第六章 過去


「どうやらここから地下に向かうようだな」
 クリスが門で出迎えると、リチャードは肩を竦めた。挨拶もそこそこに、彼は地下へ向かうエレベーターを捜し当てる。
 このエレベーターの存在を、クリスは知らなかった。この空間のどこかにあることは予想出来たのだが、散策する時間が無かったので場所までは検討がついていなかった。だがそんなクリスの心配は杞憂に終わり、南部出身のリチャードは難無くそれを見つけ出してくれた。
 エントランスの床の一部が、そのまま昇降する造りらしく、南部の軍では割と一般的な仕掛けらしい。二人で狭い昇降する床に立つ。空軍での魔法陣を思い出し、クリスはリチャードに目をやる。
――ロックに似ている。
 これは空軍の施設で見た時から感じていた。
 あの、全てを見透かすような、狂暴な光を宿す瞳。見られると背筋がゾクゾクする、サディスティックなところが気に入る。口元だけは甘い雰囲気を漂わせていて、こんなイイ男はなかなかいない。細身だが筋肉質な彼は、今は魔力を最大限に発揮する為にルーン文字が入ったコートを着用していた。
「何か?」
 リチャードが怪訝そうな声で聞いた。マズイ……いろいろな意味で警戒されている。
「ルーンのコートとエクスカリバーならば、地下に眠る大量の液体も浄化出来る」
 リチャードはこの国にある全ての“悪意の塊”を消し去るつもりだ。地表に出現したあの塔と同じくらいの質量の液体が地下にもあり、何らかの形であの塔に繋がっているはずだった。
「半日は掛かるが、フィナーレには間に合わせるさ」
「外のことは気にするな。フェンリルも、可能な限り手を貸す」
「必要無い」
 クリスの言葉に、リチャードは冷たく言い放つ。その瞬間、二人の足元が揺れた。エレベーターが地下に到着したようだ。
 地下には巨大な水槽が用意されていた。クリス達が降りてきたエレベーターを中心に、四角形の巨大なプールのような水槽が足元に広がっていた。赤い編み目状の金網が、頼りなくクリス達の体重を支えている。
――これが破れたら悪意の海にダイブだな。
 クリスはそう考えながら足元を見た。赤黒い液体がドロドロと滞留しており、ときたま亡者の悲鳴のような不気味な音を寒々しい空間に響かせている。
 中庭と同じ広さの地下空間には、十数メートル程の深さの水槽が下にあるだけで、そこから数メートル上に張られた金網の上には、人一人が通れる程度の隙間しかない。天井の高さに閉塞感を味わったのか、リチャードは咳ばらいを一つ。
 クリスはリチャードよりは余裕がある頭の上を見上げてから、“それ”に目をやった。
 自分達が降りてきた場所から真っすぐ進んだ先、中庭の中央に位置する所から、一本の塔が伸びている。天高く伸びるそれは、金網だけでなく天井も突き破り、地表に到達しているらしい。どうやら転送ではなく、根本から繋がっているようだ。上から下に突き抜けたようだが。
 つまり順番は逆だ。地表から、核を求めて下に伸びた。それにしても、どことなく空気が悪い。
「思ったより多いな。それに、濃度も濃い」
「さすがの光将様もお手上げか?」
 小声で呟いたリチャードに、クリスは挑発的に返す。
「まさか。夜までには浄化してやる」
 エクスカリバーを鞘から抜き放ちながら、リチャードは鋭い眼差しで塔を見た。その行動から殺意以上の気迫を感じ、クリスは目を見張る。
 こんな高揚感は久しぶりだ。本当にこいつには驚かされる。仮にも自分は、フェンリル最強と呼ばれる存在だ。その自分が、相手の一挙一動に目をやってしまっている。
――やはりロックの身内、だろうな。
 強く確信したクリスは、特に彼には確認も取らずにエレベーターに引き返す。後は彼に任せるつもりだ。
「……俺を一人にしても良いのか?」
 エレベーターの手前で、リチャードの声が響いた。広い広い空間に、彼の低い声は充分過ぎる程の反響を残す。
「見張るつもりはない。あんたなら自分の仕事はきちんと果たすはずだ。一人が不満なら、女を送ってやっても良い」
「女……あの、レイルとか言う女か?」
「ああ。あの良く仕込まれた女だ。どうやら男には興味がないようだからな。全く、残念だ」
 ニヤリと笑いながら言うと、リチャードの表情が変わった。
「ふん……俺を貴様らのような変質者と一緒にするな」
「わかったわかった。冗談は止める。彼女にはお茶でも持って来させる」
「……」
 リチャードはこちらを一睨みしてから、後ろを向いて精神の集中を始めた。
 そんな彼の様子を見て、クリスは遊び過ぎたことを後悔。ロックとは真逆のお堅い性格に、フェンリルの面々に慣れ過ぎた自分としては、少し物足りないと感じるのも事実だ。
 クリスは黙ってエレベーターの上に乗った。馬鹿みたいに大きな音を立てて動き出したエレベーターに合わせて、リチャードの持つ剣からまばゆい光が放たれた。地下全体を埋め尽くす浄化の光に、クリスは日の光のような暖かさを感じた。
 赤黒い塔は途端に脈打ち、ゆっくりとではあるがその色が透明に近くなっていく。浄化されていく内部を映すように、赤黒い色は逃げ道を求めるようにして、上に追いやられていっている。
 そこでエレベーターは地下空間から抜け、遥か頭上のエントランスから届く細い光を残して薄闇に包まれた。
『リーダー! 浄化が始まったのか?』
 無線からロックの声が響いた。クリスは、剥き出しになったエレベーターの鉄骨に目をやりながら返す。
「ああ、そうだが。どうした?」
『やっぱりな。問題は無いだろうが、一応塔を見に来てくれ』
「ああ、わかった」
 イマイチ要領を得ないロックの連絡に頷き、クリスはエントランスに到着するのを待った。降りる時の倍以上の時間を掛けて動くエレベーターの原因は、鉄骨と機材の老朽化だと思われる。
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