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第一章「狐と烏」


 焦りからか必要以上に大きな声が出て、茶々本人が一番驚いているようだった。その愛くるしい瞳が真ん丸に見開かれる。その気持ちはわかる。人間の発声は表情以上に難しい。言葉をいくら理解していても、それを口から放つことはまた違うのだから。
「えーと……正義のアイちゃんは……まさか捜査会議中寝てたってことは……ないよな?」
 頭を掻いているような影の動きが見えて、そこから恐る恐るという感じの男の声が聞こえる。そこに茶々は大袈裟なくらいに落ち込んだ様子で演技をしだす。
「……あまりに残虐な事件内容で……聞けなかったんです……ほらウチ――」
 そこまで茶々が言ったところで、黄は慌てて彼女に向かって駆け出した。視界に映る小さな黄の姿に、茶々は慌てて平静を取り繕うために口を閉じる。
「それはまぁ……妊婦ばっかが被害にあってるし、女の子としては辛いよな……」
 車の男は黄の存在に気付かなかったようで、その意味深な沈黙を別の意味で解釈したようだ。慰めるようにその太い腕が、茶々の小ぶりな頭を優しく撫でた。
「捜査会議の内容、話してもええけど、辛いんちゃう?」
「大丈夫です!」
――こら、そこを元気よく言ってまうと演技なのがバレるやろが!
 黄が注意も込めて彼女の足元を少し噛む。彼女は表情も変えずに、足元の黄を少し蹴った。男の視界から下の攻防なので、バレていないようだ。
「……それやったらええんやけどな。妊婦ばかりがもう、六人は殺されてる。“は”って言ったんはまだ増える可能性が高いからや。んで、まだ容疑者はゼロ」
 ふーっと男が息をついた。鼻につくきつい匂いが煙と共に窓から出てくる。鼻が曲がりそうなその香りに、茶々も少し表情が強張った。
「で、や。ここからがこの事件が凶悪というか、鬼畜の所業とされる所以なんやけど……」
 そこで男は意味ありげに言葉を切った。最大限に茶々――と足元の黄――の注意を引き付けてから、例の臭い匂いと共に続きを吐き出す。
「どういうわけか妊婦の腹はみんな裂かれて、中身が全くなかったらしい。どうも外からと言うよりは、内部からぶち破られたみたいな傷跡やったらしいわ」
「それって……?」
 奇怪なその内容を更に聞き出そうとした茶々だったが、それにはどうやら時間切れのようだった。彼女のチャーミングな尻尾が腰からにょきっと現れたところで、黄は彼女の足首を先程よりも強く噛んだ。
『痛っ!』
 その痛みに集中を乱された彼女の身体がみるみるうちに縮こまっていく。その様子を見た男が「ひっ!」と悲鳴を上げたがそれは無視して、こてんと地面に着地を決めた茶々を伴って、黄は一目散に走り出す。
『いたたたた……もう! もう少しやったのに!』
『もう時間切れやったやろ』
『うー! でも! これやとまだ全然情報足りひんやん!』
 まだ文句たらたらのじゃじゃ馬娘は、妖力が尽きかけているというのに元気そうだった。まだ神社までは距離があるので、有難いことではある。
『腹が裂かれてるのに中身がないって、じゃあなんで裂いたんや?』
『それよか、内部からって何なん? 人間の赤ちゃんって内側からお腹裂くみたいに獰猛なん?』
『んなわけないやろ!? 多分、なんかあの妖狐と関係あるんやろ。それこそ妖術とか……』
『そんな気になるなら食ったらええのに』
 突然そんな声が空から降って来た。酷く耳障りな羽音と共に、漆黒の羽根がひらりと落ちる。
『雷……っ』
 突然目の前、道路の真ん中に降り立った小柄なメス烏を二匹は睨みつける。そんな二匹の目線にも、お姉さん烏は動じない。
『なんやなんや、えらい虫の居所が悪いみたいやなぁ。自分の知りたい情報がわからへんからって、私にあたらんでもええのに』
 余裕綽々といったメス烏の姿は、言葉とは裏腹に傷だらけであった。あやかしと化している烏達にとって、自身の見た目はその妖力の残量と比例する。元より膨大な量の妖力を消費する変化が行えなくなる黄達とは全く違い、彼等のこの見た目はつまり、生命の維持が危ない状況だった。
『雷、その傷……』
『あー、こんなんかすり傷やわ。氷がええとこまで削ったんやけど、あそこで三本目の尻尾出すなんて思わんて』
『まさかあの妖狐とやりあったんか!?』
 思わず黄はそう叫んでいた。あの妖狐は見ただけでわかる程、強大な妖力を有していた。それこそ、黄や茶々等足元にも及ばないだろう。そんな存在に、いくらこの烏達が賢く強力なチームワークを敷けるといっても限度がある。烏達とてそれは、賢いが故にわかっていたはずだ。
『そのために追ったからな。全然時間稼ぎも妖力削るんも出来んかったけど』
 雷がなんともないことのように言う。時間稼ぎ。雷が零す一言一言が、まるでパズルのピースのようだった。その鋭い緑の瞳が、黄をじっと見詰めている。
『いったい雷達は何が目的やねん!? 紬をあの妖狐に殺させるんが目的なんか!?』
『……それだけは違うって言ったるわ。ほんまに岩は、何も言うなってうるさいけどな』
 酷く冷たい空気を孕んで、その言葉は発せられた。そこだけは否定する彼女の心は、こちらへの優しさか、それとも見当違いな疑惑への呆れか。
『雷は……いったい何がしたいん?」
 隣で茶々が縋るように、言葉を変えた。岩達は、ではなく、雷は。それはつまり彼女の目指すものだ。彼女のやりたいことはきっと、岩のやりたいことだが、その過程は違うのだ。だから彼女は一羽、ここに残っている。
『茶々、ほんまにあんたは可愛いやっちゃな。私らより早く生まれてるけど、私らは成長が早いから勝手にお姉さん面してきたわ。だから……あんたらを悲しませたり、怖がらせたりはしたないんやわ』
 ゾクリとする程の風が吹いた。漆黒の鳥が言葉を続ける。
『私らは、自分の母親の死体を食ったんやわ』
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