居の前までお出迎えしてやってるんやで? 黄と茶々があの辺うろついてるん、まぁ……心配やからさ』
 最後は少し照れながら話す世話焼きお姉さん烏を笑いながら、岩は彼女の説が正しいだろうと内心確信していた。娘の家にはあれから何度か近づいているが、妖狐以外の気配は全く伝わってこなかったからだ。
『こりゃ、父親は蒸発しとるかもな』
 人間界で覚えた言葉を使いながら、岩は『んー』と羽根を広げる。
『あの大きい人間すらも“蒸発”って出来るんやもんな。そもそもあやかしであろうってことぐらいしかわからん俺らの父親やったら、蒸発くらい簡単にしそうやんな』
『なぁ氷? 人間は比喩でそう言ってるだけで、ほんまに人が空気に溶けてまう訳やないからな?』
『え? そうなん?』
 盛大に溜め息をつく雷の横で『そうやったんか! なんかおかしい思てん!』と驚いている氷が微笑ましい。そして岩の脳裏にひとつの疑問が浮かぶ。
『……なんであの娘はここに来るねん?』
 ほんの小さな呟きに、小柄なメス烏の目が細められる。自分自身への自問としての呟きだったのだが、それを氷が大きな身体を揺らして笑い飛ばす。
『岩! どんだけここに住んでるねん? ここは神社やで? 人間達がお願い事をしに来る場所や。父親が蒸発してるんやから、あの娘も父親が見つかりますようにってお願いしに来てるに決まってるやん』
『……確かに絵馬、いっつも持っとるな。どっから持って来とるんかは知らんけど』
 それしかないか、と岩が考え込む横で、小柄な烏の嘴が開く。
『……みんな父親を捜しとるな……』
 まるで巡り合わせたように、彼等も彼女も探していた。顔も知らない父親を。どこにいるのかも、生きているのかも死んでいるのかもわからない。まるで実体のないその存在を。






 その企みは三羽だけの秘密であった。腐り落ちた母親の死肉を食らう。それは秘め事。明るい陽射しの元で生きる狐達への、三羽なりの心遣いで気休めだった。どれだけ取り繕ったとしても、自分達の漆黒の大翼は闇夜の象徴としての姿でしかなかった。
 何もかもが寝静まった真夜中に、三羽はばさりと神木の下を掘り返す。地面を掘り返すには向かない細い足で、それでも三羽は掘り進める。無心で、無言で。ただ、その本能に従って掘り進む。
 夜空に浮かぶ月を厚い雲が覆い隠した時、その身体が姿を現した。命を落としてから月日が経っているとは思えない程綺麗な――死体だった。事切れたその身体は、静かに死の気配のみを纏っている。
『母さん……』
 産まれた順に掘り返し、三羽は死肉を啄み、夜を越える。新月の夜もあれば、月明りが優しく降る夜もあった。オス狐の視線が突き刺さる夜もあれば、物言わぬ神木からの意思を感じさせる夜もあった。
 何度目かのその夜を越えて、三羽は神木の巣から決別する。その意思を、“彼”に伝える。
『お前が、父親やったんやな』
 事切れた母親の死肉には、彼への憎悪が刻まれていた。彼は神なる壮大な力を持って、しかしその与えられた力は、神と呼ぶには弱弱しく、ただの三羽の烏の心を、その瞬間にしか惹き付けることが出来なかった。烏が狐の心を惹き付けることがあっても、結局は狐は狐同士惹かれ合うように。狐が烏の心を掌握することは出来なかった。
 命を宿すその瞬間だけを惹き付けた彼は、役目を終えたメス烏の身体を腐り落ちるに任せて捨てる。妖力に染まったその亡骸だけは隠すように自身の懐に埋葬して。自身を受け継ぐ卵達だけを、熱心にその巣の中で育て上げて。
『僕らはお前の好きにはならんで』
 今はもう枯れてしまった、妖力の残り少ないその身体を、三羽の烏は睨みつける。彼の“本体”が今この時に、目の前の神木に宿っていないことはわかっている。それでも伝える。三羽の決意を。伝える言葉は決まっていて、言葉の力は絶大だ。
『お前はもう、子孫なんてもんは残せへん。他の命を自分のものみたいに扱う考えは、子の僕らが断たせてもらうで』
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