第六章 過去
強い血の臭いで目が覚めた。簡易的なベッドと机しかない部屋の中。足元からは微かな揺れが伝わってくる。
彼は血まみれの死体達に囲まれて、ベッドの端に座っていた。つい後退りしたヤートの背中が、扉の感触にぶつかって止まった。どうやらこの世界の空間は、本人が見えている範囲の外には出られないようになっているらしい。
『死体愛好者か……』
ナオの呟きが静かな空間に響く。ヤートはこの場所が、数日前自分も乗っていた船の中だということに気付いた。足元が揺れているのは、航海中だからだろう。
彼は血の滴る青年を眺めながら、まどろみに入っているようだった。時々、口元が夢心地に開かれる。
「優しく抱いて、ゆっくり入れて……」
笑みを形作る口元は、本当に幸せそうだ。
「俺専用の穴……」
「うっげ、やっぱスゲエ臭いだな。腐敗臭よりはマシだが……」
彼の呟きを掻き消すように、部屋にロックが入って来た。ヤートの身体をすり抜けて、ロックはベッドの上の彼に近付く。
「……リーダーは?」
まだ夢見心地、といった顔で彼は聞いた。
「捕虜に質問タイムだとよ。リーダー、相当気に入ってるから、命を助ける作戦を考えてんだろ?」
ベッドの前に立ったままニヤニヤ笑いながら答えるロックに、気分を害したのか彼はむくれて言う。
「お前だってそうして欲しいって顔に書いてあるぜ? 俺には理解出来ない」
「マジで? 僕って正直者だから」
「……俺には理解出来ない」
「……何怒ってんだよ?」
それまでふざけた態度だったロックが、急に真面目な表情になった。
彼の豹変する態度は幾度かヤートも見たが、ギャップが激し過ぎるせいか、自然とこちらの本心を見透かされているような錯覚を覚える。
「……お前ら、あの捕虜が俺達の仲間に入って良いって、本気で思ってんのか!? 俺達……フェンリルと名乗らせて、本当に良いと思ってんのか!?」
彼はベッドから勢い良く立ち上がると、ロックの前に立ち睨みつけた。
「あの人を守るには、それくらいしないといけないだろうな」
その威圧を、ロックも真っ正面から受け止め睨み返す。
まさか自分のことで睨み合いが勃発していたなんて想像もしていなかったヤートは、もう終わったことだとわかっていてもいたたまれない気持ちになった。
「わかってんのか!? あの人はただの普通の人間だ!!」
「お前が見過ごせないスラム生まれだぞ?」
「……だったら尚更! スラム生まれでも真っ当に防衛隊隊長をしてる!! 俺達みたいに、腐りきってない!!」
「どこの世界にも腐った奴はいる。それに……僕らと一緒にいれば、嫌でも感覚が狂ってくるさ」
「それでも……っ! 染まりきれない奴も、いるんだよ!!」
大声を張り上げた彼に、ロックは一瞬目を見開いた。咄嗟に反論しようと開いた口が言葉を紡ぐことはなく、そのまま開かれたままだったが、やがてそこから小さな溜め息が流れた。
ロックは片手で髪の毛をかき上げながら、もう片方の手で彼にベッドに座るように勧めた。不服そうに、だが素直に従う彼に、ロックは優しい笑みを浮かべながら言った。
「お前……まだ染まれてない、とか思ってんの?」
「……」
「高級住宅街で、何十人もの死体コレクションを地下室に飾っていた死体愛好者。好みは年下から中年まで幅広い層の男性。生粋の同性愛者で、獲物とはまず恋人関係を築く。フェンリルに配属以前から、お前の経歴は猟奇殺人犯そのものだぜ?」
「でも……」
身の毛もよだつ経歴をサラっと話すロックの神経を疑いたい。
「……ルーク」
尚も言い淀む彼に、ロックが甘く囁いた。一瞬の後にはロックは彼をベッドに押し倒し、強く噛み付くような口づけを彼に落としていた。
――本当に手が早い男だ。
「言ってくれねえとわかんねえよ。勝手に疎外感感じて凹んでんなら、僕がどれだけお前の近くにいるか、身体に教えてやっても良いんだぜ……今夜は朝まで一緒にいてやる」
「……好き勝手言いやがって。お前がヤりたいだけだろ?」
「バレた? どうだった? 僕の誘いは?」
「……けっこうきたから腹立つんだよな」
そう言いながら彼はロックの腹を軽く蹴った。ロックは笑って上体だけ起こすと、こちらに向かって右手を伸ばした。
一瞬何をしているのかわからなかったが、次第に落ちる部屋の照明に、彼の意図がわかった。
横を見ると、薄紫の球体に包まれた照明のスイッチがあった。重力場を使ってスイッチを操作しているのだ。
銃弾の反射や特大の跳躍を可能にする強力な重力場で、スイッチを壊さずに操作するのは、かなり繊細な魔力のコントロールが必要なはずだが、ロックはなんでもないことのような表情をしていた。ゆっくりと薄闇に包まれた室内で、再び唇を合わせる卑猥な音が響く。
「……どうしてそんな疎外感があるんだ? 僕らは仲間だろ」
「お前らと俺とじゃ、全然違うことがあるだろ?」
雰囲気のせいもあるだろう。小声で話の続きをする彼らの姿が、ゆっくりと漆黒の闇に消えていった。