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第一章「狐と烏」


 赤い光がぐるぐると回って目が痛い。先程まで小さく聞こえていた甲高い音は、近づくにつれて消えてしまっていた。どうやら白黒の車が動いている時だけ鳴っているようで、止まると静かになるらしい。
 白黒の車の傍まで走って来た黄と茶々は、その手前の十字路の隅で様子を窺っていた。
 曲がり角から大きな耳をぴょこんと出しながら、その道の先の惨状を確認する。
 そこにはあの死体が転がっていた。さっき見た場所とはかなり異なる。神社に程近いこの場所に、その死体は転がっていた。来た時と同じく腹に大きな穴を開けて、来た時よりも更に無残に食い散らかされている。
 頭も四肢もなくなり、ただの肉の塊と化してしまったそれを見て、それでもあの死体だとわかるのは、黄達が狐であるが故。臭いを嗅ぎ分けようやくそれとわかる。それ程までに無残に、食い散らかされていた。それはただの食べ残しだった。
 妖狐は匂いを嗅ぎ分けた。それが先程の死体だとわかったように、それを食い散らかした犯人の匂いも。
『……いったい紬は、なんでやられたんや?』
 それはあの家の匂いだった。つまり犯人はあの妖狐。人間――ではないのかもしれないが、あの男の見た目では食らい殺すことは出来ない。この匂いは男と妖狐の二つの匂いが混ざり合ってしまっている。先程も一緒に移動したのだから当たり前だろうが。
 だが、それはつまり、紬は実の――そろそろ実の親かも怪しいが、家のものに襲われたことになる。
『……ウチら、知らへんことばっかやん……』
 きゅっと引き締められたその口元に、彼女の心が現れているようだった。烏の言葉に踊らされるのは、もう駄目だ。
『……紬は、大丈夫なんやろ?』
 上目遣いにこちらを見上げるその瞳に、黄は反射的に頷いていた。そして、告げる。烏の言葉ではない、お望みの言葉。
『ああ。あの男はそう言っとったな』
 その言葉に満足した彼女は、身を隠していた塀の隙間から飛び出ていた葉を、その口で千切り取る。それを器用に頭の上に放り上げて、もう随分久しく感じるじゃじゃ馬娘の表情で笑った。
『あの警察官に化けて、情報聞き出してみる! さっきの車のメスもいないみたいやし。違う人間やったら大丈夫やろ?』
 彼女の表情にはいつもの好奇心旺盛な無垢な面影は全くなく、ただ今置かれた状況を知るという一点からの気持ちが感じられる。それを見てしまった黄には、茶々を止めることなど出来ない。
『多分、同じ人が鉢合わせせんかったら問題ないんちゃうかな? 俺はもう妖力が尽きてるから、茶々にしか頼めんくてごめんな』
 黄の妖力は先程紬に化けてしまっているので尽きかけていた。妖狐である黄達ではあるが、その生活様式に関しては野生の狐と変わりないため、特に妖力を消費して行動しているわけではない。そのため変化の時間制限ギリギリで強制的に解除される程度なら、消滅するということはなかった。
 さすがにその妖力も使い切るまで消耗すれば消滅等の危機があるのかもしれないが、そこまで試したことがないのでどうなるのかはわからない。とにかく、妖力が足りない状態で変化をしようにも、術が不発で終わるだけだった。
『ほな、やるで。黄はそのままここにいとき』
 そう言って茶々がぎゅっと目を瞑る。変化をする時の彼女のクセだ。好奇心旺盛で気が散りやすい性格の茶々は、こうして“周りからの刺激を受けない”という自己暗示をしてから、変化の術のための集中に入るのだ。
 彼女の身体がしゅるりと伸びる。でたらめに成長する木々のようにぐーんと横に上に伸びて、その形を形成していく。車の窓から見えただけの姿を真似るので、顔以外は曖昧のはずだが、それでも彼女は黄から見る分にはしっかりと形を形成しているように見える。雷から色々話を聞いていたのかもしれない。
 するりと長い手足は細長く曲線が目立つ。紬よりは少しばかり高い身長に、ショートカットの髪が内なる正義感を映しているかのようだった。普段の彼女と同じく大きな瞳がきっと前を見据えていた。
 紺色の独特な服装が見慣れない。窮屈そうなその身なりで、彼女は一歩また一歩と白黒の車に向かっていく。不慣れな少し高さのある靴が、コツンコツンとその度に響いた。
 周囲は夜の闇にどっぷりと浸かっており、その闇の中に彼女の紺色の衣装は完全に溶け込んでしまっている。
 白黒の車の前方は眩しい白い光で照らされており、その光の中心に食い散らかされた残骸が無造作に転がっていた。激しい白の中にも、その夥しく流れていた朱は見当たらない。
 彼女の手が白黒の車に伸ばされる。しばらくの静寂の後、車の窓が下にスライドした。乗っている人間は座席に引っ込んでいるために、黄からその姿は見えない。耳を必死に欹てる。
「おー、正義感の塊ちゃんが来たんか。あんま直視すんなよー、現場で吐かれたら怒られるんは俺らや」
 車の中はオスの人間のようで、口ぶりから茶々が化けたメスとは知り合いらしかった。先輩というやつだろうか。声が大きいので聞き取りやすくて助かる。
「……なんとか大丈夫です。この死体は?」
 普段のじゃじゃ馬な姿はしっかり隠して、口元を覆いながら話すその仕草にどきりとしてしまった。しかしどうやら、しおらしい彼女に驚いたのは、黄だけではなかったようだ。
「おいおい、どないしてん? 今日はやけに大人しいやないか」
「えっと……いや、さすがにあの死体はちょっと……」
 上手く会話を合わせようと焦る彼女だが、男はどうやらその返事で納得したらしい。彼女が死体と言って口を噤むのは、その香りに嗅覚が反応してしまうからだ。だが、それは人間にはわからない。だから男は勘違いしている。
「さすがの正義のアイちゃんも直視は出来んよなー。ええでええで、あとは俺らがやっとくから女の子は後ろでゆっくりしときや」
「……あ、えっと……」
 事件の内容を聞き出したいのに上手く言葉が繋げられない茶々の焦りが、黄にも伝わってくる。腰に尻尾が出てきていないところを見るに、まだ制限時間は大丈夫そうだが、悠長なことは言っていられない。じゃじゃ馬の口が開く。
「もう一度この事件の詳細を教えてください!」
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